06 January 2008
深夜の病院で思うこと
2008/01/12 Sat 格納先: Medical
北海道T市の市立病院にお願いして
救急当直の医師に朝まで密着取材させてもらうことにした。
最近は安易な軽症での救急受診(「コンビニ受診」と呼ぶ)が増えて、
勤務医の疲弊が限界まで来ているという。
そのさまを自分の体で確かめてみたいと思ったのである。
救急当直の仕事は夕方17時15分から始まった。
19時くらいまでは子どもの受診がほとんどだった。
薬を出して「様子を見てください」程度で終わっていたから、
さほど緊急性のない受診が多かったのだろう。
父親が仕事を終えた後で
子どもを車に乗せて病院に連れてくるケースが多いように思えた。
その後は大人の受診が続いたが、
他の病院にかかったけれどよくならないので…というケースが少なくない。
なんだか漠然とした不安が、直接、夜間の受診に結びついている。
昼間の診察室を密着取材したことは何度もあるが、
夜の、それも深夜になっての診察室は、
昼間以上に様々な人生模様を浮かび上がらせる。
真っ黒な血の塊を吐いた64才の男性は、
病院に行くのを拒んだ末に意識不明になって運び込まれてきた。
すでに瞳孔が開いており、呼吸も微かなものになっていた。
帰宅していた麻酔医が呼び出されて心臓マッサージなどの蘇生処置を行い、
腸内の出血が認められた段階で消化器の専門医も呼び出されたが、
その段階でやれることは、もうほとんど何もなかったようだ。
母親に付き添われてやってきた32才の男性(糖尿病患者)は、
ここ数ヶ月のあいだは病院に来ず、
血糖値のコントロールがめちゃくちゃだったようだ。
脱力感、全身の倦怠感を訴えるのだが、
蚊の鳴くような声で、その口調もスローモーションを見ているよう。
計ってみると血糖値は690で、すぐさま入院させることになった。
深夜にやってきた小児ぜんそくの女の子(2才)は、
血液中の酸素濃度が必要とされる量の半分程度まで落ちており、
小さな胸をけいれんするように激しく上下させ息をしようとあがく様は、
傍で見ているにも痛々しかった。
酸素吸入をさせるとともに点滴をしたのだが、
幼児のか細い血管を捜し出して針を刺すのは難しく、
小児科専門の医師でなければなかなかできないのだという。
明け方ちかく、脳出血の疑いで、
一時間以上離れた町から救急車で運ばれてきた30才の女性は、
前夜は新年会で徹夜していた。
きょう(というか、すでに前日なのだが…)は普通通り働きに出て、
夜になってから激しい頭痛に襲われ、意識が半ば混濁していたようだ。
夫とは別居中で、幼い子供たちは友人が預かることにして救急車を呼んだ…
患者の診察が一段落して当直の医師が宿直室に入っても、
30分かそこらでまた呼び出されるという状態が一晩中続いた。
つきあっていたぼくも、
診察室の椅子に坐って20分ほどうつらうつらしただけで朝を迎えた。
結局、朝までにやってきた時間外の患者は23人。
救急車による搬入は5件だった。
それでも、夜勤の看護師さんたちによれば、
「こんなに平穏な日は珍しい」という話だった。
今回は当直明けの12日が土曜日だったからまだいいのだが、
これが平日なら、当直医は眠らないまま朝から平常の診察に入ることになる。
救急当直の医師に朝まで密着取材させてもらうことにした。
最近は安易な軽症での救急受診(「コンビニ受診」と呼ぶ)が増えて、
勤務医の疲弊が限界まで来ているという。
そのさまを自分の体で確かめてみたいと思ったのである。
救急当直の仕事は夕方17時15分から始まった。
19時くらいまでは子どもの受診がほとんどだった。
薬を出して「様子を見てください」程度で終わっていたから、
さほど緊急性のない受診が多かったのだろう。
父親が仕事を終えた後で
子どもを車に乗せて病院に連れてくるケースが多いように思えた。
その後は大人の受診が続いたが、
他の病院にかかったけれどよくならないので…というケースが少なくない。
