| 第27回余白句会報告記 |
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井川博年 1996・8・31(土) 東京・荻窪『大田黒公園茶室』 |
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【七味句会】 人食ったあとの昼寝やとうがらし みなと お盆休みの後に八木幹夫と、八木さんの知人の佐藤さんという方の別荘に招待されて行ってきました。場所は松本から少し行った穂高温泉の林檎園の中で、別荘といっても二十人ほどの宴会ができそうな大きなお家です。そこで、近くの観光用山葵田を見物に行ったのですが、なんとそこは黒沢明の映画『夢』の村の舞台なのでした。映画を見たひとは覚えておられるでしょう。第何話かの主人公(寺尾聡でした)が、水車小屋が幾つもあるきれいな川のある村で、不思議な村人の行列を見るシーン。あの川の流れがあったのです。水量は豊かで水は冷たく、立木が流れに影を落とし、水草はこの川のために生えているかのような、まさしく「夢の川」なのでした。 驚くのはまだ早い。人生は不思議なことの連続。次の日われわれが向かったのは別荘の前面に見える有明山で、その中腹にある「とんぼ玉記念館」なるものを見ようと車を走らせていた佐藤さんが、なにげなく「ここには『鐘の鳴る丘』があります」というのです。すると、前方に「緑の丘の赤い屋根 とうがり帽子の時計台」が見えてきました。これにはびっくり。なんでこんなところに『鐘の鳴る丘』があるんだ。実はすぐ近くにあったものを移築して保存しているものらしい。小生あの映画を、小学校の団体観賞で見たがクラス全部ワンワン泣いていた。しかし、あの場所はわからなかった。ながい間、離れ小島の話かなんかと思っていた。辻征夫の詩集『鶯』の冒頭の詩「ファラオン号の数え唄」で、「五歳のみどり/毬栗頭の/虱小僧のがんちゃんも捕まって/白いお窓の施設に行き」とあるのは、『鐘の鳴る丘』がもとになっているそうです。閑話休題。 さて今回の句会は、もうお馴染みとなった荻窪の大田黒公園の茶室に、谷川俊太郎さんを迎えてフル・メンバー(みなと欠席・ズボン堂欠席)での句会と相成りました。当日は雨が心配されたけど傘は不要の句会日和、クーラーもいらない夏休み最後の土曜日です。 12時前に荻窪駅南口に行くと、早くも赤帆、青蛙、山羊、花緒、宗道の諸氏が待っている。いつもはとんでもなく遅れたり来なかったりする青蛙が、30分も前に来て待っているのがおかしい。「これ礼儀です」という。山羊悄然として、瀬沼孝彰が交通事故で死去しその葬儀が昨夜あった、という。瀬沼氏とは小生面識なけれど、詩誌「ホテル」他で作品はよく読んでいたほう。つい先日詩集をもらって礼状を書いたばかり。四十代始めで独身だった由。そのうちに、今回も宇治から来ていただいた道草、いつもの黒のコム・デ・ギャルソンに夏帽子という洒落たいでたちで到着。ほどなく地下からエスカレーターで巷児師匠があがってくる。師匠もいつもの軽装に夏帽子。ここで紙子、蝉息、貨物船、克彦現れ、全員揃ったところで蕎麦やに向かう。 商店街を少し行った所で、誰かが「あっ、谷川さんだ」という。すぐ後ろに谷川さん。「追いつけると思ったので」と、後を追い掛けたという。いつもと違う見事な髭面に、濃紺の仕事着風の半袖シャツ、同色のズボンに黒の編み上げ靴がきまってます。 ここで団体で「小松庵」へ入り、各自の紹介(谷川さんはみんな知っている)が終わっったところで食事。