| 第47回余白句会報告記 |
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井川博年 2002・10・6(日)東京・豊島区『自由学園明日館』 |
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【どんどん句会】 芋喰ってどんどんと行けどんどんと 騒々子 暑い々と言っている内に、季節はもう秋、と思ったら、この文を書いている今日この頃、木枯らしが吹いてもう冬だあー。今年は春の来るのが1ヶ月早かったから、すべてが1ヶ月早く、だから今は12月と思えばよい。ところで、この前の台風なぞは、「戦後最大の台風」というもんだから、台風好きの小生、張り切って待っていたのに、巨大台風は千葉の海上を通過して北海道で消滅し、死者わずか3人。伊勢湾台風と比較するもおろか。大惨事を期待していたかのような報道機関も、会社からの早めの帰宅命令で家でテレビをみていたサラリーマン諸氏も、みんながっかりした様子。期待外れでした。こんな具合に、天候任せのこの風土に生きるテンション民族だから、季語という共通テーマを持つ、定着農耕民族ならではの俳句という「せっかちな文芸」が産まれたのだろう。 さて、今回の余白句会は、土肥あき子の第一句集『鯨が海を選んだ日』の出版を祝って、10月6日(日)東京は西池袋にある自由学園「明日館」で開かれました。当日は長袖シャツがちょうどいい絶好の秋日和。1時の入館に合わせて会場の場所が判らない者は、池袋駅西口の馬鹿でかい都芸術劇場前の噴水広場に、集合することになっていたが、小生、その前に地元で昼食をとる、というのがいつもの悪い癖。そのつもりで1時間早く池袋に着いて、テレビに出ていた西口の評判のラーメン屋に行くと、なんと長蛇の列。しばらく並んだ頃、はっと気付くと時間がない。そこであわてて近くの別の店でタンタン麺を食べて、急いで集合場所に行く。清水哲、八木忠、白川、土肥あき子来ている。それに土肥さんの出版記念会でお会いした本日のゲストの大木あまりさんと、清水さんエスコートの詩人の斎藤悦子さん。みなさん晴やかな軽装です。ここで大木さんのお連れの柳生さんを待つが、1時になっても現れないので会場に行くことにする。駅のすぐ近くなのに閑静な住宅街を歩いてゆくと、婦人の友社の隣が自由学園跡地です。現在残っている「明日館」は戦前のライト設計の木造二階建て。白と黒の木組に大谷石を使った名作の誉れたかい記念的建築です。現在の改築は小生の仕事先の大成建設で、社内報に出てた。それで知ってました。まあ建築関係者なら誰でも知ってるけど。その入口に小沢さん、小長谷、八木幹、有働、アーサーと、いつもメンバー。なんだ、みんな場所知ってたんだ。そこから、挨拶そこそこ会議室に入る。ここは土肥さんにとってもらったものだが、改装になったばかりで、会議室で句会が開かれるというのも始めてではないか、ということ。「明日館」の歴史で大変なことなのです。ということで、煙草は吸えず、酒呑めずいつもと勝手違いながら、ここで選句準備。コピー機が事務室にあるのでここは早い。そうしている内に柳生正名氏が現れ、これで全員揃いました。で、2時まで選となる。 今回の兼題はあき子出題の爽やか・草の花・林檎(以上秋)・どんどん(無季)。そして、期待のその結果の総合天 は意外や意外、 草の花猫代々を埋めし場所 みなと となり、みなとの快挙となりました。騒々子、ペダル、山羊、裏長屋の地 、赤帆、あまり、悦子の人と広く点を集めだんとつの11点。欠席のズボン堂や俊水や道草、裏通がいればもっと点が入ったにちがいない。この句はいかにもありそうだなあ、と思わせる所がミソ。猫好きは皆入れる、犬の墓なら入れないよ、と猫派はうれしそう。