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「速度ノ花(山田せつ子)」 08-4月号閲覧室 |
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音を受け取り、動きのポイントを次々とずらしてゆくことで生まれる「軌跡を体験」してゆくと、「感覚の速度」があがり、「かたちが面白いように生まれてくる」。「音が消え、無音の中に取り残された私は台風の残骸を見るように、あらわれては消えていったダンスを感じ」ながら踊る(47-48頁)。「速度ノ花」という表題は、このようにしてうまれてゆく同名の舞踊作品からとられている。 山田のダンスは「一瞬未来から、ココへ落ちてくる(9頁)」もの。この感覚を、二十歳で参加した笠井叡の天使館で「追い込まれ」たからだを通して体験したという。「到来するものと、受けとる器としてのからだと、そしてそのことを見る私(98頁)」。自らつかみに行くのではなく、思いを身体に表現するのでもなく、肉体が「なる」、ただ映し出す器に「なる」。土方巽の舞踏のありようとも通ずる。 即興を担保しつつ、いかにいくども踊るかというチャレンジは彼女にとっても問いと発見の連続であるようだ。おどることと出会う自分を見つめ続ける内的、外的状況が、流れるようにおどるように言葉になってゆく。言葉へのこだわり、そして生きている他者、場、社会、時代、今へのこだわり、動き(ダンス、かたち、からだ…)が生まれる、そして消えてゆく瞬間の描写が、固有の体験世界として、しかし清明に綴られる。スッとしみてくるこれらの感覚には、すこし【くせ】になりそうな麻薬感がある。 「現代詩手帳」や「ダンスワーク」に掲載された文と、これらを振り返りつつ書き下ろされた文からなるエッセイ集。「翔ぶ娘」「ダンスの発明」といった小文のタイトルにも、透明で、晴れやかな時空のひろがりがある。 (五柳書院 2005年、 ISBN4 -901646-09-5)
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