15 June 2008
オレ流 編集術
2008/06/20 Fri 格納先: Job
きのう、番組(7月6日放送「ETV特集」)の第一稿の編集があがった。
未撮影部分がけっこうあるので確かなことはいえないが、たぶん14〜15分長いのではないか。
きょう、これから出局して、編集マンの「ほっちゃん」と二人で最初の試写を見る。
この最初の試写は、何も言わず、二人で黙って映像の流れだけをみる。
ぼくは編集をするとき、とくに第一稿を作るときには、
できるだけコメント(ナレーション原稿)を書かないことにしている。
その場面でどういうことをいうかは漠然と考えるのだが、ともかく「書かない」方がいい。
若いディレクターたちの編集室を覗いてみると、
みんな第一稿からパソコンを持ち込んで一生懸命コメントを書いている。
してみれば、ナレーションを後回しにするぼくの仕事の流儀はいまや少数派らしい。
コメントを書かないのには理由がある。
面倒臭いことは後回しにしたいという心理もあるのだが(笑)、
それ以上に、コメントを書いてしまうと、
映像をコメントに合わせてつなぐことになりがちで、説明的になってしまうのを嫌うからだ。
説明のために絵をつないでいくと、
本来、映像が豊かに持っている余白というか「行間」の部分が削ぎ落とされ、
テレビは、絵を見せながら背景で説明をする、まさに「電気紙芝居」のようなものになる。
映像の面白さも強さも、
「説明」からはみ出してしまう細部、言い換えれば「無駄」のなかにあるとぼくは考えている。
映像には映像の独自の流れというものがあるので、
説明的なコメントに制約されず、流れを大切につなぎたいと思っているわけだ。
こういう仕事のしかたが許されるのは、ぼくがこの道30年ちかいベテランだからかもしれない。
若いディレクターが同じことをやろうとすると、
上司のプロデューサーから「早くコメントを書け」と叱責されるのではないか。
早くコメントを書けば、番組が(説明として)まとまったものになるので歩留まりが読める。
箸にも棒にもかからない駄作は出ないが、
その代わり、活き活きとした面白いドキュメンタリーもまた少なくなってしまう。
近ごろのテレビ(ドキュメンタリー的な番組)が説明的、予定調和的でつまらないのは、
早くコメントを書き過ぎるからでないかとぼくは秘かに考えている。
未撮影部分がけっこうあるので確かなことはいえないが、たぶん14〜15分長いのではないか。
きょう、これから出局して、編集マンの「ほっちゃん」と二人で最初の試写を見る。
この最初の試写は、何も言わず、二人で黙って映像の流れだけをみる。
ぼくは編集をするとき、とくに第一稿を作るときには、
できるだけコメント(ナレーション原稿)を書かないことにしている。
その場面でどういうことをいうかは漠然と考えるのだが、ともかく「書かない」方がいい。
若いディレクターたちの編集室を覗いてみると、
みんな第一稿からパソコンを持ち込んで一生懸命コメントを書いている。
してみれば、ナレーションを後回しにするぼくの仕事の流儀はいまや少数派らしい。
コメントを書かないのには理由がある。
面倒臭いことは後回しにしたいという心理もあるのだが(笑)、
それ以上に、コメントを書いてしまうと、
映像をコメントに合わせてつなぐことになりがちで、説明的になってしまうのを嫌うからだ。
説明のために絵をつないでいくと、
本来、映像が豊かに持っている余白というか「行間」の部分が削ぎ落とされ、
テレビは、絵を見せながら背景で説明をする、まさに「電気紙芝居」のようなものになる。
映像の面白さも強さも、
「説明」からはみ出してしまう細部、言い換えれば「無駄」のなかにあるとぼくは考えている。
映像には映像の独自の流れというものがあるので、
説明的なコメントに制約されず、流れを大切につなぎたいと思っているわけだ。