ただ、みなとは嘘は書かないが、猫というのは大体が死体を人に見せないものでしょ。猫は死期を悟ると死出の旅にでるという。だから猫累代の墓はないはずなのだ。それは良いとして、この句は切れが弱い。「場所」が問題というひとが多かった。これは私見によれば、「場所」という言葉が散文的で詩語の文語の「埋めし」にうまくくっ付いてないからなのだ。「埋めた場所」とすれば、うまく収まるが今度はまったくの散文になってしまう。俳句になる、成らないはこういうことでもあると思う。だから俳句の専門家はこれを俳句でないとみなし点は入れない。あまりさんは猫が好きだから入れた由。そうでしょうな。みなとの別の句、「爽やかに線香まっすぐ燃えていく」は騒々子、その時は良く見えて人に入れた(宗道も地)が、これも「爽やかや」とした方がいいという指摘があった。これも同じ問題です。次は、 りんご齧るてんでに写楽の貌をして 蝉息 この句が総合地 でした。裏長屋、悦子の天。巷児の地、正名の 人。騒々子はよくわからなかったが、巷児の顔面解説でやっとわかった。林檎を丸齧りしている時の顔面描写なんだ。皆な、なんか放心したように、あらぬ所を見てますなあ。まるで写楽描く大首画のように。とまあ、こんな解説をするあほらしさ。この句は一種のストップ・モーションの画ですな。それ以上でも、それ以下でもないという句。これよりも、 縄のれん秋刀魚どんどん焼けてます 蝉息 が元気が良くていい。騒々子の地 、あき子、みなとの 人 。これは口語調がお店の掛け声に合っている。こんな句ならどんどん作ってよ。どんどん捌けますぞ。さて、次の総合地は、 草の花川より低い家ばかり 騒々子 でした。ペダルの天、あき子、山羊の地、みなと、宗道の人と点を集める。これは、川の水位が問題となったが、江戸川あたりはみなこうです。もっとも最近はビルが多いのでこうとも言えないが。裏長屋が見破ったように、これには文人趣味がある。みなとの地と山羊の人 をいただいたもう一句の草の花句、 草の花家路につくは易けれど 騒々子 もまったく同じ趣味。興趣といって良いか。この句を作った時、作者の脳裏にあったのは蕪村の「春風馬堤曲」や「妹が垣根三味線草の花咲きぬ」でした。最初の句は「川よりも低き家並や草の花」としたのだが、これでは俳句になりすぎて、作者の狙った詩情が出ていない。そこで、口語表現のさりげなさを採用した次第。騒々子、今回は林檎の句、「鴎啼く町橋上のリンゴ売り」にも山羊の天が入り、更に、冒頭の芋の句には赤帆の地が入り、これで4句すべて入選。このところ好調なのだ。次はもうベテランといってよいペダル句、 林檎切れば種の一つも真二つに ペダル いま読んでみると、うまいなあ。そして新しい。巷児の地、みなとの 人 、「この人は俳句に熱心な人に違いない」と言ったあまりが天に推す。巷児、あまりの天、地を得て、この句が今回の白眉でしょう。事実の素直な観察、その中から生まれた新鮮な驚き。なるほど、そうだったのか、というのが俳句鑑賞の醍醐味です。こういう句が平成の新俳句の先駆けになるに違いない、と騒々子は愚考します。ところが、もう一句の林檎の句「林檎売りを選びて林檎を選びたり」となると、両八木が地 、人に入れるも、説明くさい、と巷児の一言で終わり。林檎売りを(見て)選んで、(そのオバサンの売っている)林檎をまた選んで私は買いました。ということを無理やり文語体にして俳句らしくしているのだ。この句を見ると、ペダルを平成の旗手に祭り上げたのは小生の早合点でした。次は今回欠席の紙子 人声に草花種を飛ばしけり 紙子 これは鳳仙花でしょう、と蝉息が天に推し、あき子が地。これは何か草花が人を待っていたかのようで、面白い。ほうれ、人がやって来たぞ、とでも言っているような。この人声は男女の方がよく飛ぶでしょうな。騒々子が喋ればもっと飛ぶ。