ふり返らない遊行僧
(私の山頭火論)

 ふり返らない遊行僧:種田山頭火論


   ふりかへらない道をいそぐ         山頭火

 遍歴を一つの修業とする生き方とは、同じところを二度とは訪れない、ということである。同じところへは二度とは戻って来ない。それは、遍歴の旅の意味とは、〈この世〉への執着を断つことにあるからである。禅は、「まさに住する処なくして、その心を生ずべし」を、仏教の真髄としているが、遍歴はその実践である。それは今日に生き、今日に死ぬ る生き方であり、常に〈昨日〉を捨て去ることによって見い出す〈新しい生命〉である。「仏に逢うては仏を殺し、神に逢うては神を殺し、父母に逢うては父母を殺す」ということも、「昨日に逢うては昨日を殺し、過去に逢うては過去を捨てる」という意味であろう。

   また見ることもない山が遠ざかる      山頭火

 同じ土地、同じ山は二度と見ない、という山頭火の強い断定である。彼は常にそのことを念じ続けながら、旅をしたのだった。だが現実にはそう簡単には行かず、去年訪れた地に今年も訪れ、去年泊まった旅館に今年も泊まったりしたこともしばしばあった。

 しかしその中で、彼が徹底して貫いた一つの姿勢があった。それは一回一回の人との出会いを、最初で、そして最後の交わりと考え、別 れに際して決して後ろを振り返らなかったことである。他のことではかなりだらしがなかった山頭火も、このことだけは徹底していたようである。『層雲』同人の橋本健三氏は、山頭火の想い出を「ふりかへらない山頭火」と題して、次のように記されている。

 昭和十四年の春に山頭火が突然現われ、まるで十年来の知己のように、友人も交えて二三日を語り明かし、飲み明かして過ごしたのだった。そして山頭火がいよいよ帰る段になり、橋本氏は見送って行く;

 「もういいですよ、ぼつぼつ歩いて行きますから」(山頭火)

 「いや構いません、もう少し一緒に行きましょう」(橋本氏)

 なおも二人は前方を見ながら歩いて行く。

 「さあ、もう一本道でしょうからどうぞお帰りください」(山頭火)

 「ではお気をつけになって―――」(橋本氏)

 自分はお辞儀をして立ち止まり、改めて別れを述べようとした。

 我々が道で別れる場合、そこでお互いに立ち止まり、二言三言挨拶して去るのが普通 である。だが山頭火は歩きながら「どうもいろいろお世話になりました」と軽く独り言のように述べながら、そのまますたすたと歩いて行くではないか。

 自分が次の言葉を述べようとして頭を上げた時は、既に両者の間隔は離れ去ること十メートル。この間、彼は最初より少しも歩みを緩めることはなかった。

 呆然として彼方を眺めれば、彼の僧俗相まじえたる風姿は次第に小さくなってゆく、もちろん全然ふり返らない。やがて小さく一点となって、松林の陰に消えて行った。

 例えばこの時の様子を、仮に第三者が眺めていたとすれば、二人は互いに路傍の人であり、偶然同じ道を同じ方向に歩いて行き、たまたま一人は他の一人よりも先へ通 り過ぎたものとしか思われなかったであろう。自分は踵(くびす)を返した。(中略)ああ、三日三晩のあの悪童のような乱酔ぶり、十年の親友のような人なつこさ、それに比べ何という淡々たる別 離の景であろう。

 家路を戻りながらも、しきりに念頭をかすめるのは、ただ「ふり返らない山頭火、うしろ姿のいい山頭火」ということだった。

 翌日すぐ次のようなハガキが着いた。

 「最初の、そして最後の会合でありましょう。とにかくうれしく思いました、云々。」

 そして、そのようにして〈昨日〉を捨て、〈過去〉をすっかり枯らし尽くすことによって、彼の中に〈仏の心〉が結実する。それが次の句である;

