| 第53回余白句会報告記 |
|
井川博年 2004・6・19(土)東京・三鷹市公会堂 |
|
【星霜移り、人は去り人は来る句会】 いやあーいろんなことがありました。あんまりあったので思い出すこともできないほどだ。辻征夫が死んでからはなんだか気が抜けてしまって、あれから(辻が死んだのは2000年1月だから実に覚えやすい)四年の間に余白句会も12回も開かれていて、その間には昨年6月の50回記念句会というメーン・イベントもあって、何回かは報告記も書いているのだが、すべてインターネットの余白掲示板に発表されていたので、書いた当人がパソコン不調で読めない、印刷もできないから見ることもできないという有り様。そこで、今回からまた昔のスタイルに戻ることとなったが、これにはワケがあって、簡単にいえば句会も集まりが悪くなったという訳である。現在の状況といえば、以下のようなことになります。 まず小沢信男師匠。ずっと頑張って出てもらっていたのだが、昨年冬に老人性結核に罹り入院し、やっと治ったところで、しばらくは「句会は遠慮したい」。 小沢さん、「彷書月刊」に写真入りの回想記を連載。そこには看護婦さんに囲まれた若き日の清瀬の結核療養所での写真が載っています。これが再発したのだ。 多田道太郎また、昨年から数度の怪我や入院で外出も大変ということになり、当然句会も欠席。小生、この春お見舞いに行った時にはお元気で、家の中でリハビリの最中でした。ところが、6月19日のNHKTVの「こころの時間」に、多田さんがアナウンサーと対談し、宇治のお宅が出てきたのには驚いた。途中、辻征夫の名前も出てきたし、多田さんの「馬肉鍋いずこの緑野走り来し」の句の披露もあったのに、ビデオをとっておかなかった(わが家のビデオは故障中)のが大失敗だった。 また当句会の目玉であった谷川俊太郎が、俳句を辞めてしまい欠席となってしまった。その辺の事情は50回記念会の際に配った、「OLD STATION 」12号の「余白の魔」という文章と、最新詩集『minimal』の「あとがき」等に書かれています。なお小生も、「詩歌句」秋号に「谷川俊太郎−俳句−入門」という文で書きましたので、出たらご覧ください。 続いてこれまた当句会の名物であったアーサー・ビナードが、句会がいつも放送の仕事と重なるとかで出席不可能となり、つられたように木坂涼までもが欠席通知。二人して逃げてるんじゃないの。もっとも小生にとっては、俳句のできるペダルや、欠席すると必ず天をとる紙子はいないほうがいいけどね。アーサーは、この前土曜日夜11時のNHKラジオに出ていて、俳句の解説が堂に入ってました。朝日新聞にはエッセイを連載し「図書」にも書いてるしで大忙し。木坂涼は童話制作中だ。 余白句会というのは、いい加減だからねえ。それがいいんだが、このままでは俳句修行にさしさわると、今年5月余白幹部は会を開き、会員を俳句熱心組と不熱心組に分け、熱心組でもって「句会を定期的に行う」ことを確認しました。えっ!とお思いの方もいるだろうが、これが今まで行われていなかったのだ。ここで句会は偶数月の第三土曜日とすることに決定し通告。それと投句はすれど欠席する横着者が多いことから、気合の入った新会員を入れて活性化を図ろうと、今回から三宅やよいさんと辻憲さんを指名。この二人、のこのことゲストとして来ましたが、なあーに最初から仕組まれていたのである。それでは再生余白句会の報告を………。 今回は清水哲男の世話で、清水さんの地元の三鷹公会堂の地下の会議室をとってもらい、兼題はこの5月に思潮社から新詩集『雲の縁側』を出した八木忠栄出題〔苺・蠅・幟(鯉幟)・唇〕でした。以下総合天の句から、 野苺の闇まっすぐに我に来る 山羊 野苺というのは、誰かがラズベリーだといってたが、小生蛇苺と間違えていた。藪のような所(じゃないそうだが)に生っていて、その暗い闇がまっすぐ自分の所に来るように見えたというのだが、ホラーの読み過ぎか。俳句で「我」というのにも無理がある。とケチをつけてみたが、あき子は天に入れてるし、ゲスト二人は示し合わせたように地に入れている。この三人に聞いたが、小生、結局この句はわからず終い。山羊句では選外になった、「囮鮎ありの幟や川近し」がいい。井伏鱒二の世界のようだ。ズボン堂がいれば点入れたろうにー。 