ビール飲んだり蕎麦食べたり。その間に幹事は句稿を集めコピー屋へ行く。準備万端整ったので会場へ。 選句は1時より1時間。茶室は明かりが暗いので、老眼や字が読みにくい者は散らばって明るい所に行って見る。お茶と持ち込み禁止のビールを飲んで黙々と句に向かう。この茶室は庭園に面しているので、障子が開いていると入園者に覗かれてしまう。あのひとたちなにをしてるのかしら、と思われていること必定。それでも床の間には掛軸(なんて書いてあるのか全員読めない)を掛け、一輪差しにははまなすの花(これも誰も知らない)と句会らしい雰囲気にはなっている。ここは杉並区の施設なので、茶会か句会か歌会しか許可されないのだ。 2時より披講に入る。ここで谷川さんの俳号が紹介される。俳号は「俊水」。谷川さんに俳号があったとは! 一同あっと驚くタメゴロー。あとで聞けば小学生の時に付けたのだとか。栴檀は双葉より芳し。一同見習いなさい。ところで、選が終わると見事に票が散らばっていることがわかりました。その中で天となった句は、 わたあめを預けて入る踊りの輪 みなと 紙子が天に選び、巷児も地に、道草以下五人が人に入れる。これがねえー。情景はわかるし、「わたあめ」を選んだところもうまいと思うが。騒々子大いに不満です。ここで綿飴を預けた主人公が幾つくらいなのか議論になる。やはり子供だろうという意見が多い。でもあんまり素直すぎるんだなあ。みなと、前回は0点で、今回は他の句にも点を集め、あっぱれトップとなる。冒頭にあげた昼寝の句は、巷児師匠が天に挙げた句。本当に人を食った鬼の話としてもおもしろいんじゃない、との巷児説。口直しに唐辛子を食べるんだろう。騒々子は道草・多田道太郎『おひるね歳時記』への挨拶句と読みました。昼寝の句も面白かったが、それよりも今回最大の話題作は、みなと句の次の一句でした。 ざるそばのつゆに浮きたる七味かな みなと この句を貨物船が天に挙げる。貨物船曰く、この句は、なにごとの不思議なけれどという感じで、ありのままの姿がでていて実にいい、と。これに対して俊水、なんでこの句が天なの?と驚きの声。自分は俳句の初心者であるが、この句は、充分に俳句を知っているものが選ぶほどの、複雑さをくぐりぬけた後の枯淡の味わいの句であるのか、初心者中の初心者のシロート俳句であるのか、お教え願いたい、と。だいたいこの句には兼題の唐辛子ではなく、七味が入っているが、それでもいいものなのか。貨物船、答えて曰く。七味は七味唐辛子の略だからかまわない、と。さらに「浮きたる」というところがなんともいえずうまい、と、芭蕉の「軽み論」みたいなことをいう。芭蕉の論同様この句をめぐって侃々諤々。いずれも、作者名を知る以前の話である。 騒々子の見るところ、これは子供の俳句です。内容もざるそばのつゆに七味を入れるのが気になる。かけそばには入れるけど。おっと、これも論争の種になるか。次は地の百舌の句です。 百舌の尾の上下のなかの正午かな 紙子 山羊、花緒が天に入れ、克彦が地、宗道が人。なんだか一見良さそうで、本当かな? といえそうな句。ちゃんとモズ(百舌・百舌鳥・鵙)の生態を見ているのかしら。山羊、時間感覚が尾の上下によってもたらされているところが新しい、と。それに対してモズの尾がそんなにゆっくり上下するのか、と異見あり。騒々子、鳥の尾が日時計代わりになるなんて知らなかった。尾長鳥は杉並区にはいっぱいいるけど、あれはせわしなく尾をふっているから、さしずめストップ・ウオッチか。紙子・木坂涼さん、先頃思潮社から詩集『金色の網』を出す。