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第41回余白句会報告記

井川博年

2000・11・25(土)
東京『湯島会館』
【東大前句会】

 ところで今回の余白句会は、11月25日(土)、本郷は東大龍岡門前の「湯島会館」という文京区の施設で開かれました。この同は風も無く暖かな絶好の小春日稲。地下鉄丸の内線・本郷三丁目駅で降り、お茶を買い、いつもの悪い癖で、ぎりぎりに会館の入り口に行くと、そこに美女が心配そうに立っている。ゲストの土肥あき子さんで。土肥さんは98年に中野哲学堂で開かれた余白句会にゲストでお呼びしているから初対面ではない。さっきから見ているけどまだ誰も来てない様子という。ところが受付の管理人に尋ねると、皆さん二階にいますよという。不思議ではない。実は我々は小沢さんのお世話で、ここでは文京区の某誌の編集員の会議ということになっているので、余白句会ではないのだ。だから土肥さんが聞いてもわからなかった訳。二階の客は何者? と、管理人怪しんでました。
 二階に上がるとなんと巷児、俊水、裏長屋、宗道、蝉息みんないるではないか。ペダルもいる。会場の支度は俊水と巷児で行ったという。なんということだ、弟子どもメ。挨拶そこそこお茶の支度をしていると、裏通、花緒と道に迷ってみなと遅れて駆けつける。「早稲田には詳しいけど東大は来たこと無くて」と弁解。そういえば、余白句会の連衆は道草を除いて(多田さんは東大入学で京大卒。詳細は本人から聞くべし)東大に入学した者はいない。小生、嵯峨信之さんの見舞いで東大病院に行くまで、構内に入ったことすらなかった。
 今回の欠席は風邪で山羊・八木幹夫(初めての余白句会欠席です)と、仕事で来れない赤帆・清水哲男(これまた最近では初めて)。それに紙子・木板涼、ズボン堂・中上哲夫の四人。この欠席組が又もや高得点を取るか(そうなっては面白くないけど)興味あるところです。兼題は道草出題の〔時雨・着膨れ・蜜柑〕と無季の〔本〕でした。一同お茶を飲みながら選句開始。2時前に天、地、人を選び終わった頃、ぼうと清水昶現る。さて注目の天の句は、

 仕出し屋の輪切りの蜜柑本会議   紙子
            
 と。今度も欠席者の勝ち。この選は赤帆の人を除いて、巷児、みなと、ペダル、宗道、俊水、山羊の六人のオール地という珍しいケース。(欠席者の選はファックスによる)
 この本会議というのがいいんだなあ、と巷児。これは中小企業で、暖房なんかあまり効いてない部屋で、安い弁当を取って会議やってるんだ。蜜柑だって小さい蜜柑なんだ、金が無いんだよ、と見てきたような解説。こんな世間を知っている上手い句の作者は誰? といって、紙子と知るやびっくり。亭主のペダルにしてからが、てっきり巷児句と思い込んでいたという。そのペダルが天に入れた句も又、「接客」という言葉を巡って議論を呼んだ。

 接客の明かりの下の蜜柑かな   紙子
            
 皆、これを見て昔のキャバレーや料亭の光景だ、という。ところがどうも作者は、「接客」の意味を家に来た客をもてなすこと、ととっていたようだ。判ってみると実に単純、これは前回当会を欠席した時の、紙子家に来たアメリカ人の客のことを詠んだのだ。言葉の勘違いもいいところ。まんまとやられましたね。しかし、次の句は違います。

 髪切って着膨れていま風の中   紙子
            
 巷児の天。騒々子、蝉息の地、俊水の人。小生、俳人のあき子句と決め付けていた。それほど女性らしい新鮮な感覚の句です。巷児師紙子句と知らずこれまた絶賛。天の句ですぞ。選外の「はにかみの幼子の手にみかんかな」にようやく「これがいつもの紙子ですな」。

 時雨るるや天から地まで空の丈   あき子
            
 やっとこれで出席者の面目が保たれた。土肥さんとメル友の裏通が天に、赤帆、巷児、ペダルが地に入れる。作りすぎとの声もあったが、冬の空が低くなっている感じを上手く表現している、という巷児説に付け加える言葉なし。このように天然自然現象を、距離や時間で表現できるのは、訓練を受けた結社俳人にしか出来ない芸当である。あき子は名門「鹿火屋」に所属。清水哲男が選んだ日本・スウェーデン百句集『四月の雪』にも、「いと若きサンタクロースと隣り合ふ」の句が選ばれている。着膨れの句でも上手いもんである。

