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■ 個人新聞“たじみより”>吉田桂二さん >峠の村のものがたり >十頁 |
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中央線の辰野タツノから伊那谷を南下する伊那電鉄が、大正2年に飯田に達し、伊那谷全域と三留野を結ぶルートの交通上の価値は激減しました。後に伊那電鉄は国鉄飯田線と名前を変え、昭和11年に東海道の豊橋まで全通します。大平は通常の山村へと変化しました。 太平洋戦争中も大平は平和でした。戦後の物資不足も大平には恵みをもたらしました。木炭がつくるそばから飛ぶように売れてゆきました。 しかしそれも昭和34年までのことでした。エネルギー源の石油への変換で、木炭の売れ行きが激減したのです。これが過疎への始まりとなりました。 |
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