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| 夢追う者 | | 作成日時: Dec 15, 2004, 10:39 AM |
1996年3月、東京千代田区の建築設計事務所で、「日本一短い母への手紙」で有名になった、福井県丸岡町の『一筆啓上賞』の第四回作品募集のポスター用の絵を描いている男がいる。
吉田桂二、65歳。職業は建築家。不思議な縁で、丸岡町の依頼により「日本一短い父への手紙」の絵を描くことになった。その縁の一端は、30数年前に彼が軽井沢の沓掛に設計した、中野重治の別荘である。中野重治は、丸岡町の出身であった。1983年、吉田の設計により、中野重治記念文庫を備えた丸岡町民図書館が完成した。中野重治夫人が、設計を吉田でと指名したのだ。以来、丸岡町との縁は続いている。
吉田桂二は、1930年、岐阜の上竹町に歯科医の次男として生まれた。上竹町は、道沿いにベンガラ格子と灰色の漆喰壁の二階建の町屋が、軒を連ねていた。
吉田は、子供時代、近所の子供たちと、その界隈で遊び惚けていた。
その後、陸軍幼年学校に進み、入学して半年で、終戦を迎える。8月16日岐阜駅にたどりついて、彼が見たものは、灰燼に帰した岐阜の町であった。二年後、吉田は、東京美術学校(東京芸大)の建築科に進学した。同級生に、平山郁夫がいた。五年後、前衛的な建築に憧れ、池辺陽の研究室に入る。修行時代を経て、1958年仲間三人と独立して連合設計を設立。高度成長期にあって、住宅や工場など様々な建築の設計をする。
1967年、ヨーロッパを旅行して、風土に溶け込んだ町並みを見る。帰国後、日本の消え行く風土の一部である民家を見て歩く。
設計が縁で、本多勝一の仕事場を信州飯田に建てることになり、本多と共に信州を訪れ、山間の廃村大平を知る。
江戸時代からの歴史ある集落を守ろうと、大平宿保存運動に参加。仲間を募り、改修保存に乗り出す。大平にかかわり、建築家としての自分の生き方の原点を『保存と創造』のゆるやかな連続だと掴む。日本の風土、風景、景観、暮らしに根差した設計が、評価される一方で、町並み保存運動の助っ人に飛び回り、目の覚めるような民家再生を行いながら、損得勘定には無縁の、『夢追う者吉田桂二』の旅は続く。 |
大庭桂さんの『夢追う者』が本になりました。
『造景する旅人 建築家・吉田桂二』ISBN4-938894-62-9定価:2400+税
風土社より好評発売中 |
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