Economy

弾けないバブルはこの世にない。

株の暴落がすさまじい。
日経平均はきょう一日で1000円近く下がって、9203円になった。
想定を遙かに上回るスピードだが、
ぼくはアメリカの金融不安が顕在化する前から株価が下がるのは時間の問題だと思っていたし、
一時的に反発することはあるにしても、今後は中長期的に低落傾向が続くと考えている。
20年後にぼくが生きているかどうかは判らないが、
その頃になってみると、2008年が「アメリカの没落」のエポックだったということになるのではないか。

ぼくはもちろん経済の専門家ではない。
どころか、経済の理論書の一冊も読んだことがない。
(と思うが…もしかしたら、大学時代に宇野理論の入門書くらいは読んだかもしれない。)
しかし、20年あまり、「日本の田舎」を基点にしながら世界経済を見つめ続けてきた。
それだけに、ある種の“現場感覚”は持ち合わせているつもりだ。

ぼくが本気で経済について考え始めたのは、いま思えばバブル時代のさなかである。
「マネー」が日本社会を席巻し、株価や地価が狂奔し、日本人の多くが冷静を失っているように見えた。
「モノ作り」がこんなにおろそかにされていいものかという、一種素朴な疑問がぼくの出発点だった。
それはやがて(といっても10年くらいの歳月を経て)、
「モノ作りを大切にしない社会は成り立たない」という確信に変わっていった。
いくらお金がまわっても、
モノを作らない限り新しい「価値」は生まれないのだから、これはアタリマエ過ぎる話なのだが…。
ただ、日本人の多くはその「常識」を見失っていたし、それはいまでもそうだと思う。

アメリカは、当時…もう20年以上前に、すでに「モノ作り」を放棄していたように思える。
モノを作らなくなったアメリカで発達したのがある種の金融テクノロジーであり、
アメリカのマネーがその後の長期間にわたって世界を実質的に支配してきた。
しかし、「モノ作り」の背景を喪失したマネーゲームは本質的な意味で「バブル」であり、
なんら生産(=価値の増大)に寄与することのない、
汚い言葉を使えば「やくざが賭場のかすりをしのぎにする」ような経済である。
そういう意味では、アメリカという国そのものが「バブル化」していたといっても過言ではない。
そして、バブルは必ずや弾ける、遅かれ早かれ…。
「弾けなかったバブル」などというものは、歴史上あったためしがない。
アメリカの金融バブルがそれでも20年間以上保ったのは、
ドルが基軸通貨であったこと(=経済が苦しくなれば印刷機を廻せばいいわけだ)、
そして、日本という金持ちで忠実な下僕がいたことによるというのは多くの識者が指摘していることで、
おそらくその通りなのだろうと思う。
「ブッシュのポチ」と呼ばれ、
アメリカ型の金融資本主義(=新自由主義)を日本に持ち込もうとした小泉純一郎が、
本家の金融バブルの崩壊と時を同じくして引退したことは象徴的であるように思えてならない。

1980年代後半の日本のバブルが弾けたとき、
日本人の多くが(大蔵省のエリート官僚も含めて)その事実を冷静かつ客観的に受け止めることができず、
その結果、対応が後手にまわって傷口を拡げるハメになった。
(これはぼくたちが取材した、当時の大蔵省のトップ・エリートの証言からしても間違いのないことだ。)
いままた、冷徹に善後策…それは当然、「アメリカ離れ」のベクトルを持つはずだ…を講じなければ、
過ちを再び繰り返すことになるだろうことは想像に難くない。
落日のアメリカ帝国に殉じたところで、褒めてくれる人間など誰もいないだろう。
今回の世界的規模での「バブル崩壊」が、
「モノ作り」の復権に向けての一歩になるならば、むしろ喜ぶべきことだろうとぼくは思う。
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