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第26回余白句会報告記

井川博年

1996・6・30(日)
東京・荻窪『太田黒公園茶室』
【梅雨晴れ句会】

 丸裸これほど暑きことはなし    大江丸
            
 いやあ暑くなりました。梅雨明けはまだだというのに、もう真夏の暑さ。そうはいっても東京は風もある。昨年の「宇治句会」の暑さに比べればメじゃありません。伏見の路上の暑さといったら、息も絶え絶えといったところ。灼熱地獄でありました。大阪の夏も暑い。高校を卒業して始めて大阪に住んだ夏、福島の海老江の裏長屋の二階から見ると、貧民街あたり一面すべて窓も障子も開け放たれて、それでも風はソヨリとも吹かず、なんともいえない熱気があたりを覆っているのでした。『夜の大捜査線』というシドニー・ポアチエの黒人刑事が主役の映画があったが、あれは確か原作は「夜の熱気の中で」というのではなかったか、とにかくあれを見て大阪の長屋の夏を思い出したほどです。閑話休題。

 今回の句会は宇治からの多田さんと、熊本の玉名から遠来のあざ蓉子さんを迎えて、昨年の忘年会と同じ荻窪の太田黒公園内の茶室で行いました。ここはもう何回も使っていていわばお馴染みのところです。とはいっても多田さんとあざさんは初めて。今年は関東は雨が少なく、六月の最後の日曜日というのにカンカン照り。荻窪駅に定刻の十二時に行くと、もうすでに八木、辻、白川待っている。今回は選句をじっくりやろうと、コピーの時間を省くため、待ち合わせ時間を早めたのだ。辻、産経新聞の当日版に井川筆の『現代詩文庫・八木忠栄詩集』の書評が出ているという。小生あわてて売店で買う。
 そうこうする内に清水あらわれ、話している内に多田さん到着。しばらく待つがなかなか小沢さんとあざさん来ない。國井、有働さんも。今回は欠席者多く少ししまりがない。もっとも加藤温子さんは肝臓手術でこの近くの杏林大学病院に入院中。木坂涼さんは所用で駄目。八木忠栄は娘さんに会いにカナダへ行くとのこと。中上哲夫また今回も欠席。清水昶何回も自宅に電話すれど留守。道に迷って永久に彷徨っているのだろう。
 しょうがないから先に予定の蕎麦やに行ってましょう、と井川、清水、多田の三人で駅すぐの「小松屋」に行く。ビールを飲んでいると残りの一同揃ってやってくる。ここで食事をして例によって句稿のタイプ短冊を集める。あざさんは半数のひとと初対面なればまず挨拶。小生、昨年お会いしたことあり。ここでの食事は小生は好物の冷やし中華。
 さて句会は、一時から茶室で扇風機をつけながら、選句が行われました。その結果は以下の通りです。まず天の句から、

 初夏の道「海へは右折」の立看板     克彦
            
 うーん、これがねえー、天とは。さわやか、という評が多かったが、小生、最初からこの句は運転経験のある人物のもの、と睨んでいた。さすれば克彦に決まっている。立看板があるからには、海から少し離れた所でしかも海を感じさせる絶好の場所。これは俳句の嘘を憎む「見たまま俳句」の克彦の茅ヶ崎での実見であるという。克彦、かって最初の新婚時代に茅ヶ崎で暮らしたことあり。騒々子と貨物船、招かれて行ったことがある。
 克彦、当句会で天になったのは初めてではないのか。まずはめでたい。

 はつ夏へ双手をつけば母見ゆる      蓉子
            
 貨物船、宗道が天に入れ二位の地。不思議な句である。意味不明。もっともあざさんの句はみな意味不明なのだ。語が通常の意味から切り放されて喩になっているからである。あざ蓉子句集『ミロの鳥』の帯にも「俳句形式による喩の可能性を追求したい」とある。
 この句は貨物船は挨拶の姿勢ととったという。小生、その姿勢から相撲取りを連想し、初場所中の若き力士の母恋いの句かなと思って、点入れず。あざさん、この句以外にもすべての兼題句に点が入り、流石です。

