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第55回余白句会報告記

井川博年

2004・10・16(土)
吉祥寺本町コミュニティーセンター
【千円札の漱石氏】

 いやあ、今回も小生の特選はならず。
 いったい、小生が天をとったのは、何時の事だったろう。調べると、ひと昔前の92年の第9回の深川・芭蕉庵での句会に、
  ひともとの柳老いけり遊女町     騒々子
 で、間違いなく天を取っているのだが、それ以来はバッタリ。皆が上手くなったのか、小生が下手になったのか。その両方でしょう。句会で採られる句には、いい句なし。といわれるが、やはり、口惜しい。
 10月16日。前回に引き続き沖仲仕・今井聖氏をゲストに、久し振りに巷児師匠を迎えての句会です。場所は前回でお馴染みになった吉祥寺本町コミュニティーセンター。今回は二階の和室二部屋を豪勢に使っての句会でした。ここで出席者が来る度に、句の短冊と会費を集めてて選句用紙に貼り、その間に巷児師匠と会うのは初めての、やよい、沖仲仕の紹介と挨拶がありました。ここから選句用紙をコピーに出ている間が雑談タイムで、ここでの話がいちばん面白いのだが、コピーに行っている者はそれが聞けない。それが新参者の運命なのだ。
 今回の兼題は巷児出題の秋の季語、雀蛤になる・夜学・烏瓜・千(無季)でした。雀蛤になる、をどう作るか。一時間後、厳選の末選ばれた一位の句は、

    鉄棒の鉄しんしんと夜学かな     銅羅

 でした。山羊、蝉息、やよいが。赤帆、沖仲仕のとあき子ので14点を集め、堂々の一位。14点というのは最近の最高点でしょう。今までもあまり見たことがない。小生「しんしんと」は〔鉄〕に懸かっており、あまり適切な比喩ではないとケチをつけたが、沖仲仕のこれは夜が更ける〔夜学〕にかかっている、との滴切な解説にギャフン。人の気配のない夜の学校の運動場に真っ黒い鉄棒だけがシンと冷たく立っている。銅羅は前回も曳舟の夜間中学校の句で評判を得たが、この分で行くと、「学校の銅羅」ということになりそうである。
 もう一句、これ又みなと、裏長屋のに、騒々子、宗道、沖仲仕ので三位になった、

    千の絵をかいて利行のはだしかな   銅羅

 がいいですなあー。この句は利行が長谷川利行だと知ってる人がいたら、もっと点が増えたのに。長谷川利行は戦前の放浪画家で、1940年10月12日、東京板橋の養育園で行路病者として49歳で死去。小生が生まれる二箇月前のことだ。小生、熱狂的なファンです。昨年二科記念展で「機関車庫」を見たし、今年もこの句会の後、小沢さんにいわれて行った、練馬区立美術館の「小熊秀雄と画家たちの青春展」でも、くちゃくちゃの紙に描かれたスケッチや小品を見て感動したのだ。因みに小熊秀雄も同じ1940年11月20日に死んでいる。

    祖父ねむる魚町雀蛤に        赤帆

 沖仲仕の。山羊、宗道、あき子の、巷児、蝉息のと広く点を集めて11点ので二位です。これもう、見た感じがいいからなあ。魚町は肴町の方がいい、といった者もいたが、この場合は断じて魚町ですな。ここで雀の蛤が生きてくる。祖父と魚と蛤がぴったりと重なるのだ。ところで、祖父は本当に魚の名が付いた町に墓があると、作者がいったように聞こえたけど。「知らない」といった弟(昶)に、「知ってるはずだ」と念を押したように聞こえたけど、事実はどうなんですか?
 赤帆句これ以外は平凡。「寂として日は動かずよ烏瓜」。

    秋桜千にひとつは馬の墓       宗道

 あき子の。巷児の。蝉息、銅羅の。銅羅の利行の句と並んで7点で同点三位。なかなか綺麗な句であるが、ほんとに「千にひとつ」も馬の墓があるのかねえ。「千にみっつ」は嘘の例えで首を傾げたくなるが、 に選んだ巷児師匠いわく。「探せばそれくらいあるでしょう。田舎では馬は人間より大事にされたんだから」。
 小生、この句は秋の競馬シーズンからとったのではないかと推測する。これはいいけど他はひどい。「雀蛤に詩人松田の山の墓地」なんて、松田さん(詩学研究会に来ていたあの松田克行さん?)地下で泣いてるぜ。

    蛤のきのうは雀あさっては      裏長屋

 赤帆の。騒々子の。あき子のの6点で惜しくも五位。これは「雀海に入りて蛤となる」というのを、してその後は?と問い掛けたところがミソ。これって輪廻転生?、と昶が聞いてましたが、巷児師に聞くと、昔から鳥が海に入って海の物になるという話が中国出来だろうけどあって、逆にいえば海の物は空から来たということになる。『季寄せ』で見ると「蛤の模様が雀の羽柄に似ているから」とあった。これが面白がられて俳句の季題(季語ではない)になっている。ズボン堂の好きな「亀鳴く」とか「雁風呂」の類です。今回各人が作った句はほとんどこの裏長屋の類でした。あき子の、「雀蛤となりて蛤がまた雀」が典型だ。そこで、これまた似たような句があるので紹介する。

