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第43回余白句会報告記

井川博年

2001・6・9(土)
東京・文京区『関口・芭蕉庵』
【 大変だった。句会】

 いやあ、大変でした。面白かったけど大変だった。
 今回の余白句会は、六月九日の土曜日に文京区・関口芭蕉庵で開かれました。ゲストは俳優の小沢昭一さんで、小沢さんは現在では誰知らぬ者もない俳人。俳号・変哲。俳句の本に朝日文庫の『句あれば楽あり』(当日かなりのものがこれを持っていた。中にはサイン狙いか初版本を持ってきた者もいる)あり。所属する東京やなぎ句会のあれこれを皆で語った『友あり駄句あり三十年』は小生の愛読書でもある。かように東京やなぎ句会は小生の憧れの会である。その変哲が「俳句朝日」に連載している「俳句武者修行」という頁があり、そこに今回、余白句会が選ばれたという次第。そこでこの日取りとなったのです。
 と、そこまでは順調だったが、ここで思わぬ出来事が勃発。五月二六日快晴の休日に、庭の松の木の松虫を退治しようと脚立に乗った八木幹夫が、掛金が外れ(掛けてなかった)脚立もろともバタンと地面にたたきつけられ、右大腿骨骨頂部骨折の大怪我をしたのだ。その時はあまり痛くなくて、外出して帰りに病院に行き検査して、始めてことの重大さに気付いたという。この時点で全治二週間、「六日の句会には這ってでも行くつもり」と。
 八木幹夫は今回幹事を勤めていたから被害甚大である。そこで早速小生に交代。すぐ多田さんにも報告を入れておかないと、と何度も電話を入れれど応答なし。不吉な予感がする。そこで携帯に電話すると秘書の岩城さんが出て、「多田先生は又腸閉塞で入院されており、句会の頃退院できるでしょう」とのこと。えっ、であります。先生又うんこ詰まりでダメかあ。奥さんは病院に詰めていて、道理で電話が通じなかった訳だ。しかし、多田さんが来れないとなると、「多田先生ともお会いしたい」といってた変哲、がっかりするに違いない。谷川俊太郎さんも欠席だし、さあ余白始まって以来のピンチ。
 とにかく現有勢力で立ち向かうしかない。会の次第の方は既に決めてあったから、あとは当日皆がちゃんと句を持って来ることを祈るのみ。これが一番問題なのだ。そこで全員に再度出欠と時間の確認をする。それが終わってから、やっと小生は句作。いつもこんな調子だから年に四日の俳人と言われるのだ。これで傑作が生まれる訳がないじゃないか。
 句会前日、八木幹夫より電話あり。どうあっても医者が行くなと言っている。這って行けば出血して足切断になる。ここは涙を呑んで欠席します、とのこと。残念。

 一夜明け当日は、心配された天気はどうやら晴れの模様。準備をしてさて出かけるか、と多田さんに電話。すると岩城さんの声で、多田先生は、新幹線に乗って出かけられはりました。こりゃえらいことになった、すぐ行かねばならぬ。息せき切って芭蕉庵に着くと、一二時前だからまだ誰も来てない。管理人さんと話して(ここは久しぶりなのだ)いると、突然テレビで見た顔が現れる。変哲さんの到来です。ゲストが一番乗りとは当句会始まって以来である。挨拶をして煙草二、三服している内に宗道を皮切りに連衆ポチぽち集まる。一二時半ちょうどに巷児師匠来る。ところが大分前に江戸橋に着いたはずの多田道草が来ない。心配で迎えを出すと、案の定途中でへたり込んでいた模様。タクシーではあそこからは道案内が難しい。多田さんはここには一度タクシーで迷って懲りているから、ともかく歩いて来ようとしたのである。昨日退院したばかりでまだ重湯を飲んでいるというのに悲壮な覚悟である。これぞ、句会の鑑。後々まで語り継ぐべき美談ではないか。
 道草がみなに担がれて席に着いた時、赤帆遅れて到着。甲斐の投句をパソコンで拾ってきた上に道に迷ったという。ここで全員揃ったところで俳句朝日編集部による記念撮影。
 道草、「両小沢(信男と昭一)に挟まれて記念撮影するのが夢やったんや」、と泣かせるセリフ。ここで我等一同もお相伴に預かり記念撮影。ここからコピー組はコピーに行き、残りは雑談です。今回の欠席者は怪我の山羊・八木幹夫と仕事のズボン堂・中上哲夫とこれも仕事の俊水・谷川俊太郎の三人でした。ここで二時三〇分まで選句。で、決まった句とは、