こういう仕事のしかたが許されるのは、ぼくがこの道30年ちかいベテランだからかもしれない。
若いディレクターが同じことをやろうとすると、
上司のプロデューサーから「早くコメントを書け」と叱責されるのではないか。
早くコメントを書けば、番組が(説明として)まとまったものになるので歩留まりが読める。
箸にも棒にもかからない駄作は出ないが、
その代わり、活き活きとした面白いドキュメンタリーもまた少なくなってしまう。
近ごろのテレビ(ドキュメンタリー的な番組)が説明的、予定調和的でつまらないのは、
早くコメントを書き過ぎるからでないかとぼくは秘かに考えている。
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神田笹鮨
2008/06/17 Tue 格納先: Food &
Drink
夏のボーナスが出たので、
住宅ロ−ンの繰り上げ返済のため、
かみさんと二人、日本橋の銀行(縁あって岐阜の地方銀行にローンを組んでいただいた)を訪れた。
ぼくは、住宅ローンなどのんびり返せばいい、
どうせ俺が死んだらチャラになる、くらいにしか思っていないのだが、
かみさんは数千万円の借金を背負っていることに本能的な恐怖を感じているらしい。
だから、毎年、頑張って精いっぱいの金額を繰り上げ返済する。
手続きを終えて神田鍛冶町まで歩き、「笹鮨」でちょっと早い昼食をとる。
この店は「並ちらし」(1200円)が抜群のコスト・パフォーマンスでお得なのだが、
借金の重荷がほんのちょっと軽くなったのを祝って、「中ちらし」(2000円)を食べた。
車海老に鮪の赤身、鯵(酢〆)、縞鯵、烏賊(紋甲烏賊)、煮烏賊、煮穴子。
干瓢、椎茸、花胡瓜、おぼろに卵焼き…。
美味しい。
主の取手一郎さんが「鮎寿司をお食べになりませんか」と訊いてくる。
「笹鮨」では、毎年六月の一時期だけ鮎寿司を供する。
今年はもう時期が遅いので諦めていたのだが、注文があって遅く作ったのがまだ残っているという。
これは望外の喜びで、かみさんと一貫ずつ食べた。
ともかく、見た目が美しい寿司で、
これを食べると今年も無事に一年の半分が過ぎようとしているのだと思う。
ぼくにとって、一種の縁起物、あるいは歳時記のようなものだ。
ぼくたち夫婦が食べて、酢で〆た鮎があと一枚だけ残った。
今年最後の一匹はどんな人の口に入るのだろう…?
住宅ロ−ンの繰り上げ返済のため、
かみさんと二人、日本橋の銀行(縁あって岐阜の地方銀行にローンを組んでいただいた)を訪れた。
ぼくは、住宅ローンなどのんびり返せばいい、
どうせ俺が死んだらチャラになる、くらいにしか思っていないのだが、
かみさんは数千万円の借金を背負っていることに本能的な恐怖を感じているらしい。
だから、毎年、頑張って精いっぱいの金額を繰り上げ返済する。
手続きを終えて神田鍛冶町まで歩き、「笹鮨」でちょっと早い昼食をとる。
この店は「並ちらし」(1200円)が抜群のコスト・パフォーマンスでお得なのだが、
借金の重荷がほんのちょっと軽くなったのを祝って、「中ちらし」(2000円)を食べた。
車海老に鮪の赤身、鯵(酢〆)、縞鯵、烏賊(紋甲烏賊)、煮烏賊、煮穴子。
干瓢、椎茸、花胡瓜、おぼろに卵焼き…。
美味しい。
主の取手一郎さんが「鮎寿司をお食べになりませんか」と訊いてくる。
「笹鮨」では、毎年六月の一時期だけ鮎寿司を供する。
今年はもう時期が遅いので諦めていたのだが、注文があって遅く作ったのがまだ残っているという。
これは望外の喜びで、かみさんと一貫ずつ食べた。
ともかく、見た目が美しい寿司で、
これを食べると今年も無事に一年の半分が過ぎようとしているのだと思う。
ぼくにとって、一種の縁起物、あるいは歳時記のようなものだ。
ぼくたち夫婦が食べて、酢で〆た鮎があと一枚だけ残った。
今年最後の一匹はどんな人の口に入るのだろう…?