本の帯に「木坂涼の歳時記」とあり、春夏秋冬の歳時記仕立てになっている。余白句会での俳句の勉強をちゃんと取り入れているのです。手話の詩の「失職」なんて泣けるなあ。「仕事、/コピー、/かなしい、/うれしい、/習いたての手で、/私は私を短く要約してしまうと、/もうそれで/誰にたいしても/無口にもどった。」 これで天・地と女性が取りました。人はこのところ欠席しては投句して「あれには入れるな」と「地雷男」の異名をとる宗道の句でした。今回は出席して写真係。 新涼の踊る阿呆を通しけり 宗道 蝉息が絶賛して天。赤帆また天、巷児も人。「新涼」の季節感、「通しけり」の絶妙な使い方。蝉息、赤帆のいうとおり宗道の快作でしょう。宗道、四国の出身なればやはり地の感覚が出るのだ。阿波踊りが通って行く商店街の光景まで眼に浮かぶ。最近この会場の近くの高円寺の商店街でも「高円寺阿波踊り」あり。賑わっています。もっと近くの阿佐ヶ谷では「阿佐ヶ谷七夕祭り」と余所の名物のアレンジばかり。宗道、今回はもう一句の「東京の端で皿買ふ鵙日和」にも青蛙が天を入れ、巷児、赤帆また人に入れる。この句は「端・はし」と「皿・さら」と懸けているというが、「鵙日和」をよく生かしている。今回巷児、赤帆は宗道にまとめて点を入れている。青蛙は「この鵙という字なんというの?」と聞いていたくらいだから天に入れたのは至当? 次はモズでも一味違う師匠の句。 底値なお割る分譲地鵙高音 巷児 俊水、赤帆が地に入れ、山羊、克彦が人。俊水、俳句的じゃないのを探したらこれだった、と推薦の弁。この句、高音を高値に懸けてあり、巷児得意の時事句。「川柳です」。この句も見るひとによって違いそう。やった、ざまあみろと見ている土地を持たぬ貧乏人(騒々子しかり)か、こりゃ困った、もっと上がれと鵙の高音に期待する不動産業者(騒々子またゼネコンに寄生する弱小外注事務所)か。巷児句のもう一句は「踊る亡者見てる亡者は過労死者」と、これまた時事句。読むほうも死人(詩人)ばかりなり。今回、巷児師匠は三位以内から外れる。初めてのことなり。別に弟子がうまくなった訳じゃなし。 巷児・小沢信男小句集『昨日少年』については、ひと月ほど前に本郷は東大前の旅館で騒々子、赤帆、貨物船、山羊に俳人の大串章氏を加えて座談会をしました。その記事は「OLD STATION」7号に掲載する予定ですので、ご期待ください。さて次はいよLよお待ち兼ねの俊水句の登場です。 モズ鳴けど今日が昔になりきれぬ 俊水 山羊の地、花緒が人。紙子句の「正午」と同じく、ここでも時間が取り扱われている。山羊、そこが気に入ったよう。とにかく不思議な感覚がある、と。今日は刻一刻昔になるが、その今日は単純な昔にはならない。「なりきれぬ」のである。だが、それとモズの関係如何。とにかくこの句といい紙子句といい時間がテーマの句というのは珍しい。いや俳句にはありません。あってもこういう言い方は恐らくしない。俳人宗道、これは俳句じゃないなあ、といいつつも、「モッズというクループがありましたね」。俊水の別の盆踊りの句「日系は浴衣にケッズ盆踊り」は「ケッズ」がわからず落選。「有名なシューズ・メーカーなのに知らないのかなあ。ナイキなら知ってるでしょ」と俊水。この句は赤帆句の「武蔵野にひとり踊るや黒い人」と同じく時事句といっていいでしょう。随分昔になるけどうちの娘が幼稚園の頃、盆踊で「ホームラン音頭」に合わせて浴衣にスニーカーで踊っていました。だいいち足が痛くて下駄が履けないんだもん。次の蝉息の句も今風かな。 住職も腰あげにけり盆踊り 蝉息 紙子と宗道が地に入れる。