20 July 2008
佐野眞一「甘粕正彦 乱心の曠野」
2008/07/26 Sat 格納先: Book
歴史上で最も興味のある人物を一人だけあげるとすれば、ぼくの場合、甘粕正彦である。
関東大震災のどさくさに紛れて、アナーキスト・大杉栄らを虐殺した(とされる)元憲兵大尉。
出獄後は満州に渡り、満州事変の陰で暗躍し、
ラストエンペラー・溥儀の担ぎ出しにも一役買った謀略家。
最後は満映(満州映画協会)の理事長として「満州の夜を支配する帝王」と呼ばれ、
日本の敗戦とともに
「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」というやけっぱちみたいな辞世の句を遺して自殺した。
ぼくの父の従兄弟は、
一旗揚げようとして満州に渡った、いわゆる「大陸浪人」だったという話を聞いたことがある。
終戦の混乱のなかで関東軍の軍人を刺してお尋ね者になったというから、まァ、「やくざ者」である。
戦後、堅気の我が家とは交流が途絶えていたから、ぼくは会ったことがない。
しかし、DNAというのはあるんですかね、
年齢を重ねるとともに「満州」のことをもっと知りたいという気持ちが強くなってきた。
「満州」には近代日本の一筋縄ではいかない闇が凝縮している気がする。
戦後は、
満州を日本帝国主義の汚点として全面的に否定する左翼と、
植民地支配を美化しようとする右翼とのイデオロギー対立の狭間で、
「満州」は、一種のタブーとして、闇のままに捨て置かれてきたように思う。
その「満州の闇」を象徴する人物が、甘粕正彦である。
ぼくが甘粕正彦という人物に俄然興味を持ったのは、
5年ほど前に「『仁義なき戦い』を作った男たち」という番組の取材で、
日本映画史上の傑作「仁義なき戦い」に至る東映映画の系譜を調べたときのことである。
知る人ぞ知る話だが、東映は満映の残党たちが作った会社である。
「大杉殺し」の下手人でごりごりの国家主義者として知られる甘粕の下で、
内田吐夢ら、日本にいられなくなった左翼(くずれ)の映画人が多く働いていた満映は、
日本映画史の戦前と戦後をつなぐ、言わばミッシング・リンクである。
「仁義なき戦い」シリーズを撮ったカメラマン、吉田貞次さんも終戦まで満映で仕事をしていた。
その吉田さんにお話をうかがったときに、理事長だった甘粕正彦の陰影に富んだ実像を知ったのである。
宴会の最後には必ず「海ゆかば」を歌わせたという国家主義者(天皇絶対主義者)としての顔と同時に、
甘粕には「五族協和」という満州建国のスローガンを本気で信じていたらしい一面もあり、
満映の中国人労働者の待遇改善に尽力したと吉田さんはいう。
そのためか中国人労働者に慕われ、
甘粕が自殺したときには、彼らも日本人の社員と一緒にすすんで棺をかついだというのである。
番組では、時間的な制約もあってそのあたりの話にまでは触れることができず、
そのため、ぼくは番組と同名の本を書いて(山根貞男さんとの共著・日本放送出版)、
吉田さんの聞き書きを記録に残すことにした。
さて、佐野眞一の「甘粕正彦 乱心の曠野」は、丹念な取材を重ねて甘粕の実像に迫ろうというものだ。
思い入れ過剰でときにウェットに流れる文体はぼくの好みではないが、
大杉栄殺しの真犯人が甘粕ではないという「真相」を次第に明らかにしていく過程は読みごたえがある。
どうも甘粕が直接の下手人ではないらしいというのは様々な状況証拠から推論できることだが、
佐野さんは、最後に、二人の関係者の遺族からそれぞれ決定的とも言える証言を聞き出している。
著名なアナーキストであった大杉栄夫妻(と幼い甥)殺しは
関東大震災の混乱に乗じて「反国家分子」を抹殺しようとした憲兵隊の組織的な犯行であり、
