Medical

岩手へ

次回作(5月24日放送)で自治体病院の再編問題を扱うので、取材のため岩手に向かった。
岩手県には県立の病院と診療所があわせて27ある。
これは全国的にみても極めて多い数字で、いま深刻な医師不足のために再編が迫られている。
具体的には、
5つある診療所を4月から無床化(入院用のベッドを無くすこと)する計画なのだが、
これが去年の11月になって突然おおやけになったので住民や議会の反発が激しく、紛糾している。

東北新幹線で一ノ関に着いて、駅前の蕎麦屋で昼食をとった。
そばはな
岩手は蕎麦どころとして知られているが、「手打ち」を謳ったこの店の蕎麦も大変おいしい。
大もりで1000円、店内のテレビではWBC決勝の韓国戦が大詰めを迎えていた。

そのままテレビを見ていたかったのだが、そういう訳にもいかない。
県立磐井病院で、付属診療所の無床化を求める院長先生の話をうかがう。
限りある戦力を分散配置していたのでは戦えないという現場の声は至極当然であり、
院長先生の話にも説得力があった。
再び新幹線に乗って盛岡まで入り、駅前の喫茶店で住民代表の話をきく。
それぞれの病院には地域とともに歩んできた歴史があり、
それを効率重視でどんどん縮小されたのでは堪らないという地域感情も充分理解できるものだ。
無床化は明日の議会で可決されることになりそうだが、
“敗北”の後に住民たちがどう地域の医療に向き合っていくのかを見つめてみたいと思った。

夜は盛岡の繁華街・菜園町にあるホテルに泊まった。
駅前からホテルまで歩く途中で目星を付けていた居酒屋「南部どぶろく家」で飲む。
自家製のどぶろく(アルコール分が13度…ワイン並み…だというが飲み口が軽い)に地元の珍味、
日本酒は紫波町の地酒「廣喜」を置いている(ぼくの好みから云えば、少々くどい)。
…ぼくは酒場捜しには鼻が利くのだが、今回もなかなか愉しい店を見つけた。
特に最後に食べた「マンボウギッチョ」(マンボウの小腸を湯通ししたもの)が旨かった。
しばらく岩手に通うことになりそうだから、またこの店で飲む機会があるだろう。
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ゴールなきマラソン

きょうから再び夕張ロケ。
空港まで迎えに来てくれた夕張第一交通のOさん(運転手)が、
「もう知ってるかもしれないけど、Sさんが亡くなりましたよ」と教えてくれた。
夢にも思わぬことだったので、一瞬言葉を失ってしまった。
13日に撮影させていただいたばかりである。

Sさんは88才、若い頃は浅草で「広沢虎造の孫弟子だった」という浪曲師だった。
戦後は奥さんと一緒に旅回りの一座に加わり、浪曲や剣劇、夫婦漫才までやったという。
昭和36年に芸の世界から足を洗って、奥さんの故郷である夕張に落ち着いた。
脳梗塞を患い、体が不自由である。
81才の奥さんと二人暮らしの、いわゆる「老老介護」のケースであった。
10月に体調を崩して夕張市立診療所に入院、
2週間で老人保健施設に移り、13日に退所して自宅に戻ったばかりだった。

老人保健施設にいたときもリハビリにはとんと興味を示さず、
毎日、施設の入り口に近いところに陣取って、奥さんが見舞いに来るのを待っていた。
どちらかと云えば気難しい爺さんだったが、
奥さんが手料理持参で見舞いに来たときと、
十八番だったという「清水次郎長伝」や「忠次旅日記」の話をするときには、
「可愛い」と表現したくなるようないい笑顔を見せてくれた。
13日に自宅に帰って、しみじみと幸せそうに大好きなタバコをくゆらす姿を撮影したのだが、
それが思わぬ“遺影”になってしまった。
14日の夜に友だちが集まって退院祝いを盛大にやってくれて、
赤飯やイカの刺身をたくさん食べたと云う。
「早く家に帰って一杯やりたい」と繰り返していた人だから、
あるいは大好きな焼酎をいくらか飲んだのかもしれない。
翌日になってちょっと戻したのが気管に入って、窒息されたようだ。
救急車で夕張市立診療所に運ばれ、村上智彦医師が対応したが、
そのときには既に心肺停止の状態だった。

村上医師と話したのだが、
…ちょっと誤解を生む表現かもしれないが…
「これでよかったのかもしれない」と先生は云い、ぼくもそう思う。
帰りたくてしょうがなかった自宅に帰ることができて、
病院や老健では吸えなかったタバコを心ゆくまで味わって…。
そして、さして苦しまずに亡くなられたのだから。
奥さんによると、亡くなる直前まで普段の通りだったという。
ちょっと苦しいと云うので背中をさすってあげたりしているうちに、
突然ソファの上でのけ反って、そのままになった。
村上医師によれば死に顔は安らかだったという。

こうした死を許容できず、
「医療」の名の下に死に至る可能性を減らそうとすれば、
病院で厳重に管理して点滴につなぎ、栄養は経管摂取で…ということになりかねない。
Sさん自身にとって、いったいどちらが幸せだったか。
村上医師が「医者は、死は敗北だと考えすぎるんです」と呟くように言った。
医療には「ゴールなきマラソン」のようなところがある、
死をゴールだと考えない限り、いつまでも走り続けるしかない、それは患者にとって辛い…と。

15日の日記に書いたことと重なってしまうのだが、
ランナーが無事(…という言い方は妙だが)ゴールまでたどりつくのを支える医療が必要だ。
人は誰でも「100%の確率で死ぬ」のだから。
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夕張から見つめる「医療」

いま週末で東京に帰ってきているのだが、
ここのところ夕張(市立診療所、老健)に張り付いての撮影を続けている。
村上智彦医師らが訪問診療に行く先、
あるいは老健に入所してくるお年寄りの人間群像を記録している。
こうしたロケは、人間の「生」、あるいは「死」と正面から向き合うようなところがある。
いくつも心に残る言葉を聞いた。

97才の誕生日を目前に(本人の望み通り)自宅で亡くなられた本間きくのさん、
このブログにも何度か書かせていただいた「江戸っ子ばあちゃん」である。
最後まで介護していたご家族(娘さん)にお話をうかがった…

