27 April 2008

「老上海」の変貌

ホテルの近所、虹口(ホンクォ)地区をほっつき歩いてみる。
ここはかつて(戦前)の日本人居住区で、
映画「ラスト、コーション」に、
梁朝偉と湯唯が橋(外白渡橋=ガーデン・ブリッジ…現在は修理中で取り外されている)を渡って
日本人街の料亭を訪ねるシーンがある。
日本の軍人が大声で「同期の桜」を歌っていたりする、あの奇妙な街が虹口だ。
戦後は発展から取り残されていたようで、
上海生まれの妻に言わせれば「下町」であり、
昔ながらの生活が残された「老上海」…いずれにせよ“庶民の街”である。
この虹口が、いま大規模再開発の渦中にある。
変貌する上海
「老上海」のたたずまいは一掃され、
数年後にはインテリジェンス・オフィス・ビルが建ち並ぶ最先端の街に生まれ変わるらしい。
この20年のあいだに上海では4000棟の高層建築(20階以上)が建てられ、
2000棟がいま新たに建築中なのだという。
なんだか「白髪三千丈」的なスケールを感じさせる話である。

ぼくは、中国の高度経済成長は、
東京オリンピック('64)から大阪万博('70)までの日本の6年間を
北京オリンピック('08)から上海万博('10)までの2年間で走り切ろうとするものだと考えてきた。
しかし、こうした風景を見ていると、
バブル経済(日本では'80年代後半)までを一気に駆け抜けようとするもののように思えてくる。
その活気は凄まじいまでのものだが、矛盾もそれだけ激しくなっているだろうと思う。
虹口にて
「老上海」を逞しく生きてきた上海の庶民たちは、これから何処へ行くのだろう?
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朱家角

妻の親戚筋にあたる日本研究家の呉先生の案内で、
上海郊外の「朱家角」(ズー・チャー・チャオ)を訪れた。
かつての長江下流部(江南)の水郷の暮らしをそのまま観光地にしたものだ。
村に入るのに入場料が要るという、「まるごとテーマパーク」みたいな集落である。
朱家角
中国でも5月初旬は「労働節(メーデー)」を軸とした連休、ゴールデン・ウィークである。
高速は渋滞し、朱家角も駐車場の確保にも苦労するほどの人出だった。
GWの朱家角
これは一番の名所である「放生橋」のたもと。
「放生橋」とは、
その名の通り、この橋から亀や小魚などの生き物を放って
日頃の殺生の供養をするという
要するに落語の「後生鰻」の世界ですね。
周辺は土産物屋がひしめく観光ゾーンである。
ぼくが印象的だったのは、
この人出にも関わらず村民が普段通りの暮らしをしているように見えることで、
お婆ちゃんは川で洗濯をしているし、
観光客が闊歩する通りには色とりどりの女性の下着が干してあったりする。

水郷
洗濯物がところかまわず干してあるのは上海の中心的な繁華街にも共通して言えることで、
「ハレ」と「ケ」が渾然一体とした、中国庶民の生活リアリズム、逞しさが感じられる。
もし、「最も中国らしい風景」とは何かと問われれば、
ぼくは観光地や繁華街に翻る洗濯物の満艦飾が一番それにふさわしいという気がしている。
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3年ぶりの上海

3年ぶりに妻の実家のある上海を訪ねた。
オリンピックを控え高度経済成長さなかの中国にあって、
上海は新しいものと古いものが相克し発熱する巨大都市である。
浦東を望む(蘇州川)
左に見えるのは1930年代の建築で「上海大厦」、いまもホテルとして営業している。
正面は黄浦江の対岸にある浦東(プトン)地区で、高層ビルが林立する新興ビジネス街だ。

浦江飯店
ぼくたちが泊まったのは「浦江飯店」。
1846年に建築された極東最古の西洋式ホテルで、虹口(ホンクォ…旧日本人地区)にある。
さきほどの「上海大厦」のすぐ隣だ。
古い建物が好きなぼくが、もっと新しいホテルがいいという妻の反対を押し切って予約した。
建物は古いが内部はきちんとリニューアルしてあり、インターネットも自由に使えて快適である。

夜は妻の母方の親戚17名と郊外の嘉定区のレストランで一緒に食事をした。
中国語のできないぼくは、
専らグラスを一気に飲み干す中国式の乾杯を繰り返し、すっかりビール腹になってしまった。
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