この住職そうとうなもの。もっとも踊りと坊主とは俳句ではつきもの。平凡だ、と青蛙。尼さんならよかったのに、と道草。尼さんならとんでもないことになりませんか。この「住職」といういいかたには田舎の寺の雰囲気がある。うちの田舎では「お寺さん」といってましたけど。蝉息の郷里のお寺さんではかの良寛がいる。 蝉息・八木忠栄、春に思潮社より『現代詩文庫・八木忠栄詩集』を出す。この詩集に関しては小生、「産経新聞」に書評を書いたので略。青蛙・清水昶、「新潟日報」に書評を書き、「八木忠栄の生家は旅館を営むほどの豪農であった」と書いて蝉息に驚かれる。瞽女宿を旅館と勘違いしたのだ。蝉息、前回はカナダに行き不参加。それでも俳句は好調だったが、今回は不調。代わって今回はマルチ句作を示し、俊水から天を取ったのは騒々子でした。 骸から秋風逃げて来たりしよ 騒々子 どうしてこれにみな点を入れないの?と俊水。誰が入れるかと期待していたんだ。そうしたら他に誰も入れない。みなこの悲痛さがわからないのか。この句も骸と秋風がつきすぎという意見あり。当然です。兼題の「逃げる」に秋の季語を入れてしかも俳句らしくしないこと、ここに作者の眼目がありました。作ったのは30分だが、構想は3日かかった。俊水に採られて自信がつきました。別の句「踊子に付いて下田に来たりけり」はもちろん川端康成の「伊豆の踊子」のモジリ。踊子はストリッパーなのね。寅さんなんですよ。こういうのに弱い宗道が天に選ぶ。俊水は「踊子号」にくっ付いてきたのか、という。 騒々子また別の高村光太郎のモジリ句「逃げ水よ 僕の前には道はない」を出し、克彦が天に選ぶ。三人から一句づつ天になったのは初めて。四句目の句「まだ誰も採ってくれぬか唐辛子」も紙子が人に選び、これでパーフェクト。この句は句会で受けると思ったのに俊水、最低点の句という評価。ああ。 このあたり軒端のんびり唐辛子 道草 騒々子が天に選ぶ。この中七のゆったりさがわからぬか。どこでもよい、田舎の街道とそこを歩いている旅人の姿が目に浮かぶ。あんまり平凡だし「のんびり」というのを別の言葉で置き換えて表現したほうがいい、という意見に、そういう意見は必ず出るんだ、と赤帆が助け舟。あえて「のんびり」を入れたことで気分が完全に表現されている。これに絵をつければつげ義春の『貧困旅行記』でしょう。道草の別の句「青唐やくちびる熱し串カツ屋」は「青唐」が関東の「ししとう」ととられて損する。「あおとう」は関西では誰でも知っている青いままの唐辛子だそうです。これもさっきの「ケッズ」と同じ例。 道草・多田道太郎先生、8月17日の諸新聞の夕刊のサントリーの小さな広告欄に写真入りで文章が載る。その中に前回の句会での句、「夜店にて見かけしひとはふと魚影」があるのにびっくり。さて今回のこの道草の唐辛子の句にひったり合うのは次の句でしょう。 木曽谷や駅舎の梁に唐辛子 花緒 道草の人、紙子、青蛙も人。これわかるなあー(木曽には行ったことないけど)。花緒さんは嘘は書かない。本当にこんな光景があったそうです。先の道草句と並んでこれもつげ義春の世界である。こういう所を旅行するのは気分がいいけど、生活するのは大変だろうなあー。もしこういう田舎町で未亡人にでもなったらどうするか、「ただ放心赤唐辛子の種を抜く」。こうなるのです。これも花緒の句。騒々子のみ点を入れる。この句の切なさがわからないの?上五の放り投げたような表現のうまさも。 花緒・加藤温子さん、春に肝臓の手術を終えめでたく退院。今回は病後初めての句会出席です。次も唐辛子の句。 