07 September 2008
水中写真は愉しいけれど…
2008/09/13 Sat 格納先: Diving
1ヶ月ぶりで海に潜った。
西伊豆(現在は沼津市)の井田ビーチ。
伊豆でぼくが最も好きなポイントである。
天気もよく、絶好のダイビング日和…といいたいところだが、海の状態が悪い。
南の台風の影響が現れ始めているのだろうか、波が出てきていて、海は濁っている。
海中には無数の浮遊物が漂っていて、
写真を撮ると、そうした浮遊物がストロボの光を反射してゴミばかり目立つ…ということになる。
このポイントは水深20〜30mのウミトサカが美しく、
クロホシイシモチなど魚の群れと絡めて撮ると愉しいのだが、ゴミ(浮遊物)が多すぎると絵にならない。
この写真は比較的きれいな方だったが、それでもかなりレタッチ(修正)をしてゴミを消している。
一般に、陸上でデジカメで撮った写真はそれほどレタッチする必要がない。
ぼくはRAWで撮るので、
専門のソフト(SIGMA Photo ProやAdobe Photoshop)で画質を微調整をしながら「現像」をするが、
それ以上に修正を加える必要はまずない。
ところが、水中写真の場合は、
海水を通してきた自然光の影響で「青がかぶる」(画面全体が青っぽくなる)し、
海中のゴミが写り込むので、現像後のフォト・レタッチに手間を食う。
ましてや今日のような汚れた海だと、1枚に30分くらいかかることも珍しくない。
例えば、これはツリフネキヌヅツミガイという美しい貝だが、
こうしたマクロ(接写)系の写真でも、レンズと被写体のあいだにかなりのゴミが入ってしまう。
こちらがレタッチ前の写真だ。
全体に色調がぼやけているのと、
このサイズでは判りづらいが、画面全体に小さなゴミ(白い点)が散らばっている。
この点をひとつひとつ消していくのだから、根気が要る作業である。
水中写真は、家に帰ってきてパソコンに向かってから後が大変なのである。
もちろん、誰に頼まれたわけでもなく、自分が好きでやっていることだから文句は云えないのだが…。
西伊豆(現在は沼津市)の井田ビーチ。
伊豆でぼくが最も好きなポイントである。
天気もよく、絶好のダイビング日和…といいたいところだが、海の状態が悪い。
南の台風の影響が現れ始めているのだろうか、波が出てきていて、海は濁っている。
海中には無数の浮遊物が漂っていて、
写真を撮ると、そうした浮遊物がストロボの光を反射してゴミばかり目立つ…ということになる。
このポイントは水深20〜30mのウミトサカが美しく、
クロホシイシモチなど魚の群れと絡めて撮ると愉しいのだが、ゴミ(浮遊物)が多すぎると絵にならない。
この写真は比較的きれいな方だったが、それでもかなりレタッチ(修正)をしてゴミを消している。
一般に、陸上でデジカメで撮った写真はそれほどレタッチする必要がない。
ぼくはRAWで撮るので、
専門のソフト(SIGMA Photo ProやAdobe Photoshop)で画質を微調整をしながら「現像」をするが、
それ以上に修正を加える必要はまずない。
ところが、水中写真の場合は、
海水を通してきた自然光の影響で「青がかぶる」(画面全体が青っぽくなる)し、
海中のゴミが写り込むので、現像後のフォト・レタッチに手間を食う。
ましてや今日のような汚れた海だと、1枚に30分くらいかかることも珍しくない。
例えば、これはツリフネキヌヅツミガイという美しい貝だが、
こうしたマクロ(接写)系の写真でも、レンズと被写体のあいだにかなりのゴミが入ってしまう。
こちらがレタッチ前の写真だ。
全体に色調がぼやけているのと、
このサイズでは判りづらいが、画面全体に小さなゴミ(白い点)が散らばっている。
この点をひとつひとつ消していくのだから、根気が要る作業である。
水中写真は、家に帰ってきてパソコンに向かってから後が大変なのである。
もちろん、誰に頼まれたわけでもなく、自分が好きでやっていることだから文句は云えないのだが…。
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路傍の仏
2008/09/11 Thu 格納先: Walk
夕方、阿佐ケ谷駅から荻窪まで歩く。
家の近所でもあり、何度も通っているところだが、きょうは敢えて知らない路地を選んで歩いてみた。
