喜べない「勝訴」

きょう、「ETV2001(女性国際戦犯法廷)」の番組改編をめぐる最高裁の判決が出た。
結果はNHKの逆転勝訴で、
改変によって当初の説明とはまるで違う番組になってしまったとして
取材協力者の「期待権」を前面に立てた原告市民団体の主張は退けられた。
判決は「期待権」を原則的に認めず「表現の自由」を重視したもので、
NHK側とすれば「全面勝訴」といっていい内容だが、どうも素直には喜べない。

ぼくたちは番組の制作に際して取材対象との信頼関係を大切にする。
しかし、「期待権」を無闇に振りまわされると、
取材協力者の「期待」に応える番組、つまり「PR」以外の放送はできなくなってしまう怖れがある。
そうなればジャーナリズムは実質的に死ぬ。
「期待権」と「表現の自由(報道の自由)」とをどこでどう折り合わせるかが問題なのである。
そういう意味で、
NHK側の敗訴となった東京高裁(2007年1月29日)の判決は緻密な論理構成となっており、
ぼくたち制作現場の人間をも充分に納得させるものだった。
一般論としては「表現の自由」を「期待権」の上位に置きながら、
そのかねあいを個別具体的な事情のなかに求めたのである。
問題となった「ETV2001」においては、
NHKの当時の首脳部が政治家の「意図を忖度して」、
「できるだけ当たり障りのない番組にすることを考え」たと事実認定したうえで、
これは「憲法で保障された編集の権限を濫用し、又は逸脱したもの」であるゆえに、
このケースでは期待権の優先を認めるというものだった。

ぼくのような現場の人間には、
(新聞報道で名前の出た)中川昭一、安倍晋三といった政治家が
NHKに明示的な「圧力」をかけたかどうかは知る由もない。
しかし、当時のNHK首脳部が「圧力を感じていた」ことは間違いない。
そう考えなければ説明がつかないほど「異常」な対応であった…

通常、番組内容の最終的な決定はチーフ・プロデューサーが行う。
番組内容が微妙な問題を含んでいるときには、制作現場の責任者である部長が判断を下すこともある。
(従軍慰安婦問題を扱った「ETV2001」は明らかにこのケースだ。)
番組制作局長や放送総局長などの首脳部が、番組の試写を見たり、内容に介入することは通常はない。
部長がOKを出したものを首脳部の意向で改変させた「ETV2001」は極めて異例であり、
少なくともぼくは他にそうした例を知らない。
さらに、その改変にあたって、
場面のカットやナレーションの書き換えなどに中心的な役割を担ったのが、
制作ラインに属さない「国会対策担当の幹部」であったことも極めて「異常」なことである。
そして、そうして出来上がった番組を、
放送当日になって、今度は現場の人間を外したなかで、さらに3分間切った。
もはや音を整えるだけの時間的な余裕がなかったために、
数ヶ所で音がブツ切れになった、無残な「欠陥商品」として放送が行われたのである。
繰り返すが、こうした一連の経緯は極めて「異常」であり、通常では考えられないことである。
そして、「異常」は放送後も続いた。
当時のNHK首脳部は、こうした一連の対応を「通常の業務」だと強弁したのである。
書いてきたように、
「ETV2001」改変の経緯はNHKのなかで「普通に行われていること」では全くない。
それを「通常の業務」だというのは、内部の人間の目からみれば明らかに「嘘」である。
さらに、朝日新聞がこの改変問題を報じたときに、
「7時のニュース」のなかで10分以上もかけて反論し、記事を「虚偽報道」だと決めつけた。
この過剰としか言いようのない対応ぶりもぼくを驚かせた。
NHKのニュースがかくも“感情的”だった例をぼくは知らず、まさに「異常」だったといわざるを得ない。
そして、東京高裁の判決時のニュースがまたNHK側の見解のみを伝える一方的なものであり、
先日、BRC(放送と人権等権利に関する委員会)において、
「公平、公正を欠き、放送倫理違反」だと認定されたばかりである。
こうした「異常」な対応を繰り返してまでNHKの首脳部が守ろうとしたもの、
あるいは糊塗しようとしたものは、一体なんだったのだろうか?

今回の最高裁判決は、
こうした「異常」を「表現の自由」の名の下に追認してしまう可能性が強い。
取材協力者との信頼関係も、
現場の作り手の努力やこだわりとも関わりなく、
首脳部の恣意によって報道内容が捩じ曲げられてしまうのだとしたら、
そこに残った「表現の自由」には果たしてどれほどの意味があるのだろう。
もともと「表現の自由」とは「権力からの自由」であったはずである。
今回の最高裁判決は、法学の教科書に必ず記されているはずの「原点」を忘れ去ってはいないだろうか?


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温泉旅行

一ヶ月近くカンヅメになって番組を仕上げ、放送が終わったら、また翌日からロケ。
さすがに苛酷なスケジュールで、五十を超えた肉体には疲労が重く沈殿している。
そこで、かみさんと二人、一泊二日の温泉旅行に出てリフレッシュを図ることにした。
高校生の息子を一人留守番に残して、向かった先は箱根…。

ぼくはアウトドア人間で、ダイビング、カヌー、散歩が好き。
カメラを片手にほっつき歩いていれば、飽きない。
しかし、買い物は苦手で、デパートなどの売場に10分もいるとどっと疲れが出るタイプ。
かみさんの方はといえば、歩くのが苦手で買い物好き。
つまり、「性格の不一致」というか、余暇の過ごし方がまるで違うのである。
そんな二人が共通して大好きなのが温泉で、必然的に、夫婦で行くのは温泉旅行ということになる。

ロマンスカーで箱根湯本まで行き、登山鉄道に乗り換え強羅、さらにケーブルカーで早雲山まで。
「山田屋」という旅館で貸し切り露天風呂に入る。
温泉
泉質は「酸性ーナトリウム、カルシウム、マグネシウムー硫酸温泉」、仄かに白濁したお湯だ。
50分の貸し切りで3350円、日帰りの入浴料が1310円なので二人で入るならそれほど高くはない。
かけ流しの湯は心地よく、体の芯から温まる気がした。

天気が悪いこともあって、温泉に入っただけで山を下りる。
かみさんは明日は仕事なので、
泊まるのは交通の便のいい箱根湯本にした(新宿までロマンスカーなら一時間半で行く)。
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