■ 個人新聞“たじみより”>吉田桂二さん >峠の村のものがたり >九頁

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大平の人達は昔から貨幣経済に慣れていて、生活も割合派手でした。茶屋を営む女衆はカルサンもモンペもはかず、長着を着流しにして、髪には水油をつけていました。

里で麦飯が常食の頃でも白米を食べ、家も黒光りするほど磨きあげていて、「腰かけるのが勿体ない」という人もいたし、木曽から来た人達は、「まるで町に来たようだに。」と言ったと伝えられます。

大正元年になると、飯田・三留野間に定期バスが開通、郵便局と小学校もできました。伊那地方の郵便物輸送は全て大平経由だったので、ここの郵便局には、伊那地方で最も早く他からの郵便物が届いたのです。伊那の小学校の修学旅行もここを越えてゆきました。