| 第34回余白句会報告記 |
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井川博年 1998・7・6(日) 東京・浜離宮恩賜公園『芳梅亭』 |
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【川上り句会】 歳時記や昨日は猛暑けふ驟雨 貨物船 暑かったです。 7月6日、句会当日は朝から一点の雲なき夏空。前日までの曇り空は嘘のよう。会場の浜離宮には12時集合なので、早めに家を出て新橋で食事し、ゆっくり歩いて行こうと思い新橋駅に行くと、食堂はどこも開けてなく立食いソバの店のみやっている。(日曜日だったのだ)。不味い冷やしタヌキソバを食べて外に出ると汗が噴き出る。いやもう参ったと、とぼとぼと人気のないビル街を15分程歩き浜離宮入口に到着。ここは中央区浜離宮庭園で、臨海副都心行きの新交通システム「ゆりかもめ」がすぐ横を通っている。目の前には竹中工務店本社ビル。お隣は築地の中央卸売市場で朝日新聞本社の巨大なビルも見える。すなわち東京都心の一等地なのです。 公園入口の日陰を選んで赤帆、花緒、宗道早くも来て待っている。花緒さんは病み上りのうえ前日は名古屋にいて、この日の朝の新幹線で帰京したばかりだったという。この頑張りよう、頼もしきかな、嬉しきかな。ほどなく山羊到着。全員揃い投句を集めるまで園内に入れないので、日陰の手すりに腰掛けて待つ。さてそれからが大変、集まりが悪い。 心配して待つほどにようやく巷児師匠来着。更に予め遅刻するという連絡のあった道草、いつもの夏の服にパナマ帽を被り悠然と現れる。宇治からの遠来ですぞ。それにしても残りのメンバーは遅い。貨物船、蝉息、裏通と三人総武線組。家に電話するといずれもとっくに出たという。さては、と裏通の携帯電話に電話すると交信不通。とにかくこれではしょうがないので、皆は会場の「芳梅亭」に行って休んでもらうことにして投句を預かり、山羊、騒々子二人で総武線組を待つ。気温はグングン上がり35Cはある。小生あまりの暑さに竹の椅子にようなものに腰を下ろしていたところ、事務所のひとに注意される。大事な垣根の一部らしい。この日は入園者少なし。従って向かいの事務所からは監視が行き届くのだ。 40分も遅れて三人一緒に到着。案の定総武線車両故障のため遅れたという。蝉息が止った駅で電話をかけようとして見ると、前の車両に貨物船の姿があったそうな。又同じ電車に乗っていた裏通は、携帯の電話が鳴ったが、無言電話と思い無視した、という。 とにかくこれで今回の出席者全員揃ったので、すぐに炎天下に投句を集め事務所の受付カウンターで選句用紙に貼り付け、山羊と騒々子、横断歩道橋を渡り、近くのコンビニに行きコピー。お茶と酒を買い汗ダクで園内に戻り、重い荷物を持って「芳梅亭」に行く。 一同待ち草臥れて早くもだれ気味。冷たいお茶を飲んですぐ選句。今回の兼題は花緒・加藤温子さん出題で、時期遅れの桜桃忌と蟇、雲の峰に無季の歳時記という組合わせ。どうして桜桃忌と蟇か。その謎は角川ミニ俳句歳時記『夏』の64、65頁にあり。見開きで並んでいる。花緒さんこれで選んだのだ。歳時記という無謀な出題は、前回の(辻征夫のいう「意地悪おじさん」)赤帆の短歌の影響でしょう。困った傾向である。 今回 今回はゲストはなく、欠席は6人。青蛙、当日は股旅に出るとかで欠席。ズボン堂は仕事の日。この二人は投句あり。紙子・ビナードの夫婦はアメリカに(コウモリを見に行って?)帰国中。俊水、都合つかず、みなとは余白句会初めての欠席。投句なし。 当句会常連の有力俳人の欠席多数で、成り行きが危ぶまれたが、逆にそのせいなのか、今回はレベルが高かった。その中でまずは蝉息の天の句。これがなんと13点も入っちゃった! 余白句会史上最高点ではないだろうか。 雲の峰少年野球5回裏 蝉息 山羊の天に巷児、道草、貨物船、裏通の地に赤帆、騒々子の人。