 着ぶくれて女三人坂下る   あき子
            
 これも、なんだか可笑しいじゃない、と裏長屋が天に入れ、山羊又人。坂は女坂か。あき子は「独り居やミカン掌にあて頬にあて」も、こんな寂しい境地に感動するズボン堂が天に入れ、「本」の句にも点が入り四句全て入選。流石。次も欠席者です。

 着膨れのわたしを扱いかねている   山羊
            
 蝉息の天、俊水、あき子の地、巷児、ズボン堂の人だったが、解釈を巡り意見が真っ二つ。着膨れた自分自身をもてあましている、と普通にとった蝉息組に対し、「これは、どう脱がしていいかもてあましている男を、女が意地悪く観察しているのだ」という俊水、巷児、道草の連合軍。作者にとっては思いもよらない解釈でしょう。そうじゃなきゃ面白くないじゃない、というのが俊水説。騒々子も賛成です。考えるに、俳句では「わたし」は他者に物ならない。我・私は句には出せない。だから俊小説も大有りなのだ。山羊、今回は見るべきはこの句のみ。
 山羊・八木幹夫、10月28日には清水昶と朗読しに「榛名まほろば」に行く。小生も見学者として八木さんのお友達の画家の工藤正秀さんの車に乗っけてもらっての旅。実に愉快な楽しい旅でした。ここではインターネットで知らせたものだから「清水昶は赤いジャガーで来た」と評判になる。実際は日産車でした。

 着ぶくれてジャコメッティを語りけり   俊水
            
 これが又素直に点が入った。みなと、裏通、花緒の地に裏長屋、蝉息の人。着膨れの人物に対してあの針金のようなジャコメッティの彫刻の人物の対照の妙。谷川さんに聞いた所まだジャコメッティは世界中で有名だそうです。俊水句ではそれよりも、

 まずうなじ耳たぶまぶた初時雨   俊水
            
 が論議の的となりました。これ、なんだと思いますか? 普通に読めば時雨(秋の末から冬の初め頃に降ったり止んだりする雨/広辞苑)の水滴が作者の体に落ちてきた順番を描いた。俳句には無い斬新な句と。だからこそ俳人二人組あき子、宗道が点を入れたのだ。それを、待った、これこそ西洋人の得意な愛撫の光景ではないのか、と異議を唱えた御仁が大勢。これは先程の山羊句の解釈と同じパターンです。これがあるから余白句会はやめられない。作者が判れば一段と奥行きが増すねえー、とは皆の感想でありました。
 谷川さんは岩波書店よりCD・ROM版全詩集を出す。岩波では初の試みです。

 下積みの小さき蜜柑のへこみかな   ペダル
            
 上手いもんだ。裏通の地、騒々子、裏長屋、蝉息、山羊の人とこまめに男性陣の点を集めるのもむべなるかな。「下積み」と「小さな」に男は弱いのだ。蜜柑箱(昔木箱.今紙箱)の下の方に、ペシャンコになって四角くなって空気が入って皮がすぐ剥けるようになっている蜜柑。これが先の紙子の「接客」の蜜柑となったのかあー。それにしても、どうしてこんな「へこみ」などにアメリカ人の眼がいくのだ。これは芭蕉のいうほそみ、しおりの世界ではないのか。アーサー・ビナードは先頃思潮杜より出した詩集『釣り上げては』が好評。あちこちで書評に採り上げられる。それも当然ですな。次はやっと師匠の番、

 しぐるるやきのうつぶれし傘問屋   巷児
            
 こういうのに極度に弱い騒々子が天に、宗道が地に、裏長屋が人。傘業界では「一雨百万円」という言葉があったとか。その待望の雨が降ったというのに、ウチは昨日つぶれちゃった、と泣いている傘問屋の若主人。上野、浅草はそういう間屋の多い町である。いま流通大革命の中にあって、従来の問屋は何処も存亡の危機に立っている。傘なんざ百円からあるビニール傘によって簡単につぶされたよ、というところ。巷児句の得意な分野です。
 小沢さん、前回報告した『小沢信男全句集 んの字』が出るや読売新聞夕刊に「下町の夏」7句を発表。続いて「俳句研究」12月号には堂々12句の「街残暑」。中に「手術受くふたたぴ花野歩むべく」、終わりは「退院す秋刀魚は皿をはみだして」とあるので、えっ、小沢さんは何処手術されたんですか? というひとには「ヘルニアと訣別れてもどる街残暑」あり、これがタイトルとなっている。ヘルニアは昔脱腸といいましたね。小沢さん、病名をいう時恥ずかしがってました。でも、もともと臓器があるべき所からずれた状態をいうらしい。だから権間板ヘルニアがある訳だ。次も時雨の句だが欠席の赤帆句