事件が明るみに出たときに、
組織(と部下に大杉殺害を命じた司令官)を守るために
殺害には無関係でいわば中間管理職的な地位にあった甘粕が
「あくまで個人的な犯行」だと「自白」してスケープゴードに立ったというのである。
佐野さんは、
その後の甘粕の矛盾を裡に抱えた人となり、そして行動を、
無実の罪を着て、汚名を背負って生きる運命を受け入れた人間の後半生として読み解いていく。
日本の近代史上最も陰影に富んだ人物の人間ドラマとして面白く、かつ刺激的なルポルタージュである。
関東大震災のどさくさに紛れて、アナーキスト・大杉栄らを虐殺した(とされる)元憲兵大尉。
出獄後は満州に渡り、満州事変の陰で暗躍し、
ラストエンペラー・溥儀の担ぎ出しにも一役買った謀略家。
最後は満映(満州映画協会)の理事長として「満州の夜を支配する帝王」と呼ばれ、
日本の敗戦とともに
「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」というやけっぱちみたいな辞世の句を遺して自殺した。
ぼくの父の従兄弟は、
一旗揚げようとして満州に渡った、いわゆる「大陸浪人」だったという話を聞いたことがある。
終戦の混乱のなかで関東軍の軍人を刺してお尋ね者になったというから、まァ、「やくざ者」である。
戦後、堅気の我が家とは交流が途絶えていたから、ぼくは会ったことがない。
しかし、DNAというのはあるんですかね、
年齢を重ねるとともに「満州」のことをもっと知りたいという気持ちが強くなってきた。
「満州」には近代日本の一筋縄ではいかない闇が凝縮している気がする。
戦後は、
満州を日本帝国主義の汚点として全面的に否定する左翼と、
植民地支配を美化しようとする右翼とのイデオロギー対立の狭間で、
「満州」は、一種のタブーとして、闇のままに捨て置かれてきたように思う。
その「満州の闇」を象徴する人物が、甘粕正彦である。
ぼくが甘粕正彦という人物に俄然興味を持ったのは、
5年ほど前に「『仁義なき戦い』を作った男たち」という番組の取材で、
日本映画史上の傑作「仁義なき戦い」に至る東映映画の系譜を調べたときのことである。
知る人ぞ知る話だが、東映は満映の残党たちが作った会社である。
「大杉殺し」の下手人でごりごりの国家主義者として知られる甘粕の下で、
内田吐夢ら、日本にいられなくなった左翼(くずれ)の映画人が多く働いていた満映は、
日本映画史の戦前と戦後をつなぐ、言わばミッシング・リンクである。
「仁義なき戦い」シリーズを撮ったカメラマン、吉田貞次さんも終戦まで満映で仕事をしていた。
その吉田さんにお話をうかがったときに、理事長だった甘粕正彦の陰影に富んだ実像を知ったのである。
宴会の最後には必ず「海ゆかば」を歌わせたという国家主義者(天皇絶対主義者)としての顔と同時に、
甘粕には「五族協和」という満州建国のスローガンを本気で信じていたらしい一面もあり、
満映の中国人労働者の待遇改善に尽力したと吉田さんはいう。
そのためか中国人労働者に慕われ、
甘粕が自殺したときには、彼らも日本人の社員と一緒にすすんで棺をかついだというのである。
番組では、時間的な制約もあってそのあたりの話にまでは触れることができず、
そのため、ぼくは番組と同名の本を書いて(山根貞男さんとの共著・日本放送出版)、
吉田さんの聞き書きを記録に残すことにした。
さて、佐野眞一の「甘粕正彦 乱心の曠野」は、丹念な取材を重ねて甘粕の実像に迫ろうというものだ。
思い入れ過剰でときにウェットに流れる文体はぼくの好みではないが、
大杉栄殺しの真犯人が甘粕ではないという「真相」を次第に明らかにしていく過程は読みごたえがある。