なんだか漠然とした不安が、直接、夜間の受診に結びついている。
昼間の診察室を密着取材したことは何度もあるが、
夜の、それも深夜になっての診察室は、
昼間以上に様々な人生模様を浮かび上がらせる。
真っ黒な血の塊を吐いた64才の男性は、
病院に行くのを拒んだ末に意識不明になって運び込まれてきた。
すでに瞳孔が開いており、呼吸も微かなものになっていた。
帰宅していた麻酔医が呼び出されて心臓マッサージなどの蘇生処置を行い、
腸内の出血が認められた段階で消化器の専門医も呼び出されたが、
その段階でやれることは、もうほとんど何もなかったようだ。
母親に付き添われてやってきた32才の男性(糖尿病患者)は、
ここ数ヶ月のあいだは病院に来ず、
血糖値のコントロールがめちゃくちゃだったようだ。
脱力感、全身の倦怠感を訴えるのだが、
蚊の鳴くような声で、その口調もスローモーションを見ているよう。
計ってみると血糖値は690で、すぐさま入院させることになった。
深夜にやってきた小児ぜんそくの女の子(2才)は、
血液中の酸素濃度が必要とされる量の半分程度まで落ちており、
小さな胸をけいれんするように激しく上下させ息をしようとあがく様は、
傍で見ているにも痛々しかった。
酸素吸入をさせるとともに点滴をしたのだが、
幼児のか細い血管を捜し出して針を刺すのは難しく、
小児科専門の医師でなければなかなかできないのだという。
明け方ちかく、脳出血の疑いで、
一時間以上離れた町から救急車で運ばれてきた30才の女性は、
前夜は新年会で徹夜していた。
きょう(というか、すでに前日なのだが…)は普通通り働きに出て、
夜になってから激しい頭痛に襲われ、意識が半ば混濁していたようだ。
夫とは別居中で、幼い子供たちは友人が預かることにして救急車を呼んだ…
患者の診察が一段落して当直の医師が宿直室に入っても、
30分かそこらでまた呼び出されるという状態が一晩中続いた。
つきあっていたぼくも、
診察室の椅子に坐って20分ほどうつらうつらしただけで朝を迎えた。
結局、朝までにやってきた時間外の患者は23人。
救急車による搬入は5件だった。
それでも、夜勤の看護師さんたちによれば、
「こんなに平穏な日は珍しい」という話だった。
今回は当直明けの12日が土曜日だったからまだいいのだが、
これが平日なら、当直医は眠らないまま朝から平常の診察に入ることになる。
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駅弁の日々
2008/01/09 Wed 格納先: Food &
Drink
昨年来、強行軍で連日長距離を移動する出張が続いている。
乗り継ぎなどで落ち着いて昼めしを食べられないこともしばしばで、
駅弁を買ってすませることが少なくない。
8日の昼食は新大阪駅の「福ふく弁当」(1100円)。

大阪は「1888年創業」だという「水了軒」があり、駅弁のおいしいところだ。
「八角弁当」や「御堂筋弁当」がぼくの定番だが、
新発売だという「福ふく弁当」を買ってみた。
大阪の「福」はすなわち「河豚」のことであり、
この弁当にも骨ばかりで食べるところの少ないフグの唐揚げなどが入っていた。
炊き込みごはんはおいしいが、定番を脅かすには至らないようだ。
きょう(9日)は福知山線・篠山口駅の「幕の内弁当」(920円)。
なんというか…まぁ、あまりに平々凡々たる幕の内で、
丹波なんだから黒豆くらい使えよ、といいたくなる。
駅弁には旅情を感じさせるものがあってぼくは好きなのだが、
連日ではちょっとつらく、たまには落ち着いて食事をしたくなる。
それに、お茶とあわせれば1000円以上かかるので、意外と高くつくのだ。
乗り継ぎなどで落ち着いて昼めしを食べられないこともしばしばで、
駅弁を買ってすませることが少なくない。
8日の昼食は新大阪駅の「福ふく弁当」(1100円)。

大阪は「1888年創業」だという「水了軒」があり、駅弁のおいしいところだ。
