| 第38回余白句会報告記 |
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井川博年 1999・10・11(土) 東京・新江戸川公園集会場 |
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【そろそろっと句会】 物みなは歳月と共に滅び行く 萩原朔太郎 半月ほど前のことです。 仕事上の展示会の帰りに、品川に新しく出来た巨大なツイン・タワーの地下にある美術館で「ポンペイ展」を見ました。その帰り、時間はたっぷりあるので私は思い立って、近くにあると聞いていた木下工業を尋ねてみることにしました。私は二十歳から五年ほど木下の工事課員として、東北地方の冷蔵工場の現場監督をしました。当時、本社は品川でも海岸にありました。それがかなり前に品川駅の南口に移転してるのを聞いていたのです。 私は退社してからは一度も尋ねたことはありませんでした。が何故かその日、三十五年振りに会社を見たくなったのです。そこで広大な再開発中の品川駅の通路を歩き廻り、木下の看板を探したが何処にもない。やむなく電話帳で探すと、五反田に移っているではあ りませんか。そこで山手線で五反田に行き、ドブ川に沿って歩くと、地図で調べた住所にマンションの管理棟のような建物があり、そこに見覚えのあるマークが出ていました。 しかしこれはどうみても、かってアンモニア冷凍機を日本で始めて作り、従業員五百人もいた「天下の木下」とは思えない。それでもここだろうと思って入口を見ると、なにやら紙が貼ってある。目を近づけて見ると、この会社は十月十五日をもって自己破産をした云々、と書かれているではありませんか。 これは会社の解散公告で、これで見ると私が三十五年振りに尋ねたそのひと月前に木下は倒産していたのです。あまりのことに信じられず、入口に突っ立っていましたら、奥から社員らしいのが出てきて「どちらさまですか」と聞くのです。浦島太郎のようなやりとりがあって、私はそこで、私が在社当時の社員の殆どはもはやいないこと、私の一番御世話になった上司は後に重役となり、もう辞められたこと。会社も一時は良かったけど、結局この不況にやられてしまったこと、など等を知ったのです。 私はその夜、当時の先輩や同僚や上司の名前と顔を思い出し、知る限りの関係図を作り殆ど眠れませんでした。色々なことを思いました。私の生涯の中で二十代の前半のあの会社での日々はもっとも輝いていた、と今にしてわかったのです。よく私のようなものを雇って働かせてくれたと思います。会社なんか関係ない、社会なんか糞くらえ、と思っていた私でしたが、実はその会社あればこそ、私の青春もあったのです。 閑話休題。で、今は俳句どころではないのだが、句会はその前の十月十一日まだまだ夏の暑さが残っているような晴天の日に、ずっと前に句会を開いたことのある関口芭蕉庵の近く(といってもかなりある)にある新江戸川公園の二階建の集会場で行われました。 今回の最大の話題は、身体の不自由さが増してきた辻征夫が、ぜひ出席したいと言ってきたことで、それならぜひ出席したい、と多田道太郎忙しい日程をこの日のために予定。当日はショートカットにして一段と美女となった有働さんと早くより辻を待つ。その辻、刻ぴったり奥さんと妹さんに支えられて現れる。小沢師匠以下面々の顔で出迎え、挨拶そこそこ一同二階に上る。当日は大広間は地元の婦人会の踊りの稽古があるとかで、予約は二部屋とってあったが、みな一部屋にぎゅうぎゅう詰めに座る。今回谷川俊太郎は中国旅行で来れず、八木忠栄また四国に旅行中。アーサー・ビナードも仕事で青森。中上哲夫は土曜日は仕事。清水昶は入院中。こうなると欠席者が高得点をとりそうな嫌な予感がする。 今回は人員減を予測して強力なゲストを用意してあった。すなわち小長谷清実である。