Hometown
飽きもせず…
2009/02/09 Mon
釧路港(錦町、幣舞橋あたり)の夕景を撮り続けている。
雲のかたち、染まる色あい…夕暮れの表情は、毎日違うから飽きないのである。
この時期は釣り人が何人も岸壁に出ている。
何が釣れているのか覗いてみたら、氷下魚(こまい)だった。
なかなか大きい、形のいいのが上がっている。
この時期の氷下魚は生干しにしたのをさっと炙って食べると堪えられない。
ただし、あまり大きいものより、10cmちょっとのもの(「ごたっぺ」と呼ぶ)が美味のようだ。
雲のかたち、染まる色あい…夕暮れの表情は、毎日違うから飽きないのである。
この時期は釣り人が何人も岸壁に出ている。
何が釣れているのか覗いてみたら、氷下魚(こまい)だった。
なかなか大きい、形のいいのが上がっている。
この時期の氷下魚は生干しにしたのをさっと炙って食べると堪えられない。
ただし、あまり大きいものより、10cmちょっとのもの(「ごたっぺ」と呼ぶ)が美味のようだ。
|
寒い、ネ…。
2009/02/07 Sat
今年の釧路は「百年に一度の暖冬」だというが、ぼくが帰ってきてからはけっこう寒い。
それとも、寒冷地仕様だったはずのぼくの体が東京暮らしでなまってしまったのか…。
きょうは三食ともに自宅で。
朝はラーメン、昼は広島風お好み焼き、夜は鯖の一夜干し.etc…。
昼食後に玄関前の雪かきをする。
「雪かき」といっても、降ってからしばらくたつらしく、がちがちに凍って氷に近い雪だ。
凍った雪の塊をスコップで突き崩すのには力が要る。
手袋をしていなかったので、指先がじんじんと痛み出す。
きょうも和商で買い物をして、帰りに幣舞橋で夕日を撮る。
夕焼けは毎日表情が違うので、飽きもしないで撮り続けている。
市内の燃料店に電話をして薪を届けてもらう。
十把5250円也…薪ストーブの暖かさは人間的で好きなのだが、あまり経済的とは言えないようだ。
和商で買ってきた真かすべ(山盛りの切り身が一皿680円)を煮付ける。
きょうも落語(円生「一人酒」)とJazzを聴く(いま聴いているのはジミー・スミスだ)。
本は「ゴールデンスランパー」を読み終えて、船戸与一の「満州国演義5」を読み始めている。
それとも、寒冷地仕様だったはずのぼくの体が東京暮らしでなまってしまったのか…。
きょうは三食ともに自宅で。
朝はラーメン、昼は広島風お好み焼き、夜は鯖の一夜干し.etc…。
昼食後に玄関前の雪かきをする。
「雪かき」といっても、降ってからしばらくたつらしく、がちがちに凍って氷に近い雪だ。
凍った雪の塊をスコップで突き崩すのには力が要る。
手袋をしていなかったので、指先がじんじんと痛み出す。
きょうも和商で買い物をして、帰りに幣舞橋で夕日を撮る。
夕焼けは毎日表情が違うので、飽きもしないで撮り続けている。
市内の燃料店に電話をして薪を届けてもらう。
十把5250円也…薪ストーブの暖かさは人間的で好きなのだが、あまり経済的とは言えないようだ。
和商で買ってきた真かすべ(山盛りの切り身が一皿680円)を煮付ける。
きょうも落語(円生「一人酒」)とJazzを聴く(いま聴いているのはジミー・スミスだ)。
本は「ゴールデンスランパー」を読み終えて、船戸与一の「満州国演義5」を読み始めている。
独り者の夜
2009/02/06 Fri
釧路に帰ってきた。
昨夜は昔なじみのカメラマン(いまは釧路で管理職をしている)と一緒に飲んで、
最近の番組は説明的すぎて面白くもなんともない!…という話で盛り上がる。
考えてみれば、仕事の話をしながら酒を飲む機会がずいぶん減ったなあ。
若い頃は、ほぼ毎晩のように、同僚たちと仕事の話をしつつ飲んだくれていたのだが。
きょうからは、
金もないし、のんびりしたいという気持ちもあって、飲みには出ず家で過ごすつもりだ。
和商市場に行って、
いまが旬の氷下魚の生干し(風蓮湖産のものが一番旨いと思う)、
スルメイカの一夜干し、ヤリイカ(生…刺身用)、鰰の飯寿司、青唐辛子の辛子明太子など買う。
和商の帰り道、幣舞橋にさしかかる頃に夕日が沈む。
夕日の写真を撮って帰るのが、釧路にいるときのぼくのいつもの日課だ。
前に帰っきたときに買った「北の勝・純米」が残っているので、
一杯やりながら、落語(志ん生「鰍沢」)を聴き、釧路の旨い魚を食べる。
落語を聴き終わると今度は音楽、
ダウンタウンブギウギバンド、加藤登紀子、そして古いJazz…。
釧路のオーディオ装置は、アキュフェーズのアンプにスピーカーはタンノイ…
アナログでこそないが、東京のマンションにある装置よりも遥かに元手がかかっている。