 衣でて衣にはいるまるはだか       貨物船
            
 騒々子の天と三人から人の点を集めて二位同点の地。こんなにわかりやすい句はないと思ったら、よくわからないという者多し。大人のベッドシーンか、という者もあり。情けなや。この句、人生訓としてもとらえられますぞ。実は「裸」の兼題は小生の出題によるが、騒々子は作りませんでした。難しいんだもん。裸は新しい季語で、冒頭の大江丸の句など今なら「暑さ」と「裸」で季重なりだ。
 貨物船、今回はこの句以外いいとこなし。更衣の句などひどい。「霜降りの詰襟少年更衣」「学帽に白布かぶせし更衣」は当日の朝作ったという安直の見本。
 次は「初夏」「裸」「更衣」と並んでもう一つの兼題の「夜店」です。

 夜店果て暗がりに触れひきかえす     巷児
            
 克彦、山羊の天でこれも二位同点句。ただし欠席の花緒さんの選を入れれば克彦句と並んで天の句となる。その価値あり。それならどうして騒々子は点を入れなかったか。じつはこの句と同じ趣向の「見終われば川に出でたる夜店かな」という句を作っていたから。当日、短冊を回覧の袋に入れる時入れ忘れ、投句できなくなっていたのだ。コピーされてきたのを見て気付いたのだが、万事休す。そのため騒々子は今回三句投句になったのだ。
 ただ夜店にはこの種の光より闇の部分に魅かれる感じがあって、次の貨物船句「夜店ひとつかぶさる闇の厚さかな」もそうです。「そういうところに眼をつけるのが、近代人の特色です」と赤帆。至言なり。もっとも巷児句の舞台は子供の頃の靖国神社だそうで、当時はネオンや照明も暗かったのだ。

 初夏の海見る砂山の帽子かな       花緒
            
 道草の天、克彦、貨物船の人で人。これは「初夏の海見る」で切るのでしょうね。海を見ている人の帽子のへの字と砂山のへの字の感じが面白いと道草。谷内六郎の絵の感じでもある。この句は(この句だけでなく)後日ひと騒動あり。当日、欠席者の投句(蝉息と花緒)は山羊が保管して提出したのだが、山羊が控えをとらなかったので、どの句が誰がわからなくなり、みなで勝手に推測して、これは蝉息らしい、これは花緒さんかな、といいたい放題に選評していたのです。この句もてっきり蝉息句と思われ、砂山は八木忠栄の故郷の新潟のかの唄にうたわれた砂山だ、などといっていたのが、なんととんでもない。花緒さんの句でありました。となるとこれは、どこの砂山? この間違いは更に「子を育てあげて艶あり衣替」の句で、てっきりおんなびとのナルシズムととり、花緒句と決めつけていたら、なんと蝉息の句だったのだ。中に、これは男が見たおんなびとだ、と気付いた者もいましたが、遅し。「初夏や少年剣士正座する」も、蝉息も凛々しいね、なんていってたら、あらまあ、これも花緒句であったのだ。蝉息が凛々しい訳がない。
 という訳で、すべて蝉息句と思われたものは花緒句で、今回、花緒さんはすべての句に点を集め兼題三位。反対に蝉息は八位。いまとなっては遅いが、

 衣替えひとにあいたしあいたくもなし   花緒
            
 この句なぞ、作者の心情をみな汲み取るべきだったのだ。この句はいい句です。人の点を入れたみなとさんはちゃんとわかっていた。

 夜店の娘仮面吊るして飯を食う      赤帆
            
 あざさんと克彦が地、巷児の人。実に感じが出ている。これも夜店の句のパターンでどうしてもはすっぱな女を出したいのだ。ただどう表現するか、なのである。これは「飯を食う」というところでその味を出している。ヤクザな感じが出ていますね。こういう女のたぐいに昔の純情な高校生は憧れ、そして痛い目に会うのである。赤帆、今回は早々と作ったというが、いいとこなし。いまパソコンのインターネットのホームページを立ち上げていて、URLは清水哲男『増殖する歳時記』だそうです。
 清水さんは読売新聞のパソコン書評「青の会議室」のメンバーでもあってすでに八木幹夫詩集『野菜畑のソクラテス』をとりあげ、7月8日には出たばかりの『辻征夫詩集成』をとりあげています。

 手をつなぎ騙されにいく夜店かな     山羊
            
 巷児の天、道草の人の点。もちろん子供の情景でしょう。大人ならお化け屋敷といったところ。子供だって騙される楽しさを知っている。裏の社会の魅力もまた。この句の眼目は主体性にある。いうなれば能動的です。前の赤帆句が観賞的なのと対照的である。俳句ではこういうのは珍しい。ここのところが詩人の俳句なのだろう。山羊句のもう一句も同じ。「手を入れよバリリ世間の衣替え」。気合が入っていると赤帆が天に挙げる。しかしこれは更衣というより浴衣に手を通す感じじゃないの。田舎と浴衣と蚊帳と言えば、井川博年に「青い蚊帳」という名作の誉れ高い作品がありますがー。
 八木幹夫、忙しい中、今回も案内文その他の雑用をこなしていただき、御苦労さん。次は前回の首位から今回も好調の道草です。騒々子が地の点を入れている。

