夕張から見つめる「医療」

いま週末で東京に帰ってきているのだが、
ここのところ夕張(市立診療所、老健)に張り付いての撮影を続けている。
村上智彦医師らが訪問診療に行く先、
あるいは老健に入所してくるお年寄りの人間群像を記録している。
こうしたロケは、人間の「生」、あるいは「死」と正面から向き合うようなところがある。
いくつも心に残る言葉を聞いた。

97才の誕生日を目前に(本人の望み通り)自宅で亡くなられた本間きくのさん、
このブログにも何度か書かせていただいた「江戸っ子ばあちゃん」である。
最後まで介護していたご家族(娘さん)にお話をうかがった…

「変な言い方だけど私としては大満足でした。
 最後は子供たちが川の字になってお母さんと一緒に寝て、
 息を引き取るまでずっとそばで見守っていてあげられました」

診療所の医師たちは、「最後に医師を呼ぶタイミング」を家族に任せていた。
家族はお婆ちゃんの息がなくなってから診療所に連絡し、
午前2時、永森克志医師がやってきて死亡診断書を書いた。
その永森医師の言葉…

「死因のところには本当は『大往生』と書きたかったんです。
 それは医学用語としてはあり得ないので、『老衰』と書きましたが…」

1年前には衰えてほとんど「死にそうだった」のに、
老健と自宅を半々に行き来するうちに見違えるほど元気になったお菓子屋の先代(93才)の言葉…

「俺は子供たちに恵まれたなあ。
 みんな親孝行な子ばっかりで…。
 もう死んでもいいと思ってたけど、(子供たちの気持ちを考えると)死ねなくなっちゃった」

脳梗塞の後遺症で7~8年のあいだ寝たきりだったが、
リハビリに励んだ結果、最近では車椅子の移動はもちろん立ち上がることもできて、
ぼくたちの目の前で3~4歩歩いてみせた男性(88才)の言葉…

「自分では元気になりたいとは思いませんでした。
 でも、みなさんがよくしてくださるので、
 その気持ちに応えなければと思ってやったら元気になりました」

いずれもしみじみ胸に沁みてくる言葉だ。
そして、まだまだ多くのお年寄りがいて、それぞれかけがえのない「生」の日々を送っている。
夕張に腰を据えたぼくの目には、
人が「より充実した老いを生きて、より豊かに死んでいく」ために、
医療が(福祉と連携して)どうサポートできるかが、いま何より大切ではないかと思えてきた。

そんなぼくから見ると、昨今の「医療崩壊」論議は明らかにヘンである。
それが「たらい回し」という言葉に象徴されるように、
救急の問題として(のみ)語られていることに違和感を禁じえない。
氷山の一角というか、
水面上に姿を現したほんの一部についてのみ、
バランスを逸して熱心に語られているのではないか。
「たらい回し」の背景にある構造的な問題については
先日も書いた(「セーフティネットの“網の目”」…10月25日)ので繰り返さない。
だが、それ以前の問題として、
「救急」=「万が一の事態に対する備え」が
果たして医療の現状において語るべき最大のテーマなのだろうか?

いま問題の渦中にある「出産と同時に脳出血を起こした妊婦」だが、
こうした症状はどれくらいの確率で起り得ることなのか?
妊婦100人に1人か1000人に1人か…?
ぼくは知らないが、よもや「10人に1人」ということはあるまい。
ところが「老い」は、
そして老いに必然的に伴う衰えや高血圧、糖尿病などの生活習慣病、
さらに心筋梗塞や脳梗塞の後遺症、足腰の痛み、認知症などは、
比べものにならないほど高い確率で起る。
そして死は「100%の確率で」現実のものとなる。
であれば、老いや死にどう向き合うかの方が、
医療にとってより本質的で、焦眉の課題だとは言えないだろうか?

