16 March 2008
春、休日、映画…
東京はすっかり暖かくなっていた。
きょうは綿のセーターに裏地のついたGジャンで出かけた。
陽が落ちても、これで充分である。
(午後6時前、荻窪駅南口にて撮影)
きのう北海道から帰ってきて、きょうは仕事が休みなので、映画を観に行く。
フィルムセンターでマキノ雅弘の「次郎長三国志」(鶴田浩二版)を観るつもりでいたのだが、
京橋まで行って気が変わり、歌舞伎町に取って返して、コーエン兄弟の「ノーカントリー」を観る。
しばらく出張が続くので、ぼやぼやしていたら見逃してしまうことにもなりかねないからだ。
この映画は、同じコーエン兄弟の「ファーゴ」にも一脈通じる、救いのない人間ドラマ。
なんといっても、ハビエル・バルデムの殺し屋が凄い…というか、凄すぎる。
怖すぎて、夢に出てきてうなされそうだ。
「海を飛ぶ夢」で、脊椎損傷のため車椅子の生活を送る主人公を演じた同じ俳優とはとても思えない…
このハビエル・バルデムを見るだけでも、料金分の価値は充分にある。
バルデムはこの映画でアカデミーの助演男優賞を獲ったが、
トミー・リー・ジョーンズやジョシュ・ブローリンを抑えて、印象としては完全に主役だよな…。
きょうは綿のセーターに裏地のついたGジャンで出かけた。
陽が落ちても、これで充分である。
(午後6時前、荻窪駅南口にて撮影)
きのう北海道から帰ってきて、きょうは仕事が休みなので、映画を観に行く。
フィルムセンターでマキノ雅弘の「次郎長三国志」(鶴田浩二版)を観るつもりでいたのだが、
京橋まで行って気が変わり、歌舞伎町に取って返して、コーエン兄弟の「ノーカントリー」を観る。
しばらく出張が続くので、ぼやぼやしていたら見逃してしまうことにもなりかねないからだ。
この映画は、同じコーエン兄弟の「ファーゴ」にも一脈通じる、救いのない人間ドラマ。
なんといっても、ハビエル・バルデムの殺し屋が凄い…というか、凄すぎる。
怖すぎて、夢に出てきてうなされそうだ。
「海を飛ぶ夢」で、脊椎損傷のため車椅子の生活を送る主人公を演じた同じ俳優とはとても思えない…
このハビエル・バルデムを見るだけでも、料金分の価値は充分にある。
バルデムはこの映画でアカデミーの助演男優賞を獲ったが、
トミー・リー・ジョーンズやジョシュ・ブローリンを抑えて、印象としては完全に主役だよな…。
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霧と原野へのノスタルジア…高城高「墓場なき墓場」
高城高全集の第一巻「墓場なき墓場」(創元推理文庫)を読み終えた。
高城高は、帯の惹句を引用するなら「日本ハードボイルドの礎を築いた伝説の作家」。
1970年以降、去年まで、
30年以上新作を発表することなく沈黙を守ってきた「幻の作家」である。
ハードボイルド小説を好むぼくにして、不覚にも、その存在さえ知らずにいた。
作品を読むのは、この「墓場なき墓場」(昭和37年発表の唯一の長編)が初めてである。
「墓場なき墓場」は根室沖での運搬船沈没事件に端を発するミステリで、
ストイックで無駄のない文体に惹かれながら読んだ。
例えて云うなら、クリント・イーストウッドの映画にも似た硬質な語り口。
よくあるタイプのハードボイルド小説のように、
主人公が後ろからいきなり殴り倒されたりはしない。
事件の鍵を握る妖艶な美女とベッドをともにすることもない。
もちろん犯罪がからむのだが、暴力とSEXの匂いは意外なほど希薄だ。
ロス・マクドナルドの「さむけ」のように、