    嘘ばっかり雀蛤となり女房となる   騒々子

 面白い、と赤帆、銅羅がに入れお情けの2点。昔話の雀の女房をねらったもので、ウチの奥さんのことではありません。だいたいこの兼題では、こういうものしか作れない。これを選んだ巷児師匠はといえば、「蛤や雀が海を選んだ日」という土肥あき子の句集『鯨が海を選んだ日』への挨拶句?を作っている。洒落てるなあ。それをどうしてあき子は採らないのだ!「嘘」といえば、騒々子のもう一句、「校門に夜鳴きソバ出る夜学かな」は昶がに入れてくれたが、巷児師、「こういう見てきたようなウソはいけません」と一喝。嘘はつけません。

    新しいあだ名をもらう夜学かな    あき子

 蝉息、沖仲仕のに巷児、裏長屋のを加えて6点。沖仲仕は、「新しいあだ名」は昼間の学校から移ったからではないのか、といううがった解説をしていたが、それよりも夜学でのあだ名は、大ちゃん、とかイカコウ(これはうちの息子のあだ名−イカワ・コウスケだから)といった名前や体型に因んだものから、沖仲仕、社長といった職業に因んだものに代わるのだ。これが「新しいあだ名」ではないのか。あき子のもう一句は何?「天涯孤独千の烏瓜灯す」。小生、さっぱりわからない。宗道はに入れ、山羊もに入れているが、何が天涯孤独なんですか。こういう嘘もいけません。
 6点句をもう一つ。今回連続欠席のズボン堂です。

    夜学生闇を蹴り蹴り登校す      ズボン堂

 みなと、銅羅の、昶、宗道の。昼間の仕事のことでカリカリしている夜学生。それともサッカーの練習してるのか。でもその場所は銅羅と蝉息が(男ばっかり)感心して点を入れてしまった、「キャバレーの裏にひっそり夜学校」になるのだ。これもウソ臭い。
 夜学生といえば、一昨年に出た以倉紘平の『夜学生』は良かった。大阪の下町の工業高校の夜間部の教師として以倉紘平は三十三年間過ごした。その間に見た幾多の夜学生の思い出を綴ったこの本は、われらの世代(以倉は小生や昶と同じ昭和15年生まれ)が書きえた最良の本でした。『夜学生』といえばもう一つ、杉山平一の有名な詩集があります。裏長屋の句にそのことを詠んだ句、「夜学生という名の詩集読んだころ」があった。
 さてお待ちかねの沖仲仕、このひとも高校教師です。

    ダンクシュート連発夜間授業のあと  沖仲仕

 同じく先生のやよいがに入れたのはわかるが、裏長屋はダンクシュートわかっててに入れたのかな、わからない。この句は、夜間授業が終わった後、生徒や教師がバスケに興じている所でしょう。むきになっているのは生徒か教師か。いすれにしろ最近の光景だ。その学校では校長は、「庭師校長と化すや雀蛤に」という不思議なことになっているのだ。巷児、感心してに入れた。山羊も(このひとも先生)ちゃんと見てに入れた。だいぶ前に見たTV映画に、庭師が大統領に間違われ、園芸用語での話が、時の政治状況の的確な指摘とあって、名大統領とうたわれるというのがあったっけ。最後はどうなったのか。また庭師に戻ったはずですが。

    米を研ぐ夜学教師の灯りかな     昶

 どうしてこうして夜学の句はウソっぽくなるのか。こんな見え見えの句に騒々子感動してを入れる。騒々子句には昶がを入れているところから、この二人の鑑賞力は似たようなものだとわかる。今時宿直してる先生なんていないのだ。今の学校には子使さんもいない。夜はガードマン(詩人の中上さんや山岡くんのような)が周回してるのだ。昶の想像力は古いなあ。「ひと仕事して人妻も来る夜学かな」も、皆がどういうアルバイトだとけしからぬ想像をしていましたが、晩御飯でも用意してからまともに夜学に通ってるんだと、赤帆、 に入れました。皆んな夜学生に同情的だなあ。

     相模台工業高校ラグビー部
   スクラムや夜学生遅れて入る     山羊

 沖仲仕がバスケなら、こちらはラグビー。ラグビー好きな昶が、赤帆が。これは昼間の学生が練習しているところに、夜間部の生徒が遅れてスクラムに加わったところだろうが、こんなことってあるだろうか。相模台工業高校は山羊先生の自宅の近くだから、嘘ではないでしょう。この学校には『独楽』の詩人高野喜久雄がいたという話です。ここらで今回の兼題では数少なかった烏瓜の入選句、「草取りを終えて掌にある烏瓜」を見る。やよいのと騒々子、裏長屋ので4点。小生、実際のところ烏瓜なんてまったく知らなかった。この日、山羊持参の(家の近くで採ってきたという)本物を見て、なんだこれだったのか、と初めて知った。だからこの句に点入れたのは、その感動です。さて次はやよいの夜学、

