■ 声なきフィードバック
なんだかいつも
鎌倉さんのエントリを読んで関係のないことを思い付いているような感じがしてきましたが、今日は『
04.02.01
平凡で非凡な「鶴瓶の家族に乾杯」』からの連想です。
そのエントリでは報道されるのは統計的に「異常」なことばかりで一種の偏向報道になってしまっているのにたいし、「鶴瓶の家族に乾杯」という番組は「平凡」を主軸にしているところが「非凡」だというお話です。
これを読みながら、掲示板や(昔の
Nifty
の)フォーラムなどでは論説鋭くよく投稿している人の意見が目立つことを思い出しました。もちろん正論も一杯ありますが、中には「そりゃちょっと極端でしょ」と思う場面もあったりするわけです。でも極端でも信念を持っていたりするとその論説の露出度が高くなって、その掲示板を利用している人たち(読んでいるだけの人も含む)全体から見たら特殊な意見になるのに、あたかもその場ではその特殊な意見が支配的であるかのような雰囲気になっている、そういう印象を受けるときがありませんか?
鎌倉さんのエントリにあるグラフの丸が付けてある部分の意見だからこそ、声高に主張したくなったり、まだ大勢の人が気付いていない本当は正しいことを伝えたくなったりするという結果だったりするわけですよね。
でも、何か変な感じがしませんか? ほとんどの人が賛成しないのにその場を支配しているかもしれないから。そしてその背後には黙って見ている読者が大勢いて、その人たちの雰囲気も合わせると実はその場の雰囲気は全く逆になっているのかもしれませんよ。
おもしろサイトの pya なんかにはあるのですが、掲示板の投稿に対して読者が投票ができたら本当の掲示板の雰囲気がわかって面白いかもしれません。それだけでなく投稿した人も自分の支持度合いがわかり、自分の意見や姿勢を冷静に見つめ直すきっかけが得られるのではないでしょうか。声なきフィードバックというのも実は大切だと思うのです。
投稿時刻: 02:41
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