 歯ならびを立夏にさらす馬の顔   紙子

 が天でした。このところ欠席者の天が多かっただけに出席者の天はうれしい。蝉息とファックスで選をした山羊の天に変哲、裏長屋の地、みなと、宗道の人。今回の兼題はアーサー・ビナードが出題した夏の季語の新茶・打水・海亀で、他に無季の歯でしたが天句はその内の歯を使ったもの。この句はほとんど苦情が出なかった。ただ赤帆は立夏に問題があるという。小生も同じ。これはむしろ天高い秋にこそふさわしい。他のものは馬の顔に単純に感動したよう。変哲、最近は馬に凝ってますという。そこでひとしきり競馬談義。
 紙子今回は4句すべて入選の絶好調。客となった「水打って少し歩道がおとなしい」は赤帆、蝉息の地。裏長屋の客。「ネクタイを肩にまわして新茶飲む」も多田さんの秘書役で京都から来た岩城万里子さんの人にみなとの客と評判良かった。さて、地の句を見よう、

 打水の虹を跨いで帰りけり   ズボン堂

 なんと、こんなメルヘンチックな句の作者がズボン堂!人を驚かしちゃあいけないよ。小生、さっぱり判らない。そんな便利なちっちゃい虹があるという、地に入れた巷児の説明を聞いても判らない。天に選んだ紙子、宗道も人に入れた蝉息もそんな虹見たことあるのか。夜勤の仕事を終えたズボン堂が、家路に就く途中で見た光景なら哀れは増すが。
 今回は「三宅島にて」という前書きがある「海亀の肉甘けれど蔑まれ」が、みなとの天。裏通の地で客に入り、得意のバスタブシリーズの「海亀とバスタブにあり夜もすがら」が道草の天!赤帆の人、裏長屋の客でこれも堂々の客に入る。できすぎです。騒々子、選に洩れた「なにをしても駄目、足に打水」が作者を知った今は身にしみる。
 中上哲夫はこのところケルアックブームのおかげで引っ張りだこだ。「現代詩手帖」3月号の今年一月一七日に七〇歳で亡くなったグレゴリー・コーソの追悼文中の句はいい。
「湯たんぽをそっとひき出す夜明けかな ズボン堂」。さて次は、注目の三位の人句、

 祭り屋台出っ歯反っ歯の漫才師   変哲

 でした。良かったー。ゲストが三位で。巷児、紙子、裏通の人に蝉息の客。この漫才師には笑っちゃった。該当する人は?に、変哲、明石屋さんまと井上ひさしです。みな爆笑。
 変哲の打ち水の句「打水や鴎外先生ご帰館す」には宗道の地、巷児の客。この句の舞台は勿論、観潮楼、そこに鴎外先生のお帰りだ。家族・女中一同緊張して表の馬蹄の響きや人力車の音を聴いている。鴎外家(というより軍人の家)には書生はいなかったのではないかしら。その代わりに従卒がいたはず。なにしろ軍医総監だから。打ち水句では前記の『友あり駄句あり三十年』」の変哲句の最初に「打ち水や平次が謎を解く時分」あり。これもいい。もう一句は一転、「新茶汲む大屋と熊の長屋かな」。ご存知落語の世界で騒々子の客。大家が大屋と記されてあったので、誤記ではないかという者もいたが、辞書によればどちらも正しい。小生、大屋では大屋政子になる、といったのは間違いでした。次は、

 去年独り今年も独り新茶買う   裏通

 道草の地、裏長屋の人、紙子、赤帆の客と点を集め客句の首位。寂しいけど明るい感じは新茶だから。お茶屋の未亡人に惚れてるのね。現在独身の裏通に、一昨年はどうだった? と問うと、忘れた、との答え。裏通の句は、裏長屋が客に入れた「新茶買ふ生きるとは先ず死なぬ事」が、前句と並んで大受けしていました。この解釈は、前句の未亡人に生きる勇気を与えられた男が、彼女と一緒になり、「来年は二人仲良く新茶売る」というもの。
 裏通・国井克彦、雑談の席上変哲に「『雨の新橋浦通り』は買って読みました。ああいう本は真っ先に読みます」と言われて感激。「小沢さんがあれをラジオで喋られたのを、知ってます」と。妹さんが教えてくれたのだという。いい話だ。当日は作務衣で現れたのでみな驚く。いちばん俳人らしく見えたけど、記念撮影では庭の作業員とも見えました。次、