一戸建てだから、真夜中に大音量で聴いても近所から苦情がくる気遣いはない。
ストーブに薪をくべ、炉辺でウィスキーや焼酎を嘗めながら、好きな音楽を聴いて陶然とする。
ぼくにとって、しみじみと幸福な時間だ。
独身時代は、望みさえすれば、いつだってそんな時間があった。
家庭を持つということは、自分の時間を犠牲にすることなのだと、今更ながらに思う。
東京にいると、妻や息子は落語が解らないので、ぼくが落語を聴いていると迷惑がられる。
かみさんがテレビを見るので、おちおち音楽を聴いていることもできない。
こうして独りで釧路に帰ってきたときだけ、かつての豊かな時間が戻ってくる。
かみさんが何度も電話してくる。
きっと、ぼくが「孤独」という名の昔の女とよりを戻してしまうのを警戒しているのだろう。
東京にいるときは、午前1時ごろになると「早く寝なさい!」と怒られるのだが、
釧路では誰もそんなことを云わないので、
午前2時過ぎまでベッドで読書、伊坂幸太郎「ゴールデンスランパー」を読み終えてから寝た。
昨夜は昔なじみのカメラマン(いまは釧路で管理職をしている)と一緒に飲んで、
最近の番組は説明的すぎて面白くもなんともない!…という話で盛り上がる。
考えてみれば、仕事の話をしながら酒を飲む機会がずいぶん減ったなあ。
若い頃は、ほぼ毎晩のように、同僚たちと仕事の話をしつつ飲んだくれていたのだが。
きょうからは、
金もないし、のんびりしたいという気持ちもあって、飲みには出ず家で過ごすつもりだ。
和商市場に行って、
いまが旬の氷下魚の生干し(風蓮湖産のものが一番旨いと思う)、
スルメイカの一夜干し、ヤリイカ(生…刺身用)、鰰の飯寿司、青唐辛子の辛子明太子など買う。
和商の帰り道、幣舞橋にさしかかる頃に夕日が沈む。
夕日の写真を撮って帰るのが、釧路にいるときのぼくのいつもの日課だ。
前に帰っきたときに買った「北の勝・純米」が残っているので、
一杯やりながら、落語(志ん生「鰍沢」)を聴き、釧路の旨い魚を食べる。
落語を聴き終わると今度は音楽、
ダウンタウンブギウギバンド、加藤登紀子、そして古いJazz…。
釧路のオーディオ装置は、アキュフェーズのアンプにスピーカーはタンノイ…
アナログでこそないが、東京のマンションにある装置よりも遥かに元手がかかっている。
一戸建てだから、真夜中に大音量で聴いても近所から苦情がくる気遣いはない。
ストーブに薪をくべ、炉辺でウィスキーや焼酎を嘗めながら、好きな音楽を聴いて陶然とする。
ぼくにとって、しみじみと幸福な時間だ。
独身時代は、望みさえすれば、いつだってそんな時間があった。
家庭を持つということは、自分の時間を犠牲にすることなのだと、今更ながらに思う。
東京にいると、妻や息子は落語が解らないので、ぼくが落語を聴いていると迷惑がられる。
かみさんがテレビを見るので、おちおち音楽を聴いていることもできない。
こうして独りで釧路に帰ってきたときだけ、かつての豊かな時間が戻ってくる。
かみさんが何度も電話してくる。
きっと、ぼくが「孤独」という名の昔の女とよりを戻してしまうのを警戒しているのだろう。
東京にいるときは、午前1時ごろになると「早く寝なさい!」と怒られるのだが、
釧路では誰もそんなことを云わないので、
午前2時過ぎまでベッドで読書、伊坂幸太郎「ゴールデンスランパー」を読み終えてから寝た。
日暮れて道遠し
2008/09/30 Tue
昨日の夜、注文していた煉瓦が届いたので、きょうは半日がかりで玄関の前と裏庭に敷く。
先日(27日)の写真と比べてみると、煉瓦の道がひとまわり幅広くなったのがわかる。
裏庭の方は、いかにも「まだ手を付けたばかりです」という感じ。
7月に100個、今回は120個の煉瓦を敷いてようやくこの程度だから、前途遼遠と言わざるを得ない。
夕方、和商市場に買い物に行く。
サンマの一夜干し120円、サンマの刺身250円、イカの一夜干しが2枚で550円…しめて980円也。
魚好きの人間にとって、釧路の秋は堪えられない(あと一月もすればシシャモの季節である)。
帰りに幣舞橋で夕日を撮影した。
ぼくの好きな場所、好きな時間である。
釧路にいるときは、このあたりで日没を撮影するのがほぼ日課のようになっている。
もう何百枚撮ったか知れないが、毎日の表情が微妙に違い、飽きることがない。
先日(27日)の写真と比べてみると、煉瓦の道がひとまわり幅広くなったのがわかる。
裏庭の方は、いかにも「まだ手を付けたばかりです」という感じ。
7月に100個、今回は120個の煉瓦を敷いてようやくこの程度だから、前途遼遠と言わざるを得ない。
夕方、和商市場に買い物に行く。
