おかる勘平

映画監督・マキノ雅弘(雅広)の生誕百周年だそうで、
京橋の国立フィルムセンターで回顧特集上映が行われている。
しばらく忙しくて(東京にいなかったこともあって)まるで観られなかったのだが、
今日ようやく「おかる勘平」('52)を観ることができた。

1952年といえば黒澤明の「生きる」や成瀬巳喜男の「稲妻」が高く評価された年で、
溝口健二は「西鶴一代女」を作り、山本薩夫は「真空地帯」を世に問うている。
そうしたなかで「おかる勘平」は、
映画史のうえではまったく無視されたプログラム・ピクチュア(十把一からげの映画)の一本だ。
「無視された」といえば、
無声映画時代からのベテラン監督であるマキノ雅弘その人が、
公式の映画史の上では(そういうものがあるとすれば、の話だが)、
少なくとも戦後は一行も割いてはもらえない存在になっていたといっても過言ではないだろう。
しかし、マキノ雅弘の映画は…この「おかる勘平」も…いま観ても充分面白く、よくできている。

「おかる勘平」は、いわゆる「バックステージもの」である。
帝劇を舞台に、
ミュージカル「おかる勘平」を上演する人たち…榎本健一や越路吹雪…の人間模様を描いている。
軽いスケッチといったタッチの映画で、たぶんテマ・ヒマ・カネをほとんどかけずに作ったものだろう。
それでも、役者や踊り子、裏方たちの哀歓がしみじみと胸に沁みて、読後感が極めていい。
一言でいえば、「見終わって思わず拍手をしたくなる映画」なのである。

とりわけ芸と恋との狭間で揺れるヒロインを演じた越路吹雪が素晴らしい。
ぼくのガキの頃、彼女は既に「歌は上手いが、妙にハデで存在感があり過ぎるオバサン」であった。
それが酒場で酔いつぶれるシーンなど、実になんとも可憐、可愛らしいのである。
むろん、ステージの場面では、彼女の芸の魅力をたっぷりと楽しめる。
舞台を去る決意を固めた彼女のラスト・ステージというシーンで、
それまで小出しにしていた彼女の歌と踊りを正面からたっぷり見せるという演出は、
もちろんこうしたドラマ作りの定石には違いないのだが、見るものを酔わせずにはおかない。
そしてラスト、
舞台復帰を決めた彼女が劇場に戻ってきて座長のエノケンを呼ぶ、そのアップから、
ステージにぽつねんとうずくまっていたエノケンが彼女の声を聞いて慌てて動いて蹴つまずく、
その“ずっこけ”をロング・ショットで見せた切り替えの呼吸の鮮やかさ…。
きちんきちんとツボを押さえていけば、
それだけで映画はかくも豊饒なものになるのだという、これは見本だ。

こういう映画を観た後は、しみじみと幸福感に浸りながら、一人で街を歩きたくなる。
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体調がイマイチ

ここ数日間、体調が優れない。
胃がもたれる。軽い「むかつき」をおぼえる。
胃腸の丈夫なぼくとしては、大変、珍しいことだ。
考えるに、先週がヴァレンタインだったので、
苦手な甘いものを食べ過ぎたのではないかと思っているのだが…。
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極寒の海に潜る

きょうも(懲りもせず)羅臼の海に潜る。
今日の水温は一本目(午前中)がマイナス1.2℃、二本目(午後)がマイナス1.1℃。
つまり、昨日より冷たいわけだ。
しかし、体は思いのほか早く順応するようで、今日はさほど辛さは感じなかった。
ナメダンゴ
去年の6月に生まれたナメダンゴの幼魚がかなり大きくなっていた(目測だが3cmちかいかも)。
そろそろ深みに姿を消すはずなのだが…。
ヤギシリカジカ抱卵
つぶらな瞳に厚い唇…“オバQ顔”で人気のヤギシリカジカは卵を守っていた。
普通、魚が卵を守る場合には、卵塊のうえに親魚が乗っている場合が多い。
あるいは、ナメダンゴのように体の奥に卵を隠すようにして守るか…。
ところがこのヤギシリカジカは、頭上の岩にびっしりと卵を産みつけているのである。
ぼくは習慣で下ばかり見ていたので、写真を現像するまで卵の存在に気がつかなかった(不覚!)。
それにしても。
極寒の海では人間の頭の働きも鈍るが、それ以上にメカが挙動不審に陥る。
今日もスレーブ発光のストロボがなかなか同調せず、かなりシャッターチャンスを逃してしまった…
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