| 第28回余白句会報告記 |
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井川博年 1996・10・27(日) 東京・本郷『鳳明館』 |
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【旅館で句会】 宗房殿余白本郷を訪ひ賜へ 花緒 さて今回の余白句会は、東京は本郷の高台にある旅館・鳳明館で行われました。ここは東大赤門のすぐ近く、戦火に焼け残った一画にあって、昔の学生下宿を改造した旅館や大会社の研修所などがひっそりと建っている所です。そんな所をどうして知ってるかって、−なあに、注文のうるさい連衆のために、旅行誌『るるぶ』の「東京下町案内」と「東京の和風旅館」というので調べたのである。「どうしてここをお知りになりましたか」という旅館のアンケートにも、そう答えて納得されたのだ。 この旅館の通り一つ隔てた所に石川啄木が二度目の上京をして小説「鳥影」を書いた下宿の大栄館あり、また坂下の菊坂町には吉原に転居する前までいた樋口一葉の借家跡と当時の井戸あり。このあたりは文学散歩の名所なのだ。東京大学という将来を約束された最高のエリートの集う学府の眼と鼻の先に、生活に喘ぎ病苦に呻吟している小学校中退の一葉と、中学校中退の啄木がいたのである。樋口一葉明治29年没、24歳。遅れて啄木明治45年没、26歳。 若い、惜しい。 小生など馬齢(馬年に非ずが)を重ねて50代半ばになってしまった。二人のことを考えるとまったく泣けてくる。啄木のことだったら、小生いつでも泣ける自信あり。今日も大栄館時代の明治41年の金田一京助と並んで写した有名な写真を『文学アルバム』で見てホロリとしたところ。一葉についてはこの句会の前に図書館で、井上ひさしの戯曲『頭痛肩こり樋口一葉』を読み、最後のところで泣いたのだ。(今日は11月23日、樋口一葉の命日です。「一葉忌冬ざれの坂下りけり 安住敦」) 句会当日は晴れた良い天気。「天皇賞」当日の日曜日とあって、場外馬券売場のある水道橋は混むだろうと、早めに待ち合わせ場所に行くと、克彦がいる。煙草一本も喫わないうちに山羊来る。いつもより早めに続々連衆が集まる。赤帆、みなと、花緒、貨物船も。ほぼ10月振りに参加のズボン堂もいる。それもそのはず谷川俊水、定刻の20分前に来て待っているのだ。これで遅れちゃ大変だよ。俊水はこの日、講演先の四国の丸亀から直行してきたのだ。この意気見習うべし。定刻の12時30分の10分前にはこれも宇治から遠征中の多田道草も揃う。巷児師匠は会場に直接行くことになっているので、後は青蛙のみ。ところが例によって様子がおかしい。家人の話では大分前に家を出たらしいが、場所を間違えているのじゃなかろうか、時間まで待って後はほっとけ、という意見に全員賛成。定刻きっちりに駅前を出発。駅の横の橋は黒山の人だかりだ。警官とテレビカメラの列。なにごとならんと聞けば、国松警察庁長官狙撃事件の容疑者の自供によビストル捜索中なのであった。なんと眼の前の神田川がその現場だというのだ。ダイバーが潜っているというが見えない。俳句の連衆それを横目に見て、歩いてすぐ近くの地下鉄に乗り一駅の春日で降り、昼食の食堂を探してのろのろ歩く。日曜日なのでどこも開いていない。裏道をどんどん行くが迷路のよう。ようようにして見知った通りに出、開けている店を見つけて入る。ここには珍しく雑煮があり人気。小生はラーメン。10月に雑煮なんて変じゃないか。10月はラーメンが似合うのだ。ここから坂を上れば鳳明館です。 