山羊・八木幹夫は、遅れに遅れている思潮社『現代詩文庫・八木幹夫詩集』の刊行を待っている所。今年4月には明治学院大学英文科の新入生を相手に、「井川博年の詩を読め」と講演。この時、西脇順三郎を読んだことのある人?と聞いたら、誰一人手を挙げたものがなかった由。英文科にしてこの有様だ。嘆かわし。 総合地の句は、当日お兄さんが病気になったとかで、珍しく欠席した裏長屋。選の蓋を開けると次々と点が入り、「裏長屋旋風」が吹き荒れました。 素戔鳴の幟立ってる向こう岸 裏長屋 やよいの天、騒々子、あき子の地。素戔鳴(スサノオ)というのがいいが、しかしこんな幟見たことない。神社の幟だろうか。他の連中は「季語になってない」だの「向こう岸がわからない」などとケチをつける。こういう句は気合を買うもので、それが「立ってる」という口語表現によく出ているのだ。ここから一気に、客句となった裏長屋の句を見ることにします。 苺狩り高砂部屋様御一行 裏長屋 この句に騒々子が天。蝉息、山羊が人。相撲取り、それも大男揃いの高砂部屋の一行が、苺狩りに行くという可笑しさ。こんな札が旅館にあったら笑えるでしょう。 卯の花やくちびる侠な濡れ仏 裏長屋 騒々子の地、昶・やよいの人。騒々子は天・ 地・ 地のすべてを裏長屋に入れている。「くちびる侠(あだ)な」なんてとても作れませんよ。一体どこでこんなに上手くなったんだろう。誰かに作ってもらったんじゃないかという説。何処かの結社に入って修行してるんじゃないかという声。鷹羽狩行さんあたりに見てもらったんじゃないかと(御免なさい、「狩」からの連想です)。 今回は「蠅がいる蠅取り蜘蛛も傍らに」も昶が人に入れ、四句入選。この句も面白い。今回は脱帽です。 海を見てきし夜の蠅連れ帰る あき子 山羊の天、騒々子、銅羅、やよいの人で三位の総合人。この句の海は砂浜ではなく、岸壁それも魚市場かなんかあるような所がいい。しかも一人でなければ「連れ帰る」が生きてこない。「海を見てきし」の高踏に「夜の蠅」の俗を持ってきたところが俳句だ。これがあるから同位の総合人の句となった次の句などは、騒々子は採らないのである。 いつまでも苺つぶして反戦歌 あき子 昶の天、蝉息、山羊の人。「いつまでも」は戦争への無力感のあらわれ、と蝉息は言うが、そうかなあ。 土肥あき子は、今俳壇でもっとも活躍している一人でしょう。今年に入ってからも毎号のように専門総合誌に俳句や書評やエッセイを発表。烏の鳴かない日はあっても、あき子の名前を見ない日はないのだ。 当句会も彼女の活動がなかったら、どこまで続けてられたかわからない。彼女が俳句文学館でパソコンの仕事をしているということで、会場の手配やウエッブのこと等でずいぶん助けられてます。 次は前回久し振りに出席し元気な所を見せたが、今回又もや欠席してしまったズボン堂の話題。 一面の苺畑やミルク欲し ズボン堂 こういう選外の句がズボン堂らしいのだ。みなとの天とあき子の人が入った、「赤い唇桃色の舌木下闇」は、気持ち悪いなあ。横尾忠則の絵みたい、と言う人あり。別のズボン堂句、「還暦や幟だらりと垂れており」は昶が点入れるも、還暦とっくに過ぎてるくせに、茶化され「魚屋の蠅取りリボン蠅の数」も銅羅が点入れても、古いねえーと笑われる始末。どうも調子出ません。 ズボン堂・中上哲夫、昨年10月書肆山田から詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』を出し、これが第34回高見順賞を受賞。3月19日に飯田橋のホテル・エドモントで授賞式あり。司会は井川博年。中上の高見順の墓参りの話が受けてました。続いて5月には第13回丸山豊賞受賞。九州久留米市で講演と朗読。これで賞金総額150万円今年から無職となった生活費の一端となる。 職業<詩人>は、以後俳句関係の注文ばかりで、「百鳥」にエッセイを連載、「俳句研究」「俳句界」「詩歌句」に俳句エッセイや書評を書く。5月には高田馬場で今井聖と「俳諧大矢数」を行い見事引き分け。 キンバエの飛び込んでくる四時間目 やよい ここから新会員の紹介に移る。もっとも今回はまだ二人ともゲストの身分であった。この句にはみなと、銅羅がそれぞれ地。やよいは学校の先生なのだ。だからこれは実見でしょう。小生、四時間目というのは午後の授業と思っていたら昼食前のことだった。