| 第29回余白句会報告記 |
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井川博年 1996・12・22(日) 東京・新宿『新宿文化センター』 |
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【鯨くしゃみの年の暮句会】 人だかりできては散るや年の暮れ 蝉息 年末から正月にかけて岩波文庫の高浜虚子の『俳句はかく解しかく味う』を読んだ。この本は小生高校時代に読んだから四十年経っての再読です。高校生の時は角川文庫であったように思う。なにしろ小生は早く社会に出て俳人や詩人になろうと、工業高校を選んだのだから、柔道の練習がない日はほとんど、松江の城山の二の丸にある松江図書館に籠もって、片っ端から俳句の本を読んでいた。二年掛かりで守武から波郷まで古今の俳句を読み尽くした。「俳句大学」に入学するための一種の受験勉強だったのです。ところで、この本の中程には思い出の句があったのだ。 五月雨や船路に近き遊女町 几董 この句の情景は実によくわかる。何故なら当時小生の家は大橋川という川の畔にあり、向かいの御手船場という江戸時代の藩の船着場の裏に元遊廓があって、その入口に小生の家の元女中の「なんとかちゃん」が働いている飲み屋があり、高校の通学の帰りにその店の前を通ると、ドキドキしたものである。几董の句を読んで思い出したもう一句。 ひともとの柳老いけり遊女町 騒々子 この句は5年前の「芭蕉記念館」での余白句会で天をとった句であるが、この句は遠く几董の句を受けていたのだ。もっとも小生その時は几董の句などすっかり忘れていて、隆慶一郎の小説「吉原御免状」を読んでいてそれで作ったのだった。 さてここでアーサーの紹介。今回のゲストは紙子・木坂涼さんの婚約者のアメリカ人、アーサー・ビナードさんです。若く(29歳)て、背が高くて、飛びきりのハンサムで、東部育ちで(きっとお家も良くて)、日本語と日本文学が抜群にできて、日本に勉強に来て東京に永く住んでいて、自転車が好きで何処でも自転車で行く。短歌や俳句まで自由に作れるのですぞ。その俳句がどういうものかは後ほど紹介。騒々子の天の句です。こういうひとを見ると「後世おそるべし」ということがわかる。アーサーは将来ドナルド・キーンやサイデンステッカーのような文学者になるに違いない。 ところで今回の余白句会は年末ということで、忘年会を兼ねて行われました。こういうところが日本的ですな。前回と同じく今回の12月22日も日曜日。ところが今年は次の日が天皇誕生日とあってゆっくり呑めるのです。 当日はまたまた余白句会日和(なにしろ当句会は一回も雨の日がないのだ!)。会場は春に行った時と同じ「新宿文化センター」の4階和室会議場。詩人柔道大会ができるくらい広い部屋。予定の時間前に俊水、赤帆来ていて会場の支度をする。このところ俊水マメに動く。「新入りは身体を使わなきゃ」。3人でお茶の支度や机や座蒲団の配置を終えたところに、残りの連衆がのろのろ到着。征夫(俳号・貨物船はしばらくお預け、本名に戻る)、蝉息、裏通の総武線組は電車の事故で遅刻。道草今回も宇治から出席。 花緒・加藤温子さんは風邪で欠席。青蛙・清水昶また体調不全で欠席。「忘年会に出ると呑むからなあー」。ただし投句はしている。この点は真面目である。ズボン堂・中上哲夫またもや欠席。 今回は兼題が「鯨」「くしゃみ」「年の暮れ」の冬の季語と俊水出題の無季の「色」。これは色々な具合に付け合わせができます。この内、とても季語とは思えない「鯨」の処理が見物でした。難しいぞー、と皆思ったよう。