 誇るべき一点もなきわが裸        道草
            
 宗道も一点。とにかく笑い句少なき当句会にあって、この句は貴重である。道草、裸では一点もとれないが、頭脳は満点なのだ。それにしても、日本人の裸を隠すには着物が一番。着物なればどんな貧弱な体でもさまになる。その着物のデザインを応用した川久保玲の黒服を、当日道草が着ていたのもむべなるかな。
 裸といえばあざさんの裸の句は凄い。

 夕焼けは全裸となりし鉄路かな      蓉子
            
 こんなの誰が点入れるのだ、と思いきや、道草が地に挙げる。これも不思議な句。作者に聞いても、そんな感じがしたから、とよくわからない。小生、戦前の日本の素朴なフォービズムの絵を思い浮かべていた。蓉子さん、この日は黒とオレンジ(だったかな)の大胆な服装。きっと「火の国の女」といわれているのでしょうね。ご主人と死に別れ、年とったお父さんの面倒を見ておられます。夜店の句も彼女らしい。「天上も混み合っている夜店かな」。あざさんは天上が好きなのだ。『ミロの鳥』に「天上に火をつけにゆく蝸牛」あり。夜店は淡く哀しい。蝸牛は勇壮です。「火をつけにゆく」といえば、道草・多田さん雑誌「群像」に「放火論」を断続連載中。放火とは面白いですね。かなたにローマに火を放ちデカダンの詩句を口ずさんだという皇帝ネロあり、こなたに恋人に会いたさに江戸市中を灰にした八百屋お七あり。あざさんにはお七の力強さがある。
 夜店の句といえば今回またも不運に泣いた騒々子句の、

 石段の上にも連なる夜店の灯       騒々子
            
 を買ってもらいたい。この句、道草が人で一点。東京にはこんな光景ないものなあー。この句は道草は八坂神社の光景を思い浮かべたというが、小生は郷里の松江の郊外の竹内神社をイメージしたもの。この神社は石段多く高い所に本殿がある。そしてこの神社のお祭りは八月三十日、すなわち夏休み最後のお祭りなのです。だから帰りのバスの少年少女の表情には夏のはかなさが漂っているのです。その感覚は道草句の「夜店にて見かけしひとはふと魚影」にも出ています。「ふと」が効いていますよね。回り灯籠に映し出される人影は確かに魚のようでありましたがー。
 騒々子句は宗道が選んだ、

 初夏や連絡船の床洗う          騒々子
            
 がいいのになあー。この句は「馬酔木」系の俳句雑誌に投稿したら上位に取り上げられる自信があります。まあ、それほど平均的なのね。仕方なし。この句を選んでくれた宗道は蓉子選の天に入る。

 衣更して浦上の懺悔室          宗道
            
 プロはプロを選ぶと評判になったが、あざさん錯覚してません? 浦上にひっかかったのだ。この主人公は女性でしょうね。してみるとその内容も興味しんしん。宗道なら懺悔の内容もわかっている。没になった選外の「悦楽の鞭を夜店で買いにけり」だもの。宗道クリスチャンではなかったのか。白川宗道久し振りの復帰なり。ただまだまだ本来の調子が出ていない。「百鳥」に書いた「久保田万太郎論」などなんだ。文章になっていない。複刊された多田道太郎『文章術』(朝日文庫)を読んで勉強しなさい。
 調子が出ていないといえば、今回の句会案内文で「家計不如意うんぬん」と書かれて柳眉を逆立てたというみなとさん(当たり前です)、当然句会もふるわず。すべて選外となる。前前回の首位もたちまちビリとなる。これが当句会の宿命といえば宿命ですが、

 風呂あがり組めばすね毛の裸かな     みなと
            
 これわかるなあー。汚い、というひともいましたが。年頃の男の子のいる家庭というものはこのようなものです。これは女親の見た光景。これが娘のいる家庭だと「父親の裸嫌ひて部屋を閉ず  荒川育子」〔続微苦笑俳句コレクション〕ということになります。
 みなと句「10点アップかばんも軽き衣替え」も新鮮なのに点入らず。あんまりいいのが出なかった「ころもがえ」(なんとワープロでは書き方三種類も出るのだ、更衣・衣替え・衣更)は巷児句がおもしろい。