「変な言い方だけど私としては大満足でした。
 最後は子供たちが川の字になってお母さんと一緒に寝て、
 息を引き取るまでずっとそばで見守っていてあげられました」

診療所の医師たちは、「最後に医師を呼ぶタイミング」を家族に任せていた。
家族はお婆ちゃんの息がなくなってから診療所に連絡し、
午前2時、永森克志医師がやってきて死亡診断書を書いた。
その永森医師の言葉…

「死因のところには本当は『大往生』と書きたかったんです。
 それは医学用語としてはあり得ないので、『老衰』と書きましたが…」

1年前には衰えてほとんど「死にそうだった」のに、
老健と自宅を半々に行き来するうちに見違えるほど元気になったお菓子屋の先代(93才)の言葉…

「俺は子供たちに恵まれたなあ。
 みんな親孝行な子ばっかりで…。
 もう死んでもいいと思ってたけど、(子供たちの気持ちを考えると)死ねなくなっちゃった」

脳梗塞の後遺症で7~8年のあいだ寝たきりだったが、
リハビリに励んだ結果、最近では車椅子の移動はもちろん立ち上がることもできて、
ぼくたちの目の前で3~4歩歩いてみせた男性(88才)の言葉…

「自分では元気になりたいとは思いませんでした。
 でも、みなさんがよくしてくださるので、
 その気持ちに応えなければと思ってやったら元気になりました」

いずれもしみじみ胸に沁みてくる言葉だ。
そして、まだまだ多くのお年寄りがいて、それぞれかけがえのない「生」の日々を送っている。
夕張に腰を据えたぼくの目には、
人が「より充実した老いを生きて、より豊かに死んでいく」ために、
医療が(福祉と連携して)どうサポートできるかが、いま何より大切ではないかと思えてきた。

そんなぼくから見ると、昨今の「医療崩壊」論議は明らかにヘンである。
それが「たらい回し」という言葉に象徴されるように、
救急の問題として(のみ)語られていることに違和感を禁じえない。
氷山の一角というか、
水面上に姿を現したほんの一部についてのみ、
バランスを逸して熱心に語られているのではないか。
「たらい回し」の背景にある構造的な問題については
先日も書いた(「セーフティネットの“網の目”」…10月25日)ので繰り返さない。
だが、それ以前の問題として、
「救急」=「万が一の事態に対する備え」が
果たして医療の現状において語るべき最大のテーマなのだろうか?

いま問題の渦中にある「出産と同時に脳出血を起こした妊婦」だが、
こうした症状はどれくらいの確率で起り得ることなのか?
妊婦100人に1人か1000人に1人か…?
ぼくは知らないが、よもや「10人に1人」ということはあるまい。
ところが「老い」は、
そして老いに必然的に伴う衰えや高血圧、糖尿病などの生活習慣病、
さらに心筋梗塞や脳梗塞の後遺症、足腰の痛み、認知症などは、
比べものにならないほど高い確率で起る。
そして死は「100%の確率で」現実のものとなる。
であれば、老いや死にどう向き合うかの方が、
医療にとってより本質的で、焦眉の課題だとは言えないだろうか?

救急医療が不要だなどという暴論を吐いているつもりはない。
「医療崩壊」をめぐる議論が徹頭徹尾断片的であり、
「あるべき医療の全体像」を欠いているところが問題なのである。

ぼくたちは医療を何かしら「劇的なもの」として考え過ぎてこなかっただろうか。
言い換えれば、「救急」に象徴される急性期のみを偏重して考えてこなかったか。
「ゴッドハンド」だとか、癌切除手術の実施数を基にした「病院ランキング」だとか…。
超高齢化社会が現実のものになるにつれて、
医療はもっと日常的で、ドラマチックとは云えない部分が重要になってきているはずだ。
夕張という「現場」に身を置いてみると、
「医療は福祉の底支えであるべき」だという村上医師や永森医師の言葉が説得力を持ってくる。
高齢化が進む地域を視座に見つめるとき、
日本の医療のパラダイムの転換が明瞭に見えてくるのだ。
政治も行政も、マスコミも「国民感情」というヤツも、
さらにはおそらく医療者自身さえもが、
古く陳腐化しつつある「医療」像しか見てこなかったのではないか。

と、ここまで書いてきたところで、ふと思う。
東京の「より充実した老いを生きて、より豊かに死んでいく」ための医療は、
議論の余地もないほど充実しているのだろうか?
東京のお年寄りの方が、例えば夕張のお年寄りより幸せだと云いきれるのだろうか…??


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檄を飛ばす

「檄を飛ばす」という言葉がある。
ぼくのMacにインストールされている「大辞泉」によれば、
「自分の主張や考えを広く人々に知らせる。また、それによって人々に決起を促したりする」の意。
…ぼくは、最近、あちこちに「檄を飛ばし」まくりで、
もしかしたら自分は根っからの「扇動家」タイプではないかと内心危惧したりもしている。


きのう、丹波新聞のAくんからメールが入った。
8日に丹波市で開かれる医療に関するシンポジウムにメッセージを寄せて欲しいという。
丹波は、「医療崩壊」と「医療再生」の狭間で揺れ続けている土地だ。
県立柏原病院の小児科が崩壊の瀬戸際に追い込まれたとき、
丹波では「柏原病院の小児科を守る会」のお母さんたちが「決起」し、
コンビニ受診(軽い症状で夜間でも気軽に病院を受診すること)を減らそうと呼びかけることで
小児科医が増えるなどの目覚ましい成果を挙げた。
しかし、その後も(小児科以外の)医師は減り続け、
このままでは病院の存続自体がおぼつかないところまで来ている。
実は、県立柏原病院から1kmも離れていないところに柏原赤十字病院があり、
こちらも深刻な医師不足に苦しんでいる。
そして、県立柏原病院は内科医不足、柏原赤十字は外科不足が深刻だ。
「限りある医療資源」を有効に使うためには、
二つの病院を統合すべきだという声が他ならぬ現場の医師のあいだから上がっている。

しかし、統合すれば、医師はともかく看護師などの職員数を減らさざるを得ず、
組合は「雇用を守る」立場から反対姿勢を崩してはいない。
また医療機関の統合は住民の目には「医療サービスの縮小・切り捨て」と映りかねず、
住民の反発を怖れてか、行政、議会は一向に動こうとしない。
県立柏原病院も柏原赤十字も設置者は兵庫県知事なのだが、
知事には統合の音頭を取る気などさらさらない(逆に「統合はしない」と明言している)。
このままでは二つの病院が共倒れという事態にも陥りかねず、
その八方塞がりの状況をどうにか打破しようという市民主体のシンポジウムなのだが、
ぼくは次のような文章を送って「檄を飛ばす」ことにした。