ところができてみると、意外にこれがいい。俳句の作句の不思議なところである。それでは今回の天の句から、 鯨くじら乳のぬくさも海のもの 紙子 赤帆、山羊が天。道草、宗道が地。俊水、巷児、後述のペダルが人に入れ最高点。 上5が6字となって字余りであるが、これは3音×2であって、しかも同音の繰り返しで童話の効果が出ている。同音を漢字と平仮名で書き分けているところなど実に芸が細かい。皆が感心したのは、鯨の海中生物としての大きさや、母性が見事に表現されているところで、これはやはり女性の句だろう、ということだった。作者の言によれば、過去に動物の絵本制作に携わっていたので、その影響もあるかもしれないということであった。 騒々子は取らない。これは俳句じゃない。詩情はあれど俳味がない。虚子なら、憎むべき新傾向の句として落とすに違いない。但し一行詩としては上等です。「ほんとに紙子が作ったの?」と人に選んだペダルが聞く。これはふたりの合作説を打ち消す高等戦術じゃないのだろうか?さて今回は趣向を変えて兼題に沿って評釈をします。 彼方より波ふくらみて鯨かな 道草 2位ではないが、紙子の天、山羊の地、赤帆の人で堂々6位の客。句柄が大きくて、これなら掛軸にだって合いそう。海辺の低い山の上から見ていると、海の彼方の一点が大きく膨らんで、それが見る見る内に波を散らして鯨とわかる。その時のどよめきが伝わってきそう。「鯨かな」という古風な表現が効果的です。この光景ほんとかな、と騒々子言いしや、作者冷静に、これは和歌山県太地での実見です、という。テレビ見て作ったんじゃないの、という声には宗道、そういうのを「目くじら立てるな」と言います。和歌山県の南端の太地は沿海捕鯨最大の基地。鯨はだから小型のイワシかミンクでしょう。 話変わるが、道草・多田道太郎、雑誌『群像』に連載中の「放火論」面白いですね。しかし「大菩薩峠」から始まった話が、どうして次から次にあちこちに飛火するんだろう。まるで多田さん自身が放火魔のようである。このところ俳句関係のアンケートやTV出演あり。その中で、雑誌『俳句研究』97年1月号の「素人の時代」というアンケートの「あなたにとってのベスト3句」に、巷児・小沢信男句「学ならずもんじゃ焼いてる梅雨の露地」を挙げている。このアンケート34人の各界の名士の内に、余白句会の連衆、道草、赤帆、征夫、青蛙の4人が入っているのだ! しかるにその内、師の句を取り上げたのは道草ひとりのみ。 白鯨も老いぬエイハブ船長も 騒々子 道草の天、みなとの地、宗道、巷児の人で人の句。メルヴィルの「モビイディック」は終わっても、わが白鯨とそれを追い続けるエイハブ船長は永遠に太平洋を彷徨っている。船長の句には高柳重信の有名な「船焼きすてし/船長は/泳ぐかな」があり、勿論それは充分意識していました。小説「白鯨」には青春の思い出あり。小生、二十代の前半に八戸の冷凍倉庫の現場監督をして現場事務所に寝泊まりしていたが、その時寝る前の時間に愛読したのが筑摩版「世界文学全集」の「白鯨」であった。あの銅版画の挿絵入りの阿部知二訳の本。なにしろ目の前が海だからねえー。舞台はぴったしなのだ。映画の「白鯨」にも思い出がある。父と見た唯一の洋画だからである。父とは子供の時はよく連れていってもらったが、高校生になってからは一度もない。それがこの映画に限って見に行ったのである。内容が船の話であったからと思う。映画を見ての帰り道父は「昔の捕鯨はあんなものだった。鯨は日本海にも来たことがある」といった。そして「(映画の)船はよくできてない」といった。父は船会社のオーナーであり、小生は造船科の学生だった。 