そこで蠅が匂いに誘われて入ってきたのだ。蠅の句でこういうのを始めて見た。もう一句「かちわりをキスした唇にほうりこむ」の「かちわり」は、甲子園の高校野球の名物と見た赤帆があき子と人に入れたが、小生は入れませんでした。 「船団」の人はこういうのを作らせると上手い。2000年刊行の句集『玩具帳』から夏の句で、 ワタナベのジュースの素です雲の峰 やよい この頃は名古屋に住んでいて今は東京。昨年5月31日に目黒の庭園美術館大ホールで「船団」対「余白」の句会バトルが行われたが、その時はやよいは敵方の一員。なかなか手強かったです。3対2で余白は惜敗。 イタリアのおんなのくちびる虎魚雲 銅羅 やよいの地。虎魚雲(おこぜくも)とは銅羅の造語らしい。「イタリアのおんなのくちびる」はソフィア・ローレンみたいですぞ。おこぜとの関連もわかるような。 銅羅は俳句は初めてなのに、今回「くちびるよ処女航海よ夏真昼」と「飛行機雲のこさず夏の蠅は死ぬ」がいずれも昶の人に入り、「二日酔い歯にしみとおる苺かな」がやよいの人(やよいと銅羅は示し合わせているのかも)に入って、これで四句全部入選。騒々子など一回もないというのに……。「飛行機雲」の句は、「ハチのムサシは死んだのさ」という歌のイメージがあるとかで、昶も鼻唄で唄ってました。 銅羅・辻憲は言わずと知れた辻征夫の弟で、もちろんプロの銅版画家です。小生の詩集は『待ちましょう』と『そして、船は行く』が憲さんの表紙と装丁で、寝室もまた彼の絵で囲まれています。憲さんはハンサムな優男だが剛柔流空手の有段者で、本当のサムライである。甘く見ると大変ですぞ。ここから常連の句を、 つぶすだけ苺つぶして言い出せず 赤帆 何を言い出せなかったのか、この場合は主人公は女性だろうから、借金ではないだろう。ひょっとして離婚?こんな句に地の点入れるのは山羊で、蝉息も人(この二人も示し合わせか怪しい)で、もう一句これも蝉息が人にした「幟果つ商店街もここに果つ」は、ここは地の果てという感じが大袈裟で可笑しい。 赤帆・清水哲男、もとより「増殖する俳句歳時記」。このほど「増俳八周年記念句会」が、7月31日大久保の俳句文学館で、全国から70人もの増俳ファンを集めて盛大に行われた。この八年で清水さんは今では立派な俳句評論家。評論家としての仕事は多いが、俳人としては、昨年夏に書肆山田から句集『打つや太鼓』を出し、「文藝年鑑平成十六年版」の俳壇回顧で、坪内稔典に同年度注目の句集として挙げられる。また今年7月6日には朝日新聞の大岡信の「折々のうた」に、「釣忍指輪はずして女住む」が載る。この解説の「明らかに意図して、古風な低徊趣味に遊んでいる俳句だ」には作者苦笑い。 女学生くちびる汚している五月 蝉息 この句には山羊が地、みなとが人。鏡見て口紅で悪戯してる女学生が、なんで五月なんだよ。今回「唇」なんてイジワルな兼題を出して、皆んなを困らせてやろうと意気込んでいた蝉息の姿が目に浮かんだが、当人が一番困ったんじゃないのか。その証拠に赤帆が1点入れた、「くちびるをパピプペポせよ金魚玉」、こんな句を「ホトトギス」などに投句したら、ぶん殴られますよ。ただ「ついむきになって蠅打つうちの父」はわかる。この句の「うちの父」は詩人だけの表現、とは赤帆の評です。 蝉息・八木忠栄は、最新詩集を出したことは前述の通り。三年前に書肆山田から出した句集『雪やまず』の圧倒的な評判から、最近は俳人としての方がお呼びが多いいやまあ大変な忙しさ。句会だけでも「余白句会」「かいぶつ句会」「有楽町メセナ句会」と三つを掛け持ち。個人誌「いちばん寒い場所」はキチンと出しているし、落語の本は出すし、俳句だってこちらは句会の度に四句だけだが、あちらは二十句は作ってる。かないません。 次は現在もっとも俳句を作っている(二万三千句で西鶴を越えた)にも係わらず、今回は1点も入らず、なんでえ〜、と怒り狂っていた清水昶、四句並べて見よう。 晩学や蛍光灯に夜の蠅 昶 初恋の唇潔し夏来たる 昶 少年期苺潰して留守番す 昶 信玄の幟棒道に夢の跡 昶 どうして点が入らないんだ、といいたくなる句だ。すべて見事に決まっている。実はこれが曲者なのですよ。五・七・五の形と嵌め込む文字が決まっていて、少しの隙間もない宝石箱のよう。清水哲男の言う、ソーセージ俳句・詰め込み俳句だ。