「八角弁当」や「御堂筋弁当」がぼくの定番だが、
新発売だという「福ふく弁当」を買ってみた。
大阪の「福」はすなわち「河豚」のことであり、
この弁当にも骨ばかりで食べるところの少ないフグの唐揚げなどが入っていた。
炊き込みごはんはおいしいが、定番を脅かすには至らないようだ。
きょう(9日)は福知山線・篠山口駅の「幕の内弁当」(920円)。
なんというか…まぁ、あまりに平々凡々たる幕の内で、
丹波なんだから黒豆くらい使えよ、といいたくなる。
駅弁には旅情を感じさせるものがあってぼくは好きなのだが、
連日ではちょっとつらく、たまには落ち着いて食事をしたくなる。
それに、お茶とあわせれば1000円以上かかるので、意外と高くつくのだ。
丹波の「寺田屋」
2008/01/08 Tue 格納先: Medical
きょうは兵庫県丹波市に出張、
今年も「旅から旅へ」の日々が始まった。
医療崩壊の淵から起ち上がろうとしている県立柏原病院の取材である。
丹波市は、
激務に疲弊している小児科医を守るために
「コンビニ感覚」での安易な受診は控えようと
若いお母さんたちが呼びかけを始めたことで知られている。
全国の医療をめぐる住民運動のおそらく9割9分が
行政に「医師の確保」を求める要求型の運動であるのに対し、
住民(患者)自身の受診行動を問いただした運動のありようは
突出してラジカルな(「過激」という意味ではなく「根源的」)ものだ。
そして、この町では、
お母さんたちに呼応するように新しい動きが起ころうとしている。
それが「丹波医療再生ネットワーク」で、きょう(8日)正式に発足した。
「丹波医療再生ネットワーク」は、
若手の開業医を中心にした集まりで、
「医療崩壊」の現状を広く市民に知ってもらい、
県立柏原病院(医師が4年で16人も減った)を側面から支えていこうというものだ。
薬剤師や弁護士、元県庁職員、新聞記者など様々な人たちが参加している。
ややもすれば公立病院とは利害関係が錯綜しがちな開業医が
地域の医療の核になる公立病院を守るために起ち上がった意味は大きく、
お母さんたちの運動(県立柏原病院の小児科を守る会)との相乗効果が生まれれば、
医療崩壊に瀕した丹波は一転「地域医療再生の聖地」になる可能性を秘めている。
「丹波医療再生ネットワーク」のメンバーたちは、
その前身である「若手医師の会」時代から、
毎週火曜日の夜に集まって議論を重ねてきた。
仕事が終わった20時半に集まり、終わるのは23時か24時になる。
翌日も仕事を抱えた忙しい人たちがそれだけでも大変なことだと思うが、
凄いのは、それから近所の居酒屋に場所を移して、
酒を酌み交わしながらなおも熱い議論を続けていることだ。
ぼくも二度つきあったが、これがだいたい午前2時までは続く(笑)。
居酒屋には「八丁」というれっきとした名前があるのだが、
誰もそうは呼ばず「寺田屋」と呼ぶ。
維新の志士たちが集まった、あの「寺田屋」である。
(藩主に粛正されそうな気がして、ちょっと怖いが…)
丹波に取材に行くと、
「医療維新」を夢見る志士たちの熱気に煽られて、ぼくも寝不足になってしまう。
今年も「旅から旅へ」の日々が始まった。
医療崩壊の淵から起ち上がろうとしている県立柏原病院の取材である。
丹波市は、
激務に疲弊している小児科医を守るために
「コンビニ感覚」での安易な受診は控えようと
若いお母さんたちが呼びかけを始めたことで知られている。
全国の医療をめぐる住民運動のおそらく9割9分が
行政に「医師の確保」を求める要求型の運動であるのに対し、
住民(患者)自身の受診行動を問いただした運動のありようは
突出してラジカルな(「過激」という意味ではなく「根源的」)ものだ。
そして、この町では、
お母さんたちに呼応するように新しい動きが起ころうとしている。
それが「丹波医療再生ネットワーク」で、きょう(8日)正式に発足した。
「丹波医療再生ネットワーク」は、
若手の開業医を中心にした集まりで、