海鳴りを浴びている鯨博物館 裏通 征夫、紙子の地の点。捕鯨禁止となりいまは寂れている捕鯨基地の町にある小さな博物館。昔の捕鯨の有り様を描いた絵や捕鯨道具、最新の銛や鯨の骨格見本などが置かれた薄暗い部屋に遠く海鳴りが聞こえてくる。見てきたような描写だが、実は辻征夫と國井克彦と小生の3人は20年以上前、宮城県の金華山の近くの捕鯨基地鮎川港に行ったことがあるのである。裏通の句はその時を思い出して作ったものという。その時の裏通句。「鮎川で征夫肴に呑ブお酒」。鮎川信夫をもじった作品。克彦、小生、酔って寝ている間に、征夫は旅館の外での合図のサイレンを聞き走って出て、帰還した捕鯨船の鯨の解体作業を見ることができた。この話は詩集『隅田川まで』の「抹香鯨」という詩に詳しいから、続きを知りたいひとはぜひ読んでください。征夫が点を入れたのもその思い出からであろう。 この句は「浴びている」と字余りにしたところで存在感が出た。次は凄いですぞ。 鯨にも鯨相応の性器かな ペダル ペダルというのはアーサー・ビナードの俳号。自転車好きだからなのだ。このカタカナ名には抵抗あるなあー。以前当句会に来てもらった伊藤聚さんの俳号がシルバーで、これも参ったなあー。この句は騒々子のみ天に入れる。まず「性器」など俳句では使わない。無茶苦茶である、そこがいい。次に当たり前のことに驚くという(本当に鯨の性器を見て驚いたという)これが俳句の基本なのです。詩情なけれど俳味あり。アーサーは俳諧がわかっている。 小生また鯨のアソコを見たことあり。先に書いた八戸へ行く前には、東京の晴海で日本水産の冷凍工場の建設に当たっていた。その中に鯨肉の保管倉庫があり、その奥にはご神体として鯨の雌雄の性器が飾ってあったのだ。毎年新年には、関係者が雌の輪の中を潜って御祓を受けるのだ、という話であった。その位の大きさです。鯨の句のもう一句。 新海へ出港帰らざる老父の捕鯨船 青蛙 誰からも点入らず選外に落ちる。「新海」は「あらうみ」と振りがなあり。この句はいかにも清水昶調である。作者がすぐわかる句でもある。ホーソンを思わせるとアーサー。「白鯨」も思わせます。そんなにひどい句ではない。少なくとも「年の暮れくしゃみで目覚める誕生日」よりいい。だって青蛙の誕生日は11月3日の文化の日で年の暮れじゃないじゃないか。 ここらで鯨を終わり、次は兼題の「くしゃみ」です。 大嚔わずかに人の離れけり 山羊 みなとの天、ペダル、俊水の地、巷児の人で地を取る。大きなくしゃみをしたので、風邪と思われ、隣りにいたひとが「わずかに」すーと離れて(そんな気がして)行く。第三者の見た光景としても良いが、作者本人の感想と見るほうが面白いかもしれない。この句は人事を扱っても川柳にならず俳句になっている。微妙な心理がほのかなおかしみをもたらしているのだ。ハックションという音も聞こえるよう。「ハックション大王」という漫画もあったっけ。 山羊・八木幹夫、新年から「詩学」研究会の選者になる。蝉息・八木忠栄の後任です。蝉息と紙子・木坂涼は年季明け。ただ一人騒々子のみ3期目に入る。これは西脇、村野以来のことだそう。 議事堂の坂に警部の大嚔 宗道 俊水の天、裏通の地、みなと、紙子の人で人の句となる。国会議事堂の見える坂道で警部と思われる警察官がくしゃみしている。俊水のいう映画「ピンク・パンサー」のクルーゾー警部のような大男。いずれにしても警部のくしゃみが、なんともいえずおかしい。取り合わせの妙である。デキスギとの赤帆評に、宗道、これは実見であります、と神妙。 でもどうして警部とわかったの? コートに名札でも付けてあったのか。裏通がこの句に点を入れたのは彼の父が警部だったからである。