小長谷さんはここは地元(駒込在住)に近いのだ。いつも二次会ばかり呼ぶので、このへんで俳句を作ってもらおうとの親心です。誰かが言った「酔ってない小長谷さん」多田、小沢さんの間に座る。さて一時より始まった選句は二時には終了。この間一人として庭を散歩するものなし。みな大名庭園(ここは細川屋敷跡)には飽き飽きしているのだ。それよりもとお茶を飲んでよもよもの雑談。さて、その厳正な選の結果はというと、天は、 満月や大人になってもついてくる 貨物船 巷児、扇舟、山羊が天に入れ紙子、赤帆まで客。小生不思議でならぬ。なんでこんな句がいいの。山羊は震えたと言うが、いい年した大人がこれでいいのかねえー。川崎洋の絵 本にあるみたい、と誰かが言っていた。赤帆「だったらついて行く」と謎のようなことを言う。しかし、見上げると満月があり、どこにいっても月があるというのはかなり怖い。 貨物船の客となった「鵯の鋭く鳴いて何もなし」も宗道の天、扇舟の地であるが、これはむしろ百舌の方がいいんじゃないか、という説が多かった。小生、ヒヨドリも百舌もほとんど知らないのでなんとも言えず。この句会が終わってから始めてヒヨドリがあの鳥かと知り、東京にいっぱいいるのを知ったのである。この句より宗道が客に入れた、 稲妻やあひかったとみんないふ 貨物船 これが問題でした。これなんだと思いますか。大半のひとはこれを「た」が抜けているけどきっと「逢いたかった」のだと読んだ。騒々子一発でわかりました。これは「あっ、光った」なんですね。実にくだらない。選外に落ちた「稲妻やざあーとこないうちに帰ろう」と同類。そっちの方がまだましか。次は地の句。 山高く月さらに高く村眠る 蝉息 騒々子の天、貨物船、山羊、道草の人、紙子、扇舟の客。この句は高く高くをうまく使ってちょっと漢詩の対句のような効果を出している。中句が字余りなのも良い。それはいいが少し作り過ぎ。三好達治の「雪」のよう、との評あり。この句あまり論が出ず、人の いなびかり女のうしろにも女 蝉息 この句が話題になった。点を入れたのは貨物船の天、宗道の地、赤帆、裏長屋の客と男性ばかり。女性はひとりも点を入れてない。この女はいったい一人なのか二人なのか意見が分かれた。これは心理的なものとして一人説を採ったのは赤帆。騒々子てっきり二人だと思っていた。前にいるのは女(愛人)で後ろに女(女房)がいるのだ。そう見えるのです、普通は。これ単なるジョークじゃないの、とは紙子。本当はそうかもしれない。 蝉息、この二句で18点も取り貨物船を1点差で抜いてトップとなる。又しても欠席者の勝ち。これを許して良いものだろうか。(なんらかの罰則を考えております)次は人の句。 川の字を知らぬ夫婦や秋深む 巷児 こんなしみじみとした句があるのになあーと道草の天、騒々子、山羊の地。巷児言うには、これは実感です。道草「井川の詩にこのようなものがあったなあ」と褒めていただく。この川の字の少し長い左の水がわが家の奥さんで(奥さんの方が背が高いから)、右の少し短い方が小生なのかと独り言。いずれにしろ親子は昔の親子ならず。川消滅です。 結局この句が今回の句会の本当の天のような気がしますな。巷児句では月の句の、 月皓々亡き列に入る列に居る 巷児 が良かった。赤帆の天。道理だ。こんないい句を見落としていた。だから句会には魔物が住む。これをあまりに平凡というなかれ。だからこそいい、という句があるのです。 「鵯の雛擲げ打つごとく巣を立ちぬ」も花緒が天、扇舟の客。これは池袋に居た自分の実見だそうです。騒々子前述のごとくヒヨドリなるものの生態まったく知らず。話聞くのみ。稲妻の句の「稲妻や上野の山に地獄門」は、稲妻と地獄と上野の西洋美術館ロダンの彫刻地獄門との取り合わせ。この句は前書きをつけて次の句集には入りますぞ。巷児師匠は四句すべて入選で三位。流石です。 いなびかり隣家忌中の回覧板 山羊 ゲストの裏長屋の天、紙子の天、宗道の客で人。