いま、医療をめぐる情勢は「戦争状態」といっても過言ではないと思います。
戦争に勝つためには何をすべきか?
まず豊富で正確な情報収集、そして的確な分析、迅速な決断、さらに間髪を入れず行動すること。
「医療崩壊」という敵が目の前に迫っているのに、
ちんたら対策会議を開催したり、関係者の利害調整を図っていたのでは、
「不名誉の戦死」を免れないのは火を見るより明らかです。
問題の先送り、すなわち「現状維持という選択」は、座して死を待つ以外の何物でもありません。

丹波はいま、
「小児科を守る会」のお母さんたちが活躍した第一幕から、
「医療再生」に向かう第二幕をあけられるかどうかの瀬戸際です。
行政は動きません。
彼らは等しく「決断したくない症候群」に冒されているからです。
だから、動くのは、ここにお集まりのみなさんしかいない。
みなさんが行動を始めることで、動かない行政の尻(ケツ)を蹴り飛ばすしかないのです。
不幸にして活用できる医療資源は限られており、
従って医療再生は「早い者勝ち」でしかあり得ません。
その危機感を共有できた地域のみが次の舞台の幕をあけることができるのです。
ここにお集まりのみなさんの決断と行動に熱い期待と連帯のエールを送ります。


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地域医療のパラダイムが変わった

北海道の知床半島にある羅臼町。
いつも海に潜っているこの町で地域医療に関するシンポジウムが開催され、
コーディネーターとして招かれたぼくはシンポジウムの進行役を務めた。

羅臼は町立病院の赤字がかさんで町の財政を圧迫し、
財政破綻を回避するためにこの春から無償診療所化に踏み切っている。
つまり、入院はできず、時間外の救急も受け付けない。
住民にとってみれば明らかに医療サービスの切り下げであり、不安は募る。

しかし、ぼくは、町立病院が破綻に至った原因は住民の受診行動にあったと考えている。
普段は大きな町の総合病院を受診し、
軽い症状で夜中にかかるときには地元の病院を使い、
(羅臼の時間外受診は人口6400人に対して年間2000件を超える。この数字は全国的にみても多い)
厳密には「病気」とはいえない高齢者を長期にわたって病院に入院させてきた。
医師にとっては働き甲斐を感じられないだろうし、長期入院に対して支払われる医療報酬は安い。
これでは病院の経営が成り立つはずがない。
住民の意識変革と町当局の決断、そして迅速な行動がなければ、この町の医療再生は望めない。

今夜集まったのは、会場をほぼ満席に埋めるおよそ130人。
羅臼町民の「50人に1人が来た」と考えれば、 変革のきっかけくらいにはなるかもしれない。
ぼくは商売柄お客さんの反応が気になるので
会場に集まった人たちの表情を観察しながら議論を進めたのだが、
みんな本当に真剣で、話に「食いついて」きているのがよくわかった。
基調講演は千葉県立東金病院の平井愛山院長。
パネリストは、
むかわ町立穂別診療所の一木崇宏医師、
兵庫県立柏原病院の「小児科を守る会」の活動に深く関わってきた丹波新聞の足立智和記者、
地域に医師を派遣してきた北海道家庭医療学センターの草場鉄周所長。
ぼくとともにコーディネーターを務めたのは、
夕張の医療再生に村上智彦医師の片腕として深く関わった経営コンサルタントの高橋宏昌さん。
初対面の草場先生を除けば、みんな仕事を通してよく知っている人たちである。

ぼくがコーディネーター 兼 進行役として伝えたかったテーマは、
一言でいえば「地域医療のパラダイムが変わった」ということである。
「大学から派遣される臓器別専門医」によって地域の医療が支えられた時代は終わりを告げ、
医療と福祉が連携した「地域包括ケア」を志向する総合医(家庭医)でしか
地域医療の最前線は担えないという時代が始まっている。
平井院長は、総合医を育成することで崩壊に瀕した東金病院の医療を再建してきた。
一木医師と草場医師は、ともに総合医として地域の医療に貢献してきた人たちである。
こうした総合医は大学のなかにいても育つものではない。
地域で育てるものであり、
そのためには、 行政はもちろん、自覚した住民の支えが不可欠だということを強調した。
限られた医療資源のなかでは、 医療再生は云わば「早い者勝ち」にならざるを得ない。
問題の先送り(=現状維持)は「医療の破綻」に至る道にほかならないだろう。

面白く挑発的なシンポジウムになったと自負しているが、平井先生の次の言葉が印象に残った。

「明治維新を担ったのは実質的に薩長の二藩のみであった。
 それはなぜか、
 薩摩は薩英戦争に完敗し焼け野原になった。
 長州は下関戦争で列強の砲撃を受け壊滅的な打撃を被った。
 医療維新を担うことができるのは
 一度きちんと崩壊した地域だけである」
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セーフティネットの“網の目”

10月4日の土曜日の夜、
東京都内で脳出血を起こした妊婦が7つの病院に受け入れを断られ、
都立墨東病院で出産後、脳出血の手術を受けたものの3日後に死亡したという“事件”が起きた。
きのう舛添厚生労働大臣が墨東病院を視察、
責任の所在をめぐって舛添厚労大臣と石原都知事の非難合戦が巻き起こっている。
責任の押っつけ合いなどは論外にしても、
例によってマスコミによる「犯人捜し」が始まっているのが気になる。
「医療崩壊がついに東京にまで及んだ」という論調もあるようだが、そういう問題なのか。
もちろん患者の死という結果は不幸であり、気の毒としか言いようがない。
しかし、そもそも「当然に助かるべきケース」だったのかどうか、冷静に検証する必要があると思う。
以下にぼくの考えを書く。
専門家ではないので細かい間違いがあるかも知れないが、大筋では間違っていないと思う。

