光は“僻地”から

仕事で千葉県東金市に通っている。
きょうで今週三回目である。
ぼくが住んでいる荻窪からは、
総武線で千葉まで行き、外房線に乗り継いで大網、そこで今度は東金線に乗り換えて行く。
東金線は1時間に2本しかないので、接続がよくないと片道2時間以上かかる。
県立東金病院に取材に行くので最寄りの「福俵」という駅で降りるのだが、ここは無人駅である。
病院までは畑のなかの道を抜けていく。
なんだか、首都圏にいる気がしない。
ぼくは歩くのはかなり速い方だが、それでも病院まで10分以上かかる。
患者さんは大変だろう、と思う。

きょうは県立東金病院が主催する研究発表会で、
「地域医療の崩壊から再生へ」というテーマで特別シンポジウムが行われた。
城西大学准教授の伊関友伸さんが座長で、
パネリストが兵庫県丹波市の「県立柏原病院の小児科を守る会」の丹生裕子会長、
「守られた小児科医」である和久祥三さん、丹波新聞の足立智和記者…
要するにぼくが先日制作した「福祉ネットワーク」の出演者が
そのまま一座を組んで(?)東金までやってきたようなものである。
ぼく自身が、まさに「地域医療の崩壊から再生へ」をテーマに次回作を作ろうとしており、
東金と柏原のふたつの県立病院は、北海道の夕張市立診療所と並んで「再生」の核だと考えている。
(東金病院についてはあらためて書くつもりだが、
 平井愛山院長とNPO「地域医療を育てる会」が協力して若い医師を集め、育成に取り組んでいる。)
夕張の村上智彦医師も、つい先日、この東金を訪れており、
「地域医療再生」の芽のある地域が相互に結びつきを深めることで、
点であったものが線に、やがて面にまで育っていくのではないかとぼく自身の思い入れも膨らんでいく。

夕張はもちろんだが、東金も丹波も交通の便が悪く、辺鄙なところである。
新しい可能性が、一番隅っこの、いわゆる「僻地」と呼ばれる地域から生まれ出ようとしている。
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「チーム・バチスタの栄光」

新宿コマで映画「チーム・バチスタの栄光」を観た。
監督は中村義洋という人で、どんな映画を作ってきたのか、ぼくは知らない。
(最近の日本映画界はすっかり世代交替をして、ぼくの知らない人ばかりである。)
海堂尊の原作が大変面白かったこともあるが、
主人公・田口公平を女性に変えて「田口公子」(竹内結子)にした結果がどう出るのか、
興味半分、危惧半分で映画館に駆けつけた。
そういう意味では、主人公を“性転換”させた、作り手の商魂にまんまと乗せられたのかもしれない…

結論から云えば、
性転換はやっぱり無理だったというしかない。
竹内結子は健闘していると思うが、
主人公を若い女性にしたことで物語がまるでリアリティを失い、マンガになってしまった。
「もしかしたら殺人事件かもしれない手術中の連続死」の真相究明に乗り出すのが
「出世競争から脱落しているにも関わらず、しぶとく大学に居残っている万年講師」であればこそ、
インサイダーでありながらアウトサイダーでもある視点を通して、
大学病院(医局)内部の様々な人間模様、錯綜した利害関係が浮かび上がってくるのである。
原作の面白さは、
「とても医者とは思えない」海堂尊のストーリィ・テリングの巧さに加えて、
「やはり医者にしか書けない」大学病院という閉鎖社会のリアリティ溢れる描写に負っている。
それが映画では、
当初、調査を依頼された教授が「銀婚旅行に行く」からといって、
駆け出しの若手医師に任せるという出だしからして、とても現実とは思えない話になってしまった。
院長もそれを「ま、いいか」で受け入れたのでは、そもそも真剣さを疑われてもしかたないではないか。
病院の大スキャンダルに発展するかもしれない事態に、まるで関係者の危機感が感じられない。
…いくらなんでもそりゃないだろう、というようなものである。