この句も解釈を巡って論が分かれた。どうも当句会は解釈不能な句で(単なる下手な句なのか)論が分かれることが多いなあ。まず忌中の回覧板なんてあるのか、という意見が出た。忌中札の貼ってある隣の家に遠慮して(飛ばして)回覧板が廻ってきたのだ、という説。どっちでもいい説。大変な時にいなびかり、どうしたらいいか迷っているというのは裏長屋。この辺が当たりなのかな。 山羊句の「楢櫟その実ころころ川原まで」はみなとが人に入れるも、これは単なるドングリころころなのである。もう一句の「西暦やなに地迷ふて稲光」は2000年問題に引っ掛けて稲光を持ってきたものの稲光の季語では無理。ただ血迷うというのは面白い。確かにみんな地迷ってる。そこに道草、赤帆が客点を入れたのだ。次からは五客に移る。 二羽のひよ来て一丁目一番地 宗道 ヒヨドリをひよというのが俳人ってところ。紙子の人、巷児、山羊、花緒の客。数字の語呂合わせみたいなものだが、巷児説によれば二羽とはツガイなのね。それが新婚で住んだのが一丁目一番地だったってわけ。これは素直に受け入れられたが、「いなびかり南国酒家の逢瀬かな」はもめた。みなと、花緒の女性陣に道草裏長屋の男性陣が客の点を入れる。なんで?いまどき逢瀬なんて言わないよ。但し南国酒家というのは東京のあちこちにある中級中華料理店で、知る人ぞ知るかなり安っぽい店です。そこで訳ありの男女が逢っているというのは面白い。いかにも元広告屋の宗道が考えつきそうなシチュエーションだ。稲光が見えるのだからこれは窓際の席なんだろうか、駐車場じゃないか、という者もいた。みなこういう話になると俄然盛り上がる。別の句の「うしろより色なき風の綾瀬川」は花緒の人。綾瀬川というのは汚い川なんだ、そこに色なき風というのは少し風情はある、と巷児。「三越の無月の獅子に背を向けて」は赤帆の客なるも単なる三越ライオン像の話。 稲妻や煙突のある町に住む 赤帆 裏長屋の地、巷児、みなと、貨物船の客。いい味がある。なんか戦前の油絵を見るよう。千住にあったというお化け煙突、うちの近くにある古いお風呂屋の煙突。こういうイメージはみな川端康成の「川のある下町の話」や吉永小百合の「下町の太陽」からきているのだ。騒々子、前に安西均さんから聞いた岡崎清一郎の「木枯らしや煙突に枝なかりけり」を思い出した。(これは「日本の名随筆」『俳句』に入っています)赤帆句は今回の稲妻を扱った句の中で一番季語をきちんと使ってますね。稲妻は夕立をもたらす雷にあらず、音と光はすれど雨はもたらさない。稲の実る時分に多く発生するのでこれを豊作の象徴として尊ぶ。秋の季語となった由縁です。別の客の句「ひよどりや見合いの席を鳴きつくし」は花緒の地、みなと、紙子、騒々子の客。これも騒々子を除くとみな女性です。やはり女性は見合いというと関心あるみたい。花緒さんは見合結婚。実は赤帆も見合いしたこあるという。小生も田舎に帰省するとそういう話もあったが、勝手に東京で結婚してしまったので経験なし。もう一句の「糸の月人に生まれて糸切り歯」というのが面白い。道草、紙子の地。小生も含めてこういう句をもっと評価しないといけない。 稲妻のつきささりたる豆腐かな 花緒 巷児の地。宗道の人。貨物船の客。電光の剛にたいして豆腐の軟。そんな訳がないと知っても、なんだかありうるような面白さ、と貨物船。取り合わせの意外性という道草。この豆腐屋の近くには避雷針がなく古い平屋。だから稲妻が簡単に入ってきたのだ。もっともこの豆腐はもう売り物にはならないでしょうな。その前に家が燃えるかも。 花緒句の月の句「夫婦とはそんなものかよ萩と月」は、巷児句の川の字の夫婦と比較してみると面白い。萩と月は芭蕉の奥の細道の遊女と一夜の萩と月へのこだわりか。それにしても花緒さんはいつもこんなことを考えていたのか。もう一句の選外になった「猿酒を呑んで河童の川流れ」は席上では誰も見破れなかったが、これは青蛙への挨拶句なのだ。 