ここは騒々子、貨物船、赤帆、山羊の四人は、今夏小沢師匠の俳句を語る座談会の会場に使用していて二度目。その時は騒々子、山羊は宿泊までしているのだ。(宴会費に5000円足すと泊まれるのである)。昔風の玄関から控え室に行くと、なんと巷児師と青蛙がビールを飲んでいるではないか。時間より早く駅に着いたので、タクシーで会場に来たのだという。「みんな遅いじゃない」という。ほっといてよかったんだ。 宗道、蝉息、紙子の欠席組を除いて全員揃ったので、早速句を集め、台紙に貼りコピーをとるといういつもの作業に入る。ここで多田道草同伴のお嬢さん、実は秘書役の武庫川女子大生活美学研究所の岩城万里子さんを紹介される。句会は初めてですぐ帰るというのを無理矢理選句の場に入れる。こういうところ無茶苦茶です。そうする内に準備ができたので会場に移る。ここは庭の見える和室です。庭には池があり大きな石灯籠が置かれ、明治時代の書生にでもなった気分。選句は30分。3時前から披講に入りました。今回の兼題は「芭蕉」「コスモス」「十月」の秋の季語と無季の「寝坊」です。以下例によって天の句から騒々子評。 廃校の下駄箱ばけつ秋桜 貨物船 克彦の天、俊水、山羊の地。うーん、下駄箱の貨物船かあ。前に「冬の雨下駄箱にある父の下駄」の句あり。これも余白句会の句です。この句は多田道太郎選・週刊新潮「新句歌歳時記」に載り、更に詩を加えて『俳諧辻詩集』に載る。征夫句の代表句でしょう。この句があるため下駄箱は印象が強すぎる。天に入れながら克彦、大した句じゃない風景のみ、といい、地に入れた俊水は、古い白黒写真を見るよう、それよりも山口百恵の歌った「秋桜」(コスモスです)じゃないの、と小声で歌う。この廃校は山奥の分校でしょう。無人の下駄箱と錆びたバケツ、コスモスが寂しく揺れている。こりゃ出来すぎ。 貨物船、俳号をそろそろ替えようかな、と検討中という。飽きちゃったのね。いま朝日新聞に詩「その大きな樹の下で」を連載中で展開が楽しみです。次は地の句。 寝坊して烏賊干す町に深莨 宗道 みなと、山羊が天。イカにも俳句なのだ。ただ「深莨」が判らない。根本まで喫うことなのか、ゆっくり喫うことなのか、広辞苑にも出てない。騒々子は二十代に八戸でイカの冷凍工場の建設の現場監督をしたことあり。当時の八戸は町全体にイカが干されていました。そんな町に漁師の喫ったタバコがあちこちに捨てられてあると思いきや、どうも違うらしい。伊豆あたりの海岸でヒマ人がタバコ吸ってるらしい。今回投句もせず選句だけという身勝手な青蛙、この句に孤独感ありというが、嘘でしょう。別の句「婚近しコスモスに雨葛に雨」は、結婚近くのお目出たにクズや雨は厭味じゃないか、なに考えてるんだ、と散々。次は人に選ばれた3句。 十月のさびしき頬に触れしのみ 巷児 道草、俊水が天、赤帆が人。これはいい句です。俳句ってこんなのがいいんですよ、と道草。十月の冷たさが出ている、と赤帆。このロマンチズム、この寂寥感、なんともいえない。俊水、感心するのみ。年寄りばかりが入れたが、これは今回最高の句と騒々子も思います。巷児俳句の精髄です。頬は勿論女人でしょう。どのようにして触れたのか? 頬と頬を寄せ合って感じたのか? いや、手を触れたのです、とは作者の弁。 巷児句の5点句「葛飾や土手のコスモスみな斜め」は得意の地名句。これまた次の句集には入るだろうなあー。 巷児・小沢信男、「東京人」に2年連載の「道・名作を歩く」も今度の12月号で終わる。この句会報告もその第1回のハーンの巻を紹介しているから、あれから2年。