サンマの一夜干し120円、サンマの刺身250円、イカの一夜干しが2枚で550円…しめて980円也。
魚好きの人間にとって、釧路の秋は堪えられない(あと一月もすればシシャモの季節である)。
帰りに幣舞橋で夕日を撮影した。
ぼくの好きな場所、好きな時間である。
釧路にいるときは、このあたりで日没を撮影するのがほぼ日課のようになっている。
もう何百枚撮ったか知れないが、毎日の表情が微妙に違い、飽きることがない。
立ち枯れる街
2008/07/23 Wed
午前中は雨。
部屋の掃除をする。
午後、雨が上がったので買い物に出る。
気温は19℃、これでもまだ昨日よりは暖かい。
釧路の街は寂れていく一方である。
我が家から3〜4分のところにある宏大な更地。
ここには去年まで大型店舗(市民生協富士見店)があった。
この店がなくなってしまったことがぼくの生活に与えた影響は甚大で、
きのうも今日も、夕食の材料を買い出すのに、
坂を登ったり降りたりしながら片道30分ちかく歩き、駅前の和商市場まで行かなければならなかった。
街の中心部にあったデパートも数年前に閉店したため、
我が家の徒歩圏には買物ができる場所がほとんどなくなってしまったのである。
車を運転しない人間にとってはひどく暮らしにくい話で、ぼくは老後この街に住む自信を失いつつある。
買物に行く道の途中にある廃虚、かつては「鉄舟」という名の喫茶店だった。
かつての職場に近いので何度か行ったことがあると思うが、閉店してからもうかなりになるはずだ。
右側の店(「かとう」とあるのが見える)もやっている気配はない。
目抜き通り(だった、というべきか…)の北大通りは、すっかり“シャッター通り”になってしまった。
右はかつては一応「デパート」を名乗っていた店の跡、左の書店も去年店を閉めた。
人口20万人の街の中心商店街で本も買えないという現実は、ただごとではないと思う。
こちらは電器屋の跡、隣(画面奥)のビルもいまは空きビルになっている。
地場産業の衰退に伴う長い不景気に加えて、郊外の大型店に客を取られて、中心商店街は壊滅した。
これはコミュニティの崩壊に他ならず、お年寄は毎日の暮らしが不便極まりなくて困っているはずだ。
ぼくは自分が運転をしないので、それがよくわかる。
お年寄が安心して住めなくなったら、その街はオシマイである。
ぼくは釧路(道東)の風土が大好きで家まで建てたのだが、この街には、もう希望を持てないでいる。
部屋の掃除をする。
午後、雨が上がったので買い物に出る。
気温は19℃、これでもまだ昨日よりは暖かい。
釧路の街は寂れていく一方である。
我が家から3〜4分のところにある宏大な更地。
ここには去年まで大型店舗(市民生協富士見店)があった。
この店がなくなってしまったことがぼくの生活に与えた影響は甚大で、
きのうも今日も、夕食の材料を買い出すのに、
坂を登ったり降りたりしながら片道30分ちかく歩き、駅前の和商市場まで行かなければならなかった。
街の中心部にあったデパートも数年前に閉店したため、
我が家の徒歩圏には買物ができる場所がほとんどなくなってしまったのである。
車を運転しない人間にとってはひどく暮らしにくい話で、ぼくは老後この街に住む自信を失いつつある。
買物に行く道の途中にある廃虚、かつては「鉄舟」という名の喫茶店だった。
かつての職場に近いので何度か行ったことがあると思うが、閉店してからもうかなりになるはずだ。
右側の店(「かとう」とあるのが見える)もやっている気配はない。
目抜き通り(だった、というべきか…)の北大通りは、すっかり“シャッター通り”になってしまった。
右はかつては一応「デパート」を名乗っていた店の跡、左の書店も去年店を閉めた。
人口20万人の街の中心商店街で本も買えないという現実は、ただごとではないと思う。
こちらは電器屋の跡、隣(画面奥)のビルもいまは空きビルになっている。
地場産業の衰退に伴う長い不景気に加えて、郊外の大型店に客を取られて、中心商店街は壊滅した。
これはコミュニティの崩壊に他ならず、お年寄は毎日の暮らしが不便極まりなくて困っているはずだ。
ぼくは自分が運転をしないので、それがよくわかる。
お年寄が安心して住めなくなったら、その街はオシマイである。
ぼくは釧路(道東)の風土が大好きで家まで建てたのだが、この街には、もう希望を持てないでいる。
霧と原野へのノスタルジア…高城高「墓場なき墓場」
2008/03/20 Thu
高城高全集の第一巻「墓場なき墓場」(創元推理文庫)を読み終えた。
高城高は、帯の惹句を引用するなら「日本ハードボイルドの礎を築いた伝説の作家」。
1970年以降、去年まで、