 ポスターのみな歯の白し梅雨きのこ   宗道

 選挙シーズンとあって、時事句で来たか、梅雨きのこが珍しい、と赤帆が天に入れ作者を知ってがっくり。紙子、ペダル、山羊が客。梅雨きのこという言葉は広辞苑にもない。しかし便所の裏辺りに白いかさを開いている茸は、いかにも今出来の立候補者みたいだ。宗道句の「水打って贔屓の客と立ち話」は騒々子が天にいれたが、平凡極まりない、と巷児師に言われがっくり。この句の場所はかの鈴木真砂女の「卯波」だという。嫌な奴。そうと知ったら入れなかったのにー。なにも知らない道草と万里子は客に入れてしまった。
 宗道、今回は気合が入っていた。二次会の段取りも又いつもの宗道らしく調子良し。

 はじめての挿し歯転がり出て夏休み   道草

 これが面白いと騒々子が人。山羊が客。この句には、歯はポロリと落ちるので転がるは大袈裟、との意見に、いやこれは実際あったことなんや、転がり出たんだ、と作者。これに変哲が、昔、吉行淳之介と麻雀をしてた時、ポン!といった拍子に挿し歯がポンと飛び出した、しかもそれがパイパンだった。それを見て吉行、「汚い麻雀だなあ」と言った、という話に全員大笑い。道草のもう一句、「新茶摘み奥へ奥へと行く人や」は宗道が客に入れただけだったが、いい句です。これは多田説によれば(多田さんは宇治住まいだから、茶は本場である。話は飛ぶが、つい先日亡くなった文春元社長の上林氏は、余白句会で宇治旅行をした時に通った平等院沿いの茶舗の老舗・上林の出身だった)慣れぬお茶摘みはつい奥へ奥へと行ってしまうそうです。それにしても、茶摘み唄はどうなったのだろう。

 虫干の書画に紛るる入れ歯かな   ペダル

 巷児が天、赤帆が客と渋いところが点入れる。入れ歯なんてそんな忘れるもんじゃないという説に、天に選んだ巷児、これは、あれーこんな所に紛れて入ってたーというもんなんだよ。年取るといま置いたものだって忘れてしまうんだよ。しかし書画は少し作り過ぎかな、と言う。それに比べると「豆腐屋の打水内も外もなし」はみなと、紙子、赤帆三人が客に入れてるが、豆腐屋がじゃぶじゃぶ水使うのは当たり前で、面白くもなんともない。騒々子も一度は心動いたが止めた。ゴムの作業着を着た親爺のイメージは捨て難いが。
 ペダル・アーサー・ビナード、昨年思潮社から出した詩集『釣り上げては』により四月に中原中也賞を受賞。あちこちで紹介される。今回の句会はこのペダルの受賞の祝いの会でもありました。清水昶が、賞金でパソコンを買え、と助言(最近、買ったようです)。

 海亀の愚直を生きん次の波   山羊

 変哲が、私一人が天に選んでいるようですが、どうして点が入らなかったのか不思議です、という句。愚直願望そのものですな。決意表明だ。人生次々に波あり。まあ海亀はそんなこと考えちゃいないだろうけどー。この句は怪我以前、怪我以後どちらだろう? 別の、「打ち水のあとの余白につばくろめ」は裏長屋が天に選ぶ。この余白という言葉は(勿論挨拶語です)日本画を思わせて綺麗です。歯から取った「歯に衣を着せぬ外相衣更」は、まっとうすぎて面白くないという意見が多かったが、赤帆の句「歯に衣着せるのだぞと更衣」との対照に話題が集まる。赤帆句は山羊句をさらに捻ったもの。こちらが上でしょう。
 山羊・八木幹夫、怪我を題材に「詩学」七月号に詩を書く。転んでも只では起きないとはこのこと。怪我以前「ペッパーランド」には、死んだ母についての思い出の記「桜病み」を書く。これがしんみりした良いエッセイでした。その中に引用されている酒井弘司の句「母在りしことも夢なり青葉木莵」は絶品です。どこかで使おうと思っていたら、八木さんに使われちゃった。次の句は遅刻して会場に現れた甲斐、