救急医療が不要だなどという暴論を吐いているつもりはない。
「医療崩壊」をめぐる議論が徹頭徹尾断片的であり、
「あるべき医療の全体像」を欠いているところが問題なのである。

ぼくたちは医療を何かしら「劇的なもの」として考え過ぎてこなかっただろうか。
言い換えれば、「救急」に象徴される急性期のみを偏重して考えてこなかったか。
「ゴッドハンド」だとか、癌切除手術の実施数を基にした「病院ランキング」だとか…。
超高齢化社会が現実のものになるにつれて、
医療はもっと日常的で、ドラマチックとは云えない部分が重要になってきているはずだ。
夕張という「現場」に身を置いてみると、
「医療は福祉の底支えであるべき」だという村上医師や永森医師の言葉が説得力を持ってくる。
高齢化が進む地域を視座に見つめるとき、
日本の医療のパラダイムの転換が明瞭に見えてくるのだ。
政治も行政も、マスコミも「国民感情」というヤツも、
さらにはおそらく医療者自身さえもが、
古く陳腐化しつつある「医療」像しか見てこなかったのではないか。

と、ここまで書いてきたところで、ふと思う。
東京の「より充実した老いを生きて、より豊かに死んでいく」ための医療は、
議論の余地もないほど充実しているのだろうか?
東京のお年寄りの方が、例えば夕張のお年寄りより幸せだと云いきれるのだろうか…??


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寒いなあ…

連日、寒い日が続く。
二週間、北海道にいて東京に帰ってきて、
さぞや暖かいかと思ったら、寒いので調子が狂ってしまった。
ちょっと留守にしていたあいだに、
いつもの通勤路の街路樹がすっかり晩秋を思わせる色あいに変わっていた。
代々木公園・寒い日
もちろん、気温などの客観的指標でいえば、北海道が寒いに決まっている。
天気予報によれば明日の北海道(岩見沢)の最高気温は11℃…これは東京の最低気温に等しい。
最低気温は0℃近くまで冷え込みそうだ。
しかし、人の心は不思議なもので、
北海道では「覚悟をしている」ためか、さして寒さを厳しいとは感じず、
東京では油断をしているからなのだろう、寒さが身にしみる。
気分まで、寒々しくなってしまうのだ。

明日はまた夕張である。
寒いと感じるのか、思いのほか暖かいと感じるのか…。
コートは着ないで行くつもりだが、念のため、スーツケースにマフラーを一本入れておいた。
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シドニー・ルメット「その土曜日、7時58分」

2週間ぶりに東京に帰ってきて、渇きを癒すように映画を観に行く。
北海道で仕事をして、東京にいるときにはほぼ毎日映画を観るのが最近のぼくの生活だ。
きょうは恵比寿ガーデンプレイス・シネマでシドニー・ルメットの「その土曜日、7時58分」を観る。
SDIM0363
ぼくはガーデンプレイスのような人工的な街は好きではない。
できれば近づきたくないところなのだが、いい映画をかけているのでやむを得ない。

さて、シドニー・ルメットは今年84歳になるそうだ。
その歳でこれだけ「枯れない」映画を撮ってしまう体力にまず唸る。
ぼくが映画狂になった大きなきっかけのひとつが、
中学校時代にテレビでルメットの「十二人の怒れる男」('57)を見たことで、
1970年代には「セルピコ」「オリエント急行殺人事件」「狼たちの午後」「ネットワーク」と
彼の作品を立て続けに封切りで観ている。
それぞれいい映画なのだが、
何となくいまひとつのところで「抜けきれない」こじんまり感が拭えず、
シドニー・ルメットの存在は次第にぼくの関心の範囲から外れていった(それ以降あまり見ていない)。

今回の「その土曜日、7時58分」は、
金に困った兄弟があろうことか
○○の店に強盗に入ることを企むところから始まる物語である。
思わぬ手違いがあって、そこから登場人物たちは一気に破滅に向かって雪崩落ちていく。
ここで語られるのは「家族の崩壊」だが、
物語の展開とともに、実は既に(強盗事件以前に)崩壊していたことがわかってくる。
暗く陰惨な物語である。
コーエン兄弟の「ファーゴ」('96)とよく似ているが、後味は「ファーゴ」以上に暗く、救いがない。
この映画では時制は解体されており、
ストーリィは登場人物ごとに前後重複しながら語られるのだが難解さはない。
ルメットは元来「役者を活かす」ことに抜群の手腕を発揮する監督だが、
この作品でも、
フィリップ・シーモア・ホフマン、イーサン・ホーク、
それに老アルバート・フィニーといった地味だが強力なキャストが演技合戦の火花を散らす。
近ごろのアメリカ映画には珍しいほど凝縮度の高い作品である。
(「大人の映画」の作り手をイーストウッド、コーエン兄弟…と数えていくと、じきに詰まってしまう。)
シドニー・ルメットは、84歳にして生涯の最高傑作を撮ってしまったのかも知れない、とさえ思う。
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