30年以上新作を発表することなく沈黙を守ってきた「幻の作家」である。
ハードボイルド小説を好むぼくにして、不覚にも、その存在さえ知らずにいた。
作品を読むのは、この「墓場なき墓場」(昭和37年発表の唯一の長編)が初めてである。
「墓場なき墓場」は根室沖での運搬船沈没事件に端を発するミステリで、
ストイックで無駄のない文体に惹かれながら読んだ。
例えて云うなら、クリント・イーストウッドの映画にも似た硬質な語り口。
よくあるタイプのハードボイルド小説のように、
主人公が後ろからいきなり殴り倒されたりはしない。
事件の鍵を握る妖艶な美女とベッドをともにすることもない。
もちろん犯罪がからむのだが、暴力とSEXの匂いは意外なほど希薄だ。
ロス・マクドナルドの「さむけ」のように、
意表をついてなお余韻を残す、鮮やかなどんでん返しが用意されているわけでもない。
ないない尽くしのこの小説にあるのは、
事件を追う新聞記者(「ブン屋」という方がぴったりくる)の日常のリアリティ溢れる描写と、
克明に描き出される昭和30年代の釧路や根室…霧に覆われた東北海道の風土感だ。
そして、それだけで、この小説は充分に魅力的なのである。
高城高は、昭和32年、北海道新聞に入社。
駆け出しの新人記者として釧路支社に配属されている。
そのキャリアを考えれば、
夜討ち朝駆けの新聞記者の暮らしはまさに自分の経験そのものであり、
釧路根室の風土も身をもって体験しただけに、描写が克明にして的確なわけだ。
ぼくは高城氏に20年遅れて、昭和54年、新人TVディレクターとして釧路に配属された。
つまり、この小説の舞台には「土地鑑がある」わけだ。
地方都市の骨格は20年やそこらでそう大きく変わるものではないから、
この小説に出てくる地名はすべて光景がまざまざと目に浮かぶ。
大町など、ぼくの頃には飲み屋街だった面影さえなかったが(漁港の移転によって寂れた)。
ちなみにこの小説の「犯人」の住む家は現在の我が家の近所で(笑)、
その家がどこにあったのか、ほとんどピンポイントで指摘できるほどだ。
この小説が書かれた昭和30年代、釧路や根室の漁港はサンマの大漁に沸き返っていた。
サンマの漁獲はやがて減っていき、昭和40年代にはサバが獲れた。
そして、ぼくが赴任した昭和50年代は、イワシの時代だった。
そのイワシもやがて姿を消し、
現在は、かつての大漁とは比べるべくもないとはいえ、再びサンマの時代になっている。
海は人知を超えたリズムをもって流転するのである。
この小説にも描写されたような、
肌にまとわりつくような濃霧(「じり」と呼ばれていた)は滅多に出なくなってしまった。
「霧と原野へのノスタルジア」とはこの本に添えた高城氏の後書きのタイトルだが、
ぼくがこの土地に惹かれて釧路に家まで建ててしまった理由は、まさにその一言に尽きる。
この本には、ぼくが愛した釧路や根室の風土が蠱惑的なまでに濃密に描き出されているのである。
高城高は、帯の惹句を引用するなら「日本ハードボイルドの礎を築いた伝説の作家」。
1970年以降、去年まで、
30年以上新作を発表することなく沈黙を守ってきた「幻の作家」である。
ハードボイルド小説を好むぼくにして、不覚にも、その存在さえ知らずにいた。
作品を読むのは、この「墓場なき墓場」(昭和37年発表の唯一の長編)が初めてである。
「墓場なき墓場」は根室沖での運搬船沈没事件に端を発するミステリで、
ストイックで無駄のない文体に惹かれながら読んだ。
例えて云うなら、クリント・イーストウッドの映画にも似た硬質な語り口。
よくあるタイプのハードボイルド小説のように、
主人公が後ろからいきなり殴り倒されたりはしない。
事件の鍵を握る妖艶な美女とベッドをともにすることもない。
もちろん犯罪がからむのだが、暴力とSEXの匂いは意外なほど希薄だ。
ロス・マクドナルドの「さむけ」のように、
意表をついてなお余韻を残す、鮮やかなどんでん返しが用意されているわけでもない。
ないない尽くしのこの小説にあるのは、
事件を追う新聞記者(「ブン屋」という方がぴったりくる)の日常のリアリティ溢れる描写と、
克明に描き出される昭和30年代の釧路や根室…霧に覆われた東北海道の風土感だ。
そして、それだけで、この小説は充分に魅力的なのである。
高城高は、昭和32年、北海道新聞に入社。
駆け出しの新人記者として釧路支社に配属されている。
そのキャリアを考えれば、
夜討ち朝駆けの新聞記者の暮らしはまさに自分の経験そのものであり、
釧路根室の風土も身をもって体験しただけに、描写が克明にして的確なわけだ。
