ぼくたちの好きな山田風太郎

荒山徹の「柳生大戦争」を読み終えた。
満州族の興した清が
漢族の明に替わって中原を支配せんとする17世紀、
勃興する帝国・清に呑み込まれようとする朝鮮半島を舞台に、
柳生十兵衛、柳生友矩兄弟が対決するという気宇壮大な伝奇小説。
こういうのが大好きなぼくには堪えられない面白さだ。

「こういうのが大好き」なぼくが敬愛してやまない作家が山田風太郎である。
隆慶一郎が逝ってしまった以上、
風太郎の衣鉢を継ぐものは、まずこの荒山徹をおいて他にない。
荒山さん自身も山田風太郎が大好きなのだろう、
その傾倒ぶりが文章の端々からうかがえる。
巨大な“風太郎宇宙”のなかでも
最も記憶に残る鮮烈なキャラクターである柳生十兵衛へのこだわり、
柳生卍兵衛(「魔岩伝説」)だの柳生悪十兵衛(「柳生大戦争」)だの、
隻眼の剣豪を次から次へと登場させていることからもそれは明らかで、
「柳生大戦争」のラストの仕掛けなどは、
はっきり言えば風太郎晩年の傑作「柳生十兵衛死す」に似過ぎている。
もうひとつ云えば、
敢えてやるトンデモナイ脱線…
お下品、お下劣な枝葉末節をさも嬉しそうに描写しているのも、
荒山さんの風太郎へのオマージュ以外の何ものでもないのだろう。
「高麗秘帖」で
妖しげなSEX忍法を操る海女軍団が出てきたときにもニヤニヤしたが、
「柳生大戦争」の「○○なし芳一」には思わず爆笑してしまった。
格調高くやろうと思えばできるところを、
敢えてぶち壊すのが風太郎流の「かぶく」精神というものである。

そして、
この「柳生大戦争」は、
作中にときおり作者自身が顔を出して、
先輩諸作家の作品を引用したり批評したりという破格の構成をとっている。
もちろん山田風太郎も(いささか、よそよそしく)引用されるのだが、
それ以上に印象的なのは、
荒山さんが司馬遼太郎を心底から嫌っているらしいことである。
…実は、ぼくも司馬遼太郎が「大嫌い」である。
というか、自慢ではないが、司馬の小説は一冊も読んだことがない(笑)。
つまり、「読まず嫌い」というヤツである。
なぜ、読まないのか…?
山田風太郎が大好きなぼくは司馬遼太郎を好きになれそうもない、
という確信めいた予感があるからだ。
もっといえば、風太郎と遼太郎は「倶に天を戴かない」はずなのである。
韜晦の奥底にまつろわざる反逆精神が透けて見える風太郎と、
一皮剥けば権威主義以外の何ものでもなさそうな「大家」・遼太郎。
云わば、民衆が語り伝えた「稗史」と権力の手による「正史」の違いか。
山田風太郎が好きな人間は、司馬遼太郎は「嫌いでなければならない」…。

「司馬遼太郎嫌い」らしいことで、ぼくは荒山徹がますます好きになった(笑)。
|

羅臼温泉

自治体病院の再編問題を探るために北海道に出張中。
車の運転のできないぼくは、
JRやバスなど公共交通機関を「点と線」のように乗り継ぎながら、
北海道の「へき地」にある自治体病院を訪ね歩いているわけだ。

きょうは知床半島の羅臼町で脇紀美夫町長のお話をうかがう。
羅臼にはぼくがいつも潜っているダイビング・スポットがあり、
年間何度も訪れているが、仕事で来るのは十年ぶり。
町立病院の不良債務が原因で財政破綻の瀬戸際に追い込まれていて、
脇町長は病院の規模縮小(診療所化)を決断している。

羅臼はこの冬初めての吹雪だった。
夜は羅臼温泉の「ホテル峰の湯」に泊まる。
二十数年前、まだ「山荘峰」という名前だったころに、
仕事で何度もお世話になっている宿だ。
(潜りに来たときはもっと海に近い宿に泊まる。)
十四年前に建て直して名前を変えたそうだが、
その後泊まるのは初めてだから、考えてみれば随分久しぶりだ。
…羅臼温泉のお湯は体の内側からホカホカと暖まり、それが尾を引く。
風呂に入ったあと、いつまでたっても湯冷めせず、汗がにじみ出てくる。
寒い冬には堪えられない湯だ。
|