どうも甘粕が直接の下手人ではないらしいというのは様々な状況証拠から推論できることだが、
佐野さんは、最後に、二人の関係者の遺族からそれぞれ決定的とも言える証言を聞き出している。
著名なアナーキストであった大杉栄夫妻(と幼い甥)殺しは
関東大震災の混乱に乗じて「反国家分子」を抹殺しようとした憲兵隊の組織的な犯行であり、
事件が明るみに出たときに、
組織(と部下に大杉殺害を命じた司令官)を守るために
殺害には無関係でいわば中間管理職的な地位にあった甘粕が
「あくまで個人的な犯行」だと「自白」してスケープゴードに立ったというのである。
佐野さんは、
その後の甘粕の矛盾を裡に抱えた人となり、そして行動を、
無実の罪を着て、汚名を背負って生きる運命を受け入れた人間の後半生として読み解いていく。
日本の近代史上最も陰影に富んだ人物の人間ドラマとして面白く、かつ刺激的なルポルタージュである。
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春国岱を歩く
2008/07/25 Fri 格納先: Travel
昨日の夕方のバスで根室(東梅の「民宿風蓮」…食事がとてもおいしい)に入り、
きょうは4年ぶりに春国岱(シュンクニタイ)を歩いた。
春国岱は北海道東部の風蓮湖と海(根室海峡)を隔てる長さ7kmほどの砂洲で、
250種類ちかい野鳥が観察される“野鳥の宝庫”として知られている。
ぼくはバード・ウォッチャーというわけではないが、
湿地と立ち枯れた樹からなる春国岱の独特の景観が好きで、もう30年ちかく通っている。
森のなかに入る散策路をまわって7km先の砂洲の先端部まで行き、
海を見ながら小便をして弁当を食べて帰ってくるのがぼくのいつものコースである。
たぶん15〜16kmは歩いていることになるのだろう。
天気がよくて(気温は20℃をちょっと上まわった程度だろう)、
爽やかな風が吹いているので、歩いていてこんな気持のいい日はない。
4時ごろにいったん民宿(春国岱の付け根近くにある)に帰って、夕方、光がいいのでまた歩いた。
一日よく歩いて、日に焼けて、
民宿でいつもながらの美味しい夕食(地物の鰊が抜群だった)を食べて酒(地酒「北の勝」)を飲む。
大好きな場所に「帰って」くると本当にホッとするのである。
*MobileMeのGalleryに春国岱のアルバムを追加しました。ご覧ください。
http://gallery.me.com/yoneh
きょうは4年ぶりに春国岱(シュンクニタイ)を歩いた。
春国岱は北海道東部の風蓮湖と海(根室海峡)を隔てる長さ7kmほどの砂洲で、
250種類ちかい野鳥が観察される“野鳥の宝庫”として知られている。
ぼくはバード・ウォッチャーというわけではないが、
湿地と立ち枯れた樹からなる春国岱の独特の景観が好きで、もう30年ちかく通っている。
森のなかに入る散策路をまわって7km先の砂洲の先端部まで行き、
海を見ながら小便をして弁当を食べて帰ってくるのがぼくのいつものコースである。
たぶん15〜16kmは歩いていることになるのだろう。
天気がよくて(気温は20℃をちょっと上まわった程度だろう)、
爽やかな風が吹いているので、歩いていてこんな気持のいい日はない。
4時ごろにいったん民宿(春国岱の付け根近くにある)に帰って、夕方、光がいいのでまた歩いた。
一日よく歩いて、日に焼けて、
民宿でいつもながらの美味しい夕食(地物の鰊が抜群だった)を食べて酒(地酒「北の勝」)を飲む。
大好きな場所に「帰って」くると本当にホッとするのである。
*MobileMeのGalleryに春国岱のアルバムを追加しました。ご覧ください。
立ち枯れる街