ぼくは高城氏に20年遅れて、昭和54年、新人TVディレクターとして釧路に配属された。
つまり、この小説の舞台には「土地鑑がある」わけだ。
地方都市の骨格は20年やそこらでそう大きく変わるものではないから、
この小説に出てくる地名はすべて光景がまざまざと目に浮かぶ。
大町など、ぼくの頃には飲み屋街だった面影さえなかったが(漁港の移転によって寂れた)。
ちなみにこの小説の「犯人」の住む家は現在の我が家の近所で(笑)、
その家がどこにあったのか、ほとんどピンポイントで指摘できるほどだ。
この小説が書かれた昭和30年代、釧路や根室の漁港はサンマの大漁に沸き返っていた。
サンマの漁獲はやがて減っていき、昭和40年代にはサバが獲れた。
そして、ぼくが赴任した昭和50年代は、イワシの時代だった。
そのイワシもやがて姿を消し、
現在は、かつての大漁とは比べるべくもないとはいえ、再びサンマの時代になっている。
海は人知を超えたリズムをもって流転するのである。
この小説にも描写されたような、
肌にまとわりつくような濃霧(「じり」と呼ばれていた)は滅多に出なくなってしまった。
「霧と原野へのノスタルジア」とはこの本に添えた高城氏の後書きのタイトルだが、
ぼくがこの土地に惹かれて釧路に家まで建ててしまった理由は、まさにその一言に尽きる。
この本には、ぼくが愛した釧路や根室の風土が蠱惑的なまでに濃密に描き出されているのである。
釧路の時間はゆっくりと流れる
2007/12/23 Sun
いつも出張で留守ばかりしているので、
連休くらいは家族で一緒に過ごそうと妻と息子を釧路に呼んだ。
(ぼくは昨日のうちに滝川から釧路まで入っていた。)
朝の飛行機で飛んできた二人を「MOO」で迎えて、
昼食は我が家の近所の「千歳寿司」。
高校生の息子は、
道東ではいまが旬のバフンウニを食べて満足そうである。
(甘みが濃厚で…確かにとても美味しかった。)
食後は三人で和商市場まで歩き(片道30分ほどかかる)、
イカや柳葉魚、氷下魚の一夜干し、ハタハタのいずしなどを買い込む。
(釧路・千代の浦の夕日)
夜は薪ストーブを囲んで、自宅にいながら「炉端」気分。
BGMには、
「気分的には演歌」という息子のリクエストで「美空ひばり全集」をかけた(笑)。
食事が終わって、風呂に入り、
テレビを見たり、本を読んだり、(息子は)勉強をしたりで、時間を過ごす。
東京では、食事が終わるとすぐに個室にこもってしまう息子も、
ここには「個室がない」ので、居間にいるしかない。
親子三人、互いに顔の見える距離感のなかで過ごす冬の夜。
我が家のまわりは、夜になると人通りもなく、
車が通ることもほとんどないので、とても静かである。
窓を開けると、夜の底がしんと静まり返っている。
薪ストーブは心が安らぐような暖かさを与えてくれ、
時おり薪をくべるリズムとともに、時間はゆっくりと流れていく。
東京のマンションにいるときよりも、確かに時計の進み方が遅い気がする。
妻が「なんだか落ち着くね」といった。
上海生まれで自称「都会人」の彼女に、
田舎のよさがわかってもらえたのだとしたら、嬉しい。
連休くらいは家族で一緒に過ごそうと妻と息子を釧路に呼んだ。
(ぼくは昨日のうちに滝川から釧路まで入っていた。)
朝の飛行機で飛んできた二人を「MOO」で迎えて、
昼食は我が家の近所の「千歳寿司」。
高校生の息子は、
道東ではいまが旬のバフンウニを食べて満足そうである。
(甘みが濃厚で…確かにとても美味しかった。)
食後は三人で和商市場まで歩き(片道30分ほどかかる)、
イカや柳葉魚、氷下魚の一夜干し、ハタハタのいずしなどを買い込む。
(釧路・千代の浦の夕日)
夜は薪ストーブを囲んで、自宅にいながら「炉端」気分。
BGMには、
「気分的には演歌」という息子のリクエストで「美空ひばり全集」をかけた(笑)。
食事が終わって、風呂に入り、
テレビを見たり、本を読んだり、(息子は)勉強をしたりで、時間を過ごす。
東京では、食事が終わるとすぐに個室にこもってしまう息子も、
ここには「個室がない」ので、居間にいるしかない。
親子三人、互いに顔の見える距離感のなかで過ごす冬の夜。
我が家のまわりは、夜になると人通りもなく、
車が通ることもほとんどないので、とても静かである。
窓を開けると、夜の底がしんと静まり返っている。
薪ストーブは心が安らぐような暖かさを与えてくれ、
時おり薪をくべるリズムとともに、時間はゆっくりと流れていく。
東京のマンションにいるときよりも、確かに時計の進み方が遅い気がする。
妻が「なんだか落ち着くね」といった。
上海生まれで自称「都会人」の彼女に、