紙子句では、「すりおろすリンゴをまって雨の音」がみなとの地。これも「リンゴを待てば」かなんか表現を代えればぐんと良くなる。今回の課題はこの文語表現と口語表現の問題につきる。さて、最後の総合人となったのはあまりの2句でした。ということは、2句を合わせると10点で2位! 爽やかにユダの話や草の径 あまり どんど火に首のほくろの熱くなる あまり 爽やかの句は、あき子の天に悦子の地。これは舞台はニコライ堂だそうです。ユダはもちろんキリストの弟子。裏切り者としてもおかしくない、というペダルの説もあるが、この場合はもちろんユダそのものの話でしょう。あまりさんはクリスチャンなのだ。そのユダの話を爽やかに話した(爽やかは草の道にも懸かってますが)というところがミソ。意表をつかれる句です。ところで、小生、いま読んで見直したのは、どんど句です。どんど焚きの時焚き火を囲んでいる者は、確かに首の後ろあたりが変に熱く感じられる。ほくろというものは大抵首では横か後ろにあるものですよね。その辺りをつまんで見たりして。ほんのわずかな色気すらこの句には感じられます。この句に天を入れた正名と、地に入れた山羊はこれを知っていた。憎い。あまりは実は当句会の無季の兼題の約束を知らず(当季の季語を入れるという)、どんどんという言葉をどんど焚き(小正月の行事)と間違えていたのだという。それが結果としてこういう句を生むのだから俳句はわからない。もう一句ありました。「毬栗を踏みつけてゆく林檎狩」。これがなんとも愉しい。ペダル、赤帆、裏長屋が人で3点。こんないい句に、騒々子又しても、点入れそこなっちゃった。 大木あまりさんは41年生まれ。生まれ月まで八木忠栄と同じだそうです。もっともこちらはかの大木惇夫のお嬢さんとして東京は目白の生まれ。あちらは新潟の農家の生まれ。比べちゃいけません。角川源義門「河」出身。白川宗道も「河」新人賞なるも、こちらは分裂後の角川春樹門。比べちゃいけません。代表句に、 寒月下あにいもうとのやうに寝て あまり 届いたばかりの「俳句研究」2002年11月号を覗くと「現代の女性俳人」のところにあまりさんが「月のかけら」という文を書いていて、その中に父・大木惇夫の俳句「水たまりに月のかけらや冴えかえる」を紹介して、「これが父の最初で、最期の俳句である」。「父には私が俳句を作っていることを、いっさい秘密にしていたが、俳句を作っていると知ったら父は喜んでくれたと思う。末娘の将来をいつも心配してくれていたから―」、とあります。そして、同時に発表された俳句22句の中に次の句あり。泣けます。 父よ母よ乗りませ茄子の裸馬 あまり ここで、得点に関係なく今回のゲストの句を。まずは、あまりさんのエスコート役の、 知恵の輪の解けて繋げぬ草に花 正名 ペダル、宗道、悦子の人 で3点。草原(公園でもよいけど)で子供が遊んでいる情景。 これは金属製の知恵の輪ではないですぞ。草だからいいのだ。正名句は「どんどんと出て来て鬼や牛祭」というのが宗道選の天 となったが、この祭りを京都太秦のそれと知っていたのは宗道だけで(道草が居れば点入った)、他の者はさっぱりわからず。あとで聞いたら、正名は今年京都から東京に転勤になったばかりだったのだ。それがどうして、あまりさんと? 柳生正名氏は金子兜太の「海程」同人。角川俳人名鑑に出ていました。道理でうまい訳だ。「海程」出身は酒井弘司さんしかり。骨太で手ごわいタイプが多い。 秋の日がどんどん燃える生き別れ 悦子 赤帆が天。「生き別れ」を赤帆は、「(みんなと)生き別れ(たよ)」と読んだ。秋の陽はつるべ落とし。ほんとに、あっという間に陽は沈んで、すぐ夕闇があたりを包む。しかし、落日を生き別れと詠むなんて、非凡だなあ。もう一句の、「草花に道化かくれていなくなる」は、宗道の地ですが、多田道草いれば天でしたね。