91年の第5回の句会報告を俳誌「俳句とエッセイ」に書いてから、この句会報告も5年経ったのである。今回は28回であるから20回位は書いた計算になる。 寝坊して十月革命終わりけり 騒々子 巷児の天、青蛙の地、赤帆、ズボン堂の人。うかうかとしているうちに革命は終わりけり。歴史そのものも終わったともとれる、と巷児。主人公はマヤコフスキーがいいとズボン堂。青蛙は革命が好きだから文句なしに点を入れる。作者は寝坊と十月という二つの兼題を考える内に、十月と革命の連想ですぐ句ができちゃった。騒々子、このところ好調なのです。俳諧のなにものかがいくらかわかってきたのだ。コスモスの句「コスモスの原には馬が埋まってる」も梶井基次郎の「桜の樹の下には」のもじりなのだが佳作に止まる。 それにしても馬の取り合わせの句が多かった。競馬シーズンだからか? 次の句もそう。 十月の馬肉食えども嘶かず 山羊 馬好きのズボン堂、花緒が天。騒々子が人。面白い。おかしい、とズボン堂。精をつけようと馬肉食ったが駄目だったんだな、とは貨物船説。「けっとばし」ですね。馬肉は何故か熊本が名物で騒々子お土産にもらったことあり。最近は一杯飲み屋にもある。安物の「ニューコンビーフ」には馬肉が混ぜてあり、あれは猫も食わない、けど美味い。山羊句の「校門へ落葉と走る寝坊の子」は欠席の紙子句と間違えそう。校門とあるから学校関係者の句だ、と見破ったもの多し。平凡な句です。 山羊・八木幹夫「詩学」に詩人論「抒情詩の行方」を連載。これと青蛙・清水昶の「天野忠ノート」が「詩学」の目玉です。次は前記の山羊句と並んで6点の俊水の句です。 芭蕉騒ぐ一夜はあいつの夢ばかり 俊水 貨物船の天、巷児の地、道草の人。具現の士の点を集め客となる。貨物船はこういうのが好きなのだ。自作にも「兄貴死んだおれは玉緒としゃぼん玉」という勝新太郎のなりきり俳句がある。この句は二つの見方ができる。一つは芭蕉を俳人芭蕉と見て、ちくしょうあいつが気になってしかたがないなあー、いう俳人のツブヤキ(西鶴でもよい)か、芭蕉葉がざわざわ音たてる風の夜は、あの男が気になって眠れないという女人の悩みか。道草の見解は後者のものでした。男の愚痴としてもおもしろい。そう思って見るとだんだん良くなって行く句なのである。「破調の俊水」「自由律の俊水」がそろそろ本領発揮か。 もう一句の「寝坊しちゃったあとは野山になってくれ」は克彦と花緒が地にいれる。普通は「後は野となれ山となれ」となるところをこのひねり方、ただしこれでは無季です。 寝坊助殿朝寝朝酒零余子飯 道草 「信州にて」と前書あり。岩城女史の天、貨物船、山羊の人。零余子は「むかご」歳時記によれば「自然薯の蔓の葉の傍に生ずる肉芽」とある。「山家ではこれを茹でて食べたり〔零余子飯〕に煮たりする」。これならん。騒々子、かってこの字の意味がわからず、長谷川零余子という俳人は数学者に違いないと思っていた。だって〇+ですぞ。この句は口調の良さが光る、−怠け心も。この句もさりながら今回は残り3句すべて挨拶句です。「芭蕉の日すっぴんすうどんすすりたる」。これは芭蕉忌にちなんだものという。道理で前書が「大阪にて」となっていた。元禄7年10月12日芭蕉大阪にて没、51歳。 この句は「芭蕉忌に」と直せばかなりいい句になるのではないかしら。もう一句の「コスモスの乱れの向こう西の空」も、後で聞けば摂津幸彦への追悼句。摂津幸彦はこの句会に先立つこと2週間前の10月13日没、49歳。次代の俳壇のホープとして活躍が期待される大器であった。小生面識がなけれど筑紫磐井氏を通じて噂を聞いていた。