天沼の中央線の高架のそばに古いお地蔵さんがあるのが目に付いた。

ぼくは宗教心というものをまるで持ち合わせていない人間だが、
散歩しているとふと目に入る、お地蔵さん、お稲荷さんの祠、道祖神などは大好きである。
このお地蔵さんは江戸の昔からこのあたりにあるものらしい。
すでに風化と摩耗が進んでいて顔立ちははっきり判らない。
台座に刻んであったらしい寄進者の名前も、もう読み取ることはできない。
歳月とともに、この土地に暮らした人々の思いや願いを滲みこませた、古い地蔵のたたずまいが好ましい。
家の近所でもあり、何度も通っているところだが、きょうは敢えて知らない路地を選んで歩いてみた。
天沼の中央線の高架のそばに古いお地蔵さんがあるのが目に付いた。

ぼくは宗教心というものをまるで持ち合わせていない人間だが、
散歩しているとふと目に入る、お地蔵さん、お稲荷さんの祠、道祖神などは大好きである。
このお地蔵さんは江戸の昔からこのあたりにあるものらしい。
すでに風化と摩耗が進んでいて顔立ちははっきり判らない。
台座に刻んであったらしい寄進者の名前も、もう読み取ることはできない。
歳月とともに、この土地に暮らした人々の思いや願いを滲みこませた、古い地蔵のたたずまいが好ましい。
今井正を“再発見”する。
2008/09/09 Tue 格納先: Cinema
池袋の新文芸坐で今井正の「真昼の暗黒」('56)と「米」('57)をみた。
今井正は戦後の日本映画界を代表する「社会派の巨匠」である。
レッドパージで東宝を追われ、以降は独立プロを基盤に映画を撮り続けた。
特に1950年代は、
映画批評の面からいえば「今井正の時代」だったといっても過言ではない。
キネマ旬報のベストテンをみると、
1950年に「また逢う日まで」が1位、
続いて1953年には「にごりえ」が1位、
1956年に今日みた「真昼の暗黒」が1位で、
翌'57年は「米」が1位、2位にもやはり今井正の「純愛物語」がランクされている。
1959年には、「キクとイサム」がまたしてもベストワンを獲得するという凄まじさである。
これだけ集中的に、これだけ高く評価された監督は日本映画史上ほかにはいない。
同時代に活躍した黒沢明も、小津、溝口、成瀬も…とても敵わないのである。
ぼくが夢中で日本映画を見始めた1970年代には既に映画作家として晩年を迎えており、
高校2年生だった'72年に「あゝ声なき友」と「海軍特別年少兵」を観ているが、
正直云ってそれほど面白い映画だとは思わなかった。
型通りの「良心作」であり過ぎたし、
もっと云えば、今井正の社会派ぶりは、あまりに「代々木(日本共産党)臭かった」。
1972年といえば、
浅間山荘事件が起きて、全共闘など高揚していた学生運動が急激な退潮に向かっていた時代である。
当時、何かを求めて映画館の暗闇に通い始めていたぼくの気持ちは、
同じ年に観た初めてのやくざ映画、
「人斬り与太 狂犬三兄弟」(深作欣二)のやけっぱち染みたド迫力の方に惹かれていた。
おりしもこの年には、
キネ旬のベストテンに初めてロマンポルノが入った(「一条さゆり 塗れた欲情」「白い指の戯れ」)。
翌'73年には、
「狂犬三兄弟」でぼくに衝撃を与えた深作欣二の「仁義なき戦い」が2位、
シリーズ第3作「仁義なき戦い 代理戦争」も8位にランクされている。
それまで批評的に黙殺されてきた「やくざ映画」や「ポルノ映画」が高く評価され始めていたのである。
時代の風は明らかに変わっていた。
出口のない閉塞感のなかで鬱々としていたぼくにとって、
今井正の映画は(日本共産党も)「あまりに保守的」に見えた。
当時の映画批評は(映画ファンも)、
「やくざ映画やポルノ映画」に作品性を認めるかどうかで真っ二つの状態であり、
それは政治的な対立の様相をも呈していた。
否定的であった人たちが高く評価していたのが今井正や山本薩夫、山田洋次であり、
やくざ・ポルノ肯定派であったぼくは、いきおい、今井正の映画に興味を失っていった。
だから、ぼくは今井正の映画をあまり観てはいない。
「過去の名作」を追っかけてまで観ようという気にはならなかったのである。
しかし、たまさか観ていた何本か映画のなかで、1957年の「米」は深い印象を残していた。
「米」は、霞ヶ浦のほとりで半農半漁の貧しい暮らしを営む人たちを題材としている。