柴又の夕日まっかな唐辛子 貨物船 道草が天に推す。寅さん(この月の始めに映画『男はつらいよ』の主役寅さん役の渥美清死去)の追悼句なれど、俗なところがいい、と。唐辛子は柴又とは付かず、夕日に付いている。こんな句を選ぶのは道草だけだ。貨物船、このところ不調。その中では「盆踊り婆さんそろそろ帰ろうか」が面白いと、俊水、山羊が人に入れる。面白いことは面白いけど、こんなの面白がっちゃいけないんじゃない。「月ガ出タ煙突高シサノヨイヨイ」は、カタカナに知力を注いだ本人の自信作というが、どこに兼題が入っているんだとの問いに全体が「踊り」になっているんだという、この珍説は俳壇は怒るだろうなあー。「月」で秋になってるんじゃないの。 貨物船・辻征夫、6月に思潮社より最新詩集『俳諧辻詩集』を出す。これは当句会での句が多く使用されている新機軸の詩篇です。帯にある「詩と俳諧のアマルガム」とは誰がいったか(小田社長でしょう)、言いえて妙である。小生、この詩集は平成の『測量船』になると思う。きっと高い評価を得るはずです。〔今年度花椿賞受賞〕 逃げていく敬老の日の球の足 赤帆 俊水、騒々子、蝉息がそれぞれ人。騒々子はこの句の「球」を運動会の球ころがしのような大きな球ととっていた。その足がもつれる、と。ところが二人はゲート・ボールととらえていた。作者に聞くとこちらが正しい。作者がわかってしまうと、球は野球じゃないのか、という声が高かった。その声に答えるように赤帆・清水哲男、小沢さん関係のタウン誌「うえの」8月号に、「俳句の流行」という文を書き、その中で当句会を紹介してもらっています。三年ほど前まで監督をしていた草野球のチームのメンバーが最近では俳句に凝っているというのが面白い。ついに来るところに来たか、という感じ。赤帆、最近はパソコンのインターネットの「清水哲男の俳句歳時記」に骨折っています。毎日俳句を解説付で流すのですから大変。日本語の横書きの俳句が世界中に出ていくのだ。雑誌「東京人」の10月号には「コミュニティFM」って何だ?」というページに「むさしのFM」での清水さんの仕事ぶりが写真入りで出ています。 あおむけば鉄線の空を百舌鳥が切る 青蛙 道草が地に選ぶ。道草説では鉄線は電線で、そこを百舌鳥が鋭角に切ったように飛んで行く。「あおむけば」だから、作者はかなり低い位置からそれを見ている。青蛙句にしては珍しく写実的である。作者はこのために角川版の『俳句歳時記』のモズの項を調べたという。それにしても俳号の青蛙はモズの大好物なの知ってる?実はこの句よりも点が入ったのが「袋町蛍と踊る少女かな」であった。貨物船、克彦、宗道が人。しかしこれは誰にでもわかる典型的な青蛙・清水昶の句なのだ。ただ「袋町」というのは面白い。その詩人が「風鈴の不倫から逃げる噂かな」なんて駄洒落を作っちゃいけないよ。 清水昶、「詩学」に7月号から「天野忠ノート」の連載を始める。何回の連載になるかわからないとのこと。最近は酒も節制して規則正しい生活を送っている由。 骨折りの櫓や雨の盆踊り 山羊 騒々子、貨物船が地に入れる。盆踊りと櫓は付きものであるが、雨で流れたところを持ってくるというのが尋常でない。せっかく作った櫓を見上げて、くやしいねえー雨だねえーえーこうなりゃ酒でも呑もうじゃないか、といきまいている若衆が目に浮かぶ。山羊、今回不調。瀬沼孝彰の死の影響ならん。瀬沼の最後の詩集となった『凍えた耳』には栞を書いていて「しかし、人は光の中でのみ生きる訳ではない。闇が精神の深い安堵をもたらすことを忘れてはならないだろう。」