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「また新しいバランスが見えてくる気がして」08-6月号 女性のライフステージ |
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夫の住まいに泥棒が入った。分厚い木製の扉が壊され、パソコンを二台盗まれたらしい。私たちはこの知らせを旅先で受け取った。ベルリンに住む夫の帰国を一週間後にひかえての驚きだ。 言葉を尽くして慰める。しかし、命に別状はないわけだし、現地にいて怪我などしなかったのは不幸中の幸い。それに、夫には内緒だが、夫婦別生活でよかった、と内心胸を撫で下ろす。 私たちは、厳密ではないが、大抵のかかりを主となる当事者が支払う。母と三人で旅行したときには、同様に責任があるということできっちり折半だった。夫も私も、自分の生活をもうずいぶん長いこと自分のペースで送ってきたので、自分でコントロールできる部分を最大限に残しておき、それでも好意をもって相手のためにできることがあると、一生懸命に相手に『尽くす』。子どもがいないからできることよね、と言われるし、自分でもそう思う。 誰かとの間に生まれる子ということよりも、自分の子がほしくてほしくて、すこし病的だった時期もあった。紙おむつやベビー用品のコマーシャルがあったりすると涙があふれて、慌ててチャンネルをかえていたっけ。一人っ子で従兄弟もいない私には、両親がいなくなれば、この世で自分を無条件に受け入れてくれる存在はなくなるのだ。そして、ひとりぼっちになった私は、だれの心にも住みつけず、存在する価値のないものになるのだ。それに比べ、目標となる恩師たちは全てを手にしてまぶしいばかり、などと、閉じた認知構造の虜となっていった。 もっと遡れば、だいたい始めの予定では二十代の早いうちに、場合によっては学生結婚して、研究を続けながら踊る教育ママになって、お受験では自分の経験をフルに生かすことにしていたのに、どうしてタイミング外しちゃったんだろう。学生を長くやりすぎた?おどりに時間をかけすぎた? でも、案外どちらも中途半端で突き抜けるものがないから、人や組織との縁も中途半端。そんな風にくよくよ考え、周囲が気になった。そしてなが〜い時が過ぎ、いつからか、自分は大きな仕事には能力もモチベーションも足りぬし、結婚もしないだろうと、思うともなく思う無風状態を生きていた。 父が亡くなり、よくはわからないが、重しや縛られ感がとれたこともあるのかもしれない。気づいたら半年間の研究休職を契機に世界が広がっていた。夫までシベリアの向こうに居た。私の個人主義的なところがイイという。蓼喰う虫とは彼のことか!?ま、それもあるけど、私自身が四十代を楽しむことができているのかもしれない。 今、私は、電車で化粧する若い女性を、臆面もなく、嫌な顔で見つめることができる。迷惑な小学生を、「コラッ」と叱ることができる。自分の権利や尊厳が侵されたと感じると、苦情を申し立てることができる。なにより、勤め先の学生達に迎合しなくなってきた。だって、わたしは大人だもの。社会に意見を述べる義務がある。それに、べつに世の中みんなに好かれなくても大丈夫。 すこし時間はかかったけれど、そう認めたとたんにいろいろと楽になってきた。なかなかに楽しい四十代である。体力だって、もう目覚ましく向上はしない。だから、無理せず、そしてやりたいことを厳選して、自分のエネルギーを投入する。 実は、それとともに責任が幾重にも増えてきて、なんでもかんでもはやっていられない。であるから、下の年代に仕事を渡してゆく。ああ、三十代の皆様、有能でいてくれてありがとう!機動力もあるし、集中力もある。美しい年代。少し嫉妬をおぼえるけれど、そこに気を取られている暇もあまりない。選んだり渡したりすることは、これで結構難しいのである。 いくつもの道を同時に選ぼうとして、結果的にいつもさぼっている気がして後ろめたかった自分の青春時代だったけれど、今になってなんだか少しずつ帳尻があっていっている気がする。大研究者ではないにしろ、「私の専門はドイツのダンス・セラピー。いま大切にしているのは、自分の言葉にしてから人に伝えること…」と無理なく自己紹介できる自分に気づく。そして、必要なだけの時間と機会を、先輩たちから与えられてきたことに気づく。 上を見てみる。五十代の山脈がここまでおいでと輝いている。あそこにつく頃は、どんな思いでいるのだろう。先輩から渡されているものと自分で選んできたもの、この両方を携え、次の世代を頼りにしつつおばちゃん街道を邁進すれば、また新しいバランスが見えてくる気がして、楽しみになる。
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