みんなこんなに野球好きだったのか! しかしこれはいいなあー。湧き上がる夏雲の下で少年野球いまたけなわ(少年野球は6回で終わり)。バッター八木少年眦を決して、ビッチャーを睨みつけています。背後は木造二階建ての小学校舎。試合が終わったら食べよう、と西瓜がバケツで冷やされて、いま水道の水が下流しに溢れているところ。まさに男子の世界じゃー。 ところが、この汗と涙の世界に点を入れなかった男子がいるのだ。白川宗道。宗道、四国の少年時代、なにをしてたんだ。野球以外にやることかあったのか。 蝉息・八木忠栄、同人誌「DAINASHI」に「寄席・あのあの落語家たち」という落語家の話と詩を連載。がそれ以上に俳句が好評。いまや俳人八木忠栄である。この日も個人誌「いちばん寒い場所」の最新号を配付したが、皆口々に「なんだ俳句特集じゃないのか」という。赤帆など、「俳句特集なら机の上、詩なら机の下」という。 ところで今回のもう一句はひきがえるを扱った、 きみとぼくけだものごっこひきがえる 蝉息 で、こういう句が好きな道草が「思わず入れてしまった」天に、こういうことが好きな貨物船が人にいれる。ただこれはいったいどんな情景? 騒々子、いやらしいことしか思い浮かばず。ひきがえるがひっくり返っている? 変な句だなあー。次は地の赤帆句。 雲の峰紺の暖簾の定食屋 赤帆 騒々子、蝉息の天に花緒の地、宗道の人。出来すぎ、との評もあり。もくもくと湧き上がる雲の白に対しては、紺の暖簾で対抗するしかないでしょう。定食屋が少し弱いがこれまた他の店では駄目なのだ。小生、生まれて初めて上京した時に友人の兄に連れられて行った定食屋の秋刀魚定食の美味さをいまでも思いだす。でもその暖簾は白だったような気がするけどなあー。この句に点を入れた者は従って田舎からの上京者(花緒さんは関係ないけど)ばかり。まあ、どうでもいいけど。もう一句、これも地に選ばれた句、 歳時記に故郷の句なし夏蜜柑 赤帆 これは反対に故郷が東京の貨物船、裏通、花緒の三人に唯一の田舎者の蝉息が地の点を入れ、山羊が人。この句、小生は歳時記には故郷というものを詠んだ句がないと勘違いしていた。「花いばら故郷の道に似たるかな 蕪村」のような句があるじゃないか、だからこの句はおかしい、と。ところが、違うみたいですね。これは、歳時記に自分の故郷を扱った句がないと嘆いているのだ。夏蜜柑(すなわち山口県、すなわち赤帆、青蛙の故郷の名物)のひとは。前記の数人、これを知るや知らずや。おそらく知らずに入れたと思う。 赤帆・清水哲男、昨年11月に出した詩集『緑の小函』の書評が5月に「毎日新聞」に出る。その評(酒井佐忠)にいわく「明るい語調ながら悲哀に満ちた歌を歌う」。これがわれらのテーマソングですね。小生も、つい最近亡くなった吉田正作曲・鶴田浩二歌の「街のサンドイッチマン」の一節を口ずさんでいます。「嘆きは誰でも知っている/この世は悲哀の海だもの/泣いちゃいけない/男だよ」。 庭下駄に乗る癖直せひきがえる 花緒 今回紅一点(この言葉も古いなあー)の花緒句。貨物船の天、山羊の地、巷児、騒々子蝉息の人で堂々の三位。花緒さん、乗ってます、庭下駄にではなく俳句にー。 この句は評判よかった。第一口調がいい。「お行儀が悪い、と叱っている女主人」(道草)が「庭の番人」(貨物船)に「ちょっとどけ」(山羊)といっているところ。しかし都内に庭がある家というのが騒々子には羨ましい。その庭も芝だけの小庭じゃ駄目で、松や紅葉の木が植えてある池のある庭じゃないとひきがえるだって出てこれまい。そして踏石に庭下駄が置いてなくちゃ。この庭下駄で、小生、木山捷平の詩を思い出しました。 「五十年」 木山捷平 --- 濡縁におき忘れた下駄に雨が降ってゐるような どうせ濡れだしたものならもっと濡らしておいてやれと言ふような そんな具合にして僕の五十年も暮れようとしてゐた。 