 海亀の涙の溜まる原爆忌   甲斐

 なんと、万里子の天なのだ。万里子は「新茶入れ老ゆる母の香若きかな」にも客点を入れている。よほど甲斐が気に入ったか。新茶には道草も客。みな、母に甘過ぎるよ。両句平凡です。それから見ると「歯磨粉散る朝顔にご挨拶」は、変哲、蝉息の客とこちらは正統派。今は練り歯磨が普通なので粉歯磨とは懐かしい。スモカというのがあったっけ。
 甲斐・清水昶、もう一切合財が俳人なのだ。昨年俳句に目覚めてから不眠不休、一年で二万句を作る。兄清水哲男のインターネット「増殖する俳句歳時記」の掲示板を利用して「俳句航海日誌」というタイトルで毎日俳句を載せる。その成果は今年新年号の「現代詩手帖」に二百七十句として現れる。これだけでもうんざりの所に、三月には「銀猫」紙上に二百句を発表。そりゃあ中には俳句としていいものもある。「鉄棒を一転春に着地せり」なんて上手いもんです。「全山紅葉定型あふれだすまでも」など、昶節そのもの。これに対しては六月の東京新聞の俳句合評で、平井照敏は「本格的な句」と言ってますけどねえー。近い内に文庫本形式で上下二段組の句集を出すという。こりゃ見物ですぞ。次の句も、

 打ち水や猿股の紐腹の上   みなと

 は面白い。今は見かけなくなった親爺の猿股姿。どういうものかなんて説明するのも面倒臭い。上半身裸の親爺が打ち水をしている。ついでに庭木にも。こういう光景に点入れるのは変哲と、騒々子、山羊以外にはありません。これに比べると、裏通が天に入れた「亡ききみはびは葉の新茶教えけり」はイメージが弱い。枇杷茶って何? とみな判らず。それより「入社して歯車の名をおぼえいて」には驚いた。歯車は恐らく俳句史上初めての用例ではないか。当句会の恐い所はこれである。前回の裏長屋の「探梅行警察手帖拾得す」にも匹敵する怪作である。こう言うとみなとに、これはみんな本当のことよ、と怒られるが。
 みなと・有働薫、この所海外詩の紹介で大活躍。「ユリイカ」に書き、「現代詩手帖」六月号にはマリ・エチエンヌを紹介する。次は変哲に巷児師匠から「なにしろまだ三十句しか作っていない人ですから」と紹介された裏長屋の句、

 海亀や遠州灘は七十五里   裏長屋

 みなとの地とペダルの客。この句は静岡の地元の人なら判ったのになあ、と作者。子供の時からこういい聞かされてきたというのである。そう言われてみるとなんか浪曲の一節みたいで気分がいい。歯の句では選外になった「なめくじの歯なんぞ夢想しカップ酒」という句が受けてました。どうしてこんな発想が生まれるのだろう? 警察手帖の句といいこの句といい、裏長屋という俳句作者は端倪すべからざる人だなあ。
 裏長屋・小長谷清実については八月号の「図書」に三木卓が高校時代から今迄の交友について書いている。それを読むと、小長谷さんて昔からずっと同じ感じです。続いては、今回は変哲を意識しすぎ(?)て不調の蝉息句、

 夏芝居歯っ欠け親爺見得を切る   蝉息

 山羊の地、裏通の客と点を取るも、変哲句の「出ッ歯反ッ歯」に負けた。こちらは田舎芝居。「新茶淹れ帰っちゃいやよ帰さない」は騒々子が変哲句とはやまって地に入れるも、なんだこりゃ、と話題にならず。バイアグラならともかく新茶じゃなあ。迫られてもしょうがない。「打水を魔羅にももらひ大いびき」ということになります。
 蝉息・八木忠栄、個人誌「いちばん寒い場所」今年三月で35号になる。よく続いているなあ。「あのあの落語家たち」など、個人誌の持ち味を生かした連載で本にするのが勿体無いというものです。しかし、なんといっても呼び物は俳句特集で昨年の夏号より夏の句を、
 「ギチギチと飛蝗墜落終戦日」。この辺は上手いなあ。次は、どうした赤帆、の登場。

 極道や打つや太鼓や水打つや   赤帆

 宗道のみ客点。本人、「自信あったのになあ」と未練。あとでインターネットにその旨書いてました。「宇治や昔オルグ哀しも新茶汲む」は、オルグとは懐かしいと巷児が客。「産卵の海亀半眼の涙かな」の産卵・半眼は、皆々テレビで見た、とむべもなし。
 赤帆・清水哲男、インターネットに続いて、四月から三週間置きに日経土曜夕刊紙上に「旬の一句」を連載。小生、最初は切り抜いてたんだが、どうせ本になるからと、最近は見るだけ。岩淵喜代子、土肥あき子の俳誌「ににん」には夏の句「梅雨明けや島に短き地平線」など。最近はもっぱら俳人としての活躍、と見るや、三月十七日にはTBSラジオの「永六輔の土曜ワイド」に「清水哲男の母校立川高校かいわい中継」として毎日新聞に大きく出ていたので、うまく話しを俳句や余白句会にもっていけたら、ということでしたが、リスナーの話題はもっぱらパーソナリティ時代の話ばかりでした。と、―ここで師匠の番です。