今夏同人誌「豈」で特集号が編まれたばかり。いまその号で見つけた句、「さらばとて裏の天魚を釣りにゆく」 道草のもう一句「象を撫で眠りに入るや破れ芭蕉」はズボン堂への挨拶句。ズボン堂が書いたエッセイにちなんだもの。もっともこんなこといっても他人にはわからないでしょう。そのズボン堂の句。 コスモスや高原列車遠ざかる ズボン堂 騒々子の天。昔のラジオ歌謡の「高原列車は行く」ですよね。歌うは岡本敦郎だ。小学校の遠足の時汽車に乗ると、男子は「汽車の窓からハンカチ振れば」といって、ハンカチを出して振ったものだから先生に怒られたっけ。この句は騒々子点を入れた後で反省したものだから大いに顰蹙を買う。でもズボン堂らしくていいです。これよりも「コスモスを左右に分けて猫通る」が評判よかった。巷児、みなとが人。こりゃ化猫だな、と赤帆。 ズボン堂・中上哲夫、詩集『木と水と家族と』をふらんす堂より出す。『スウェーデン美人の金髪が緑色になる理由』から5年振りの新詩集である。待ちに待った詩集です。今度の詩集はタイトル通りの家族を扱ったしみじみとした「泣かせる」詩集です。中の「鳩少年」という詩にはエピグラフとして俳句あり。「落第の少年愛す伝書鳩 蓼汀」 コスモスや色を散らして馬帰る 蝉息 馬好きのズボン堂が地、花緒が人、馬好きと思えぬ青蛙も人。「馬の蝉息」の面目躍如蝉息・八木忠栄にはかって『馬もアルコールも』という詩集あり。この句の馬は競争馬でしょう。赤帆は農耕馬だといっていましたが。新潟競馬か、北海道の牽馬競馬か。父帰るではないのか、というものもいた。蝉息のもう一句「十月の本郷通りいなり寿司」は、本当に有名な寿司屋があるという。蝉息はどうして知っているのだろう、と不思議がられていましたが、蝉息は紙子ともども(騒々子もですが)、毎月本郷通りを通って「詩学」の投稿の選をしに行くのだ。だから知っている(というと嘘で、語呂がいいのでいなり寿司にしただけという)。今回の欠席は翌日ロンドンに行かねばならないので涙を呑んで決断したとのこと。(そのロンドンでは喘息の発作と腰痛で死ぬ思いをしたそうである) スモスや今日殺される犬の声 裏通 今回から前回の意見を入れて俳号を裏通とした克彦。時の人であります。前回紹介した『雨の新橋裏通り』は再販となり増刷中。週刊誌、夕刊誌の紹介の極めつきは10月31日にテレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」に出演したことでしょう。見た方も恥ずかしかったが、出た方は更に恥ずかしかろう。詩人を紹介するのに「現代詩の世界のひと」といういいかたをしているのが印象的でした。やっぱり違う世界のひとなのね、詩人は。 この句は赤帆が天に入れ、巷児も人に入れる。実に奇妙な味のある句。と思いきや、これもまた正直者の裏通が韓国で体験したことという。賓客を歓迎するというので、犬の肉を御馳走してくれたという。だからここには嘘はありません、という。それ聞いてがっかりしちゃった。騒々子、ズボン堂句をやめてこの句に点を入れようと思ってたのだ。 芭蕉破れ小学生の通学す みなと 前回欠席して最高点、今回は出席して騒々子の1点のみ。これが句会の厳しさです。だいたい歳時記読んで勉強してないからなあー。この句も点入れたが芭蕉と学校はつきものなのだ。でも小学生のランドセルの黄色が見えてくるのですよ。三三四五、おしゃべりしながら校門を潜る姿が眼に浮かぶ。 みなと・有働薫、フランス詩の翻訳から今は積極的に朗読会に参加。その内「朗読会の女王」になるんじゃないですか。 