■ 個人新聞“たじみより”>吉田桂二さん >峠の村のものがたり >五頁

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翌5年には、藩主、堀親長ホリチカナガが幕府から大阪勤番を命じられ、大名行列が大平街道を通り妻籠を経て、中山道を西に向かいました。紙屋にはその時、殿様がこの家で休んだという伝承が残っています。今でも大平一の規模を誇る紙屋は、大蔵家で五平次の子孫の家です。

この時の大平の戸数は五戸と伝えられています。紙屋のあたりに、比較的まとまって建っていたように思われます。

大平は尾張藩との境界にあったのですが、ここには番所はおかれず、番所はずっと山の下、飯田からくると松川を左下に見ながら進んで谷に降り、松川を徒渉する市之瀬にありました。