田舎のよさがわかってもらえたのだとしたら、嬉しい。
住みにくくなる“故郷”
2007/08/20 Mon
きょうは午前中に夕張の空中撮影。
事情があってぼくはヘリコに乗れなかったので、
札幌放送局でヘリコから送られてくる映像をモニター。
空から見ていると、
ぼた山(北海道では「ずり山」と呼ぶ)が目立ち、
谷あいに開けた炭鉱の町だった夕張の歴史が一目瞭然である。
午後、丘珠空港から(きょうもボンバルディアで)釧路に帰ってくる。

ぼくにとって釧路は、
生まれ故郷の松江に次ぐ「第二の故郷」ともいえる街だ。
社会人になって最初の5年間を暮らし、
その後もう一度勤務したときに土地を買って家を建てた。
小学3年生のときから大学を出るまで暮らした広島にはなぜか愛着が湧かず、
両親が健在でいるにも関わらずろくに寄りつかない。
もう前後10年以上暮らしている東京は、いつまでたっても「仮寓の地」だ。
だから、まとまった休暇が取れたときは釧路に「帰省」する。
そんなわけで年に3〜4回は釧路に帰っているのだが、
帰るたびに昔から知っている店が閉めていて淋しい思いをする。
特に中心商店街の空洞化はただごとではない。
地元紙によれば、老舗の書店が今月末で店を閉じるそうだ。
もう何年も前から品揃えが雑誌と文庫本ばかりになってしまい、
店先であれこれ本を捜すという本好きの喜びは味わえなくなってしまった。
しかし、それにしても、
「まがりなりにも20万都市」の中心街から本屋らしい本屋が消えるのは情けない。
それでも本ならAmazonでも買えるからまだいい。
ショックだったのはうちの近所の大型店(生協)の閉店が決まったという話で、
食料や日用品などちょっとした買物をするにも困ってしまう。
中心街の大型店はすでに軒並み潰れてしまったので、
買物は車で郊外のスーパーに行かなければ難しくなってしまった。
ぼくのように運転の出来ない人間やお年寄には暮らしにくいこと甚だしい。
如何に車社会の北海道とはいえ、これでは事実上の「地域崩壊」ではないか。
店が次々なくなる中心街で最近目立つのはビジネスホテルの建設で、
これは企業の支店や営業所が次々に閉鎖され、
いままで常駐社員がこなしてきた仕事を出張に切り替えた「経済効果」らしい。
定住人口が減っているのは確かだから、学校なども次々に統廃合されている。
(うちのすぐ近所の小学校も近々廃校になると聞いた。)
夕張も釧路も西部劇に出てくる「ブームタウン」のようなもので、
石炭が採れたり、魚が獲れたりという理由で人が住みついた街である。
だから、そうした“基幹産業”が衰退すれば見捨てられるのも早い。
ぼくの生まれ故郷である松江のように、
衰退しながらも人々が暮らし続ける“年老いた町”とはそこが違う。
自分が「故郷」と決めた町がなすすべもなく崩壊していく…辛いことだ。
事情があってぼくはヘリコに乗れなかったので、
札幌放送局でヘリコから送られてくる映像をモニター。
空から見ていると、
ぼた山(北海道では「ずり山」と呼ぶ)が目立ち、
谷あいに開けた炭鉱の町だった夕張の歴史が一目瞭然である。
午後、丘珠空港から(きょうもボンバルディアで)釧路に帰ってくる。

ぼくにとって釧路は、
生まれ故郷の松江に次ぐ「第二の故郷」ともいえる街だ。
社会人になって最初の5年間を暮らし、
その後もう一度勤務したときに土地を買って家を建てた。
小学3年生のときから大学を出るまで暮らした広島にはなぜか愛着が湧かず、
両親が健在でいるにも関わらずろくに寄りつかない。
もう前後10年以上暮らしている東京は、いつまでたっても「仮寓の地」だ。
だから、まとまった休暇が取れたときは釧路に「帰省」する。
そんなわけで年に3〜4回は釧路に帰っているのだが、
帰るたびに昔から知っている店が閉めていて淋しい思いをする。
特に中心商店街の空洞化はただごとではない。
地元紙によれば、老舗の書店が今月末で店を閉じるそうだ。
もう何年も前から品揃えが雑誌と文庫本ばかりになってしまい、
店先であれこれ本を捜すという本好きの喜びは味わえなくなってしまった。
しかし、それにしても、
「まがりなりにも20万都市」の中心街から本屋らしい本屋が消えるのは情けない。
それでも本ならAmazonでも買えるからまだいい。
ショックだったのはうちの近所の大型店(生協)の閉店が決まったという話で、
食料や日用品などちょっとした買物をするにも困ってしまう。
中心街の大型店はすでに軒並み潰れてしまったので、
買物は車で郊外のスーパーに行かなければ難しくなってしまった。
ぼくのように運転の出来ない人間やお年寄には暮らしにくいこと甚だしい。