    妻眠り夜学教師の飲む時間      やよい

 沖仲仕が同情しての1点。これもかなりウソっぽい今時、夜学からの遅い帰りを待って起きてる奥さんなどいますまいが、呑んで帰るには遅すぎる、必然家で呑むことになる教師。妻のいびきを肴に、ウイスキーかなんか呑んで、身につまされますなあ。その主人は、「なけなしの千円賭ける菊花賞」の主です。この句はもう川柳の世界だ。それでも千円賭けるのは立派。ズボン堂は昔単賞100円1点買いで勝負していた(金がなくてそれしかできなかった)豪傑です。今回やよい低調、「微熱ある頬の赤さよ烏瓜」も、何だかわからなかった。

    露の世に千人斬るや土手の草     蝉息

 この句に騒々子を入れました。何故かといえば、これは後述する巷児師匠の最新本『悲願千人斬の女』への挨拶句だったからである。まあそれだけでなく、大袈裟な句で面白いのだ。土手の草とは夜鷹ですな。ここで逢うたも何かの縁、ちょうど貴方が千人目、というところか。或いは全然違うことなのか、自信ありませんが。
 詩集『雲の縁側』で花椿賞をもらった蝉息・八木忠栄詩の方面が忙しくて、俳句が少し下手になったようで喜ばしい限りである。次の句だって目茶苦茶だ。「雀蛤となる再婚しよう」。騒々子句とどこが違うっていうの。
 さてそこで、いよいよ巷児師の登場です。

    人はしゃれこうべ雀は蛤に      巷児

 読み返すと、この句はいいですなあ。小生、いつも師匠の句を見落とすのだ。わかってない。わかっている蝉息はに、あき子はに入れた。句意は蝉息のいう「行く末」を示す。諸行無常。朝の紅顔夕べに白骨となる。野ざらしのしゃれこうべは、舌だけが健在で何かしゃべっている。おそらく昔騒々子と名乗っていた男のものでしょう。「目は薄舌だけ残るしゃれこうべ  騒々子」
 夜学の句もあります。

    先生も訛る夜学や北千住       巷児

 北千住がキーポイントとわかっている裏長屋が。南千住と違い、川向こうだから東北が近いのだ。小生、ダクト屋(といってもわからないでしょうが)の手伝いをしていた時に、職人連中の家迄行って現場に連れて行くということをしていたので、あの辺りにはよく行った。昔、東京球場のあったところ、というとわかるかしら。
 小沢信男著『悲願千人斬の女』は、筑摩書房より8月15日(!)に出ました。定価1,900円+税。出るやたちまち週刊朝日、朝日新聞日曜書評欄、月刊論座に書評が載る。これを「朝日の三冠王」というそうです。朝日新聞の中条省平の評、「『犯罪紳士録』の著者による破天荒な奇人列伝。一度読みはじめたらやめられないほど面白い。山田風太郎の明治ものをもっと実証的に仕上げた趣だが、著者の口調が講談の名人ように弾んで、それ自体至芸として結晶している」。
 さてその中身はといえば、松の門三艸子、木村荘平、芦原将軍、稲垣足穂。まずは読んでください。週刊朝日のインタビューで小沢さん、「そう、これが今まで私の書いた本の中では一番おもしろいかもしれないな」。
 こういうものが賞もらえないかなあ。さて、いよいよ最後は、こちらが勝手にトリにしたみなと句です。

    秋風や千円札の漱石氏        みなと

 みなと、一代の傑作でしょう。巷児師、感心して今まででいちばん良い、と誉めるも点入れず。この句に点入れたのは昶、赤帆の兄弟のみ。小生、まったく見落としていた。大ポカでした。この句は余白句会史上の名句として残る。千円札ある限り思い出す句となるに違いない。この句会のあった10月は千円札が夏目漱石から野口英世に代わった年として記録されるであろうが、それと共にこの句は後世まで語り伝えられる(オーバーですが)でしょう。いやあ、参った。この句があんまり強烈なので、こちらのほうが銅羅のと巷児のと4点も入った「からすうり姫の初子の肌赤き」がどこかにふっとんでしまいました。千円札の威力である。

 ということで、句会はめでたく終わり、これもこれからの定番となりそうな吉祥寺ビアホールで二次会。ここでは昶さんの関係のいろんな人が現れるも、こちとら酔っぱらっていてよくわからず。かくて吉祥寺の夜は「しんしんと」更けていったのでありました。

2004・12記


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