花緒句の選外になったひきがえるも面白い。「ひきがえるおまえ今夜も酒盛りか」は、芥川龍之介の句「青蛙お前はペンキ塗りたてか」のパロディのうえ青蛙・清水昶への忠言も兼ねている。この日青蛙は「芳梅亭」に電話してきて、二次会の場所知らせろという。花緒さんの携帯電話で、浅草の神谷バーと場所を告げると、曖昧な返事。地理不案内の所には行くことができない人なのである。花緒句の2句はタイ旅行(何時?)の旅吟。「雲の峰崩れメコンの河光る」「ハノイ上空真っ正面に雲の峰」。病身で海外旅行とは大胆。 蒼穹につかえて曲がる雲の峰 巷児 宗道の天、蝉息の地、道草、山羊の人でこれも三位の人。師匠の句らしいひねりがきいている。本来はつかえないものが無理に曲がって見えるという、煙突のイメージでしょうか。相当ひねくれている。もう一句の雲の峰も、花緒の人の1点のみの、 雲の峰みるみるしらがのおじいさん 巷児 これも一種の見立て句でしょうか。「玉手箱のイメージ」と作者。驚いたことにこの句は早くもこの句会以後の8月初めに出た句集『足の裏』に入っているのだ。だからこれはかなりの自信句だったのである。蒼穹の句の方は入集なし。ここからすると、この句を選んだ花緒さんは偉い。騒々子、そう思って子細にこの句集を検討したところ、なんと当句会に出された句の内で、小生が高い点を入れた句はほんの数えるぼどしかなかったのだ。見る目まったくなしということです。もっとも今回全員が落とした「多喜二忌は歳時記に見ず啄木忌」も春の部に入っている。だから全員見る目なしか。多喜二忌の句は道草は、「左翼の残党の句だ」と作者を見破っていました。忌、記、忌とキを重ねたキツツキ・啄木いう言葉遊びも入っている大人の句。それはわかっていたのだがェ。 句集『足の裏』については次号の「OLD STTION」で特集します。 雲の峰たちまち広し武家屋敷 山羊 赤帆の天、宗道の地、道草の人でこれも人。夏空の下曇っていた空がぱっと晴れると、それまでは薄暗かった武家屋敷の内外が「たちまち」広く感じられる。わかる、わかる、と赤帆。騒々子また、松江という日本でも有数の古い城下町で育っただけに、この感じはよくわかる。だから武家屋敷のない新潟の田舎で育った蝉息はよくわからない、といって点入れなかったんだ。ただ江戸の旗本や大名の屋敷と違って、田舎の武家屋敷は意外と小さなものです。松江の旧家老屋敷の小泉八雲旧居や萩の高杉晋作の家などそうです。この句のイメージに近いのは黒沢映画の「椿三十郎」での武家屋敷であるが、あれは大名屋敷でしょう。椿を流す川が屋敷の内を流れてるんだもの。 山羊の雲の峰を詠んだもう一句の「漆黒の奈落くぐりや雲の峰」は「善光寺」の前書を付けて、屋内の奈落の黒と屋外の雲の白の対比を狙も迫力不足。道草の地の点のみ。 山羊・八木幹夫、念願かなって待望の第六詩集『めにはさやかに』(書肆山田刊)を出す。実はこの句会当日、見本を一部持ってきていたのだが、献本は裏通(住所が変わったため)用。他の人達には郵送して送った由。見事なまでに洗練された美しい詩集です。小生読んでて少し泣けてきました。その中の詩「草」には俳句あり。「草あそび寝ころぶ先のきりぎりす」。「限りなく草色になれきりぎりす」。句会なら天に入れたのにー。 山羊また短歌がいいのだ。詩誌「鰭」8号の「虫あそび」の「おのおのが名を持つ草を雑草といえり少年蟻ころす夏」。今度は歌集を待ちます。 歳時記やわれも逝くひと若葉雨 貨物船 こんな縁起でもない句に裏通が天、道草と山羊は人に入れる。「成熟というか大悟したというか」と道草。そんなじゃなくて「逝くひと」には征夫と、「若葉雨」は詩集の題名にひっかけただけ。今回は縁起でもないシリーズか、もう一句の騒々子の地、花緒の人の「桜桃忌向かいの墓の靴・鞄」も三鷹の禅林寺の鴎外の墓がテーマ。桜桃忌の光景。 貨物船・辻征夫、5月に最新詩集『萌えいづる若葉に対峙して』(思潮社刊)を出す。