「医療崩壊」の現状を広く市民に知ってもらい、
県立柏原病院(医師が4年で16人も減った)を側面から支えていこうというものだ。
薬剤師や弁護士、元県庁職員、新聞記者など様々な人たちが参加している。
ややもすれば公立病院とは利害関係が錯綜しがちな開業医が
地域の医療の核になる公立病院を守るために起ち上がった意味は大きく、
お母さんたちの運動(県立柏原病院の小児科を守る会)との相乗効果が生まれれば、
医療崩壊に瀕した丹波は一転「地域医療再生の聖地」になる可能性を秘めている。
「丹波医療再生ネットワーク」のメンバーたちは、
その前身である「若手医師の会」時代から、
毎週火曜日の夜に集まって議論を重ねてきた。
仕事が終わった20時半に集まり、終わるのは23時か24時になる。
翌日も仕事を抱えた忙しい人たちがそれだけでも大変なことだと思うが、
凄いのは、それから近所の居酒屋に場所を移して、
酒を酌み交わしながらなおも熱い議論を続けていることだ。
ぼくも二度つきあったが、これがだいたい午前2時までは続く(笑)。
居酒屋には「八丁」というれっきとした名前があるのだが、
誰もそうは呼ばず「寺田屋」と呼ぶ。
維新の志士たちが集まった、あの「寺田屋」である。
(藩主に粛正されそうな気がして、ちょっと怖いが…)
丹波に取材に行くと、
「医療維新」を夢見る志士たちの熱気に煽られて、ぼくも寝不足になってしまう。
西伊豆の海を満喫
2008/01/06 Sun 格納先: Diving
今日は西伊豆の井田ビーチに潜った。
このあたりは昔は戸田村といったが、2年前、合併により沼津市に編入された。
ちょうど20年まえの冬、
「ぐるっと海道3万キロ」という番組でこの戸田村に滞在したことがある。
だから、ぼくにとってはとても懐かしいところである。
井田は伊豆のなかでも特に好きなダイビングポイントなのだが、
なかなか機会がなくて、きょう潜ったのがなんと5年ぶり(2003年5月以来)。
浅い砂地から水深30mちかいソフトコーラルのお花畑まで、
環境が変化に富んでいて、多様な生物が暮らしているのが魅力である。
これは砂地にいたウデフリツノザヤウミウシ、
その色と姿から「ピカチュウ」と愛称されている。
こちらは深みにいたイロカエルアンコウ、10cm以上のかなり大きな個体だ。
カエルアンコウはつい先日まで「イザリウオ」と呼ばれていたが、
いまどき好ましくないと考えられたのだろう、突然名前が変わってしまった。
その名の通りアンコウの仲間で、
鼻先から擬似餌(エスカ)を出して小魚をおびき寄せて食べる。
残念ながら、ぼくはまだ食餌の様子を観察したことはないのだが…。
きょうは二本とも一時間ちかく、エアがなくなるまで潜っていた。
とても愉しい一日だった。
このあたりは昔は戸田村といったが、2年前、合併により沼津市に編入された。
ちょうど20年まえの冬、
「ぐるっと海道3万キロ」という番組でこの戸田村に滞在したことがある。
だから、ぼくにとってはとても懐かしいところである。
井田は伊豆のなかでも特に好きなダイビングポイントなのだが、
なかなか機会がなくて、きょう潜ったのがなんと5年ぶり(2003年5月以来)。
浅い砂地から水深30mちかいソフトコーラルのお花畑まで、
環境が変化に富んでいて、多様な生物が暮らしているのが魅力である。
これは砂地にいたウデフリツノザヤウミウシ、
その色と姿から「ピカチュウ」と愛称されている。
こちらは深みにいたイロカエルアンコウ、10cm以上のかなり大きな個体だ。
カエルアンコウはつい先日まで「イザリウオ」と呼ばれていたが、
いまどき好ましくないと考えられたのだろう、突然名前が変わってしまった。
その名の通りアンコウの仲間で、
鼻先から擬似餌(エスカ)を出して小魚をおびき寄せて食べる。
残念ながら、ぼくはまだ食餌の様子を観察したことはないのだが…。
きょうは二本とも一時間ちかく、エアがなくなるまで潜っていた。
とても愉しい一日だった。