まず、“事件”の経緯を客観的に把握するため、タイムテーブルに起こしてみる。
複数の新聞報道を組み合わせると、当夜の経緯は以下の通りである。

18:45 江東区内に住む出産まぢかの主婦が頭痛と吐き気などを訴え、区内のかかりつけ医に運ばれた
19:00 かかりつけ医は緊急手術ができる病院を探し始める
    (「空きベッドがない」などの理由で、7病院に受け入れを断られた)
19:45 最初に連絡を受けた墨東病院が急きょ受け入れを決める。 
    (この時点で墨東病院は自宅にいる産婦人科医、脳外科医を呼び出したはずである)
20:18 女性が墨東病院に到着
21:30 帝王切開で出産
22:00 脳出血の手術開始

女性が最初にかかりつけ医を訪れてから、帝王切開が始まるまでの時間はおよそ2時間45分である。
かかりつけ医が受け入れ病院を探し始めてから墨東病院に運び込まれるまでは1時間半かかっていない。
この女性の場合、出産に脳出血が重なるという難しいケースで、
受け入れるためには、産婦人科医のみならず、脳外科医がいることが前提になる。
脳出血の存在については、
かかりつけ医と連絡を受けた各病院との間で情報が混乱していたようで、
もし産婦人科医のみの対応で患者を受け入れる病院があったとすれば却って悲惨な結果になったと思うが、
その問題はここでは置く。
ぼくたちが冷静に考えなければならないのは、
当直医を除いて医師が病院にいない土曜日の夕方という時間帯において
患者搬入までに要した1時間半弱という時間は「容認できないほど長すぎるのか」ということだ。
言い換えれば、
「脳出血を起こした妊婦」が「いつでもどこでも1時間以内には病院に運ばれる」ことを、
私たちの社会は「当然の権利」として求めているのかを議論すべきだと思うのである。
これは社会の安全保障の問題であり、
具体的に云えば「セーフティネットの網の目の大きさをどの程度にするか」ということだ。

セーフティネットは最低保障であるから、誰もが等しく保障されなければならない。
都市の住民は保障されるべきだが地方在住者はその限りにあらず、という話にはならない。
例えば、ぼくは来週末、医療シンポジウムに出席のため北海道の羅臼町に行くことになっているが、
この町には産科医も脳外科医もいない。
「脳出血を起こした妊婦」はたぶん釧路市まで運ばなければならず、車を飛ばしても2時間半かかる。
これは多少極端な例かも知れないが、
産科医と脳外科医が揃った病院に1時間ちょっとで運ばれた今回のケースは、
全国的に見るなら、むしろ「幸運なケース」というべきではないかと思うのである。
「幸運なケース」ではあっても、不幸にして患者の命が助からないことはある。
そうであれば、このケースには捜すべき「犯人」はいない。

もうひとつ指摘しておかなければならないのは、「当直医」についてである。
朝日新聞は今朝の朝刊で「墨東病院の産婦人科の当直医が一人だったこと」を非難しているが、
「当直医」とはそもそも入院患者の容態の急変に備えるために病院に詰めているのであって、
外からの救急患者を受け入れるためにいるのではない。
当直医は「万一の場合」に対応することだけを求められているので、
基本的に「労働時間はゼロ」、つまり「働かない」のが労働基準法上の原則なのである。
しかし、それでは必要とされる医療水準を維持できないから、
現場の医師の犠牲のうえに、
30時間を超える連続勤務などの脱法状態を見て見ぬふりをして救急を受け入れているのが現実である。
朝日新聞は
「24時間体制で産科を担当する『複数の医師』が勤務していることが望ましい」という
墨東病院などの「総合周産期母子医療センター」に対する都の指定基準を引用しているが、
それを厳密に求めるなら、
労働基準法違反の「当直医による対応」ではなく、
三交代制などによって緊急事態を専門に対応する医師を配置するべきだろう。
そんなことはできっこないので(都内であってもそれほどの数の医師の確保は困難である)、
都も「望ましい」などという曖昧な表現に留めていると考えられる。

こう考えてくると、今回のケースは「医療崩壊」でもなんでもないのではないか。
私たちの社会のセーフティネットの網の目はそこまで細かくは設定されていない、ということなのである。
もちろん、これは「命の問題」だから網の目をもっと細かくすべきだという議論は成立する。
しかし、全国津々浦々にそうしたネットを張るためには、現在の何倍もの数の医師が必要だろう。
それに伴う社会的なコストは膨大なものになる。
そして、そうしたコストは、保険料や税金のかたちで私たち自身が負担するしかない。
例え現在より遙かに負担が大きくなったとしてもそれだけのセーフティネットを張るべきか否か、
必要なのは国民的コンセンサスの形成であり、そこを曖昧にしたままで「犯人捜し」をしても意味はない。
いや、強いて「犯人」を捜すとしたら、それは私たち自身だったということにならないだろうか。

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96歳の誕生日

仁木シミさんの誕生日の様子を撮影するため夕張に来ている。
仁木さんは村上智彦医師が定期的な訪問診療で通っている患者さんで、
胆のうに石ができるという持病があり、自宅で寝たきりの生活を送っている。
ぼくたちは1年半前から折りに触れて仁木さんへの訪問診療を撮り続けてきた。
その仁木さんがきょうで96歳になった。

幸い、仁木さんは、ここのところ体調がいい。
村上先生はポケットマネーで買ったケーキを携えて、いつものように診察に訪れた。
仁木シミさんの誕生日
やはり定期的に訪問して仁木さんの口腔内のケアをしている歯科衛生士の山口美帆さんが一足先に来て、
口の掃除を行い、入れ歯の準備もすませていた。
ケーキは、さすがに96本のロウソクを立てるわけにもいかないので、太いのが9本と細いのが6本。
みんなで「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を歌って(仁木さん自身も歌った)、
仁木さんは頑張ってロウソクを1本だけだが吹き消した。


胆のうに持病のある仁木さんは油が強いものを食べると症状を悪化させる。
しかし、もう目も見えなくなっていて、食べること以外に大きな楽しみはない。
去年の誕生日には「入院覚悟で」大好物のコロッケを食べてもらったが、大丈夫だった。
村上さんは「クリームを食べさせるのはちょっと心配だなあ」といいながらも、「きょうは、いいです」。
仁木さんは、ケーキの上に乗った果物を中心にだが、ぼくたちが驚くほどよく食べた。
村上さんや山口さんには次の訪問先があるので一緒に食べられないのが、ちょっと淋しそうだったが。