この詩集についてはまず帯文(八木幹夫・井川博年)を巡って「現代詩手帖」5月号と6月号と二度もコラム欄に出る。「最後の詩集」かもしれない、というので話題となった。 詩集評は「週刊新潮」8月7日号の「中也や達治、啄木や白秋の系譜を引く日本の詩人がまぎれもなくここに存在しているではないか」というオーバーな紹介文あり。また翌週 の「週刊朝日」高橋源一郎の書評「萌えいづる言葉に対峙して」は、若葉を言葉と置き代えただけでチャンと批評にしているのはサスガである。 貨物船、「文藝春秋」6月号の「とうでん俳句倶楽部」というPR欄に前回の余白句会についての文を書く。この頁はよく読まれると見えて、騒々子の田舎の親戚から、読んだという電話あり。一方、昨年「新潮」に発表した小説「遠ざかる島」は、昨年度の川端康成文学賞の最終候補となり、あと一歩のところで受賞を逃がす。その選評にいわく、「たぶん伊豆の大島(三宅島・井川注)で過ごした小学生時代を描くものだが、澄んだ水が水路に従って流れるようないい文章である。ミミズクを捕らえる場面、見事である。ただ、父・母・お手伝いの女性との、微妙な交流を描くところどころに、ちょっと透明度に薄くなるところがある。惜しい」(秋山駿)。 小説家として今年は「新潮」9月号に「黒い塀」を発表。これは「現代詩手帖」7月号のコラムに出ていたように、作者の「若き日の芸術家の肖像」になるという。今度は青春編。期待が大きい分、真価が問われるところです。 週刊新潮丸めて雲の峰の駅 宗道 花緒の天、巷児の地。これはまさか「週刊新潮」誌に「句歌歳時記」を連載している道草への挨拶句ではあるまい。昨年夏の句会で行った高尾山のイメージだという。なるほどあのリフトで登る雲の駅と週刊新潮とは合っている。谷内六郎の表紙絵や、「週刊新潮は本日発売でーす」という昔のCMを思い出した。宗道の佳作でしょう。これはいいけど、「都庁の灯雲の辺りに蟇交む」はどうだ。こちらはヤケクソで作ったのか。赤帆が面白いと地に入れる。ラブホテルならわかるけど、という乱暴な意見あり。 白川宗道、「俳句界」を出している北溟社のアドバイザーとして「ポエトリー・フォーラム」を開催。第1回は白石かずこ、佐々木幹郎の対談と朗読があったが、その後どうなったの? 「俳句界」5月号ではなぎら健壱のインタビューをとり、これは面白かった。 「失業して仕事がなくなり、金回りも悪くなると、俳句も駄目になる」と金言を吐く。そのせいか「百鳥」の俳句も低調で、大串章主宰の選句にもなかなか選ばれないではないのか。この日も暑さのせいかぐったりして元気なし。次も同じく無職の裏通です。 鳴けど鳴けど恋にとどかぬひきがえる 裏通 せつないなあー、と巷児師匠の天ですぞ。他に蝉息も人。あの顔と体形じゃなあーと嘆いている男共の声が聞こえる。鼻のシラノの思いあり。小生、好きです。シラノも裏通もひきがえるもー。今回ひきがえるで三句作るも、残りはあえなく選外。 裏通・國井克彦、無職アルバイト渡世も二年となり、こちらは本格派。離婚後の独居も板につき、「どうやって生きているか不思議」という。酒など滅多に飲まないおかげで、(この日が一箇月振りに酒を飲む日といっていた)持病の痛風も治り、肝臓の数値また平常値以下、きわめて健康、という。裏通、赤帆、騒々子は痛風兄弟であるが、痛風の特効薬には副作用はないが、唯一、髪の側頭部分が白くなる、という裏通の説は本当であろうか。騒々子も少し白くなったが、裏通、赤帆の白髪は年のせいではないだろうか。 一昨年より話のあった小説『雨の新橋裏通り』の勝プロ映画化の件は、御大の死去でウヤムヤとなる。代わりに某マンガ月刊誌よりマンガ化の原作として買いたし、という話があり、このことがまとまれば、メデタシメデタシである。 「俳句界」9月号には、ズボン堂・中上哲夫が、國井克彦初期詩編詩集『丘の秋』から「九月六日午後四時」という詩をとりあげる。