如何に車社会の北海道とはいえ、これでは事実上の「地域崩壊」ではないか。
店が次々なくなる中心街で最近目立つのはビジネスホテルの建設で、
これは企業の支店や営業所が次々に閉鎖され、
いままで常駐社員がこなしてきた仕事を出張に切り替えた「経済効果」らしい。
定住人口が減っているのは確かだから、学校なども次々に統廃合されている。
(うちのすぐ近所の小学校も近々廃校になると聞いた。)
夕張も釧路も西部劇に出てくる「ブームタウン」のようなもので、
石炭が採れたり、魚が獲れたりという理由で人が住みついた街である。
だから、そうした“基幹産業”が衰退すれば見捨てられるのも早い。
ぼくの生まれ故郷である松江のように、
衰退しながらも人々が暮らし続ける“年老いた町”とはそこが違う。
自分が「故郷」と決めた町がなすすべもなく崩壊していく…辛いことだ。
釧路が30℃を超えた日
2007/08/15 Wed
番組の編集が始まると、朝から晩まで編集室にこもる“缶詰生活”になる。
その前に一週間ほど休むことができるので、気分転換を兼ねて釧路に飛んだ。
酷暑の東京を離れることができるだけでもありがたい。
昨日の夕方、釧路に着いたときの気温は19℃だった。
それが、今日は暑い。
じりじりした陽光の劇しさは釧路とは思えないほどだ。
家の窓をすべて開け放って風を呼び入れても、なお暑い。
釧路の我が家には、クーラーはおろか、扇風機さえないのだ。
釧路の場合、店や食堂、公共施設にもクーラーがないから、逃げ場がない。
伸び放題の庭の雑草を刈る気にもならず、ぼんやりしてしまう。
釧路がこれほど暑いのは、ただ一日を除いて記憶がない。
23年前、1984年の8月6日で、
ぼくは東京への転勤が決まり、翌日には釧路を発つという日だった。
この日、釧路は気象台開設以来始めて30℃を記録した(31.0℃だったと思う)。
見納めに釧路の街を自転車で走ると汗が噴き出した記憶がある。
アイヌモシリ(人間の静かな大地=北海道)を司るカムイ(神)の餞だろうか、
ぼくは新記録に送られるようにして、5年間を過ごした釧路を後にしたのである。
ニュースによれば、今日の釧路は30℃を超えた。
23年ぶり、二度目だという。
つまり、「あの日」以来のことなのである。
ぼくは釧路が好きだが、ずっと暮らしているわけではない。
それなのに、「釧路が30℃を超えた日」に二日とも立ち会ったことになる。
なんだか不思議な因縁のようなものを感じる。
その前に一週間ほど休むことができるので、気分転換を兼ねて釧路に飛んだ。
酷暑の東京を離れることができるだけでもありがたい。
昨日の夕方、釧路に着いたときの気温は19℃だった。
それが、今日は暑い。
じりじりした陽光の劇しさは釧路とは思えないほどだ。
家の窓をすべて開け放って風を呼び入れても、なお暑い。
釧路の我が家には、クーラーはおろか、扇風機さえないのだ。
釧路の場合、店や食堂、公共施設にもクーラーがないから、逃げ場がない。
伸び放題の庭の雑草を刈る気にもならず、ぼんやりしてしまう。
釧路がこれほど暑いのは、ただ一日を除いて記憶がない。
23年前、1984年の8月6日で、
ぼくは東京への転勤が決まり、翌日には釧路を発つという日だった。
この日、釧路は気象台開設以来始めて30℃を記録した(31.0℃だったと思う)。
見納めに釧路の街を自転車で走ると汗が噴き出した記憶がある。
アイヌモシリ(人間の静かな大地=北海道)を司るカムイ(神)の餞だろうか、
ぼくは新記録に送られるようにして、5年間を過ごした釧路を後にしたのである。
ニュースによれば、今日の釧路は30℃を超えた。
23年ぶり、二度目だという。
つまり、「あの日」以来のことなのである。
ぼくは釧路が好きだが、ずっと暮らしているわけではない。
それなのに、「釧路が30℃を超えた日」に二日とも立ち会ったことになる。
なんだか不思議な因縁のようなものを感じる。
久しぶりの釧路
2007/07/13 Fri
きのう早稲田での講義を了えたその足で釧路に「帰って」きた。
ぼくはこの街(と東北海道の風土)が好きで、13年前、家を建てた。
もっとも最近は仕事が忙しくて、ちっとも帰る暇がない。
ローンだけを払い続けている格好で、
「生涯最大の愚挙」だといつも妻に詰られている。
今年も、新年は家族揃って釧路で迎えたものの、
(飛行機代が安い)元日の夜には東京に戻ってしまった。
それ以来、半年ぶりで「我が家に帰ってきた」わけだ。
我が家の裏庭には一本のハルニレの木がある。
別海町のある酪農家から分けていただいて植えたものだ。
ハルニレは成長の早い木だというが、
我が家のハルニレはもう10年以上になるのにちっとも大きくならない。