 しぐるるやイルカショウまで小半時   赤帆
            
 みなとの天、ペダル、あき子、俊水の人。これはねえ、辻征夫への追悼句なのですよ。安西均さんの句に「海豚の芸終りひぐらし鳴き始む」というのがあって、それを辻はいたく気に入って安西さんの死後『俳藷辻詩集』に「ビート詩抄を読んで、こんな書き方でいいのかしらと思いながら安西さんの思い出」という詩に引用している。小生知っていたが点入れなかった。切なくてねぇ。それほどしみじみとしたいい句である。冬の港町の寂しさと孤独な男の後ろ姿が眼に浮かぶ。それと少し、吉行淳之介の小説の雰囲気もある。一転して明るい句を採り上げます。「ニコライの鐘青空にミカン売る」。戦後間もない頃の東京は神田駿河台界隈の光景、でも想像句でしょう。これは小生も昔唄った流行歌の「ニコライの鐘?」の出だしの「青い空さえ小さな谷間♪」と終いの「♪ああニコライの鐘が鳴る」という所から生まれたと推測する。戦後は、ミカンやリンゴは貴重品でした。
 清水哲男はこのところ大活躍。まずはインターネットの「増殖する俳句歳時記」で、アクセスが前回の句会の時点で34万、現在は67万。半年で倍増している。10月30目には朝日新聞が朝刊に写真入りで「1500句超えた電脳版「折々のうた」」と紹介。これで又増えた。次には「新潮」12月号に「さらば東京巨人軍」という250枚の小説を発表。発売に先駆けて「週刊新潮」11月9日号に「熱狂ファン「清水哲男氏」が書いた「巨人軍訣別宣言」」なる文がこれ又写真入りで掲載される。戦後少年達にはこれ以上ない読み物です。それにしても東京巨人軍として読売ジャイアンツとしないところが憎い。

 網入りの蜜柑と夜汽車で出奔す   騒々子
            
 さて小生の出番である。昔の夜汽車の友は、網入りの蜜柑と南京豆とポケット・ウイスキーと決まっていた。その懐かしさと「出奔」のおかげで道草の天! 赤帆の地、みなとの人をとる。小生、大阪を出奔したのほ19歳の時てした。「発車のペルが鳴った時、息せききって下宿のおばさんが現れた。「これすんまへん。汽車の中で食べてってや」 蜜柑と落花生の入った袋を手に持っていた。それは私に黙って質に入れ流してしまったラジオのお返しだった。窓ガラスの向こうでおばさんは手を合わせていた。−井川博年「夜明け」より−」判りましたか。これは私句なのだ。続きを見たい人は詩集『待ちましょう』を。
 騒々子は最近は好調なのだ。「着膨れの老人と鳩群集す」も裏長屋の地に入る。形容詞が現代俳句っぽくなったのね。それが上手くなった秘訣です。小生、図書新聞で2年俳句と詩の時評をやった。「俳句研究」には「俳人になりたい!」という文を書く。今の心境にあらず。40年前の話です。近く10年振りに詩集を出すつもり。ところで次は、

 着ぶくれてひとりはずれし座席哉   花緒
            
 山羊の天、蝉息の地、裏長屋の人と天、地、人の揃い踏み。今回は珍しくこの天、地、人の三点セットが花緒句と先の騒々子句と巷児句と三人あった。「ひとり」は自分自身のことでしょう。グループの一人が外れたのではない。着膨れたので空いている座席でも遠慮して、離れた場所に行って座っているのだ。何となく可笑しい。着膨れは昔は着物の重ね着をいったのだろうが、いまやダウン・ジャケットやぶかぶかコートで身動きとれなくなっていることをいうようになった。花緒の今回は蜜柑の句がよかった。

 夕映えの線路ぎわまで蜜柑山   花緒
            
 宗道の天、裏通、赤帆の人。伊豆あたりの何処でも見かける、ありふれたしかし忘れがたい風景。それを作者はしっかりと覚えていたのだ。

 着ぶくれの夜に太りし里の芋   甲斐
            
 その花緒が天に入れたのが甲斐のこの句でした。この句はかの「増殖する俳句歳時記」の掲示抜に毎日20句載った清水甲斐俳句航海日誌」の句ですから、当然同掲示板の常連の花緒は良く知っている。それでも選んだのは現代詩として認めたからに遠いない。
 青蛙改め甲斐の清水昶は半年前、突然俳句に目覚め、夏から冬までに2870句を作る。そして寝る間も惜しんでインターネットに俳句を打ち込む。夜中の投句はざら。壮観ですな。えらいことになった、というのが正直な感想。ついには、「現代詩手帖」2001年1月号にその中から262句を「現代詩俳句抄」として発表。中では、