土地(田んぼ)を持たない農家の次男、三男坊は、定職もなく、その日暮らしを続けている。
既に「戦後は終わった」と云われていたものの(1956年経済白書)、
高度経済成長はまだ始まってはいない。
集団就職は既に行われていたが('54〜)、都市(東京)にはまだそれほどの雇用吸収力はない。
そんな時代の物語である。
主人公たちは、貧しい暮らしから逃れ出ようと、
帆曳き網での越境操業や刺し網を使っての密漁に手を染めていく…
いま観ても、実に堂々たるリアリズムの力作である。
戦前、日活多摩川撮影所で、
「限りなき前進」や「土」(ともに内田吐夢監督)の製作に携わったマキノ光雄がプロデューサーを務め、
両作品と同じ八木保太郎が脚本を書いている。
つまり、日活多摩川から満映を経て戦後は東映に流れ込んでいったリアリズム映画の系譜と、
今井正ら社会主義リアリズム派の協働作業であり、
そういう意味では、日本映画のリアリズムの集大成といっていいのかもしれない。
しかし、記憶していた通りの見事な作品だと思いながらも、
ぼくは2008年の池袋の暗闇にいて、どこか微妙な距離感を感じざるを得なかった。
同時代に小津安二郎や成瀬巳喜男が作った「古風な」映画に比べても、「米」は意外なほど古びていた。
初めてこの映画をみた1970年代の半ばにはまだしもリアリティがあった「日本の貧困」が、
いまとなっては遠いものと思えてならないのである。
この映画に描き出された貧困は、
高度経済成長の過程で膨らんだパイを
公共事業などのかたちで地方に分配することで基本的には「解決」されていった。
貧困を起爆力とする「革命」は(政権交代ですら)日本では起こらなかったことをぼくたちは知っている。
揶揄的に云うならば、
社会主義リアリズムは日本の保守政治(自民党)のリアリズムによって乗り越えられてしまったのである。
だから、いまこの映画を観るぼくの気分は、「♫そんな時代もあったね、と…」くらいのものだ。
観客席からスクリーンまでの距離感が、
まるで中国映画…張藝謀の「あの子を探して」や王全安「トゥヤーの結婚」…を観ているときのようだ。
その点、ぼくが初めて観た「真昼の暗黒」のインパクトは、いまなお強烈で生々しい。
強盗殺人(老夫婦殺し)の冤罪事件として知られる八海事件をモデルにしたもので、
警察による見込み捜査と被疑者に対する自白の強要、
そして論理矛盾が明らかであるにも関わらず
その捜査(調書)を追認してしまう司法(裁判官)の問題点が描かれている。
佐藤優が「国家の罠」で、元特捜検事の田中森一が「反転」で明らかにしたように、
この国ではいまも検察(警察)があらかじめ描いた絵図に従って「事件が作られ」ている。
事実を調べた結果が「犯罪」なのではなく、
あらかじめ決めたストーリーに事実をあてはめていくのが「捜査」なのである。
富山の連続婦女暴行事件、鹿児島の選挙違反…冤罪はいまなお枚挙にいとまがない。
「真昼の暗黒」の場合は…「米」とは逆に…、
いまも現実が変わらないゆえに、観客席とスクリーンの距離は半世紀の歳月を超越して異様なまでに近い。
この映画が作られた1956年の時点で、八海事件はまだ「冤罪」と確定していない。
第二審の広島高裁が有罪と認定し(主犯とされた人物は死刑)、最高裁で係争中であった。
つまり、現在進行形の裁判に対して、映画で異議申し立てを行ったのである。
(映画のラストで、草薙幸二郎扮する主人公は「まだ最高裁があるんだ!」と叫ぶ。)
正木ひろし弁護士の原作があったとはいえ、
この映画を撮った今井正の勇気と、丹念で実証的な映像に込められた説得力はいまも色褪せない。
今井正を「日共の御用監督」だとして軽視してきた自分の不明を羞じるほかなかった。
それにしても。
現実の八海事件は、
その後、最高裁での差し戻し、高裁での無罪判決、
再び最高裁での差し戻し、高裁での二度目の有罪判決、最高裁での逆転無罪判決(確定)と二転三転する。
単独犯であった真犯人を除く被告全員の無罪が確定したのは、
事件発生以来17年9ヶ月、この映画が作られた時点から数えても12年後の1968年になる。
事実の重さに言葉を失わざるを得ない。
今井正は戦後の日本映画界を代表する「社会派の巨匠」である。
レッドパージで東宝を追われ、以降は独立プロを基盤に映画を撮り続けた。