仁木さんのような高齢者に対しては、
「病気を治す」ことよりも、
「QOL(Quality Of Life=生活の質)を上げることを大切にしたい」と村上さんはいつもいう。
病気を治すため、あるいは悪化させないためにチューブに繋がれて生きるよりも、
体に障る可能性はあるけれども食べたいものを食べて暮らす方が高齢者にとって幸せだと思うからだ。
自分が年老いたとき、ぼくもきっとそう思うに違いない(ぼくの場合は酒瓶を抱いて死にたい…)。

今度は、仁木さんの100歳の誕生日に撮影にくることを約束させられた。
幸い、ぼくはまだ定年にはなっていない計算だが、
そのときになお「現役」を張っていられるかどうかの方が問題になりそうである。
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夕張医療センターの一年

「夕張医療センター」が無事一年を生き延びて、きょうから二年目に入った。

破綻した夕張市立総合病院の経営を引き継いだ村上智彦医師が、
去年4月1日に開設したのが「夕張医療センター」である。
かつて170床あった総合病院を19床の診療所にダウンサイジング、
老人保健施設を併設し、訪問診療に力を入れることで地域医療の再生に取り組んできた。
財政破綻した夕張市からは一銭の金銭的補助も受けられない、
伊関友伸城西大学准教授の言葉を借りれば「日本一苛酷な公設民営化」であった。
一年たって、
重油の値上がりなどで光熱暖房費が膨れ上がり苦しい赤字決算にはなったものの、
その一方で「地域医療の再生」は村上医師の描いたプラン通りに進んでいる。

ぼくたちは去年の秋に放送した「NHKスペシャル」で、
老人保健施設に入所したお年寄がリハビリを通して見違えるほど元気になっていく様子を描いた。
それがいまは、
元気を取り戻したお年寄たちが自宅に戻り、
「訪問診療」「訪問看護」「通所リハビリ」「ショートステイ」など
考えられる限りの手立てを尽くしてお年寄の「生活の質」を支える段階に入っている。
医療の役割が「治療」や「回復」に留まらず、
高齢になって障害を抱えても「どれだけ快適に暮らせるか」がテーマになっているのである。
村上医師の考える「地域医療」は従来の「医療」の枠には収まり切らないもので、
医療を梃子にした「地域の再生」をも見据えている。

そういう理屈はともかく、
お年寄が見違えるほど元気になっていることに目を瞠る。
去年の夏の終わり、老人保健施設に入所するところを撮影させていただいた93歳の男性。
その頃は車椅子に坐ったままでほとんど身じろぎもせず、話しかけても答えは返ってこなかった。
失礼ながら、このまま枯れていき、亡くなる方なのかと思っていた。
(後で聞けば、先生方もそう思っておられたとのことである。)
それが、いまは村上医師と冗談を言いあい、
13歳から菓子職人として昔気質の親方に鍛え上げられた、その思い出話に興じるのである。
こうした姿がまさに「地域医療の再生」を具現化したものであり、
高齢化が進む「地域の再生」にもつながっていくのだろう。
経営やシステムの問題として医療再生を語るよりも、
人間の可能性のドラマとして再び「夕張医療センター」を見つめてみたくなった。
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天晴れなおかあさん

兵庫県立柏原病院でお産の様子を撮影させていただいた。
双子を身ごもったお母さんの、帝王切開による出産である。
帝王切開、それも双子となるとリスクが高いので、
柏原病院に三人いる産婦人科医が全員と、
小児科医は一人応援を得てこれも三人体制という手厚いシフトで臨んだ。

手術開始は14時20分くらいだっただろうか、
背中から麻酔をかけ、メスを入れ、しばらくすると赤ちゃんの頭が見えた。
と思うまもなく一人目が取り上げられた。女の子。
元気な産声を上げる。
続いて二人目、今度は男の子。
小児科医が手早く赤ちゃんの鼻や口に管を入れて、羊水や胎便を吸い出す。
産道を通るという過程がなく、“心の準備”もないまま、
羊水の海から空気のなかに出てきた赤ちゃんが新しい環境に適応できるよう、
小児科医がアシストをするのである。
手術室に元気な泣き声の二重奏が響く。
産まれた直後は紫色をしていた赤ちゃんの体が、
みるみるうちに明るく健康的な薔薇色に染まっていく。
女の子が2566g、男の子が2668g…二人とも可愛い。

生命の誕生はあっけないほどの間に終わったが、
ぼくはある種の感動を覚えていた。
うちの息子も帝王切開だった。
高校生のいまはナマイキなものだが、
こうして頑張って人の世に生まれてきたのか…。
大きな仕事をやり遂げた安堵と充実感を漂わせたお母さんの表情が印象に残った。

産まれたばかりの二人の赤ちゃんは待ちわびていた家族と対面した。
驚いたのは、幼いお兄ちゃんとお姉ちゃんが四人もいたこと。
つまりこれで半ダース…実に天晴れなお母さんだと思った。
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深夜の病院で思うこと

北海道T市の市立病院にお願いして
救急当直の医師に朝まで密着取材させてもらうことにした。
最近は安易な軽症での救急受診(「コンビニ受診」と呼ぶ)が増えて、
勤務医の疲弊が限界まで来ているという。
そのさまを自分の体で確かめてみたいと思ったのである。

救急当直の仕事は夕方17時15分から始まった。
19時くらいまでは子どもの受診がほとんどだった。
薬を出して「様子を見てください」程度で終わっていたから、
さほど緊急性のない受診が多かったのだろう。
父親が仕事を終えた後で
子どもを車に乗せて病院に連れてくるケースが多いように思えた。
その後は大人の受診が続いたが、
他の病院にかかったけれどよくならないので…というケースが少なくない。
なんだか漠然とした不安が、直接、夜間の受診に結びついている。