2008/07/23 Wed 格納先: Hometown
午前中は雨。
部屋の掃除をする。
午後、雨が上がったので買い物に出る。
気温は19℃、これでもまだ昨日よりは暖かい。
釧路の街は寂れていく一方である。
我が家から3〜4分のところにある宏大な更地。
ここには去年まで大型店舗(市民生協富士見店)があった。
この店がなくなってしまったことがぼくの生活に与えた影響は甚大で、
きのうも今日も、夕食の材料を買い出すのに、
坂を登ったり降りたりしながら片道30分ちかく歩き、駅前の和商市場まで行かなければならなかった。
街の中心部にあったデパートも数年前に閉店したため、
我が家の徒歩圏には買物ができる場所がほとんどなくなってしまったのである。
車を運転しない人間にとってはひどく暮らしにくい話で、ぼくは老後この街に住む自信を失いつつある。
買物に行く道の途中にある廃虚、かつては「鉄舟」という名の喫茶店だった。
かつての職場に近いので何度か行ったことがあると思うが、閉店してからもうかなりになるはずだ。
右側の店(「かとう」とあるのが見える)もやっている気配はない。
目抜き通り(だった、というべきか…)の北大通りは、すっかり“シャッター通り”になってしまった。
右はかつては一応「デパート」を名乗っていた店の跡、左の書店も去年店を閉めた。
人口20万人の街の中心商店街で本も買えないという現実は、ただごとではないと思う。
こちらは電器屋の跡、隣(画面奥)のビルもいまは空きビルになっている。
地場産業の衰退に伴う長い不景気に加えて、郊外の大型店に客を取られて、中心商店街は壊滅した。
これはコミュニティの崩壊に他ならず、お年寄は毎日の暮らしが不便極まりなくて困っているはずだ。
ぼくは自分が運転をしないので、それがよくわかる。
お年寄が安心して住めなくなったら、その街はオシマイである。
ぼくは釧路(道東)の風土が大好きで家まで建てたのだが、この街には、もう希望を持てないでいる。
部屋の掃除をする。
午後、雨が上がったので買い物に出る。
気温は19℃、これでもまだ昨日よりは暖かい。
釧路の街は寂れていく一方である。
我が家から3〜4分のところにある宏大な更地。
ここには去年まで大型店舗(市民生協富士見店)があった。
この店がなくなってしまったことがぼくの生活に与えた影響は甚大で、
きのうも今日も、夕食の材料を買い出すのに、
坂を登ったり降りたりしながら片道30分ちかく歩き、駅前の和商市場まで行かなければならなかった。
街の中心部にあったデパートも数年前に閉店したため、
我が家の徒歩圏には買物ができる場所がほとんどなくなってしまったのである。
車を運転しない人間にとってはひどく暮らしにくい話で、ぼくは老後この街に住む自信を失いつつある。
買物に行く道の途中にある廃虚、かつては「鉄舟」という名の喫茶店だった。
かつての職場に近いので何度か行ったことがあると思うが、閉店してからもうかなりになるはずだ。
右側の店(「かとう」とあるのが見える)もやっている気配はない。
目抜き通り(だった、というべきか…)の北大通りは、すっかり“シャッター通り”になってしまった。
右はかつては一応「デパート」を名乗っていた店の跡、左の書店も去年店を閉めた。
人口20万人の街の中心商店街で本も買えないという現実は、ただごとではないと思う。
こちらは電器屋の跡、隣(画面奥)のビルもいまは空きビルになっている。
地場産業の衰退に伴う長い不景気に加えて、郊外の大型店に客を取られて、中心商店街は壊滅した。
これはコミュニティの崩壊に他ならず、お年寄は毎日の暮らしが不便極まりなくて困っているはずだ。
ぼくは自分が運転をしないので、それがよくわかる。