すなわち酒を呑みすぎて川流れした(プロらしくない失敗)河童が清水昶という訳。「青蛙酒に呑まれて壺の中 騒々子」。次は今回をもって裏通改め扇舟の、 月明かり猫が無常を咥えてる 扇舟 赤帆の地、貨物船、花緒の客。月明かりの中に猫がなにやら怪しげなものをくわえている。それを物として言わず「無常」としてとらえた。その言葉の使い方がいい。「けり」とせず「てる」と口語調にしたのもいい、と赤帆。この句は今回の句の中の白眉でしょうな。今度読み返してみてそう思った。「月明かり」は國井克彦のミッドナイト・プレスから出した詩集の題名でもある。それはいいのだが、この扇舟という俳号は気になるなあ。國井家の由緒ある家紋からとったというが、なんか踊りの名取名みたい。花柳幻舟というものがいましたっけ。まあ前の俳号裏通も、今回小長谷清実が俳号裏長屋を名乗ったので、まぎらわしくて困るのですが。扇舟句のもう一句は「天城越え月は三途の川照らす」という石川さゆりが聞いたら泣きたくなる代物。陰々滅々ですな。次は裏長屋の句、 昼の月今日も落ち目の馬を買う 裏長屋 巷児の人、騒々子の客。「落ち目」がいいねえ、これは少し落ち目なんで見込みがないというのとは違うんだ、と巷児。この作者のムードがいいですねえ。これぞ見た目そのままの小長谷ワールド。大体俳号裏長屋がこのひとらしい、ぴったしです。気付きました? 「小長谷 裏長屋」なのである。もっともこんな句に感心するのはこちとらだけかもしれない。それに選外の「川向こう瓢箪見に行くひまなひと」というのが面白い。これも入れようかどうしようか、迷ったひとが多いと思います。ズボン堂が平凡になって振るわないいま、これはかなり有望な新人です。「ひよどりの思案にくれる昼さがり」というのはひよどりより本人が思案にくれてたんじゃないの。次は道草句。これがいいのになあー。 枯れすすぎ名月似合う川原あり 道草 騒々子の地です。この通俗を全部集めたような句がいまの小生にはぴったしなのです。今回道草はひよどりの句は作らず川と月で4句作る。ひっとすると京都にはヒヨドリはいないのかしらん。だいぶ前にみなで宇治の多田邸にお伺いした時、鳴いていたのは老ウグイスでしたが、彼の鳥ももう代替わりしていることでしょう。道草の月の句、「月面に降り立つ足許おぼつかな」はみなとの地なるも、これはいわずとしれたかの有人月面着陸のムーン・ウォーキングと称するアームストロング船長の歩行。いや我等死後に月の世界に(死者の世界というから)降り立った時の印象か。もっとも足があればの話ですが。 「川原道のぼらん一里の花野あり」はよくみかける風景。この花野は「秋の草花の咲き競った野原のこと」で秋の季語。花と言えば桜でこちらはもちろん春。花野は道草の得意の季語で過去に「犬一匹駆けて花野や躁気分」という句を吐く。この句も確か当句会にでたと思うが点入りし記憶なし。後に筑紫磐井によって角川版ミニ歳時記に入る。みな目が無いのだ。「川湯にて月を仰がん辻征夫」は文字通りの貨物船への挨拶句。川湯という実在の温泉もありますが、これは想像句なのかしらん。 稲妻や産婦悲鳴を上げて産み みなと 巷児の客。凄いもののダブルですよ。生まれるのはどんな人間だろう、と思ってしまいますよね。日輪が腹中に入って生まれたのが日吉丸・豊臣秀吉ならこちらは雷電為エ門か。みなこの句を見つけて楽しそうに笑っていました。こういう句がなくっちゃ句会らしくない。みなとの月の句は、「寮跡の椎のくらがり月明かり」。こちらは山羊が客の点を入れる。この寮はもちろん木造二階建てかなんかで、それがしばらくは無人であったのだが今はとり壊されて唯の空き地になっている。そこに昔からあった椎の木がくらがりとなって今もあり、その梢の上に昔と変わらぬ月が出ている。昔の光いま何処。これは寮だから生きたんで工場とかお屋敷だとつまらない。