代官山タベルト閉店から考える、代官山ライフの変化。


アドレス完成後、景気の状況は停滞気味であった事もこの手の高級食材店には逆風ではなかったのだろうか、毎日食べる食材に関しては、幾らハイソな代官山住民であっても”良い物を安くと”いう時代の流れに逆らう事は出来なかったのだと思う。


既に数ヶ月前の話と名なってしまったが、ハイソな新世代代官山ライフを送るユーザー向け高級スーパーである、代官山アドレス内の代官山タベルトがあまりにも唐突に、そしてひっそりと閉店した。それと入れ替わるように、スーパー業界の雄である大丸ピーコックが新テナントとして入店。
タベルトは、一見するとリッチでデザインコンシャスな都会派の代官山ライフに非常にマッチしていたかのように見えたのだが....
諸事情はあるのだろうが、常識的に考えて、成功していて撤退は考えられない。ハイソな代官山ユーザーにも指向や消費の変化が起きたのだろうか。

今回のこのテナント交代から憧れの代官山ライフの微妙な変化を探ってみたい。

ざっと説明すると、以前のテナントであった高級スーパーのタベルトは輸入食材等も含めた高級食材を揃え、ITバブルなどでお金持ちになったような新興の山の手セレブユーザーを意識にした店作りを展開していた。あらゆる食材等の平均価格は高く、一部には、アドレスに住んで同店で買い物を毎日出来るなら結構な成功者とまで考えられていたようだ。同時に良質な生ハム等、嗜好的商品の充実は中々見ていて楽しい物であった...

代官山の再開発計画の柱として建設されたアドレス。都心部に素敵で便利な複合施設をという事で推進されたプロジェクトであったが、
同施設完成後は、以前から徐々に進みつつあった代官山の観光地化をさらに加速させ、一見さんの流入が増加し、周辺の店作り/運営にも影響をもたらしたように私は思う。個性が薄まり、マスを意識し始めた。

結果的にいわゆる通の代官山離れをも促進してしまったようにも思える。観光客の流入に嫌気のさした代官山難民は大挙して中目黒方面に流れた。
今では目黒川沿いは強力な流行発進地域になったのではないだろうか。

そんな状況下ではタベルトの様な店は、冷やかしは多いが実利用者が少なかったのではないかと思う。かくいう私もそうであった。
スーパーマーケットのビジネスにおいてリピーター獲得は死活問題であり、いつ来るかも判らない様な一見さんの比率が増えるのは当初から危険であったのかもしれない。そして代官山という地域は一部のユーザーを除いて通過駅の要素が大きい。従って高級スーパーが繁栄を続けるにはパイが小さすぎたのかもしれない。

アドレス完成後、景気の状況は停滞気味であった事もこの手の高級食材店には逆風ではなかったのだろうか、毎日食べる食材に関しては、幾らハイソな代官山住民であっても良い物を安くという時代の流れに逆らう事は出来なかったのだと思う。

以前のエントリー にも書いたように古くからの山の手ユーザーは意外と庶民的な普通な生活をしている事が多く、このスーパーは
実はさほど支持されていなかったのかもしれない。旧来から住んでいるユーザーは同店を殆ど利用していないという調査結果もある。

変わりゆく代官山を前に私たちはただ立ち尽くすだけだが、他の地域での大規模開発の増加も観光的要素を分散させてしまい、代官山には以前のような求心力やバブリーさは少し薄れたように見える。少なくても2000年よりは...

まあ、考えようによっては、如何に代官山と言っても、地に足をつけた賢い生活スタイルは必須という事だろう。生きて行くには...

■関連情報:
渋谷経済新聞”代官山アドレスのフードマーケット跡に「大丸ピーコック」出店”

Posted: 火 - 9 月 27, 2005 at 01:18 午後          

代官山タベルト閉店から考える、代官山ライフの変化。
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