薔薇のつぼみ

オーソン・ウェルズの話をしようというのではない。
ここのところ東京はすっかり春めいてきて、
我が家のバルコニーでは薔薇が今年最初のつぼみをつけた。
薔薇のつぼみ
もういまにも開かんばかりだが、この花が咲く頃には、ぼくはまた次の出張に出ているのだろう。
冬枯れの季節を耐えた植物の逞しい生命力が、なんとも愛おしいものに思えてくる。
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仕事依存症?

仕事のこと(次回作の企画)を考えていたら、頭が冴えて眠れなくなってしまった。
自宅にいても、出張先でも、最近はそういうことが多い。
かみさんが横に寝ているときはゴソゴソすると怒られるので大人しくしているが、
いまは留守なので、明け方に起き出してウィスキーを嘗めたり、パソコンのキーを叩いたりする。
酒を飲んでも神経は昂ぶったまま、アイディアが妄想的に膨らんでいくだけで、寝つけない。
午まえにようやく3時間ほど寝て、午後、パソコンに向かって企画書を打つ。
かみさんがいないと、昼夜が逆転したような生活になってしまう。

「(崩壊状態にある)地域医療の再生」が目下のテーマなのだが、
先日「福祉ネットワーク」で扱った兵庫県丹波市(兵庫県立柏原病院)、
取材を進めている千葉県東金市(千葉県立東金病院)、
それに加えて、一年以上継続的に取材している北海道の夕張市立診療所、
崩壊から立ち直ろうとしている三つの医療機関をそれぞれ60分のドキュメンタリーにして、
3週連続で放送できないかという「野心的企画」(笑)を立てた。
三つの医療機関はインターネットを通して連携しており、
先日、丹波の人たちが東金を訪ねたように実際の人的交流も始まっている。
だから、それぞれの回の主人公である医師や住民が、
他の回には脇役・ちょい役として出演するという仕掛けを考えた。
知る人ぞ知る(知らない人の方が多いと思うが)
クシシュトフ・キェシロフスキ「デカローグ」のスタイルである。

「3週連続放送!」といっても、
放送枠をぼくが独り占めするわけにもいかないので現実的には難しいのだが、
最近は普通に番組を作るだけでは飽き足りなくなってきた。
30年ちかくもこの世界でメシを食ってきたので、
近頃では先が読めてしまって、番組の仕上がりもおおよその歩留まりは判断できる。
それでは面白くないし、給料ほど働いていないのではないかという妙な強迫観念にとらわれる。
去年の今ごろは90分番組を2本かけ持ちで作っていたので、今年は3本(笑)。
自分に負荷をかけて常にアドレナインが全開の状態に置いておきたい。
…これってビョーキですかね?
のんびり番組を作っていると落ち着かないのは、仕事依存症だろうか?
ぼくの年齢だと第一線でやれるのは長くてあと10年だから、
残り少ないテレビ屋人生を燃え尽きたいと、無意識のうちにそう考えているのかもしれない。

書き上げた企画書(の下書き)をメールに添付してプロデューサーに送る。
十年ほど後輩のプロデューサーには、
「ちょっと難しいんじゃないですか?」とやんわりたしなめられてしまった。

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男の休日

妻が「実家に帰らせていただきます」と言い残して出ていったので(笑)、
高校生の息子と二人で、一週間、留守番をすることとなった。
きょうは二人とも休みだったので、
ぼくはフィルムセンターに仁侠映画(「日本侠客伝 雷門の決斗」)を観に行った。
(通俗には違いないが、日本の大衆芸能の王道をいくマキノ雅弘の“芸”を堪能した。)
受験生の息子は図書館で勉強をしていたようだ。

夕食はちょっと贅沢にオージービーフ(テンダーロイン)のステーキ。
実はぼくは「美味しんぼ」の原作者・雁屋哲さんにも認められた、自称「ステーキ焼きの名人」である。
一子相伝で、息子にもその技は伝えてある(そんな大袈裟な話でもないか…笑)。
というか、ステーキなら、肉さえ用意しておけば息子が自分で焼くので、ぼくは楽なのである。
息子はどちらかといえば無口な性質(たち)なので、黙々と食べる。
ぼくもお喋りな方ではないので、安いチリ・ワインを飲みながら、黙々と食べる。
妻がいればテレビをつけるのだろうが、
ぼくは「ながら」でテレビを見ることをしない。
9時からNスペ「激流中国」(上海から僻地に赴任した若い学校教師の話)を見たが、
終わるとまたスウィッチを切った。
妻が一人いないだけで、家のなかは静かなものである。

息子は風呂に入って、「おやすみ」とも云わず寝てしまった。
ぼくはワインを一本空けて、ソファで気持ちよくうたた寝を決め込む。
かみさんがいればメチャクチャ怒られたところである。
(帰ってきてこの日記を読んだらメチャクチャ怒るだろうから、同じことか…)
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