意表をついてなお余韻を残す、鮮やかなどんでん返しが用意されているわけでもない。
ないない尽くしのこの小説にあるのは、
事件を追う新聞記者(「ブン屋」という方がぴったりくる)の日常のリアリティ溢れる描写と、
克明に描き出される昭和30年代の釧路や根室…霧に覆われた東北海道の風土感だ。
そして、それだけで、この小説は充分に魅力的なのである。
高城高は、昭和32年、北海道新聞に入社。
駆け出しの新人記者として釧路支社に配属されている。
そのキャリアを考えれば、
夜討ち朝駆けの新聞記者の暮らしはまさに自分の経験そのものであり、
釧路根室の風土も身をもって体験しただけに、描写が克明にして的確なわけだ。
ぼくは高城氏に20年遅れて、昭和54年、新人TVディレクターとして釧路に配属された。
つまり、この小説の舞台には「土地鑑がある」わけだ。
地方都市の骨格は20年やそこらでそう大きく変わるものではないから、
この小説に出てくる地名はすべて光景がまざまざと目に浮かぶ。
大町など、ぼくの頃には飲み屋街だった面影さえなかったが(漁港の移転によって寂れた)。
ちなみにこの小説の「犯人」の住む家は現在の我が家の近所で(笑)、
その家がどこにあったのか、ほとんどピンポイントで指摘できるほどだ。
この小説が書かれた昭和30年代、釧路や根室の漁港はサンマの大漁に沸き返っていた。
サンマの漁獲はやがて減っていき、昭和40年代にはサバが獲れた。
そして、ぼくが赴任した昭和50年代は、イワシの時代だった。
そのイワシもやがて姿を消し、
現在は、かつての大漁とは比べるべくもないとはいえ、再びサンマの時代になっている。
海は人知を超えたリズムをもって流転するのである。
この小説にも描写されたような、
肌にまとわりつくような濃霧(「じり」と呼ばれていた)は滅多に出なくなってしまった。
「霧と原野へのノスタルジア」とはこの本に添えた高城氏の後書きのタイトルだが、
ぼくがこの土地に惹かれて釧路に家まで建ててしまった理由は、まさにその一言に尽きる。
この本には、ぼくが愛した釧路や根室の風土が蠱惑的なまでに濃密に描き出されているのである。
高城高は、帯の惹句を引用するなら「日本ハードボイルドの礎を築いた伝説の作家」。
1970年以降、去年まで、
30年以上新作を発表することなく沈黙を守ってきた「幻の作家」である。
ハードボイルド小説を好むぼくにして、不覚にも、その存在さえ知らずにいた。
作品を読むのは、この「墓場なき墓場」(昭和37年発表の唯一の長編)が初めてである。
「墓場なき墓場」は根室沖での運搬船沈没事件に端を発するミステリで、
ストイックで無駄のない文体に惹かれながら読んだ。
例えて云うなら、クリント・イーストウッドの映画にも似た硬質な語り口。
よくあるタイプのハードボイルド小説のように、
主人公が後ろからいきなり殴り倒されたりはしない。
事件の鍵を握る妖艶な美女とベッドをともにすることもない。
もちろん犯罪がからむのだが、暴力とSEXの匂いは意外なほど希薄だ。
ロス・マクドナルドの「さむけ」のように、
意表をついてなお余韻を残す、鮮やかなどんでん返しが用意されているわけでもない。
ないない尽くしのこの小説にあるのは、
事件を追う新聞記者(「ブン屋」という方がぴったりくる)の日常のリアリティ溢れる描写と、
克明に描き出される昭和30年代の釧路や根室…霧に覆われた東北海道の風土感だ。
そして、それだけで、この小説は充分に魅力的なのである。
高城高は、昭和32年、北海道新聞に入社。
駆け出しの新人記者として釧路支社に配属されている。
そのキャリアを考えれば、