聞けばみなとは学生の時、今回の会場にほど近い細川家の寮にいたことがあるという。そういえばここは昔細川家のものでありました。 馬小屋の馬の見ている月夜かな 騒々子 貨物船が地に入れてくれる。この句は元々は「馬も見ている」というものでしたが「馬の見ている」と直しました。「馬も」だと他にも見ているものがあるので感興がそがれるという赤帆説に従ったのです。こういうところが報告者の都合いいところ。これは今はもう田舎に行っても馬も馬小屋も見られないので、いうなれば時代劇なのです。時代劇といえば騒々子のもう一句は、「稲妻や川中島を真っ二つ」というもので道草が客。これこそ時代劇だと道草評。これはしかし他の場所だと面白くないのです。巌流島も考えたのだがベンセイシュクシュクの方を選んだ。こういうのは漢詩では史詠といってうんざりする程ありますが、俳句では最近はあまり見たことない。講談が流行らない訳だ。小生、落語より講談好きです。「釣り人の休む月下の流れかな」は釣り人(山羊、ズボン堂)の点を当てこんていたのだが、釣り人騙されず、選外に落ちる。でもこれは改造の余地あり。 鵯鳴きて誇らかに否陽気に否 ペダル 鳥の句でこういう表現は珍しい。およそ俳句らしくない。そういうところに魅かれたのでしょう、みなとの天、扇舟の人。ただヒヨドリはそんなにカッコイイ鳥とは思えないけどなあ。小生、騒々子いだけの鳥と思います。ペダルの句では裏長屋の人、騒々子の客を取った「秋日和川に春本捨ててきて」が面白い。変な文人口調があります。裏長屋は「井川の詩「胸の写真」のシーンを思い出した」という。あれはエロ写真、これは春本。この句では本を「捨ててきて」と現在完了形になっているのは、主人公の未練を気持ちを現している。もったいなかった、というのと、誰がに見つかったかな、というのと。しかし最近は本類は川なんかには捨てません。燃えるゴミに出します。ビニ本は燃えないゴミ? とにかく騒々子は意外と句会ではペダルに点を多く入れるのだ。どうしてだろう。 おろちかも川ふるさとの秋を呑む 俊水 ふるさとの川に弱い山羊が客に入れる。おろちはヤマタノオロチでしょう。してみるとこの川は騒々子の郷里の出雲の斐伊川か。と言いたいところだが、この場合は何処の川でもいいでしょう。増水した水が収穫真近の田畑を呑み込んで行く。夏にはキャンプの家族を呑み込んでしまいましたが。もう一句の「鵯を空耳に聞き往生す」はピヨピヨという声が耳について参ったという意味か。往生を「死んだ」ととった者もいたが、その場合は空耳が変である。いずれにしろこの変な句を客にとったのは宗道。宗道、往生せい。 この選に入った2句よりも選外であったが 胡同やタデタデガキツ一人旅 俊水 を推したい。この句は胡同を知らぬ者がいるのと、タデタデガキツを知らぬ者がいるので損をした。胡同は中国の都市の横町のこと。タデタデガキツは「出た出た月が」の逆さ言葉、我等の世代は知らぬ者なし。ところが、巷児世代と紙子世代はこれを知らぬのですなあー。実はこの歌は戦後のなんとかというラジオドラマの中で歌われ、全国の子供に広まったという、赤帆の話です。花緒さん以下我等タデタデガキツの大合唱をする。 ところで、句会の後で道草・多田さんと話をした時、多田さんより、どうも余白句会は選が俳人っぽくなっていて面白くない、ついては次回から一番詩人らしい句を選んで、何らかの点を入れるようにしたらどうか、という提案があったのです。小生その提案を入れ、今回勝手に余白点(余点)と名付け、これをこの俊水句に贈りたい。マンガチックな楽しさ、愉快さ。フートン良し、月良し。谷川フートンやるなあ。 以上で講評は終わり。句会の方は四時半になったので会場を片付ける。廊下を隔てた隣 室では婦人会の踊りの稽古があったというが、俳句に夢中の我々の耳には届かず。帰りに覗くと、オバサン連中が歌謡曲に合わせて踊ってました。