登場人物がこの調子では、観客もストーリィの展開にサスペンスの感じようがない。
竹内結子は関係者に聞き取りをしながら脱力系のイラスト(笑)を書いているし、
もう一人の主人公である阿部寛(厚生労働省大臣官房付技官・白鳥圭輔)に至っては、
ソフトボールの親善試合に選手でもないのにピンチヒッターで登場して
ピッチャー竹内結子(術死が続いている非常事態に…はは、暢気だネ)から
照明直撃の場外ホームランをかっ飛ばすなどというおちゃらけ方。
せっかく頑張ってオペのシーンを撮ったのに(こうした現実感は映像の強みだ)、
もったいないったらありゃしない。
日本映画には、「リアリティ」ということの意味を、ちったあマジメに考えてほしいとつくづく思う。
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定食屋って、いいな。

我が家から荻窪駅に向かう途中に「ゆず」という定食屋がある。
安くて美味いので、昼めし時にはいつも満席になる。
四年前に荻窪に越してきて、すぐにこの店を知り(なにせ通勤路に面しているのだ)、通うようになった。
寡黙な主の料理の腕はなかなかのもので、特に揚げ物が旨い。
火の通し加減が絶妙なのだろう、ふっくら、さくさくとしていて、しかもジューシ−だ。
あとご飯の旨さも驚くべきもので、
特別な米を使っているとは思えないが、炊き方なのだろう、ふっくらとして艶があり、絶品である。

文句のつけようのない店なのだが、ひとつ困ったことがある。
ぼくは毎晩酒を飲むのだが、揚げ物を肴に酒を飲むのは好まないのである。
酒を飲んでいるときは、もっとあっさりしたものが欲しくなる。
しかも、酒を飲んだときには米(ご飯)を食べない。
これでは「ゆず」に通う意味がない。
そんなわけで、いい店だとは思いながら、次第に足が遠のいていった。

きょうは仕事に出るのを午後からにしたので、久しぶりに「ゆず」に入って昼食をとった。
ぼくが行かなくなっていたあいだに新聞や週刊誌で何度も取り上げられたらしい。
なんでも数学者の秋山仁のお気に入りの店だそうで、
B級グルメの「定食の名店」として、ちょっとは知られた存在になったようだ。
値段は50円ほど上がったが、職人肌の主は相変わらず黙々と料理を作り、そして旨い。
ぼくはカキフライ定食(野菜サラダがついて980円)を食べたが、
変わらず見事な揚げ具合で、記憶していた以上に美味しかった。
近所にこういう店があるのは、しみじみ幸せである。
もし酒の飲めないカラダになったら、そのときはこの店に通い詰めようと、しょうもないことを考えた。
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交錯するまなざし〜李安「ラスト、コーション」の凄み〜

かみさんと二人、
渋谷の「ル・シネマ」に、李安(アン・リー)の新作「ラスト、コーション」を観に行く。
この映画館では「夫婦50割引」を使えなかったのは誤算だったが(笑)、
映画は凄まじいもので、ぼくは圧倒された。

この映画を一言でいえば「まなざしの映画」である。
「目は口ほどにものを言う」というが、
この映画では、登場人物のあいだで繊細に、ときに大胆に、交わされるまなざしが何より雄弁だ。
男と女の、女と女の、そして敵と味方の…からみあい、交錯する視線。
この映画では、台詞ではなく、眼がすべてを物語る。
愛と憎しみ、疑惑と頽廃、そして絶望…。
映画を観ているぼくの眼は、スクリーンの登場人物の眼に引きつけられて逸らせなくなる。
一点もゆるがせにせず、緩むことのない、凄まじいまでの緊迫感。
これだけ凝縮力のある映像は久しぶりに見た気がする。
アジアの名優・梁朝偉(トニー・レオン)名演。
新人ながら湯唯(タン・ウェイ)も見事。
そして、こうした「眼にすべてを語らせる」ドラマツルギーは、
東洋文化にルーツをもつ監督でなければできない仕事だと思える(李安は台湾出身のはずだ)。

久々に何の衒いもなく「超傑作」と呼べる映画に出会った気がする。
李安は53才、ぼくとひとつしか違わない。
「ウェディング・バンケット」('93)以来、気になってきた作家だが、
この映画で名実ともに世界映画界のトップに躍り出たと思う。
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