警部とあればすぐ入れる。寺山修司の父も確か警部。二人とも警察官の子なのだ。 宗道、この句は良けれど一方で「バイロンの吐息の色の寒牡丹」なるバカな句を作る。「桃色吐息」じゃあるまいし、なにが寒牡丹だ。だいいち兼題が入ってないじゃないか。 御無沙汰や隣家のくしゃみ聞き分けて みなと ペダルが天に選ぶ。俊水、赤帆が人。ペダルはこの句に天を入れ、前出の山羊のくしゃみの句に地の点を入れている。こんな微妙な句を良く読み取れるものだ。隣家の主人が奥さんがくしゃみしているのを聞いて(聞こえてきて)、そういえば最近は隣家とも御無沙汰しているなあーと思う。隣家のくしゃみの主は奥さんなので、それが気になって仕方がない主人、「御無沙汰」とは二人の関係をいってるのだ、とする俊水の解釈。これにはみなと本気で怒ってました。「見たまま俳句」のみなとのこれは実体験の由。だから年の暮れの句の「年の暮色よい返事なきがまま」も苦心して兼題の「色」を入れているものの、内容はこれも実体験の由。−だって、いいアルバイトないんだもん。 ズボン堂失職以降翻訳で一年を送り、裏通また失職以降「雨の新橋裏通り」のみで日を送る。みなとまたこの有り様。お互いに年だから働くところがなし。次もくしゃみです。 事果ててすっぽんぽんの嚔かな 俊水 こんなもの誰が点入れるのか、に騒々子、敢然として地を入れる。これがいいのです。騒々子、今回の選のコンセプトはグロテスクと馬鹿笑いである。鯨の性器しかり、すっぽんぽんしかり。「事果てて」が凄い。他に言いようがないのかねえー。虚脱している男の間抜け面が目に見えるようで、これは他に言いようがない。川柳に破礼句の分野あり。男女間の性愛を詠む。ここでも近世以降は傑作なし。やはり江戸期の「風流末摘花」などであの手のものは尽きています。この句などはだから新しい。 俊水、字余り句は作るは、自由律句を作るは、バレ句は作るは、自由奔放、といえば聞こえはいいが、要はムチャクチャ俳諧。その元祖となる気配あり。 この句は全体にブコウスキーの雰囲気あり。騒々子、年末から正月にかけチャールズ・ブコウスキー『詩人と女たち』(河出文庫)を読み、大いに感銘を受ける。なに、こんなに女が次々にやって来て相手ができるなんて、なんと羨ましい、と思っただけですがね。 次は最後の兼題の「年の暮」です。巷児句がいいです。 年の市裏は花色木綿店 巷児 裏通の天、みなとの人のみ。これは騒々子、読み落としていた。「裏」を着物の裏ととっていたのだ。裏通りの間違い。浅草あたりの年の市、その裏通りには花色の彩り豊かな木綿反物の店があり、それが表の黒ずんだ瓦屋根の店の並びと、対照的な光景をなしている。かすかに線香の煙が漂う夕空を烏が鳴いて飛んで行く。この句も間違いなく、前書を付けて句集「新・東京百景」に入るに違いありません。今回師匠は不調。毎回毎回高得点は得られない。それにしてもこれは皆の読みが浅い。くしゃみの句の「憎まれて息災でいるくさめなり」も江戸っ子の句だなあー。憎まれっ子世に憚る。 前述の『俳句研究』の「あなたにとっての句集3冊」に川本三郎は小沢信男句集『昨日少年』を挙げる。清水哲男句集『匙洗う人』も。ただしこの2冊は「句の数が少ない」から良い、と。 巷児師は「東京人」の連載の後に同誌に長谷川時雨と谷崎潤一郎を書く。また年末刊行の講談社文芸文庫の花田清輝の戯曲には解説を書いています。 色見本抱いて枯木の道を来る 赤帆 その巷児師の天の句。征夫また天に選ぶ。みなと人で人の句となる。一読鮮明。ただしどんな色見本なのだ、ともめる。エロ本抱えてじゃないの、ととんでもない意見あり。