一時は枯れてしまうのではないかと心配したこともあったが、
今年はなんだか元気がいいようだ。
背丈は相変わらず伸びないが、ずいぶん枝ぶりがよくなっている気がする。
上に伸びず横に広がるのは、海からの風が吹きつけるからだろうか。
釧路の気候は夏でも厳しい。
きのう飛行機から下りたとたん、あまりの寒さに驚いた。
空港の正面にある寒暖計によれば、16時半で気温は13.6℃。
きょうはもっと冷え込んでいて、13時現在の気温が11℃しかない。
いくら釧路とはいえ、これほど「冷たい夏」は珍しい。
ぼくはこの街(と東北海道の風土)が好きで、13年前、家を建てた。
もっとも最近は仕事が忙しくて、ちっとも帰る暇がない。
ローンだけを払い続けている格好で、
「生涯最大の愚挙」だといつも妻に詰られている。
今年も、新年は家族揃って釧路で迎えたものの、
(飛行機代が安い)元日の夜には東京に戻ってしまった。
それ以来、半年ぶりで「我が家に帰ってきた」わけだ。
我が家の裏庭には一本のハルニレの木がある。
別海町のある酪農家から分けていただいて植えたものだ。
ハルニレは成長の早い木だというが、
我が家のハルニレはもう10年以上になるのにちっとも大きくならない。
一時は枯れてしまうのではないかと心配したこともあったが、
今年はなんだか元気がいいようだ。
背丈は相変わらず伸びないが、ずいぶん枝ぶりがよくなっている気がする。
上に伸びず横に広がるのは、海からの風が吹きつけるからだろうか。
釧路の気候は夏でも厳しい。
きのう飛行機から下りたとたん、あまりの寒さに驚いた。
空港の正面にある寒暖計によれば、16時半で気温は13.6℃。
きょうはもっと冷え込んでいて、13時現在の気温が11℃しかない。
いくら釧路とはいえ、これほど「冷たい夏」は珍しい。
生まれ故郷
2007/05/25 Fri
いま松江に来ている。
島根県松江市…ぼくの生まれ故郷だ。
到着して早々、名物の出雲蕎麦を食べたところである。
生まれ故郷とはいっても、
ぼくがこの街で暮らしていたのは小学校3年生まで。
昭和39年…東京オリンピックの年だから、随分昔の話だ。
その後は大学を出るまで広島で、
親兄弟はいまだに広島暮らしだし、友だちも広島にいる。
それでも、なぜか、帰りたくなるのは広島ではなく松江だ。
人よりも場所になつく、猫にちかい人間なのかもしれない。
今日はこれから山あいに入った木次(きすき)という町に向かう。
いまは合併して雲南市というのだが、
このネーミングは中国の奥地みたいでいただけない。
ま、中国地方の奥地には違いないが…(笑)。
この木次にあるのが、知る人ぞ知る「木次乳業」。
日本で最初に低温殺菌牛乳(パスチャライズ乳)を手がけたことで知られている。
その創業者である佐藤忠吉老の出版記念兼米寿祝いの会が催されるのだ。
忠吉さんは日本の有機農業の草分け的存在で、
ぼくが尊敬してやまない「百姓」(名刺にそう刷り込んでおられる)である。
その忠吉さんの話を作家の森まゆみさんが聞き書きでまとめたのが、
4月に出版された「自主独立農民という仕事」(バジリコ)。
縁あって森さんとも一面識がある。
このあたりは旨いものがたくさんある土地柄だから、今宵は楽しい宴になりそうだ…
島根県松江市…ぼくの生まれ故郷だ。
到着して早々、名物の出雲蕎麦を食べたところである。
生まれ故郷とはいっても、
ぼくがこの街で暮らしていたのは小学校3年生まで。
昭和39年…東京オリンピックの年だから、随分昔の話だ。
その後は大学を出るまで広島で、
親兄弟はいまだに広島暮らしだし、友だちも広島にいる。
それでも、なぜか、帰りたくなるのは広島ではなく松江だ。
人よりも場所になつく、猫にちかい人間なのかもしれない。
今日はこれから山あいに入った木次(きすき)という町に向かう。
いまは合併して雲南市というのだが、
このネーミングは中国の奥地みたいでいただけない。
ま、中国地方の奥地には違いないが…(笑)。
この木次にあるのが、知る人ぞ知る「木次乳業」。
日本で最初に低温殺菌牛乳(パスチャライズ乳)を手がけたことで知られている。
その創業者である佐藤忠吉老の出版記念兼米寿祝いの会が催されるのだ。
忠吉さんは日本の有機農業の草分け的存在で、
ぼくが尊敬してやまない「百姓」(名刺にそう刷り込んでおられる)である。
その忠吉さんの話を作家の森まゆみさんが聞き書きでまとめたのが、
4月に出版された「自主独立農民という仕事」(バジリコ)。
縁あって森さんとも一面識がある。
このあたりは旨いものがたくさんある土地柄だから、今宵は楽しい宴になりそうだ…