26 October 2008
地域医療のパラダイムが変わった
2008/11/01 Sat 格納先: Medical
北海道の知床半島にある羅臼町。
いつも海に潜っているこの町で地域医療に関するシンポジウムが開催され、
コーディネーターとして招かれたぼくはシンポジウムの進行役を務めた。
羅臼は町立病院の赤字がかさんで町の財政を圧迫し、
財政破綻を回避するためにこの春から無償診療所化に踏み切っている。
つまり、入院はできず、時間外の救急も受け付けない。
住民にとってみれば明らかに医療サービスの切り下げであり、不安は募る。
しかし、ぼくは、町立病院が破綻に至った原因は住民の受診行動にあったと考えている。
普段は大きな町の総合病院を受診し、
軽い症状で夜中にかかるときには地元の病院を使い、
(羅臼の時間外受診は人口6400人に対して年間2000件を超える。この数字は全国的にみても多い)
厳密には「病気」とはいえない高齢者を長期にわたって病院に入院させてきた。
医師にとっては働き甲斐を感じられないだろうし、長期入院に対して支払われる医療報酬は安い。
これでは病院の経営が成り立つはずがない。
住民の意識変革と町当局の決断、そして迅速な行動がなければ、この町の医療再生は望めない。
今夜集まったのは、会場をほぼ満席に埋めるおよそ130人。
羅臼町民の「50人に1人が来た」と考えれば、 変革のきっかけくらいにはなるかもしれない。
ぼくは商売柄お客さんの反応が気になるので
会場に集まった人たちの表情を観察しながら議論を進めたのだが、
みんな本当に真剣で、話に「食いついて」きているのがよくわかった。
基調講演は千葉県立東金病院の平井愛山院長。
パネリストは、
むかわ町立穂別診療所の一木崇宏医師、
兵庫県立柏原病院の「小児科を守る会」の活動に深く関わってきた丹波新聞の足立智和記者、
地域に医師を派遣してきた北海道家庭医療学センターの草場鉄周所長。
ぼくとともにコーディネーターを務めたのは、
夕張の医療再生に村上智彦医師の片腕として深く関わった経営コンサルタントの高橋宏昌さん。
初対面の草場先生を除けば、みんな仕事を通してよく知っている人たちである。
ぼくがコーディネーター 兼 進行役として伝えたかったテーマは、
一言でいえば「地域医療のパラダイムが変わった」ということである。
「大学から派遣される臓器別専門医」によって地域の医療が支えられた時代は終わりを告げ、
医療と福祉が連携した「地域包括ケア」を志向する総合医(家庭医)でしか
地域医療の最前線は担えないという時代が始まっている。
平井院長は、総合医を育成することで崩壊に瀕した東金病院の医療を再建してきた。
一木医師と草場医師は、ともに総合医として地域の医療に貢献してきた人たちである。
こうした総合医は大学のなかにいても育つものではない。
地域で育てるものであり、
そのためには、 行政はもちろん、自覚した住民の支えが不可欠だということを強調した。
限られた医療資源のなかでは、 医療再生は云わば「早い者勝ち」にならざるを得ない。
問題の先送り(=現状維持)は「医療の破綻」に至る道にほかならないだろう。
面白く挑発的なシンポジウムになったと自負しているが、平井先生の次の言葉が印象に残った。
「明治維新を担ったのは実質的に薩長の二藩のみであった。
それはなぜか、
薩摩は薩英戦争に完敗し焼け野原になった。
長州は下関戦争で列強の砲撃を受け壊滅的な打撃を被った。
医療維新を担うことができるのは
一度きちんと崩壊した地域だけである」
いつも海に潜っているこの町で地域医療に関するシンポジウムが開催され、
コーディネーターとして招かれたぼくはシンポジウムの進行役を務めた。
羅臼は町立病院の赤字がかさんで町の財政を圧迫し、
財政破綻を回避するためにこの春から無償診療所化に踏み切っている。
つまり、入院はできず、時間外の救急も受け付けない。
住民にとってみれば明らかに医療サービスの切り下げであり、不安は募る。
しかし、ぼくは、町立病院が破綻に至った原因は住民の受診行動にあったと考えている。
普段は大きな町の総合病院を受診し、
軽い症状で夜中にかかるときには地元の病院を使い、
(羅臼の時間外受診は人口6400人に対して年間2000件を超える。この数字は全国的にみても多い)
厳密には「病気」とはいえない高齢者を長期にわたって病院に入院させてきた。
医師にとっては働き甲斐を感じられないだろうし、長期入院に対して支払われる医療報酬は安い。
これでは病院の経営が成り立つはずがない。
住民の意識変革と町当局の決断、そして迅速な行動がなければ、この町の医療再生は望めない。
今夜集まったのは、会場をほぼ満席に埋めるおよそ130人。
羅臼町民の「50人に1人が来た」と考えれば、 変革のきっかけくらいにはなるかもしれない。
ぼくは商売柄お客さんの反応が気になるので
会場に集まった人たちの表情を観察しながら議論を進めたのだが、
みんな本当に真剣で、話に「食いついて」きているのがよくわかった。
基調講演は千葉県立東金病院の平井愛山院長。
パネリストは、
むかわ町立穂別診療所の一木崇宏医師、
兵庫県立柏原病院の「小児科を守る会」の活動に深く関わってきた丹波新聞の足立智和記者、
地域に医師を派遣してきた北海道家庭医療学センターの草場鉄周所長。
ぼくとともにコーディネーターを務めたのは、
夕張の医療再生に村上智彦医師の片腕として深く関わった経営コンサルタントの高橋宏昌さん。