とある。この日も追悼句を作って曰く。「友逝きぬツンと鼻つく唐辛子」。この句は元禄の其角に類似句あり。画家・英一蝶が三宅島へ島流しになったのを聞いて「其カラシキイテ涙ノ松魚カナ」。また赤穂浪士切腹を聞き「うぐひすにこの芥子酢は涙かな」。いずれも交遊関係あればなり。特に赤穂浪士の大高源吾、神崎与五郎は彼の俳諧の弟子であった。 百舌鳥三度鳴いて詩人のごとく去り 克彦 話題の克彦。騒々子が人の一点。前回は初夏の句で天を取るも、今回は最下位。騒々子入れたけどこの句はよくない。意味不明である。でもなんだか舌打ちしているようなところが面白かった。國井克彦、この句会一週間前に創樹社より『雨の新橋裏通り』という本を出す。句会当日、この本を読んでいたのは連衆の半数で(従って話題はこの半数でのみもちきりでしたが)他はいったいなんの話やらわからなかったに違いない。この本は帯にあるとおり「かの高名な詩人の秘められた職業はアダルトショップの店長だった。詩人店長の垣間見たおもしろうてちょっと哀しいうちあけ話。」。オモシロイことは最初に生原稿を読んだ騒々子が請け負います。本にはうるさい貨物船でも、三回笑えたというほどです。克彦に正直いってこんな才能があるとは思えなかった。ここらへんで詩を卒業して、雑文家に転向したほうがよいのではないか。西鶴を見習ったほうがいいと思います。そのへんを睨んで蝉息に「國井克彦に」という前書きの挨拶句あり。「逃げこんで無月新橋裏通り」。これを見て貨物船、これから俳号を「裏通り」にしろという。賛成です。だいたい当句会はすべて俳号を名乗るのが会規なのだ。従って以後克彦は「裏通」となります。かの元禄の蕉門の異端児の路通みたいでいい。 ここで披講は予定通り終わり4時。一同ぐったりして休憩。まだ時間はあれど、片付けて退去うなければならない。文机や座蒲団を片づけている所に、井川夫人が友人の篠さんを連れて現れる。谷川さんに本のサインをしてもらうため。これすべて小生の、近所でせっかくのチャンスだから、谷川さんに会わせてあげる、というたくらみである。谷川さんにとってはトンデモナイ迷惑である。それでも快くサインしていただき(ちなみに女房は『女に』と『足ながおじさん』、篠さんは『はだか』であったという)、掃除が終わると記念撮影に外の庭園に出る。折から曇り空から日が射して、夏の終わりに相応しい夕暮れである。ここで、散策中のオジサンに写真を写すのを頼むと青蛙、「このひと谷川俊太郎さん」という。紳士驚いて「徹三の」といっているけど、どうやら髭面を見て谷川徹三と間違えている様子。それでも無事に句会は終わり、直ちに荻窪駅前の寿司屋「松寿司」に向かう。ここももう何回も会に使っているのでお馴染みの店。 今回は二次会は席題がないので気楽なものです。いつもの一番安いコースの料理でビールと酒。雑談と色々な噂話が楽しいのは古来の句席の常です。横井也有は俳諧の会席が飲食に流れたがるのを強く戒めていますが、なんの、この楽しみがあればこその句会ではないか。明日が早いという谷川さん、ホテルに泊まる多田先生、疲れたという小沢師匠を送って9時に店を出て駅へ。地下道をくぐって反対側の飲み屋「東菊」で更に呑む。ここは11時30分には追い出される。遠い組はここでお別れ、近場組騒々子、宗道、赤帆、青蛙は更にまた反対側の飲み屋へ。飲み屋の連句をやっているようなものだ。なかなか挙げ句にいかない。それでも3時になったのでようやく帰宅。延々10時間呑んでいたのでありました。 かけそばの七味や雨の女郎花 騒々子 |
1996・9記 |