だって草花と道化といえば、多田さんの世界ではないですか。詩人・斎藤悦子さんは元「飾粽」のメンバーだったという。小生、あの頃は「飾粽」とは無縁で、辻征夫に言われて解散のパーティに出ただけ。だから、その頃の斎藤さんは知りません。同じ雑誌にいた加藤温子さんとも、当句会で始めて知り合った位です。清水兄弟は「飾粽」。八木忠栄はその前身のなんとかの仲間。「飾粽」が解散した後、清水哲男と辻征夫は残党の阿部岩夫と加藤温子さんを加えて「小酒館」を作った。このようにして、詩人の知恵の輪は繋がっていくのである。 さて、そこで最近は京都から出られなくなった道草です。これが、大変な健闘でした。 掌にあつめればたったこれだけ草の花 道草 騒々子、蝉息、あまりの 人。「たったこれだけ」に無限の哀愁がこもっています。人生、たったこれだけや。この老境に入った詩人の寂しい後ろ姿が眼に入らないのか、皆は。 スカタンや阿呆やと言い合う草の花どち 道草 と、道草は考えます。この路傍の雑草共には小生はもちろん含まれてはおりませんでしょうな。天にいれたみなとはもちろん含まず。他はどうでもよろし。この句も話題になりましたが、点にはならなかったけど、もっともウケたのは犬の句でした。「小型犬伸びすれば即大型林檎のかたち」。もう満場唖然。いまだにこれがどういう形なんか見当もつかぬ。なにがなんだか、それでもスゴイ。この句なら後述の俳句バトルに勝てる。いや、この句以外勝てない。 どんどんと広がる話小鳥来る あき子 おしゃべり大法螺好きな騒々子が天。巷児の 人。これは路傍の立ち話ですな。話が止まらなくなったところに小鳥が来たんだ。それも一羽じやないんですよ。群れをなして来た。日本昔話みたいでいいじゃないですか。あき子今回は巷児がいいと言っていた「走りだす少年にある林檎の香」裏長屋の人があれど、疲労気味で低調。句会の世話係りは大変なんですよ。だが、句集の評判は大変なもので、俳句研究11月号の「新刊句集渉猟」には2頁に渡って紹介が出ています。この「俳」とあるのは俳句編集長、「研」とあるのが俳句研究編集長でしょうな。こういう書評はいいなあ。夏の出版記念会も盛会で、小生以下詩人連中は句集の出版記念会は初めて(小沢さんも清水哲男もそうだという)という者がほとんどで、皆興奮気味でした。二次会ではあき子さんの浴衣姿も見れたし、とても愉しい夏の夜でしたが、暑かった。よくあんな時に俳人は正装してられるなあ。裏長屋なんかTシャツでしたぞ。この会の席上、坪内稔典さんから、坪内さん率いる「船団」と当余白句会とで来年5月頃に横浜で俳句バトルをやらないか、という申し入れがあり、これを小沢さん、全敗覚悟で受けて立とうじゃないか、ということになりました。えらいこっちゃ。でもおもしろいぜすぞ。やってみる価値あり、いや、やりましょう。 話変わるけど、週刊新潮の多田さんの「新句歌歳時記」に土肥さんの句幾らぐらい入っていると思いますか。数えてみたら、7月18日に登場してから今月の終わりまでに8回出てる。八木忠栄も8回。これは大変なことです。土肥さん、俳壇でかなり妬まれてるんじゃないかしら。心配になる。 次は張り切ってばかりで、今回不調の赤帆、 ピーヒャラどんどん昔をんなにへちま水 赤帆 これがなんと巷児の天。師匠の天ですぞ。これは「どんどん」を無理して作った句だなあ。へちま水というのは、糸瓜(といっても知らない人が多いか、子規の絶句にあるあのへちまです)を搾って作った天然の化粧水。子供の頃、内でも姉達が使ってました。あの頃「マダム・ジュジュ」というクリームあり。その命名者が金子光晴だった、とこれはどうでもいいこと。もう一句の、「よいしょよいしょ重荷の下に草の花」はあまりが地にいれるも、今回はなんだか掛け声だけで作ってるなあ。