 衣更このポリぶくろ白羊舎        巷児
            
 赤帆が地、騒々子が人。白羊舎はキリスト教の会社として近江兄弟社と並び有名。東京人なら誰でも知っているクリーニング会社であるが、あざさんはご存じなかった。どうだい、この袋を見たかい、と意気がっているところがにくい。ちなみに白石かずこさんの当句会での俳号も白羊でありました。

 予定より早く選が終わり、四時にはみな茶室を出て庭園の散策を始める。ここでは酒の持ち込みは禁止されているのに、堂々とビールをぶら下げて入室し、つまみをかじって酒を飲む。管理人あきれはてて注意もせず。次から予約できなくなるかも知れない。小生、杉並区民として非常に困る。昨年の忘年句会の時などは、青蛙はお茶碗を灰皿にして煙草をすっていて、みなにおこられていました。
 庭に出て散策したのは席題のためです。選ばれたのは「梅雨晴れ」「帽子」「扇風機」というはなはだ安易なもの。一時間で作り選は二次会で行うことで、一同ちりぢりばらばらとなる。三十分もしないうちに、道草、巷児、庭に飽きて外に出て古本屋でも見るという。草花よりも古本ですかあー。残りのメンバーはぼんやりと池の鯉を見たり、あめんぼうを見たり。それがほとんど席題の俳句に使われていました。
 という次第て二次会の「松寿し」には予定時間より一時間も早く到着。この前も二次会は一時間早かった。句作の時間を惜しんで飲む時間を作っているのだ。ここは荻窪駅南口のすぐの所です。ここでも持参のビールを堂々と披露。これもまずいんだよねえ。小生、ここをよく使う身として非常に困る。当日の料理は以下の通り。会費七千円。
 お通し、カニ(甘酢)、お刺身(イカ、マグロ、ハマチ)、海老(半身鬼殻焼き黄身塗り)、茶碗蒸し、お寿司、酒と大量のビール。
 ズボン堂、みなと(入口で帰る)の分までとってあったので料理が余り、小生、海老と茶碗蒸しを二人前食べたけど、喋るのに夢中でお寿司を食べそこねてしまった。返す返すも残念である。酒と話は結構だったが、席題句はあまりいいものなし。全員の点を集めたという句はなかった。並べてみよう。

 この道のその先に住む夏帽子       宗道
 梅雨晴れに立ちあがりたり白衣      山羊
 梅雨晴れのまんなか通る中央線      巷児

            
 みな平凡。おもしろい句は、

 公園に巨樹の並み木や巨根また      道草
            
 でキョコン、キョコンとつぶやくといい。いい句といえば、

 夏帽子かぶりてたどる家路かな      貨物船
            
 でしょう。この句には「K女史明日退院とか」という前書きがあって、花緒・加藤温子さんへのお見舞いともとれますが、そうでなくとも、なんともいえないやるせなさがあってこころひかれる。小生、この句が今回の句会の筆頭と思う。

 なにしろ、食べながら話しながら句も見て、というのだから時間はあっという間に過ぎていきます。それでもまだ話そうというのだから、バケモノの集まりだ。九時に二次会が終わると巷児、山羊の二人は早めに帰る。残りはまだ早いと三次会にもう一軒。ここではさすがに食べる気はせずもっぱらチューハイです。ここであざさんと向かい合わせの克彦極めて饒舌になる。これおそらく初めての最高点の興奮ならん。それと美人がいたせいであろう。普段の無口と無愛想が嘘のよう。俳句の効用でしょうか。それでもほぼ十時間にわたった会とあって一同ようやく疲れがでる。十時半にはお開き、駅でお別れ。小生タクシーに乗って帰ってすぐ寝てしまいました。
 翌日、青蛙・清水昶に電話。「朝、あんまり早く起きてしまって、いろいろしているうちに訳がわからなくなってしまった」と訳がわからない話。後日、送ってきたフアックスの俳句(当日持参するはずだったもの)の最初の句、いいねえー。うっとりしちゃった。

 ひとり京の青春の夜店ゆく        青蛙
            
 字足らずまたよし。青春またよし。久し振りに「人生劇場」を読みたくなった。
1996・7・20記


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