特に1950年代は、
映画批評の面からいえば「今井正の時代」だったといっても過言ではない。
キネマ旬報のベストテンをみると、
1950年に「また逢う日まで」が1位、
続いて1953年には「にごりえ」が1位、
1956年に今日みた「真昼の暗黒」が1位で、
翌'57年は「米」が1位、2位にもやはり今井正の「純愛物語」がランクされている。
1959年には、「キクとイサム」がまたしてもベストワンを獲得するという凄まじさである。
これだけ集中的に、これだけ高く評価された監督は日本映画史上ほかにはいない。
同時代に活躍した黒沢明も、小津、溝口、成瀬も…とても敵わないのである。
ぼくが夢中で日本映画を見始めた1970年代には既に映画作家として晩年を迎えており、
高校2年生だった'72年に「あゝ声なき友」と「海軍特別年少兵」を観ているが、
正直云ってそれほど面白い映画だとは思わなかった。
型通りの「良心作」であり過ぎたし、
もっと云えば、今井正の社会派ぶりは、あまりに「代々木(日本共産党)臭かった」。
1972年といえば、
浅間山荘事件が起きて、全共闘など高揚していた学生運動が急激な退潮に向かっていた時代である。
当時、何かを求めて映画館の暗闇に通い始めていたぼくの気持ちは、
同じ年に観た初めてのやくざ映画、
「人斬り与太 狂犬三兄弟」(深作欣二)のやけっぱち染みたド迫力の方に惹かれていた。
おりしもこの年には、
キネ旬のベストテンに初めてロマンポルノが入った(「一条さゆり 塗れた欲情」「白い指の戯れ」)。
翌'73年には、
「狂犬三兄弟」でぼくに衝撃を与えた深作欣二の「仁義なき戦い」が2位、
シリーズ第3作「仁義なき戦い 代理戦争」も8位にランクされている。
それまで批評的に黙殺されてきた「やくざ映画」や「ポルノ映画」が高く評価され始めていたのである。
時代の風は明らかに変わっていた。
出口のない閉塞感のなかで鬱々としていたぼくにとって、
今井正の映画は(日本共産党も)「あまりに保守的」に見えた。
当時の映画批評は(映画ファンも)、
「やくざ映画やポルノ映画」に作品性を認めるかどうかで真っ二つの状態であり、
それは政治的な対立の様相をも呈していた。
否定的であった人たちが高く評価していたのが今井正や山本薩夫、山田洋次であり、
やくざ・ポルノ肯定派であったぼくは、いきおい、今井正の映画に興味を失っていった。
だから、ぼくは今井正の映画をあまり観てはいない。
「過去の名作」を追っかけてまで観ようという気にはならなかったのである。
しかし、たまさか観ていた何本か映画のなかで、1957年の「米」は深い印象を残していた。
「米」は、霞ヶ浦のほとりで半農半漁の貧しい暮らしを営む人たちを題材としている。
土地(田んぼ)を持たない農家の次男、三男坊は、定職もなく、その日暮らしを続けている。
既に「戦後は終わった」と云われていたものの(1956年経済白書)、
高度経済成長はまだ始まってはいない。
集団就職は既に行われていたが('54〜)、都市(東京)にはまだそれほどの雇用吸収力はない。
そんな時代の物語である。
主人公たちは、貧しい暮らしから逃れ出ようと、
帆曳き網での越境操業や刺し網を使っての密漁に手を染めていく…
いま観ても、実に堂々たるリアリズムの力作である。
戦前、日活多摩川撮影所で、
「限りなき前進」や「土」(ともに内田吐夢監督)の製作に携わったマキノ光雄がプロデューサーを務め、
両作品と同じ八木保太郎が脚本を書いている。
つまり、日活多摩川から満映を経て戦後は東映に流れ込んでいったリアリズム映画の系譜と、
今井正ら社会主義リアリズム派の協働作業であり、
そういう意味では、日本映画のリアリズムの集大成といっていいのかもしれない。
しかし、記憶していた通りの見事な作品だと思いながらも、
ぼくは2008年の池袋の暗闇にいて、どこか微妙な距離感を感じざるを得なかった。
同時代に小津安二郎や成瀬巳喜男が作った「古風な」映画に比べても、「米」は意外なほど古びていた。
初めてこの映画をみた1970年代の半ばにはまだしもリアリティがあった「日本の貧困」が、
いまとなっては遠いものと思えてならないのである。
この映画に描き出された貧困は、
高度経済成長の過程で膨らんだパイを
公共事業などのかたちで地方に分配することで基本的には「解決」されていった。