昼間の診察室を密着取材したことは何度もあるが、
夜の、それも深夜になっての診察室は、
昼間以上に様々な人生模様を浮かび上がらせる。
真っ黒な血の塊を吐いた64才の男性は、
病院に行くのを拒んだ末に意識不明になって運び込まれてきた。
すでに瞳孔が開いており、呼吸も微かなものになっていた。
帰宅していた麻酔医が呼び出されて心臓マッサージなどの蘇生処置を行い、
腸内の出血が認められた段階で消化器の専門医も呼び出されたが、
その段階でやれることは、もうほとんど何もなかったようだ。
母親に付き添われてやってきた32才の男性(糖尿病患者)は、
ここ数ヶ月のあいだは病院に来ず、
血糖値のコントロールがめちゃくちゃだったようだ。
脱力感、全身の倦怠感を訴えるのだが、
蚊の鳴くような声で、その口調もスローモーションを見ているよう。
計ってみると血糖値は690で、すぐさま入院させることになった。
深夜にやってきた小児ぜんそくの女の子(2才)は、
血液中の酸素濃度が必要とされる量の半分程度まで落ちており、
小さな胸をけいれんするように激しく上下させ息をしようとあがく様は、
傍で見ているにも痛々しかった。
酸素吸入をさせるとともに点滴をしたのだが、
幼児のか細い血管を捜し出して針を刺すのは難しく、
小児科専門の医師でなければなかなかできないのだという。
明け方ちかく、脳出血の疑いで、
一時間以上離れた町から救急車で運ばれてきた30才の女性は、
前夜は新年会で徹夜していた。
きょう(というか、すでに前日なのだが…)は普通通り働きに出て、
夜になってから激しい頭痛に襲われ、意識が半ば混濁していたようだ。
夫とは別居中で、幼い子供たちは友人が預かることにして救急車を呼んだ…

患者の診察が一段落して当直の医師が宿直室に入っても、
30分かそこらでまた呼び出されるという状態が一晩中続いた。
つきあっていたぼくも、
診察室の椅子に坐って20分ほどうつらうつらしただけで朝を迎えた。
結局、朝までにやってきた時間外の患者は23人。
救急車による搬入は5件だった。
それでも、夜勤の看護師さんたちによれば、
「こんなに平穏な日は珍しい」という話だった。
今回は当直明けの12日が土曜日だったからまだいいのだが、
これが平日なら、当直医は眠らないまま朝から平常の診察に入ることになる。

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丹波の「寺田屋」

きょうは兵庫県丹波市に出張、
今年も「旅から旅へ」の日々が始まった。

医療崩壊の淵から起ち上がろうとしている県立柏原病院の取材である。
丹波市は、
激務に疲弊している小児科医を守るために
「コンビニ感覚」での安易な受診は控えようと
若いお母さんたちが呼びかけを始めたことで知られている。
全国の医療をめぐる住民運動のおそらく9割9分が
行政に「医師の確保」を求める要求型の運動であるのに対し、
住民(患者)自身の受診行動を問いただした運動のありようは
突出してラジカルな(「過激」という意味ではなく「根源的」)ものだ。
そして、この町では、
お母さんたちに呼応するように新しい動きが起ころうとしている。
それが「丹波医療再生ネットワーク」で、きょう(8日)正式に発足した。

「丹波医療再生ネットワーク」は、
若手の開業医を中心にした集まりで、
「医療崩壊」の現状を広く市民に知ってもらい、
県立柏原病院(医師が4年で16人も減った)を側面から支えていこうというものだ。
薬剤師や弁護士、元県庁職員、新聞記者など様々な人たちが参加している。
ややもすれば公立病院とは利害関係が錯綜しがちな開業医が
地域の医療の核になる公立病院を守るために起ち上がった意味は大きく、
お母さんたちの運動(県立柏原病院の小児科を守る会)との相乗効果が生まれれば、
医療崩壊に瀕した丹波は一転「地域医療再生の聖地」になる可能性を秘めている。

「丹波医療再生ネットワーク」のメンバーたちは、
その前身である「若手医師の会」時代から、
毎週火曜日の夜に集まって議論を重ねてきた。
仕事が終わった20時半に集まり、終わるのは23時か24時になる。
翌日も仕事を抱えた忙しい人たちがそれだけでも大変なことだと思うが、
凄いのは、それから近所の居酒屋に場所を移して、
酒を酌み交わしながらなおも熱い議論を続けていることだ。
ぼくも二度つきあったが、これがだいたい午前2時までは続く(笑)。
居酒屋には「八丁」というれっきとした名前があるのだが、
誰もそうは呼ばず「寺田屋」と呼ぶ。
維新の志士たちが集まった、あの「寺田屋」である。
(藩主に粛正されそうな気がして、ちょっと怖いが…)
丹波に取材に行くと、
「医療維新」を夢見る志士たちの熱気に煽られて、ぼくも寝不足になってしまう。
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老後を決めるもの…

きのう相談員のOさんらと飲んだ。
「相談員」というのは老人保健施設の云わば営業担当で、
入所希望者や家族と面接して彼らのニーズを探るのが仕事だ。
Oさんは、東京から夕張に“トラバーユ”してきたのが6月下旬で、
以来、精力的に夕張市内を駆けまわっている。
そのOさんから面白い話を聞いた。
「老後」を決めるのは、
その人がそれまでに歩んできた人生だというのである。

これにはふたつの意味があって、
ひとつは、人生を通して執着してきたものが純粋に浮かび上がるということだ。
金に執着してきた人は金に、
食べ物に執着してきた人は食べ物に、徹底してこだわるようになるという。
なぜか排泄に執着する人もいて、これは失われた性欲の代償行為かもしれない。
ぼくなどは、たぶん、誰彼かまわず酒をねだる呑んだくれの爺ィになるのだろう。

もうひとつは、
老後を家で過ごせるかどうかは「それまでの人生次第」という意味である。
夕張医療センターでは、
訪問診療やリハビリを充実させて在宅介護をアシストしようとしている。
しかし、どんなに支援しても家族が在宅を拒むケースが少なくないというのである。
これは主に男性の場合で、
家族、特に妻や嫁に対して辛く当たってきた人ほどそういうハメに陥る。
入院か施設に入れるかしてどうか家には帰さないで下さいと、
涙ながらに訴えた奥さんもいたと聞いた。
「定年離婚」が取り沙汰されているが、
人生の最終章を迎えて妻に拒まれる男の姿はあまりにも残酷で、哀切ですらある。

…身につまされたぼくは、
妻のご機嫌をうかがおうと、さっそく「夕張メロン」を送ることにした。
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リハビリ

今日の夕張はいい天気になった。
夕張医療センターの前には蝶が舞い、棹という棹の先端に蜻蛉が留まっている。
それほど暑くならなかったこともあって、
なんだか夏を通り越して一気に秋がきたような気がする。
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仕事は老人保健施設でリハビリの様子を撮ったくらいで、比較的のんびり過ごす。
リハビリをしていたのは80代の元炭坑夫・Kさんで、
振動病など厳しい労働の後遺症が残って車椅子暮らしをしている。
しかし、車椅子を降りて一人黙々と歩き、
あいまに膝の屈伸を繰り返す姿には年齢を感じさせない気迫が溢れており、
日本の経済復興を坑道の最先端で支えた男の矜恃がひしひしと伝わってきた。
耳がかなり遠く、そのためもあってか発声が不明瞭で、話を聞くのに苦労したが、
リハビリに息を弾ませながら見せる笑顔は魅力的である。