夜討ち朝駆けの新聞記者の暮らしはまさに自分の経験そのものであり、
釧路根室の風土も身をもって体験しただけに、描写が克明にして的確なわけだ。
ぼくは高城氏に20年遅れて、昭和54年、新人TVディレクターとして釧路に配属された。
つまり、この小説の舞台には「土地鑑がある」わけだ。
地方都市の骨格は20年やそこらでそう大きく変わるものではないから、
この小説に出てくる地名はすべて光景がまざまざと目に浮かぶ。
大町など、ぼくの頃には飲み屋街だった面影さえなかったが(漁港の移転によって寂れた)。
ちなみにこの小説の「犯人」の住む家は現在の我が家の近所で(笑)、
その家がどこにあったのか、ほとんどピンポイントで指摘できるほどだ。
この小説が書かれた昭和30年代、釧路や根室の漁港はサンマの大漁に沸き返っていた。
サンマの漁獲はやがて減っていき、昭和40年代にはサバが獲れた。
そして、ぼくが赴任した昭和50年代は、イワシの時代だった。
そのイワシもやがて姿を消し、
現在は、かつての大漁とは比べるべくもないとはいえ、再びサンマの時代になっている。
海は人知を超えたリズムをもって流転するのである。
この小説にも描写されたような、
肌にまとわりつくような濃霧(「じり」と呼ばれていた)は滅多に出なくなってしまった。
「霧と原野へのノスタルジア」とはこの本に添えた高城氏の後書きのタイトルだが、
ぼくがこの土地に惹かれて釧路に家まで建ててしまった理由は、まさにその一言に尽きる。
この本には、ぼくが愛した釧路や根室の風土が蠱惑的なまでに濃密に描き出されているのである。
早春
2008/03/19 Wed 格納先: Travel
中標津「松乃井」の十割そば
2008/03/18 Tue 格納先: Food &
Drink
11時25分のANAで根室中標津空港に飛ぶ。
きょうから羅臼ロケ。
眼下に雪を冠った蔵王が見えた。
中標津に着いて、昼食を「松乃井」でとる。
以前にも書いたが(去年12月26日の日記)、ぼくが最近一番気に入っている蕎麦屋だ。
店に入ると、「新メニュー」として「十割そば」を始めたとある。
地元・中標津産の蕎麦粉を使い(中標津は牧場地帯で、蕎麦畑があったのは初めて知った)、
一日十食限定とのこと。
聞けばまだあるというので、さっそく注文をした。
そば粉十割の蕎麦というと、ぼそぼそして口当たりが悪いことが少なくない。
ところが、「松乃井」のは、主の打ち方が見事なのだろう、腰があって、喉ごしもいい。
そしてもちろん、馥郁として絢爛たる蕎麦の香りが、鼻腔の奥で“爆発”するのだ。
素っ気ないまでにシンプルな「もりそば」の至福。
これで「大もり・千円」は泣かせる。
きょうから羅臼ロケ。
眼下に雪を冠った蔵王が見えた。
中標津に着いて、昼食を「松乃井」でとる。
以前にも書いたが(去年12月26日の日記)、ぼくが最近一番気に入っている蕎麦屋だ。
店に入ると、「新メニュー」として「十割そば」を始めたとある。
地元・中標津産の蕎麦粉を使い(中標津は牧場地帯で、蕎麦畑があったのは初めて知った)、
一日十食限定とのこと。
聞けばまだあるというので、さっそく注文をした。
そば粉十割の蕎麦というと、ぼそぼそして口当たりが悪いことが少なくない。
ところが、「松乃井」のは、主の打ち方が見事なのだろう、腰があって、喉ごしもいい。
そしてもちろん、馥郁として絢爛たる蕎麦の香りが、鼻腔の奥で“爆発”するのだ。
素っ気ないまでにシンプルな「もりそば」の至福。
これで「大もり・千円」は泣かせる。
もう、春。
2008/03/17 Mon 格納先: Season