俳人の句は例えばあき子の「夜の蠅」の句を見ても、内容はできるだけ単純に、その中で全部を表現できるように、十七文字を最大限に使っている。句またがりなど平気である。「海を見て」「きし夜の蠅」という具合に。字数が少ないのも詰め込み俳句・詩人の俳句の特徴で、昶句は十文字前後。俳人はすべてこれより長い。詩人はきっと短気なんだと思う。 という訳で、俳号をやめた清水昶、最近書いた詩と言えば、ゴールデン街の「ナベさん」の主人渡辺綱への追悼詩と、6月に名古屋で交通事故で不慮の死を遂げたくつわだ・たかし(「現代詩を歌う」というフォーク・ソンガーで昶の詩を中心に歌っていた)への追悼詩のみ。後はもっぱらインターネットの「新俳句航海日誌」での俳句の掲載と掲示板への対応に追われている。毎日数千のアクセスだという。 紺がすり小倉袴で蠅控え みなと 赤帆の人の1点しか入らなかったがこの句は面白い。みなとゆかりの細川家の屋敷かなんかの玄関先で、紺飛白小倉袴の書生が、主人の帰りを待って控えているが、それが蠅であってもおかしくない。蠅の方が面白い。 選外の「見舞い客苺のつぶれまずは詫び」も、客人の詫びている様子まで想像されて、これもこれで笑えるが川柳に近いのかなあ。川柳でもいいと思いますが。 みなと・有働薫も、この所欠席続きで、今回久し振りの出席。前述の巷児師匠の回想記の中に有働さんのお父さん(早稲田大学の仏文の初代教授の一人です)写真がありました。有働さんのお兄さんと小沢さんは、早稲田高等学院の同級生だったのだ。有働さんの旧姓は何なのか教えませんが、これで余白句会の初期に、小沢さんが有働さんのことを知って驚いた訳がわかるはずです。 赤城風腹いっぱいの幟かな 騒々子 今回みなとの1点のみの騒々子です。幟と言えば鯉幟でしょうが。歳時記にもそう書いてある。それを皆んな変な幟の句ばかり作ってた。今回ちゃんと作ったのは騒々子だけだ。兼題の重みを皆んな知らないのだ。で、この句に点を入れたみなとは偉い。 この句は、5月に群馬の榛名・まほろばに、入沢康夫さんのお供をして行った時に見た風景を詠んだもの。その時はあき子、山羊、蝉息も一緒で臨時句会をやり、小生そこで、「地図を見て山と決めたる五月かな」の句を得たた。小生、席題の方が得意なのである。 騒々子・井川博年、最近は詩に専念。昨年から「現代詩手帖」の新人作品欄の選者となり、今年4月には現代詩手帖賞を選考。昨年一年間続けた「短歌現代」での詩壇月評も終わり(「図書新聞」も含め、4年間月評をやった)、今は詩が書ける時期となる。5月に「歴程」同人に推挙されたので、同誌にも詩を書く。秋口からは手帖に詩を連載する予定。 空碧し蠅はなんにも悪くない 克彦 この赤帆の天!銅羅の人の句を、ここに持ってきたのは克彦がここの所欠席続きだからです。この句は赤帆、「ほんとに蠅はなんにも悪くないんだ」といってたが、自分は悪くないと思っているのは、本人じゃないのか。克彦句は人ばかりだが四句すべて入選。パーフェクト。 すなわち「苺もぐ夢の母我より若し」といういつもの母物(我々は、これが克彦句だと知っているから、点入れないが、銅羅は知らないから点を入れた)に加えて、「唇もエリカの花も可愛くて」という乙女チックな句に昶が点を入れ、「立枯れの苺もひとり苺の香」にはみなとが同情してか人に入れている。「立枯れ」ているのは自身だろうが、それでも香を放っているという誇り。 克彦・國井克彦は、昨年5月2日朝日新聞夕刊の「超俗の世界−新橋」というコラム欄に写真と記事が載る。焼鳥屋の前に立つ克彦は、確かに超俗の顔してました。 最後は、前回まではなんとか都合をつけて出席していた白川宗道の話題です。昨年から(あれっ、一昨年だったか)自宅での本制作や色々なイベント企画と平行してやっていた新宿二丁目のバー「サタデイ」が軌道に乗り最近はそこのマスターとして忙しく毎日朝帰りの生活。 その間に俳壇付き合いもあるし、詩人の世話もあるしまあ本来の白川騒動らしくなってきた。この所何年か大変な目にあってきただけにこの繁盛を素直に喜びたい。最近は俳句を見ることは少ないが、彼は即興で句を詠むのが上手い。そっちの方に才能があるのだ。そこで、彼のつい近日の句を入れて、この長い句会報告記を終わりにしたい。 二階より見る荻窪の大西日 宗道 |
2004・8記 |