カラオケの延長だ。 一同階下のロビーに集まり、ここより近い早稲田大学大隈講堂前のレストラン「高田牧舎」へタクシーに分乗して行く。二次会でレストランは始めて。ここは井伏鱒二達早稲田派の文人が集った店で有名。白川宗道がよく行ったという店。そこで一同揃った所で改めて乾杯。余白句会では珍しく二次会で始めて酒が出る。フランス・レストランなので洋食のおつまみとビールとワイン、しかも椅子席とあって女性陣には好評でした。その上値段もお手頃とあって五時からがぶがふビールやワインを呑む。 ここで最近の連衆の活動を述べれば、まず貨物船・辻征夫の小説集『ぼくたちの(俎のような)拳銃』が新潮社より八月に出て評判を呼んだことです。辻は同じ八月に書肆山田から以前清水哲男、加藤温子さん達と一緒にやっていた「小酒館」に出した掌編をまとめた『ボートを漕ぐもう一人の婦人の肖像』を出した。同時に二冊出すいつもの離れ業。 次にみなと・有働薫さんの活躍でしょう。昨年十月に東京創元社からレジーヌ・ドゥタンベルの小説『閉ざされた庭』の翻訳を出し、今年は四月にジャン・ミシェル・モルポアの散文詩集『青の物語』の翻訳を出す。モルポアは有働さんがずっと取り組んできた詩人で、いまでは有働のモルポアかモルポアの有働かという程です。そのモルポア、詩集の上梓と同時に来日し、有働さんと会う。最近のフランスの抒情詩人については「新潮」の十二月号にも書いています。 詩集では紙子・木坂涼が『陽のテーブルクロス』を思潮社から八月に出した。この詩集も評判良く、木坂さんは思潮社のドル箱になるか。新詩集では青蛙・清水昶の『荒城の月』がある。砂子屋書房より八月に出たが、何処にも配ってないので見たひと居ず。そこで、本人入院中なので皆さんに渡す分とて、句会当日奥さんより宅急便で会場に届けられる。薄いけどいい詩集です。北村太郎を扱った「球形の荒野」などしみじとさせられます。 道草・多田道太郎は昨年講談社より出した『変身放火論』により伊藤整賞をもらう。受賞式には奥さんと豪華寝台特急で北海道の小樽まで行かれたそうです。 後は巷児・小沢信男です。小沢さん、七月二十五日日曜日の七時台のTV・4チャンネル「ザ鉄腕DASH」の最後に登場! 家人の「小沢さんが出ている」との声に見ると小沢邸に今しもTOKIOのひとりが駆け込んで行くところ。これはFAXが早いか自転車が早いかという競争だったのですね。小沢さん書斎でFAXを手に笑顔。いや驚いた。 ちょうど野球のオールスターの最中の裏番組で、見たものは少なしと思いきや、これがいっぱいいるんですね。あちこちで見たといわれました。國井克彦もそのひとり。 という訳で句会は終わりました。わいわいがやがやいつものことで、席の行き来をしている内に時間(八時頃)となり辻には娘さんがお迎えに来るという。ケイタイ電話でやりとりして娘さん来る。そこで又呑む。最後に奥さんと娘さんに連れられ(あれっ、妹さんは先に帰っていたのだ)辻帰る。多田さんや小沢さんとも別れ、いつものように残りのメンバー白川行きつけの中華料理屋に行き三次会。家に帰ればまだ十二時前。これは始めてだなあ。 句会果て井川博年そぞろ寒 蝉息 追 伸 この句会の後、十一月の始めに、家を移った辻征夫の新居を訪問しました。一緒に行ったのは國井克彦、八木幹夫、山本かずこの三人。今度の自宅は船橋から車で十分程の新築マンションの一階。そこの猫の額程の庭に八木幹夫持参の庭木を植える。歓談午後より夜に至る。帰りに辻よりプレゼントあり。つい先日家族で千葉の鴨川シーワールドに行った時買ったというイルカのキーホルダー。これを井川酔っぱらって忘れてしまう。 後刻郵送で送られてきたのには、次の詩が添えてありました。辻征夫作です。この詩はいったい誰のパロディーでしょう? ね。 いるかいるか いないかいるか いかわのいるか 忘れてないか。 |
1999・11記 |