貧困を起爆力とする「革命」は(政権交代ですら)日本では起こらなかったことをぼくたちは知っている。
揶揄的に云うならば、
社会主義リアリズムは日本の保守政治(自民党)のリアリズムによって乗り越えられてしまったのである。
だから、いまこの映画を観るぼくの気分は、「♫そんな時代もあったね、と…」くらいのものだ。
観客席からスクリーンまでの距離感が、
まるで中国映画…張藝謀の「あの子を探して」や王全安「トゥヤーの結婚」…を観ているときのようだ。
その点、ぼくが初めて観た「真昼の暗黒」のインパクトは、いまなお強烈で生々しい。
強盗殺人(老夫婦殺し)の冤罪事件として知られる八海事件をモデルにしたもので、
警察による見込み捜査と被疑者に対する自白の強要、
そして論理矛盾が明らかであるにも関わらず
その捜査(調書)を追認してしまう司法(裁判官)の問題点が描かれている。
佐藤優が「国家の罠」で、元特捜検事の田中森一が「反転」で明らかにしたように、
この国ではいまも検察(警察)があらかじめ描いた絵図に従って「事件が作られ」ている。
事実を調べた結果が「犯罪」なのではなく、
あらかじめ決めたストーリーに事実をあてはめていくのが「捜査」なのである。
富山の連続婦女暴行事件、鹿児島の選挙違反…冤罪はいまなお枚挙にいとまがない。
「真昼の暗黒」の場合は…「米」とは逆に…、
いまも現実が変わらないゆえに、観客席とスクリーンの距離は半世紀の歳月を超越して異様なまでに近い。
この映画が作られた1956年の時点で、八海事件はまだ「冤罪」と確定していない。
第二審の広島高裁が有罪と認定し(主犯とされた人物は死刑)、最高裁で係争中であった。
つまり、現在進行形の裁判に対して、映画で異議申し立てを行ったのである。
(映画のラストで、草薙幸二郎扮する主人公は「まだ最高裁があるんだ!」と叫ぶ。)
正木ひろし弁護士の原作があったとはいえ、
この映画を撮った今井正の勇気と、丹念で実証的な映像に込められた説得力はいまも色褪せない。
今井正を「日共の御用監督」だとして軽視してきた自分の不明を羞じるほかなかった。
それにしても。
現実の八海事件は、
その後、最高裁での差し戻し、高裁での無罪判決、
再び最高裁での差し戻し、高裁での二度目の有罪判決、最高裁での逆転無罪判決(確定)と二転三転する。
単独犯であった真犯人を除く被告全員の無罪が確定したのは、
事件発生以来17年9ヶ月、この映画が作られた時点から数えても12年後の1968年になる。
事実の重さに言葉を失わざるを得ない。
iPhoneは本当に面白い!
2008/09/07 Sun 格納先: Apple
iPhoneを購入してから1ヶ月が経とうとしている。
この新しい情報端末は、あっというまに、ぼくの生活のなかで必要不可欠なものになった。
従来は「パソコンでしかできなかったこと」のかなりの部分をいまはiPhoneが引き受けている。
ニュース(RSS)のチェックやメールの閲覧、スケジュールの作成などはiPhoneを使うことの方が多い。
MacBookを開く時間が以前に比べて減ってきたのである(ちょっと前まで考えられなかったことだ!)。
ともかく拡張性に富んでいるのが最大の強みで、
連日新しいアプリケーションが発表され、それに伴って新しい使い方の可能性が開けている。
昨日の日記に書いたMiGhtyDocsなどもそうだが無料のソフトが多く、
有料でも500円以下のものが多いので、気楽にインストールできるのがありがたい。
メモやTO DOリスト、英和・和英辞典など、ぼくのiPhoneは既に様々のアプリで増強されている。
年号と西暦の早見表(無料)など、
何気ないようでいて、仕事でお年寄りと話すことが多いぼくにはとても役に立つ。
iPhoneをちょっと洒落たデジタル時計に変身させる、ただそれだけのソフト(115円)もあって愉しい。

もちろんまだまだ不満もあって、
連文節変換ができない日本語入力ソフトの貧弱さなど、その最大のものだ。
(ATOKあたりが対応してくれれば劇的な改善が期待できるのだが…)
内蔵された着メロの貧弱さも「使う愉しさ」という面ではiPhoneの大きな弱点だった。
もうちょっとどうにかならないものかと思ってネットを調べたら、
自分の音楽コレクションのなかの好きな曲を着メロに設定する方法を発見!