赤帆・清水哲男は、この8月、遂に「増殖する俳句歳時記」(ナナ・コーポレート。コミュニケーション刊)いわゆるゾーハイを本にしました。「6年に渡って大好評だった名物解説を、厳選して一日一句にまとめました」とある。6年×365日=2190句が365句かあ。このままいったら、とても本にはなるまい、と危ぶんでただけにうれしい。騒々子句も入ってるし、良かった、良かった。この本、丸善書店では実用本コーナーにありました。 熱あらば母剥く林檎擦り林檎 山羊 今回は「生き物の群れどんどんの蜻蛉かな」が裏長屋の地、「デイダラボー爽やか富士を置き忘る」が正名の地、とそこそこ点は入っているのだが、何となくピリッとしない山羊句の中で、あき子が人にいれたこの句は、母もの句でもいやみがありません。ただ、これには以前小生がOLD STASIONでとりあげた吉岡実の俳句、「秋ゆくや母は林檎をうすくむく」の影響があるように思う。それは良いとして、山羊が今回身を入れて俳句に打ち込めなかったのは、小生に責任があるのだ。現代詩文庫『井川博年詩集』の解説論考の締め切りが迫っていたからなのである。この句会の時点ではまだ執筆途上で、大変な時だったのだ。次は新しい仕事に精出して、当日は徹夜明けで選句の間中も居眠りしてた、 芋の露どんどん太る一茶の地 宗道 赤帆の地。一茶の作風を思わせて悪くはないが、冷涼の秋の信濃の朝露が、どんどんと大きくなるというのは、ちと無理がある。もう一句の「空よりも骨美しき草の花」も巷児の人が入れど、この状況が野晒しなのか、火葬場なのか、今一つはっきりしない。これは、じっくり身を入れて作ってないからなのだ。白川宗道はいま一昨年からの生活大変の中で、春には新会社を立ち上げ、秋からはかの「オカマの健さん」東郷健氏の新宿二丁目の店を手伝い(宗道註:共同経営です)、やっと活路を見出したところ。だからジックリと句を作る暇はないのだ。その中で「俳句界」には書評まで書いているから立派。さて今度は例によって遅刻してきた昶、 花火工場草花の地へ腰を据え 昶 悦子のお情けの地で2点。この句には季語が二つあるが、花火は工場なので季語は当然草花である。危険な火薬工場と可憐な草花との取り合わせはまんざら悪くない、と誰でも思う。悦子もそう読んだと思う。ところがギッチョン、作者によると草花というのは彼の父が関係して(清水兄弟の父は火薬学者)建てた工場の実在地なのだという。もう唖然。この人は季語なんか関係なく作るからなあ。「友情の重き青林檎贈られぬ」といういかにも昶句には、青林檎は夏の季語というそっけない答えで選外。清水昶、いつの間にか俳号甲斐を捨ててしまった。もともと変だったからなあ。とにかく最近は俳句漬で、(奥さんは俳句製造マシンと言ってるみたいですが)インターネットの「新都市新聞社」の「俳句航海日誌」に発表した俳句は2年で17000句。この句へのアクセス数も毎日500に上るという。詩の注文にも俳句を出すので詩誌の編集者は悩んでいるらしい。当日は遅刻で選句に参加できず、自分の句に点が入らないので、ぶつくさ言っていました。 しがらみをどんどん断ちて天高し 裏長屋 蝉息の人で1点。これで今回0点者は無くなりました。この句、今読むと元気良くていいなあ。老人入門の決意でしょうかね。浮世のしがらみなんか切ってやれ、サッパリするぞ、いい気分だ、天高し。というところでしょう。「爽やかにハシブトガラス滑空す」は選外。なれど今、都会の空を滑空できるのはカラスしかいないのは事実。小生、鴉は俳味があって文学的題材としては好きであるが、イギリスに居た人の話では、ロンドンの鴉は小さくそんなに恐くないが、日本の鴉は大きくて凶暴だそうです。種類が違う? さて、最後はトリとなった巷児です。今回は冴えず。その中で、 ハルマゲドンドンキホーテは征く花野 巷児 アッと驚く「どんどん」の使い方。