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もう30年以上も前の話です。 私は生まれも育ちも九州で、雪とはあまり縁がありませんでした。歯科大を出て矯正臨床を本格的に勉強したのは新潟大学の矯正科(現在はべらぼうに長い名前が付いている)です。 来年はもう卒業という年の夏、就職先の大学の見学に行きました。佐世保で生まれた私は、すり鉢の底ような土地に生活をし、周り一面山で、高校から帰るとき、上っていた月が、歩くに従いまた山陰に沈むような所でした。新潟について一番感動したのは、何と空の面積が広いことか! 教室もやっと一回生が卒業するというこれから新しい教室を作るという気迫に満ちている所で、直ぐにここに決めようと決心しました。 翌年、3月に東京経由で(まだ新幹線はありません)朱鷺という列車で清水トンネルを抜けた瞬間、川端康成の言葉通り、「トンネルを抜けると、そこは雪国であった」とおもいしらされた。夏しか知らなかったので、雪のことは全く頭にはありませんでした。
初めての冬を経験したとき、スキーに誘われた。少し不安はあったが、行きたい気持ちが大きく、二つ返事で行くことになった。 スキー場に着いて、友達からスキーとストックを選んで貰った。その頃はスキーの板の長さは身長よりはるかに長いものであった。靴の履き方、スキー板の装着、ストックの持ち方等を教えて貰い、立ち上がった途端に滑り出し、直ぐに尻餅をついた。 ボーゲンでの滑り方と止まり方、曲がり方を一通り習って、一番上まで登っていった。 「後は、ゆっくり降りてきてね!」と言う言葉を残して皆滑っていってしました。 最初はゆっくり降りれば良いんだと高をくくっていたが、中級者用のゲレンデに来たのか、左は崖、右は谷で道幅が3〜4メータしかなく、その道がずーっと続いている。ボーゲンでおそるおそる下っていったが、2時間くらいで足が棒のようになった。夕方、日が暮れかけると気温が下がり、雪が凍って粗目の様になってくる、尻餅を付くと岩にぶつかったようで尻は腫れ上がってしまった。やっと、迎えに来てくれ、何とかホテルまで戻ってきた。 最初のスキーはアイスバーンとの闘いだったことしか記憶にない。
九州出身で、鈍感な私には雪は辛い物とは映らず、楽しい物にしか感じられなかった。 そのため、誘ってくれると喜んで付いていった。何度か行く内にボーゲンを卒業し、パラレルで滑れるようになった。
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