悲しみ本線日本海

未明、会社の大先輩である片島紀男さんが亡くなった。68才だった。
食道癌を患い、闘病生活を送っていた。
ぼくは土曜日(20日)に見舞いに行ってきたが、
もう永くはないと聞いていたので、内心「暇乞い」のつもりだった。
ぼくが訪れたとき片島さんは麻酔で眠っていたが、
やがて目を覚ますと、
食道にできた癌が気管を圧迫するのか呼吸をするにもひどく苦しそうで、
「たまらねえな」と吐き出すようにいった。
看病のため枕元に付き添っていた娘さんに訊かれて
ぼくが片島さんと出会ったのは昭和59年(1984年)であることを話すと、
聞いていたカタさんは「もうそんなになるのか…」とぽつんと呟いた。
それが、カタさんの、心に残る最後の言葉になった。

片島さんは60年安保の体験を生涯引きずった気骨あるOld Leftで、
酒を飲んでいるときに「お前は前衛としての自覚が足りない」と怒られたことがある。
ぼくは自分が「前衛」などと、おこがましいことを思ったことは一度もなかったのだが…。
それでいて、高松宮が残した日記を基に番組を作り、宮家の信頼も篤いという不思議な人だった。
60才の定年まで現役ディレクターとして精力的に番組を作り続け、
だらしない飲んだくれで出世にも無縁だったが、志を曲げない生き方は多くの若手に慕われていた。
代表作はNHKスペシャルで放送した「命燃えつきる時 〜作家・壇一雄の最期」(1987)だろうが、
片島さん自身が多分に「火宅の人」っぽいところがあって、
カタさんが惚れていた(惚れられていた?)女性とのあいだに入って右往左往した苦い思い出もある。
「三鷹事件」など戦後に起きた怪事件の真相を追い続けて、
その縁なのだろう、
ディレクターを引退した後は、帝銀事件の犯人とされた「平沢貞通氏を救う会」の事務局長を務めた。
思い出はきりがないのだが、
会社の数多い先輩たちのなかでも最も好きだった人であり、
ぼく自身が「かくありたい」と思ってきた(酔態ではない、仕事の話…)、
そして、いまも目標にしている人である。

カタさんは酒に酔うと上手いとは言えない歌をうたった。
ア・カペラならポーランドのパルチザンの歌、
カラオケなら森昌子の「悲しみ本線日本海」が十八番だった。
上手くはないが、語り込むように歌う「悲しみ本線…」は絶品だった。

何処へ帰るの 海鳥たちよ
シベリアおろしの 北の海
私には 戻る 胸もない 戻る 戻る 胸もない
もしも 死んだら あなた あなた泣いてくれますか
寒い こころ 寒い 哀しみ本線 日本海
(作詞 荒木とよひさ 作曲 浜圭介)

…もう一度、カタさんのあの歌を聴きたいと、いま切実にそう思う。
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