老人保健施設を定点観測しながら何人かのお年寄りのリハビリを撮っているが、
彼らが心と体に再び力を甦らせていく様子を見つめていると、
人間が本来的に持っている生命力の逞しさを感じて、ちょっと感動する。
たぶん「もう歳だから」と言い訳をした瞬間に、人は本当に老けてしまうのだろう。
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財政破綻した夕張に医師がきたワケ

きのうの読売新聞に
夕張医療センターに着任した二人の医師に関する記事が掲載されていた。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/109/17.htm

永森克志医師(34)と田谷智医師(38)。
田谷医師は製薬会社勤務を経て医学部に入学したので、
医師としてのキャリアは永森医師の方が長い。
二人ともあえて夕張までやってきただけあって、
話す言葉の端々にも地域医療に対する静かな情熱を感じさせる。
なによりも「人」としての魅力があり、
夕張再建に乗り出した村上智彦医師(46)にとって、
そしてもちろん夕張の住民たちにとって、心強い存在になるはずだ。

いま日本中の病院が(自治体病院に限らない)深刻な人材不足に苦しんでいる。
それが財政破綻した夕張には、
高いモチベーションを持った医師や看護師、医療技術者が結集した。
それは奇跡に近いことだが、同時にまた「必然的」でもある。
村上智彦医師が「あるべき地域医療」の鮮明な旗を高々と掲げたからこそ、
彼らは様々な不利を顧みず夕張の地に集まってきたのである。

ぼくは永森医師に単刀直入に夕張での給与について訊いてみた。
驚いたことに「ちゃんと話をしていないので、よく知らない」という。
「たぶん一千万をちょっと割り込む程度じゃないですか」といいながら、
「お金のことを云うんだったら夕張には来ませんよ」と笑った。
30代半ばで「一千万を割り込む程度」の給与は、
特殊技能者である医師としては決して恵まれた条件ではないし、
「本州の2倍」といわれる北海道の僻地病院の水準から云えば格安である。
だが、それでも人材は集まる(現に集まった)のである。

人は「利」によって動くにあらず、「志」によって動く。
医療財団法人「夕張希望の杜」の「希望」とは、
一見きれいごとに思えるそのテーゼを実証したところにあると思う。

「思うに希望とは、 もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。
 それは地上の道のようなものである。
 もともと地上には道はない。
 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」

ぼくの大好きな魯迅の言葉(竹内好訳)である。




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福祉が「寝たきり老人」を作り出す?

きょう夕張医療センターの村上智彦医師から、
日本の福祉システムには根本的な矛盾があるという話を聞いた。
「なるほど」と思わせられる話であり、
「やっぱり変だよな〜」と首を捻りたくなる話でもある。

夕張医療センターでは今週から「老人保健施設」を稼働させている。
老人保健施設(老健)は、
国が医療費削減策の一環として
症状の軽い高齢者が入院する「療養病棟」の削減を進めるなか、
行き場を失った老人たちの受け皿としての役割を期待されている施設だ。
高齢者はここでリハビリをして自宅(地域)に帰るというのが「タテマエ」である。
福祉施設なので、費用は、医療保険ではなく介護保険によって賄われる。

老人保健施設が受け取る報酬の多寡は、入所する老人の「介護度」によって決まる。
介護の必要性が高い老人を引き受ける方が施設としては金になる。
それだけ介護の手間がかかるのだから、それはまァ当然の話だ。
しかし、逆に言えば、
スタッフが頑張って介護度を低くすれば、
施設が受け取る報酬がそれだけ安くなってしまうということにもなる。
皮肉な見方をすれば、
「入所者の症状が軽くならない方が施設は儲かる」のである。

症状が軽くなった高齢者がどんどん自宅に帰り、
その後にまた症状の重い高齢者が入ってくるという好循環が続けばよい。
だが、現実には、
自宅に帰ろうにも訪問診療や在宅介護などの受け皿が不足していたり、
「老老介護」で家族の負担があまりに重かったりする場合も少なくないようだ。
そうすると、人手と手間(=コスト)をかけてリハビリに力を入れるより、
症状が重いまま、寝たきりに近い状態で置いておく方が施設にとっては有利だ。
老健の入所期間は原則3ヶ月まで、最大でも6ヶ月以内と決められているが、
期限が来れば他の老健に移せば問題はない。
老健のあいだで寝たきり老人の「キャッチボール」を続ければいいわけである。
意地の悪い見方のようだが、現実に、それに近いことが起こっている。

病院が介護を作り、福祉施設が「寝たきり老人」を作り出す…
この国の医療や福祉のシステムは、どこかが歪んでいる。
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「病院が介護を作る」

きょう、ぼくが取材を続けている夕張医療センターのなかに
「老人保健施設」がオープンした。
老人保健施設(老健)とは
病院を退院したお年寄りが家庭に戻るためのリハビリを行うところで、
医療現場と家庭(地域)をつなぐ「中間施設」として位置づけられている。
しかし、現実には、
お年寄りを長期にわたって預けっぱなしにする
「老健の特養(特別養護老人ホーム)化」が全国的に進行中だ。
夕張医療センターの村上智彦理事長は、
高齢者を元気にして地域に返すための老健、
つまり「本来の老健」を夕張に作ろうとしている。

きょう、オープン初日の老健にSさんという男性が入所した。
Sさんは84才の元炭坑夫、
去年の秋までは元気に一人暮らしをしていたが、
肺を患い入院したのをきっかけに体が衰え、家に帰れなくなってしまった。
病気は治ったが家庭で暮らせないために入院を続ける、
いわゆる「社会的入院」の典型的なケースである。
近隣の町の総合病院に6ヶ月ものあいだ入院を続けていたが、
病院からは退院を迫られ、
(社会的入院では充分な医療報酬がとれず、病院の赤字がかさむ)
かといって一人暮らしは無理だという家族の判断で老健に入ってきた。