 老父まだ素っ裸で寝る寒の入り   甲斐
            
 がいいなあ。これは俳句だ。今回の句でも道草が地に推した、

 初時雨露地に仕む大工哉   甲斐
            
 など見事なものです。しかしこれなど決まりすぎた。

 西伊豆や村ひとかたまりの時雨がな   裏通
            
 道草の地、花緒、赤帆の人。前の花緒の蜜柑山の有る村にさっと通り過ぎる時雨。この風景が明るく見えるのは西伊豆という地名にあるでしょう。もっとも地に選んだ道草は、西伊豆と言えば長八しか知らへん、とおっしゃってましたが。その長八美術館はこの余白句会で行ったことあり。裏通句では「冬北斗人と喋らず本読まず」が本人を知っていると感銘深く可笑しい。だって国井はいつもそうではないか。裏通・国井克彦、離婚以来区の斡旋のアパートに住み運転手をして露命を繋ぐ。句会に来るのも借金をして来なければならない。その唯一の飯の種の運転も緑内障とあっては風前の灯火。さてどうしたらいいのか、俳句どころではないのである。「ガラス戸の中で時雨を見つめてる」なんて、平成の山頭火みたいではないですか。この句は騒々子の地、宗道の人。いいのになあ。

 時雨きて母と駆け込む旧駅舎   裏長屋
            
 まだこういう駅舎が残ってはいるが、これはやはりセピア色の昔の物語としたい。さもないと、作者はこれはつい最近のこと、とテレカクシにいうに違いないのだ。この句に点入れたズボン堂、道草にしてからが同じ意見と思います。裏長屋、こういう句がいいなあ。次の「故郷は蜜柑みかんの斜面かな」も山羊の地にあき子の人。裏長屋の故郷は静岡だったのだ。二次会(湯島のうどんすきの店「やぐ羅」)で土肥あき子と隣合わせた裏長屋、話してる内に郷里か同じ、しかも市内のかなり近い所同士と知って驚く。勿論年は二周り位違うが、話によると土肥さんのお母さんは三木卓と同窓生らしい。お二方ともどうやら幕臣の子孫のよう。とすれば清水兄弟は長州だから天敵なのだ。どおりで小長谷清実は御家人崩れのようなところがあると思った。次は前回三位に入って周囲を驚かせた道草句、果たして柳の下に泥鰌は何匹いるか。

 私小説一澤帆布夜時雨   道草
            
 前回漢字だらけで味をしめたかこれも漢字ばかり。ただこちらは前回の老夫婦の冷奴と違い何がなんだかわからない。前書きに「師承説とも」とあるので小生はハハーンときましたが、何故がといえば多田さんは「群像」に私小説論を書かれている最中なのです。これは「変身放火論」よりためになる。多田さん得意の文学漫談ですが、今回は先輩文学者への「愛情と尊敬」(井川得意のセリフです〕に満ちた稀に見る優しい作家論です。山本健吉の『小説作家論』よりいいような気がする。最初が葛西善蔵でこれは山本と同じ。次は字野浩二でこれがいい。と、小生一人で悦に入っているのだ。次は恐らく井伏鱒二で、というのも、この日の句会の翌日の日曜日に、多田さんは井伏宅を訪問し井伏夫人と会うことになっているのを聞いたから。話が長くなったが、この句にある「一澤帆布」というのは京都の帆布地のカバン屋なのだそうです。多田さんご贔屓の店で小沢さんも辻征夫もこのカーキ色のカバンを持っていて、この日も小沢さんこれで決めていました。道草句のもう一句、「手にみかんひとつにぎって子がころぶ」は、ズボン堂、山羊が人にいれるも「欠席者ばかりの点やな」とぼやく。可憐なれど平凡ですな。