これを読むと中上哲夫の名言を思いだす。「萩原朔太郎は郷愁の詩人、國井克彦は憧憬の詩人」。 張番をひきうけたりやひき蛙 道草 裏通の人の一点のみ。これは「張番」がわからず損した。わかってたら点入れました。新明解辞典によれば、張番とは「見張って番をすること(人)」とある。だからこれは、何か番をすること(作者の説明では立ち小便)をひきうけた蛙、それも(ひき)蛙なのです。わかるかね、わからないだろうなー、この面白さは、というところ。小生、見番と間違えていた。見番とは「芸者をそこに付属させ、客席への取次ぎ玉代の精算などを行う事務所」のこと。だから、遣り手ばばあのようなものかと思っていた。 ところで、小生、以前の句会報告に「多田さんが読売新聞・関西版に詩を書いたらしい」と書き詳細は不明でしたが、この程読むことができました。昨年の11月6日の夕刊に題して「秋空は俄かにくもり」。「秋のソネット」の一編です。「秋空は俄かにくもり/黒い点々/あれは何の鳥/。中略。おっとっと/黒い点々は/空のどこへ/消えたのか」。 これはいいでしょ。だから中略にしたのだ。中身は直接多田さんにー。 なお、多田道太郎の詩の新作は、「現代詩手帖」の近い号に載るはずですから、そちらを読んでください。この分では多田さん、句集よりも先に詩集を出しそう。 ふるさとの山に背を向け雲の峰 騒々子 宗道の地の2点。騒々子得意の皮肉詩なのだが成功せず。もう一句の「横町のお稲荷さんより雲の峰」には巷児が人で1点。歳時記を使った「歳時記を袂に四万六千日」にはこれも巷児が人、蝉息が人の2点。こまかく点を取るも票が小さい。しかし長いトンネルを抜けたという感じあり。「ハンカチやトンネル抜けてまたトンネル」。大化けしますぞ。 小生、やっと「俳句年鑑」や「俳句研究年鑑」に俳人として載ったのに、今度の「俳句朝日」9月号には詩人の俳句(すなわち余興扱い)として5句掲載される。俳人扱いされてないんだ。句は注文の時期と発表の時期を両方勘案した苦心の季題「梅雨の秋刀魚」。 この句会の大分前の3月の終わり、「詩学」の合評会があり、終わって同じ選者の八木幹夫と一杯飲んで帰宅途中、地下鉄根津駅の入口交差点で八木幹夫の知人の詩人とばったり会った。すぐ別れれば良かったのにそのまま飲み屋に入ってしまい、気付けば終電はなし。さらばやむなし、とその場から一番近い谷中の小沢師匠のお宅に泊めてもらおうと、我等二人タクシーで小沢邸へとおもむきました。そこで夜中の三時まで師匠と奥様相手に酒盛り。朝、目を覚ますと小沢さんの書斎のの床でした。二日酔いのまま朝御飯までいただき、不肖の弟子二人昼近くまでいてやっと退散。谷中の朝はまぶしかったです。 悔悟した八木幹夫は、すぐ前にある八木夫人の菩提寺に墓参りに行く。足元ふらつく小生寺の境内を見るに一基の句碑あり。見事な字で春一。これすなわち滝春一の句碑ならん。和尚さんに聞くと、そうです、という。このお寺の和尚さんは滝春一門下の俳人で、しかもこの日は句会のある日でした。庫裏に席題の「枝豆」と書いた紙が貼ってあり。小生、この一件で俳句通の面目を施す。滝春一の俳句が好きでよかった。 ところで、今回欠席したが投句だけはした、感心なズボン堂と青蛙の結果は、 疣取りの茄子の臭いやひきがえる ズボン堂 なんかそんな感じではなかった? と山羊が地に入れ2点。茄子にそんな効用があったとは知らなかった。ズボン堂はひきがえる好きだから3句も作る。それが全部変なひきがえるだ。騒々子が人に入れた、「ひきがえる四つんばいにてにらめっこ」の他に、「縁の下に光る目ふたつひきがえる」。ひきがえるの目は闇に光るのかね。嘘でしょう。 ズボン堂・中上哲夫、道路の交通整理員から最近はビルのガードマンになり「夏の暑さや冬の寒さを避けることができ」、夜勤があるので時間の余裕もできたという。そのせいか詩作が好調。詩誌「木偶」や「詩学」にに毎号のように佳作を発表。