「抱いて」とあるからにはかなりの大きさの(スケッチ帳くらいか)色見本に違いない。インテリア関係の女性か、設計者か。いずれにしてもベレー帽を被った石田ひかるみたいな女の子がいいなあ。大工じゃ嫌だ。枯木の道がいくら現場への近道であっても。 この句は兼題の「色」を使って季語の枯木を配置したもの。年の暮れの句では「生きてある音のしている年の暮」が宗道の天に入る。「ある」という表現がうまい。マンションの一室かアパートの一間に籠もって、昼も仕事をしている男のしみじみとした感慨がうかがえる。都会の歳末の感じがよく出ている。それがどうしたことか、「中央線に飛び込む白髪年の暮」となるのである。くわばらくわばら。身につまされた騒々子一点入れる。 噺家の羽織のほつれ年の暮れ 蝉息 紙子、裏通が人。いかにも落語好きの蝉息ならではの句だ。昔は年末というと、寄席で落語を聞くのが恒例というもの(騒々子、一回も行ったことなし)であった。この句の情景は高座ではないのではなかろうか。ふと街角で見掛けた噺家の羽織の裾がほつれているそれがなんともいえず年の暮と合っているのだ。噺家だからなおさら、もののあわれがあるのである。まあいまどき羽織を着て表を歩いているのは噺家ぐらいしかいないけど。 蝉息、今回は不調。「老妻と暖まりましょう鯨汁」、なんて奥さん怒っちゃうぞ。選外でよかった。年末に久し振りに個人誌「いちばん寒い場所」を出して自作俳句特集号。これで見ると蝉息は本当に俳句が好きだとわかる。汁物も好きなのね。「昨日今日冷えこみますなあ根深汁」。そして「訛りある女とつつくや鮟鱇鍋」。最後は征夫句です。 猫踏んじゃった又踏んじゃった年暮るる 征夫 俊水の一点のみ。この句の中身については俊水はピアノ説。それよりもこの忙しい時に家に寝そべっている猫を又踏んづけちゃった、ととっても面白い。面白いが情けない。これで俳句なのかねー。征夫、これまた前述のアンケートの自作ベスト3句に余白句会での句、「<蝶来タレリ>韃靼ノ兵ドヨメキヌ」を一句挙げている。こんなの見ると大方の俳人は怒りますぞ。虚子なら破門でしょう。 辻征夫、朝日新聞に詩「その大きな樹の下で」を連載(一月で終わり。次の連載は木坂涼の「時の帆影」となる由)。忙しくて句作出来ず。今回も3句の投句に止まる。もう一句の「年の瀬や教授の訓示猫眠る」は多田教授への挨拶?句。但しこの教授はそうとう耄碌しているんじゃないの。猫だって眠るはずだ。 いつもの通り、5時前に互選と選評を終えると、片付けを終えて外に出る。夕焼けの空が綺麗。年末なのに風もなく暖かい。手袋やマフラーが要らないのだ。寒くないから年の暮という感じがしない。ここから二次会の新宿南口の台湾料理店「味王」までは各自自由行動。アーサーと紙子は自転車を引きずって歩く。5時30分には窓際の御座敷席について宴会でした。そこに楠かつのり氏が参加。楠さんは映像作家で、又「ミッドナイト・プレス」主催の「なまもの」というイベントを行っているので、座のほとんどの者は顔見知りである。それからはただひたすら酒を呑んで、食べて、喋っていました。「味王」は二十年ほど前から行っているが、段々味が上品になってきた。前はひどかったのである。痛風の小生は始めから老酒を呑む。それでも呑みすぎてしまった。楽しい会になんで呑んで悪かろう。11時になって、遠方のみなと、巷児師匠と俊水、蝉息、征夫、アーサーと紙子が別れを告げると、赤帆、宗道、騒々子の中央線組と裏通、山羊、道草に付き合ってすぐ近くの寿司屋に入る。しかしここでもあまり呑めずぎりぎりで退散。尻尾を巻いて逃げ出しました。 ドブ鼠何処に隠れし年の暮 騒々子 |
1996・12記 |