驚いた、あまりが地に、正名が人に入れる。面白いなあ。アメリカのアフガンやイラク攻撃という時事性もちゃんと入れてある。一転して「恙なきやさやかに切れて六年はや」は、こういう大人の色恋物は、当句会ではわかる者が巷児自身しかいないのだ、だから選外。ただ外野からは、これはちっとも爽やかに切れてなくて、主人公は未練たっぷりじゃないの、とからかう声あり。ここらが正解でしょう。 巷児師匠・小沢信男、「俳句研究」11月号に「枝豆」7句を発表。中の、 ドンと缶吐いて自販機秋暑し 信男 佳きひとのよからぬうわさべったら市 信男 が騒々子好み。小沢さん、8月にはEDI叢書として「無名のまま若くして非業に倒れた、三人のプロレタリア詩人」の『松倉米吉・富田木歩・鶴彬』を編者として出す。頭の下がる仕事です。 これで句会の解説は終わり。今回欠席のズボン堂・中上哲夫、俊水・谷川俊太郎、裏通・国井克彦はいずれも投句なし。俳句関係では中上哲夫の活躍著しく、「百鳥」のの他に酒井弘司の「朱夏」でもエッセイを連載。「俳句界」には書評を、林朋子句集には栞を、俳句以外にも川端進詩集『釣人知らず』には栞文を書いて、これが皆評判がいい。中上さん今は俳句エッセイストなのだ。秋には北冥社より「俳句界」に連載していた詩のアンソロジーが出ることになってます。谷川さんはこれまた10年振りの詩集『minimal』を思潮社から10月に出した。「あとがき」に余白句会への言及があるのでぜひ読んでください。 国井克彦は生活大変で俳句・詩どころでなし。火の車に追われ巷を駈けずりまわる。近々やっと息つけるか。一方、欠席でも投句あった元気な多田道太郎は句集が近く芸林社から出るそうです。解説は小沢さんだそうで、これは楽しみです。今回トップの有働薫さんは、この10月、思潮社より最新詩集『スーリヤ』を出しました。『雪柳さん』以来2年振りか。新井豊美のこの詩集の「ややバロック的な性格」を捉えた帯文はいいところを見てます。井川博年詩集の論考を見事書き終へた八木幹夫は、これもこの10月思潮社から『夏空、そこへ着くまで』を出版しホッとしているところ。『めにはさやか』以来4年振りの新詩集。今度の詩集は素晴らしい出来です。近来のエポックメーキングな詩集となるでしょう。 ということで、句会は終わり、一同会場を片付け、早々に帰り支度。5時に「明日館」を出て、仕事があるというアーサーと別れ、住宅街をのろのろと西口めざす。秋の陽はつるべ落とし(こんな比喩も死語となるだろうなあ)というけど、まだ夕方には早い。池袋には詳しい八木忠栄の先導で芸術劇場横の飲み屋ビルの鳥料理屋へ。ここから二次会となる。ここで、各自改めての紹介となり、小沢さん、大木あまりさんが大木惇夫の令嬢と知ってびっくり。案内状に書いてなかったから知らなかったという。小沢さん、「僕は戦争中に、「蛍雪時代」の大木惇夫選の詩に入選しているから、大木門下です」。そして「戦友別盃の歌」を、「昔は全部そらんじてたのに、忘れてしまった」。実は小生、そのコピーを忘れていた。前の週に杉並図書館で『海原にありて歌へる』を、読んで来たのだ。後で皆さんにお送りしたのがそれでした(見てない人はホームページの「余白ニュース」で見れます)。大木さんは大木さんで、小沢さんを、なんだかおっかない先生と思って、会の間ずっと緊張していたそうです。そういうもんなんだ。 という次第で今度は急激に話しがはずみ、「かくて夜は更け夜は深まって―中原中也」延々10時までの大宴会となったのでありました。余白句会はいつでもこうだもんね。句会5時間、二次会5時間。そして、句会報告20時間だあー。 |
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2002・11・15記 |