パソコン(MacとWindowsを問わない)とiTunesさえあれば簡単にできる。
そこでさっそく大好きなJazzの名曲を自分専用の着メロとして使うことにした。
いま、ぼくのiPhoneに電話がかかってくると、
コルトレーン(ts)とリー・モーガン(tp)、カーティス・フラー(tb)の三管が、
「BLUE TRAIN」の重厚なテーマを奏でてくれる。
かみさんからの電話のときはちょっとムードを変えて、
フラーとベニー・ゴルソン(ts)の「FIVE SPOT AFTER DARK」が鳴る。
それをみた(聴いた)かみさんにせがまれて、
かみさんのiPhoneにも
シンガー不詳の中国歌謡や
韓流ドラマ「チャングムの誓い」のテーマ曲(中国語でカヴァーしたもの)、
中島みゆきの「時代」のサビの部分(♫ まわる まわるよ 時代はまわる… )を着メロとして設定した。
…とにもかくにも、iPhoneは面白い!
この新しい情報端末は、あっというまに、ぼくの生活のなかで必要不可欠なものになった。
従来は「パソコンでしかできなかったこと」のかなりの部分をいまはiPhoneが引き受けている。
ニュース(RSS)のチェックやメールの閲覧、スケジュールの作成などはiPhoneを使うことの方が多い。
MacBookを開く時間が以前に比べて減ってきたのである(ちょっと前まで考えられなかったことだ!)。
ともかく拡張性に富んでいるのが最大の強みで、
連日新しいアプリケーションが発表され、それに伴って新しい使い方の可能性が開けている。
昨日の日記に書いたMiGhtyDocsなどもそうだが無料のソフトが多く、
有料でも500円以下のものが多いので、気楽にインストールできるのがありがたい。
メモやTO DOリスト、英和・和英辞典など、ぼくのiPhoneは既に様々のアプリで増強されている。
年号と西暦の早見表(無料)など、
何気ないようでいて、仕事でお年寄りと話すことが多いぼくにはとても役に立つ。
iPhoneをちょっと洒落たデジタル時計に変身させる、ただそれだけのソフト(115円)もあって愉しい。

もちろんまだまだ不満もあって、
連文節変換ができない日本語入力ソフトの貧弱さなど、その最大のものだ。
(ATOKあたりが対応してくれれば劇的な改善が期待できるのだが…)
内蔵された着メロの貧弱さも「使う愉しさ」という面ではiPhoneの大きな弱点だった。
もうちょっとどうにかならないものかと思ってネットを調べたら、
自分の音楽コレクションのなかの好きな曲を着メロに設定する方法を発見!
パソコン(MacとWindowsを問わない)とiTunesさえあれば簡単にできる。
そこでさっそく大好きなJazzの名曲を自分専用の着メロとして使うことにした。
いま、ぼくのiPhoneに電話がかかってくると、
コルトレーン(ts)とリー・モーガン(tp)、カーティス・フラー(tb)の三管が、
「BLUE TRAIN」の重厚なテーマを奏でてくれる。
かみさんからの電話のときはちょっとムードを変えて、
フラーとベニー・ゴルソン(ts)の「FIVE SPOT AFTER DARK」が鳴る。
それをみた(聴いた)かみさんにせがまれて、
かみさんのiPhoneにも
シンガー不詳の中国歌謡や
韓流ドラマ「チャングムの誓い」のテーマ曲(中国語でカヴァーしたもの)、
中島みゆきの「時代」のサビの部分(♫ まわる まわるよ 時代はまわる… )を着メロとして設定した。
…とにもかくにも、iPhoneは面白い!