文化の日おおいばりなり朝寝坊 花緒 これがいいのですよ。点は入らなかったが、騒々子、気分が良かった。この句は川柳に似て川柳にあらず。この報告記の冒頭の句「宗房殿余白本郷を訪ひ賜へ」もまた単なる挨拶句にあらず。みな素直でしかも複雑な気分の入った大人の句なのである。文化の日に大威張りで朝寝しているのはどこのどなたであろう。文化人かしら。冒頭句の「宗房殿」は芭蕉と知らずにいた者もいたよう、情けなや。白川宗道ではありません。この句芭蕉忌にちなんだものとすれば、連衆の読みが浅かったのである。 花緒・加藤温子、手術後も清水昶詩塾を助ける。いまや詩塾は花緒で持っているのだ。まてよ、「文化の日」の句はひょっとするとこのの日が誕生日の青蛙・清水昶のことではないのか?次は最後にこのところ不調の赤帆の句。 詩は固く十月を泣く蛍光灯 赤帆 こんな凄い句に点を入れたのは騒々子の1点のみ。亡き摂津ならこの句を天にしたであろう。典型的な現代俳句です。「詩を泣く」と「固い蛍光灯」が相互に入りこんだ形で十月をイメージしている。おそらく作者は自信作です。その証拠に大西泰世の同人誌「鰭」に俳句20句「十月その他」を発表し、その中にこの句が入っています。もっともここには今回と前回の余白句会の句がほとんど入っている。その中にあるこんな一句を見つけてしまった。「秋桜張り倒したい奴の庭」。小生のことではないでしょうね。 ここで披講は終わり、後は宴会となる。立会人の岩城さんは堺市に帰るためお別れ。旅館の使用は宴会が主目的で会合は余分、宴会コースを利用して句会をしている訳です。だから料理の量はある。一人づつの寄せ鍋も付いて後は酒です。ここで青蛙、俊水を質問責にする。見兼ねて道草、詩人は議論をやめよ、と助け船。みながせっせと食べている間、青蛙ただの一つも料理を口にせず、給仕のおばさんに感心される。「家で愛妻の料理が待ってるから」というんだもの。小生、隣の彼の茶碗蒸しも食べてしまった。 こういう席の話というのは、ほんとに覚えてないものですね。いろんなことをいったり聞いたり笑ったりしているのに、なんの話だったかわからない。やはり雑談も4、5人がいいので14、5人ともなると雑然としてくる。そこで次第に草臥れてきたところに宗道登場。他の会が終わったので駆けつけたのだという。いいところに来た、とまたここで飲み直し。宗道張り切って写真をとる。(後で現像したら真っ黒だったという) 二次会で席を替える必要がないと楽でいいが、その分飲み過ぎで疲れますね。一同ようやく時間となり帰り支度をする。9時頃でしたろうか。玄関を出ると外は真っ暗(当たりまえだ)。先に帰る巷児師、俊水。山羊、ズボン堂、みなとの相模原組。花緒、青蛙赤帆の中央線組と貨物船を送り、残りは道草を送って東大前から本郷三丁目の地下鉄駅へ行く。その前の中華料理店で軽く仕上げ。いやもうビールしか呑めない。道草は当日は御茶の水のホテル泊まりです。道草には句会出席のため何度上京していただいたか、もったいないことである。そうかといって我等、宇治にはそうそうとは出かけられない。如何せん。 ところで小生、句会の一週間後、通風の発作が出てしまったのです。「ぜいたく病」というが、贅沢した覚えなし。だいいち小生2年振り位に「現代詩手帳」に詩を書いているのだ。題して「貧窮問答」。ほらご覧なさい。貧乏で売ってるんだから。それでもビールだけはうんと飲んでいました。だからこれはきっと句会のビールのせいならん。以後は焼酎でいきたいと思います。そこで、 通風で蕎麦しか食えぬ一葉忌 騒々子 |
1996・11・23 記 |