お年寄が安心して住めなくなったら、その街はオシマイである。
ぼくは釧路(道東)の風土が大好きで家まで建てたのだが、この街には、もう希望を持てないでいる。
半年ぶりの釧路
2008/07/22 Tue 格納先: Personal
きのう17時55分羽田発のJALで釧路に帰ってきた。
正月明けに来て以来だから、半年ぶりである。
きのうは着いたのが夜だったので、街で酒を飲んで帰って、そのまま寝た。
今朝、明るい光のなかで我が家(とその周辺)をみてボー然とした。
半年も空けておけば、荒れ方はなかなか凄まじい。
家のなかは蜘蛛の巣だらけで、蜘蛛から家賃をもらいたいくらいだ。
他の虫はほとんどいないのに、いったい何を食べているのだろうと他人事ながら心配になる。
部屋に飾っていた観葉植物は…当然のことながら…枯れてしまっていた。
外に出てみると、家は雑草に埋もれていた。
玄関から道路までの数メートルには膝までの高さの雑草が生い茂り、
歩くと露でズボンがビショビショになってしまう。
南に面した裏庭はもっと惨憺たるものである。
ぼくは裏庭に一本のハルニレの樹を植えている。
ハルニレは成長が早いはずなのだが、
条件が悪いのか、植えて10年以上になるのにまだ高さが1mくらいしかない。
このハルニレが、雑草に埋もれてほとんど見えないのである。
電動の草刈り機を持ち出して雑草を刈り払ってやる。
あまりに密生しているところは草刈り機では歯が立たないので、鎌で薙ぎ払う。
なんだか宍戸梅軒にでもなった気分だ。
ようやくハルニレの樹を“発掘”したところで、雨が降り出したので今日の草刈りはオシマイ。
もう家のなかの掃除をする気力は残っていないので、明日に順延して、風呂に入って汗を洗い流すことに。
この風呂場がまた小さな蜘蛛たちの巣窟になっている。
ぼくは蜘蛛が好きなので(なんとなく愛嬌があると思いませんか?)できるだけ殺したくないのだが、
風呂桶を洗ってお湯を張るときに逃げ遅れたヤツがいて、何匹も溺死させてしまった。
…合掌。
正月明けに来て以来だから、半年ぶりである。
きのうは着いたのが夜だったので、街で酒を飲んで帰って、そのまま寝た。
今朝、明るい光のなかで我が家(とその周辺)をみてボー然とした。
半年も空けておけば、荒れ方はなかなか凄まじい。
家のなかは蜘蛛の巣だらけで、蜘蛛から家賃をもらいたいくらいだ。
他の虫はほとんどいないのに、いったい何を食べているのだろうと他人事ながら心配になる。
部屋に飾っていた観葉植物は…当然のことながら…枯れてしまっていた。
外に出てみると、家は雑草に埋もれていた。
玄関から道路までの数メートルには膝までの高さの雑草が生い茂り、
歩くと露でズボンがビショビショになってしまう。
南に面した裏庭はもっと惨憺たるものである。
ぼくは裏庭に一本のハルニレの樹を植えている。
ハルニレは成長が早いはずなのだが、
条件が悪いのか、植えて10年以上になるのにまだ高さが1mくらいしかない。
このハルニレが、雑草に埋もれてほとんど見えないのである。
電動の草刈り機を持ち出して雑草を刈り払ってやる。
あまりに密生しているところは草刈り機では歯が立たないので、鎌で薙ぎ払う。
なんだか宍戸梅軒にでもなった気分だ。
ようやくハルニレの樹を“発掘”したところで、雨が降り出したので今日の草刈りはオシマイ。
もう家のなかの掃除をする気力は残っていないので、明日に順延して、風呂に入って汗を洗い流すことに。
この風呂場がまた小さな蜘蛛たちの巣窟になっている。
ぼくは蜘蛛が好きなので(なんとなく愛嬌があると思いませんか?)できるだけ殺したくないのだが、
風呂桶を洗ってお湯を張るときに逃げ遅れたヤツがいて、何匹も溺死させてしまった。
…合掌。