初対面の草場先生を除けば、みんな仕事を通してよく知っている人たちである。
ぼくがコーディネーター 兼 進行役として伝えたかったテーマは、
一言でいえば「地域医療のパラダイムが変わった」ということである。
「大学から派遣される臓器別専門医」によって地域の医療が支えられた時代は終わりを告げ、
医療と福祉が連携した「地域包括ケア」を志向する総合医(家庭医)でしか
地域医療の最前線は担えないという時代が始まっている。
平井院長は、総合医を育成することで崩壊に瀕した東金病院の医療を再建してきた。
一木医師と草場医師は、ともに総合医として地域の医療に貢献してきた人たちである。
こうした総合医は大学のなかにいても育つものではない。
地域で育てるものであり、
そのためには、 行政はもちろん、自覚した住民の支えが不可欠だということを強調した。
限られた医療資源のなかでは、 医療再生は云わば「早い者勝ち」にならざるを得ない。
問題の先送り(=現状維持)は「医療の破綻」に至る道にほかならないだろう。
面白く挑発的なシンポジウムになったと自負しているが、平井先生の次の言葉が印象に残った。
「明治維新を担ったのは実質的に薩長の二藩のみであった。
それはなぜか、
薩摩は薩英戦争に完敗し焼け野原になった。
長州は下関戦争で列強の砲撃を受け壊滅的な打撃を被った。
医療維新を担うことができるのは
一度きちんと崩壊した地域だけである」
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ぼくの好きな商店街
2008/10/26 Sun 格納先: Walk
きょうは誕生日のプレゼントをふたつ買いに出かける予定だった。
新宿伊勢丹で妻のン歳のお祝い、
そして谷中の「いせ辰」で本間きくのさん(10月16日、20日の日記参照)の97歳のお祝い。
ところが、家を出る直前に本間さんの訃報が飛び込んできた。
土曜日に、ご本人が希望されていた通りに自宅で息を引き取られたとのこと。
既にものを食べられなくなっていたので「時間の問題」とは聞いていたが、それにしてもショック。
なんとか元気で誕生日を迎えて欲しいと願っていたのだったが…。
謹んで本間きくのさんのご冥福をお祈りします。
そんなわけで妻へのプレゼントだけを一緒に選んで買い、
帰りに阿佐ケ谷で途中下車、阿佐ケ谷パールセンターで夕食のおかず(& ぼくの酒の肴)を買う。
ぼくは生活感と庶民的な活気が溢れる商店街が好きで、そんな商店街がある町で暮らしたいと思ってきた。
東京では、谷中銀座や幡ヶ谷六号通りが気に入っていて、そのすぐそばに住んだことがある。
(谷中で和紙細工を売る「いせ辰」を知っていたのはそういう理由による。)
現在の荻窪は全く違う理由で決めたので、典型的な駅前商店街には何の期待もしていなかった。
そうしたら、豈図らんや、
隣の阿佐ケ谷に歩いているだけで楽しくなれる素晴らしい商店街「パールセンター」があった。
この商店街はいつもたくさんの人たちで混み合っていて、
日本酒の揃えが充実した酒屋の「みつや」などいい店がある。
最近、特に気に入っているのは、
「魚勝」という芝浜で財布でも拾いそうな名前の小さな魚屋で、ここの刺身は旨い。
主が目利きなのだろうが、ここのを食べたらスーパーで売っている魚なんて買えるものではない。
きょうはカツオのたたきやシロエビ、秋刀魚の刺身、ホタテのヒモを甘辛く煮付けたものを買った。
ほかに串焼き屋で鰻の肝を買って帰る。
我が家までゆっくり歩いても20分くらいなものだ。
日没後、妻に付き合って汗がにじむ程度のジョギングをした。
新宿伊勢丹で妻のン歳のお祝い、
そして谷中の「いせ辰」で本間きくのさん(10月16日、20日の日記参照)の97歳のお祝い。
ところが、家を出る直前に本間さんの訃報が飛び込んできた。
土曜日に、ご本人が希望されていた通りに自宅で息を引き取られたとのこと。
既にものを食べられなくなっていたので「時間の問題」とは聞いていたが、それにしてもショック。
なんとか元気で誕生日を迎えて欲しいと願っていたのだったが…。
謹んで本間きくのさんのご冥福をお祈りします。
そんなわけで妻へのプレゼントだけを一緒に選んで買い、
帰りに阿佐ケ谷で途中下車、阿佐ケ谷パールセンターで夕食のおかず(& ぼくの酒の肴)を買う。
ぼくは生活感と庶民的な活気が溢れる商店街が好きで、そんな商店街がある町で暮らしたいと思ってきた。
東京では、谷中銀座や幡ヶ谷六号通りが気に入っていて、そのすぐそばに住んだことがある。
(谷中で和紙細工を売る「いせ辰」を知っていたのはそういう理由による。)
現在の荻窪は全く違う理由で決めたので、典型的な駅前商店街には何の期待もしていなかった。
そうしたら、豈図らんや、
隣の阿佐ケ谷に歩いているだけで楽しくなれる素晴らしい商店街「パールセンター」があった。
この商店街はいつもたくさんの人たちで混み合っていて、
日本酒の揃えが充実した酒屋の「みつや」などいい店がある。
最近、特に気に入っているのは、
「魚勝」という芝浜で財布でも拾いそうな名前の小さな魚屋で、ここの刺身は旨い。
主が目利きなのだろうが、ここのを食べたらスーパーで売っている魚なんて買えるものではない。
きょうはカツオのたたきやシロエビ、秋刀魚の刺身、ホタテのヒモを甘辛く煮付けたものを買った。
ほかに串焼き屋で鰻の肝を買って帰る。
我が家までゆっくり歩いても20分くらいなものだ。
日没後、妻に付き合って汗がにじむ程度のジョギングをした。