 読みかえす『志ん生一代』寒の入り   蝉息
            
 今回は元気なかった師範代の蝉息、花緒の地にみなとの人。女性が志ん生を好きなんていいのですか。『志ん生一代』は結城昌冶の傑作である。結城昌冶は俳句も作っていてうちの近くの古本屋に句集が出ていた。蝉息は本当に俳句と落語が好きだなあ。「いちばん寒い場所」30号にも次の句あり。「志ん生のあとも志ん生ぬくめ酒」。志ん生の本では『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)が面白い。話は違うがビートたけしは志ん生に似ていると思いませんか。年とったらそっくりになると思う。「青みかん女がくずす膝の先」も赤帆が地に入れるも、これチラリズムの覗きなんですかね、蝉息にそんな趣味があったなんて知らなかった。

 ITの本に躓き冬銀河   宗道
            
 これも最近は不調の宗道。なんだかわからない句である。パソコンを覚えたての男が山と積まれた本に躓いて転びそうになり、つと見上げた空に冬の銀河が見えた。嘘だ。そんな都合のいい話がある訳がない。ここで皆は、宗道はインターネットの本の内容が理解できないので(蹟いて〕ひとりさみしく銀座(銀河は銀座の誤植)に行った、と解釈。
 「着ぶくれて俳句仲間の遺影かな」も本当の話というが、これも追悼にもなんにもなってないじゃないか。反って悪くとられそうだよ。次はトリとなったズボン堂の句、

 立哨とて時雨の坂に我はあり   ズボン堂
            
 選外の句。この句の意味は全員が判らず、なんだコリャといっていた時に、誰かがこの立哨というのは、ズボン堂が道路に立って工事の交通整理の仕事をしている様を、昔の軍隊の歩哨に例えたのではないかといったのに、みなと、きっとそうよ、と激しく反応。これはだから泣かせる句だったのだ。哀しいなあ。句も理解されず、仕事も理解されず。
 もう一句の「脳を病む妻のうなじに時雨くる」なんてこれを読んだら奥さん怒っちゃうよ。こんな句に地の点を入れた裏長屋もどうかしてる。中上哲夫は「俳句界」に詩歳時記を連載、「詩人は季節に鈍感でぴったり合うのがない」とこぼしている。新年度から「百鳥」で俳句随想を連載します。「最近は注文は俳句ばかり」とまんざらでもなし。

 ということで、句会は終り。谷川さんとアーサーはここでお別れ。一同のろのろと湯島の坂を下りて二次会のうどんすきの店に向かう。ここでは5時から9時まで呑む。次に朝が早い多田さんを送り、残りのメンバーは湯島天神に参詣。といっても真っ暗で、なにも見えず。小生、受験なんぞもう縁が無いから賽銭あげなかった。そこからまた延々と歩いてお茶の水で中央線に乗る。ゴクローサンといいたい長い一日でした。

12月の終わりに近い頃−
 と、ここまで書いてやれやれ句会報告は終わり、となったところで、大変なことが起きました。いや、驚いたの何の! 土曜日(12月23日)の朝、清水哲男さんから「加藤さんが亡くなったみたいだけど」と本人も半信半疑の電話。昶は加藤さん宅に行っているという。
 普段から病気の主のような人であったが、今回の句会も元気だったのは皆さんもよくご存知の通り。
 何だって! とその内に、事態はどうも本当らしいと判ってきました。12月22日午後10時、加藤温子さん死去。死因は心不全。急死でした。68歳。この日も、正月を息子さんのいるバンコクで過ごす予定で、その準備をしていたところという。天は何かの用でカソリック(彼女がクリスチャンだったなんてまったく知らなかった)のテレジア・加藤温子を主の御許に召したのだ。クリスマスの前後に召されるのは神の恩寵であるそうだが(26日ミサの行われた吉祥寺カソリック教会のフィリッピン人神父の説教)嘘だ、神の気まぐれではないのか。
 加藤さんはいなくなった。葬儀が終わってインターネットの掲示板に清水哲男が書いた「たった5人の「小酒館」のメンバーは1月に辻征夫を失い、12月に加藤温子を失った。残り3人になってしまった」という文が限りなく悲しい。余白句会も又二人を失いました。
 いちばん加藤さんの死を嘆いたのはいうまでもなく清水昶でした。昶詩塾の世話役だけでなく姉と介護人と庇護者とを全部失ったようなものでしょう。杖とも柱とも頼む人がいなくなったのだ。昶を知る者は口々に、加藤さんは昶を自立させるために去ったのだ、という。でも、哀しいよ。ここで、句会では俊水が天に推した花緒句を絶句として載せます。

 凧や本の重みに耐えかねて   花緒
            
 そして、偶然のように出来ていた甲斐の句を追悼の句としてささげる。

 見開きの水そのままに冬の蝶   甲斐
            
2000・12記


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