   すっかり枯れて豆となっている       山頭火

 歩くことは枯れて行くためである。歩き詰めて〈昨日〉がすっかり枯れ落ち、彼の中に仏国土が結実している。それが、枯れ切った後に残る「豆」によって共感されているのである。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 ここで山頭火の「過去を枯らし切る」、「昨日を捨てる」ということが、決して言葉の遊びや単なる心境文学の産物でないことを確認しておくために、彼が漂泊の旅に出るまでのいわゆる「彼の過去」を、簡単にふり返っておきたい。それは、各種神経症やトラウマ、拒食症・過食症、そして多重人格などの問題が、その人の過去の生立ちと関連して取り上げられ、しかも現在の時代の問題として、非常に広範であると共に根の深い問題として取り上げられている時、山頭火に焦点を当てることは、決して意味少なしとはしないと私は考えるからである。

 種田山頭火(たねださんとうか;本名:正一):明治十五年(1982年)、山口県防府市の大地主の家に生まれる。家は公園ではないかと思えるほど広かったと言われている。だが父は政治と女性問題に狂い出し、家産は傾いていった。そして家が傾けば傾くほど、父親の女性狂いは更に激しくなるばかりだったが、その中にあっても封建社会下での〈妻〉の立場は非常に弱く、それらを苦にして、遂に彼の母は井戸に身を投げて死ぬ 。山頭火十一才の時である。そしてそのことが、今流に言えば山頭火のトラウマを形成すると共に、彼の晩年に抱く人生観へとつながっていくのである。

 彼は郷里の中学を卒業すると上京し、早稲田大学の文科に入る。だが破産した家からの送金は乏しく、かつ本人も神経症に陥り、学業の継続が難しくなって中途退学する。そして故郷に帰って家運を挽回するため、父親と共に酒造業を始めるが、不運続きでそれも上手くゆかず、数年で倒産する。そして父はと言えば、女性と一緒に夜逃げしてしまうのであった。

 その間に彼も結婚し、男の子をもうけた後、知人を頼って熊本で文房具店を開くが、酒を飲み歩くだけでまともに仕事もせず、家出する羽目となる。

       燕とびかふ空しみじみと家出かな     山頭火

 そして東京へ出てきて転々とし、大正九年(山頭火39才の時)離婚。その後病気、神経症と続く。大正十二年、関東大震災に襲われて各所を転々とする。そして震災ショックで精神錯乱に陥る(42才)。また父親と酒造業をやっていた時に弟が自殺してしまったことも、もともと神経が繊細であった彼の精神を、不安定なものにしていたと思われる。

 その後、酒によって彼の生活は更に荒び、大正十三年(43才)熊本に帰った彼は、泥酔したまま走ってくる電車の前に仁王立した。自殺するつもりだったのだろうと言われている。だが幸いにして無事であったが、そのことで警察へ引いて行かれるところ、ある人が彼を貰い受けて報恩寺という禅寺へ連れて行く。そしてそこの義庵和尚の教えによって、ようやく少し落ち着きを得、四十四才にして出家得度するのである。

 しかし彼の神経症と憂鬱とはありきたりの信仰によって埋まるにはあまりに深く、あまりに重かった。生家の壊滅と一家離散、母と弟の自殺、結婚の失敗、などなど(彼は一度は巣鴨拘置所にも入っている――もっともそれは全くの誤解が原因だが)。そして四十六才、「解すべくもない惑いを背負って、行乞(ぎょうこつ)流転の旅に出る」のである。それらが彼の〈過去〉の重層構造である。

   水をわたる誰にともなくさやうなら      山頭火

 自分の〈昨日〉に対して、過去の一切の歩みに対して、「さようなら」と訣別 しているのである。そして山頭火は、振り返りもせずに彼の道、〈仏の道〉を真直ぐに急いだ。「仏に逢うては仏を殺し、神に逢うては神を殺す」とは、どんなに善きこと、どんなに楽しいことも、すべてそれをきれいに捨て去ることを意味する。苦いこと、悲しいことは当たり前だろうが、どんなに素晴らしかったと思えることも、それが〈過去〉であり、〈昨日〉である限りは、跡形もなくさっぱりと捨て去るのである。そして流れる水は滞りなく、さらさらと清らかに流れて行く。その流れは速い。誰にでもなく、流れ行く自分のすべてに対し、「さようなら」と、水を見送る山頭火である。ならば私も、ここで記そう;

 もう二度と会うことのない我がすべての過去よ、さようなら。そして私も振り返らずに、私の道を急ぐ。