 水打つやゆうべは強気けさ弱気   巷児

 この句には道草、変哲、山羊が客に入れる。この小沢調が判るかな? 判ったのはこの三人だけ。この主人はゆうべのことを思い出して気が弱くなって、ちょつと辺りを気にして水なんか撒いている。しょうがないんです男は。もう一句の、「総入れ歯にない親知らず桜桃忌」は騒々子の客点のみ。この意表をついた面白さには、大宰の小説・桜桃の一節の「子が大事より親が大事」という言葉が隠されているのだ。判るかな? 巷児、今回は皆の引き立て役でした。この気配りが判るかな?
 小沢信男師匠は、五月五日の子供の日に群馬まほろばの講演に行く。同行した忠義の弟子は騒々子に山羊に裏通に甲斐にみなと、それに紙子のお母さんの栗原澪子さん、昶俳詩塾の塾生である高田昭子さんという豪華さ。一同朝から電車で高崎に行き、バスで榛名温泉まで。いい天気でした。小沢さんの演題は「貨物船句集まで」で、辻征夫の話。小生、オールドステーションに載せるつもりでテープを取っていたが、テープに異常はなく、再生も綺麗にできたのだが、家に帰っていじっている内に機械が壊れてしまった。そのため、機械を買い換えるまでこのお話はおあずけ。とても面白い有意義なお話でしたよ。その夜は栗原さんを除いて全員泊まり、翌日、八高線車中で句会をしながらのんびり帰る。
 なんと、そうこうしている内に、小沢さん、去年出した『裸の大将一代記――山下清の見た夢』によって第四回桑原武夫学芸賞を受賞していたのだ!。奥ゆかしい小沢さん、誰にも言わないんだもの。新聞に出た雑誌「潮」の広告で始めて知ったという者が多かった。だから今回の句会はそのお祝いの会でもあります。というわけで、もう終わってもいいのだが、最後に騒々子が残ってましたので、

 東京の下宿も慣れて新茶かな   騒々子

 紙子の地に万里子の客と女性の点を集めて佳作に入る。騒々子は実は下宿生活は大阪時代しかなし。だからこれは友人のことです。東京では賄い付きの下宿はもう数が減っていた。もう一句の「打ち水も日課になりぬ元部長」はペダルが地に入れ、「恋しをり虫歯にしみる氷水」も裏通と万里子が客に入れたにも係わらず、なにが恋だと、師匠に言われ、くしゅん。しかし、万里子は甲斐と騒々子に点を入れている。ありがたいことです。
 小生、実は五月の終わりに思潮社から十二年振りに新詩集『そして、船は行く』を出し、この句会の前に本を受け取ったばかりだったのだ。だから郵送よりも持参が早いし安いということで、当日背負って来ました。この詩集については、二次会の席上で表紙とあとがきを見ただけの清水昶が、「きっと何かの賞を取る」と予言しましたが、さてその予言が当るかどうか、結果は次の句会報告で――。

 五時前に句会は終わり、二次会へ行く迄の間一同芭蕉庵と庭の見学。時間調整をしてから多田さんをタクシーでホテルに送り、残りのメンバーはまだ陽の高い早稲田路をのろのろと大隈講堂の方へ歩く。「大隈講堂では劇団で芝居をしました」と変哲。「まだ芝居が珍しい頃で結構客が入ってました」。小沢昭一は早稲田の出身。だから二次会場の高田牧舎もマスターとは顔なじみでした。ここは辻征夫が最後に出席した江戸川公園句会の二次会でおなじみの大隈講堂の近くの有名な洋食の店。ここでビールとワインで乾杯。一同改めて今日の句会の反省となる、とは行かず只只雑談。しかし天下の雑談の名手小沢昭一が居る、とあってはこれが面白くない訳がない。あんまり面白くてみんな忘れてしまった位です。
 この途中で突然の停電も、何かの余興と見えたほどでした。八時になると、小沢昭一さん「これからラジオで、美空ひばりさんの唄を、うたわねばなりませんから、失礼します」と退出。引き際もかっこいいですねえ。これ、ひばり十七回忌の催しなり。
 残りのメンバー、酒のある限り粘って飲み、師匠を送って(小沢さんは久保田正文氏の通夜に行く)更に新宿までタクシー。またまた柚子で飲む破目に。でも十二時前には家に着いていた。 ――終わり。
2001・7・20記


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