Sさんは心身ともに衰えてはいるが、「病気」とはいえない。
ただ、半年間も病院の天井を見つめて過ごすうちに、
ある種の「社会性」を失ってしまったようだ。
先週、いったん退院して夕張に帰ってきたときにお会いしたが、
何を話しかけても反応が鈍く、ほとんど言葉が返ってこなかった。
たぶん前の病院では「寝かせきり」に近かったのだろう。
Sさんは、会話さえほとんどない単調な毎日が原因で衰えたのである。
「病院が介護を作り出している」という村上医師の言葉の意味が、
Sさんを見ているとよくわかる気がした。

 *人手不足のなか、
  収入にならない高齢者の入院を引き受けてきた病院を
  一方的に責めることはできない。
  病院の個別具体的な対応の問題ではなく、
  そうならざるを得ない背景をこそ問題にすべきである。

老健に入ったSさんは、
医師やリハビリの専門家、介護のスタッフから次々に話しかけられた。
そうすると、Sさんは少しずつ言葉を返すようになり、
やがてスタッフとのあいだで「会話」が始まった。
カラオケで歌うのが好きだと語り、
十八番は「骨まで愛して」だと話してくれた。
一節を口ずさんで、「マイクがないと調子が出ない」と冗談(?)をいう。
数日前には家族が話しかけてもほとんど反応しなかったのが、
おやつのフルーツ・ゼリーをかき込むように食べ、
「こんな旨いもん食ったのは久しぶりだ」と笑った。
まるで春の暖気にみるみるうちに融け始めた氷を見るようだ。
これが僅か一日のあいだに起こったSさんの“容態”の変化である。

村上医師をはじめ、
新任で老健を担当することになった永森医師、老健のスタッフたちは、
Sさんにコミュニケーション能力を取り戻してもらい、
衰えている足腰をリハビリで回復させたうえで、
できるだけ早く、元気に自宅に帰ってもらおうと考えている。
Sさんが元気になれば、
「自宅で介護などできない」と思い込んでいた家族の考えも変わるだろう。
周囲の住民たちの「地域医療」を見る目も変わるはずだ。
ぼくたちはSさんが老健で過ごす毎日を、
できれば退所して自宅に帰ることができるまで、カメラで記録することにした。
6月29日の日記に書いた「種を蒔く」作業の一環である。
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自治体病院はなぜ苦しむのか…?

きょうはお昼のANAで千歳空港に飛ぶ。
来週からのロケを前に夕張の取材。
民営化以来、3ヶ月がたとうとしている「夕張医療センター」は、
7月の老人保健施設オープンを控えて、準備に余念がない。
その一方で、
見切り発車に近い民営化で積み残してきた矛盾がくすぶり始めている。
詳しく書くことは控えるが、
公設病院の成り立ちの根本に関わる問題である。

去年の夏、
自治体病院の経営問題に詳しい
伊関友伸城西大学准教授に初めてお会いしたとき、
自治体病院が抱える根本的な問題点として指摘されたことがある。
それは一言で云えば「縦割り行政の弊害」だった。

中央官庁で自治体病院の経営を管轄しているのは総務省である。
都道府県レベルでは「市町村課」がそこに連なっている。
地方財政を担当しているので自治体立病院の経営を指導監督するが、
医療の中身については「管轄外」なので一切関与しない。
それに対して、医療の内容を扱うのが厚生労働省、
都道府県では「医事課」である。
こちらは逆に自治体病院の経営には口出ししない。
経営母体が「公」でも「民」でも、
行われるべき医療の中身には直接関係はしないからだ。
つまり、地域医療に大きな役割を果たしている自治体病院の現実を
トータルとして把握している役所は日本にはない、ということになる。
総務省サイドと厚生労働省サイドの見解が、
微妙に、ときにはっきりと食い違うというのはよくある話らしい。
もっといえば、「省庁の利害」が必ずしも一致しないのである。

こうした省庁の狭間に生じたエアポケットに陥って苦しむのは、
いつも自治体病院の現場である。
ぼくのみたところ、夕張は典型的なケースで、
はっきりとした姿勢を示さず、責任の所在は曖昧なままで、
それぞれの担当課が違うことをいうヌエ的な行政に翻弄されている。
制作が決まった「続編」のひとつのポイントはそこだと思うが、
はっきりものを云わない、
つまり「責任回避を最優先にする」行政という存在は、
取材していても面白いものではないので、いささか憂鬱だ。
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高齢者が安心して暮らすために…

夕張を訪ねた。
雪が消えた町を歩いて思ったのは、
夕張は「映画の町」として知られているが、
街並もどこか映画のセットのようだということ。
夕張
生活感があまり感じられないのである。
人がほとんど歩いていないことも、そんな印象を増幅しているのかもしれない。

今回、夕張を訪れたのは、
5月に放送した「ETV特集・地域医療再生への挑戦」の
続編を制作する可能性を探るためである。
村上智彦医師の「医療をテコにした町おこし」の試みを
「ETV特集」でシリーズ化し、腰を据えて記録できないかと考えている。
村上先生と話していて、
続編のキーワードは「地域包括ケア」ではないかと思った。

「地域包括ケア」とは、
医療と福祉が連携して高齢化が進む地域を暮らしやすくしようというものだ。
村上先生が理事長を務める「医療法人・夕張希望の杜」では、
7月、診療所に併設して老人保健施設をオープンする。
これは病の癒えた高齢者を家庭に返すためのリハビリを行う施設で、
「医療」と「福祉」を結ぶ架け橋の役割を果たすものだとぼくは理解している。
村上先生たちは老人保健施設の建設によってリハビリを充実させる一方で、
訪問診療を充実させて、
お年寄りが安心して家庭で暮らすための受け皿作りを行う。
つまり、老人保健施設と訪問診療が相互に補完しあうことで、
いままで病気が治ってもそのまま長期入院を続けるほかなかったお年寄りが、
元気に家庭(地域)に帰っていくことができるようになるわけだ。
それは同時に、
診療報酬の安い長期入院を多く抱えて経営悪化した全国の自治体病院に、
経営再建の道筋を示すことにもなるだろう。

従来、こうした「地域包括ケア」は行政主導で進められてきた。
そのため医療サイドとの意志疎通を欠いて、
かけ声倒れに終わったケースも少なくなかっただろう。
夕張では、財政破綻により、行政には何も期待できなくなった。
だから、村上先生ら民間の手で、
「高齢者が安心して暮らせる町作り」を行う。
うまくいって「災い転じて福となす」ことをぼくは期待している。

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