それ以外にもこのところのビートやケルアックのブームでその関係の翻訳も増えています。 「COAL SACK 30」4月号の「休日のすごし方」の一部分、泣かせるなあー。「伊良部投手はニューヨーク・ヤンキースと千二百八十万ドル(十四億五千万円)で四年契約を結んだが/わたしは日給七千二百円で/雨が降れば休み/本がたくさん読めていいなというけれど/本ばかり読んでいた若い時も/幸せではなかった」。 俳句は「釣魚大変」と題して「俳句朝日」6月号に5句発表。「寒鮒釣りまず川に落ち這いあがる」。これは笑える。寒鮒釣りに行く時には必ず思い出すでしょう。 老い母が動乱あおぐ雲の峰 青蛙 赤帆の人の1点のみ。これもスゴイ句ですね。動乱をあおぐとはどういうことだ。このいかにも清水昶らしい句より「憎まれて帰る池なし蝦蟇がえる」のほうがいい。嘘っぽくて面白い、という声あり。でも蝦蟇がえるは好きな人間が多いのだ。騒々子の選外句「嫌われてばかりはおらぬ蟾蜍」がそう。期せずして青蛙への掛け合い句となりましたが。 青蛙・清水昶、夏前から「関東平和独立隊」(KDP)なるものの結成を計画。実態不明の団体。貧乏人の救助隊、困民党なのか。それならわれら一同助けてもらいたい。 詩は「現代詩手帖」に1月号より連載。それらをまとめて今夏最新詩集『プラック・エンジェル』を邑書林より出版予定です。最近、自宅で胸を打ち肋骨が折れたかヒビが入ったという話あり。慣れぬパソコンなんかやるからではないのか。これにて選評は終わり。 会場の予約は5時まであったが、4時15分にはここを出て園内の端にある舟着場まで行き4時40分の浅草行の水上バスに乗らねばならない。そのため大急ぎで和室の中を片付け、電話で管理事務所に連絡をとるが、これから行く、といいながらなかなか来ない。ぼやぼやしていると舟に乗り遅れる。皆出払ったあと残った責任者の小生、再度電話してそのまま「芳梅亭」を後にする。知らないぞ、無責任者として東京都のブラックリストに乗り、もう都の公園の茶室は利用できなくなるかもしれない。 今回の会場となった浜離宮は、もともとは徳川将軍家のもので、明治になって皇室の離宮となり戦後都の所有となったもの。約7万坪の広大な敷地に汐入れの池が各所にあり、海すなわち隅田川の河口に面して将軍の舟着場がある。ここが最後の将軍慶喜が鳥羽・伏見の戦に敗れ軍艦で勝海舟と共に江戸に戻り上陸したところという。TV「徳川慶喜」の舞台なのだ。われら一党も暑さにふらふらしながらその舟着場の先の水上バスの乗り場に急ぐ。いやもうこの庭の広いこと。過去いろいろな有名な庭園内の茶室で句会を開いたが、それらはすべて大名クラスか民間のお大尽の庭。ここはなにしろ将軍家の庭なのだ。 雲の峰波をも入れよ浜離宮 道草 待つほどに水上バスが到着。思ったより人が多く満員。朝はカンカン照りだった空もようやく陰り絶好の川上りです。舟はゆっくり川に入り反対の方向へ行く。浜松町で人の乗換をして今度は向きを変え隅田川を上って行く。道草は上甲板で花緒さん等と、巷児師は後部のデッキで騒々子等とそれぞれ河岸見物。小生、この舟に乗るのは久し振りなり。はじめ今回の句会を予定した時、浜離宮はまったくラッキーに茶室の予約がとれたが、二次会は新橋あたりを予定していた。それが貨物船(隅田川の詩人)が水上バスで浅草に帰るというので、それならと急遽決めたのである。この隅田川の上りは橋巡りでもある。形状も歴史もことなる橋を潜り両岸の新しいビルを眺めている内に40分で浅草に到着。 二次会はいわずとしれた神谷バー。2階の椅子席でビール。これが美味かった。ここではもはや俳句の話出ず。朝からの暑さと俳句と川上りで疲れてしまった。皆言葉少なくひたすらビールを飲む。5時から飲み続けたから8時にはもうダウン気味。外に出ると荷風ゆかりの尾張屋あり。ここで蕎麦を食べ、一同今回はおとなしく帰りました。 了。 |
1998・8・30記 |