| 第24回余白句会報告記 |
|
井川博年 1995・7・22(土) 宇治・多田邸 |
|
【宇治句会】 ゆくり行こ宇治の道草蝉しぐれ 蝉息 ◆◆ 句会まで ◆◆ 今回の宇治句会のそもそもは、前回の上野の句会の二次会の、鰻屋の二階の席から始まったのでした。席題の選も終わり、ところで次の句会は何処で開こうか、という巷児師のつぶやきに、うっかり小生「宇治あたりでもいいんではないでしょうか」と答えてしまったのです。隣に座った多田道太郎さんを意識しての発言。「来ていただけるならうれしいけど、夏は暑いですよ」と多田さん。この時5月の終わり、一同上着を着ての席だけにピンとこず。端に座った清水哲男のみこの言葉を聞いて「宇治は暑いぞー」という。「みんなは京都の夏を知らないのだ」。このことを、いやというほど知らされることになるのですが、それは後のことでー。一同結論を出しかねて、もごもごと鰻定食(大串丼というものあり)を食べている間に、多田さん手帳を取り出し、えー7月は22、23の頃しか空いていない、この日なら大丈夫です、という。それでは詳しくは後ほど相談をしまして、とその場はそれでお終いとなる。 翌日、朝早く辻征夫より電話あり。多田さん今日は一日暇なりせば、僕行けないから君つきあえ、と。ついでに句会の段取りも決めてこいとのこと。小生が会社休んで寝ているのを承知のうえなり。あわてて御茶の水のホテルに電話すると、日時は昨夜言ったとおり、メンバーは来れるひとだけでいいという。そりゃそうでしょう、行けないひとは行けないもの。しかしこんなにセッカチなのは始めて。とにかく小沢信男師匠には了承を得ねばと電話。こちらはいささかねぼけ声、忘れ物?と思われたよう。そりゃそうだ。昨夜の今日でもう次の予定だもん。その頃は予定ないねーという返事に、もうこれで決定したも同然。急に気も軽くなり、神田にでかけ、「藪蕎麦」で多田さんと待ち合わせ。ここがお休みなので「まつや」でお蕎麦と昼酒を御馳走になり、雨の神保町の古本街をぶらつき「ラドリオ」でビール、コーヒーを呑むという、まことに結構な一日を送りました。 今年の梅雨は本格派で、いやまあよく降りましたな。その中をこの日以後、五月雨のように宇治と東京で電話とで文書が行き交うこととなります。以下列記してお見せしましょう。
いやはや句会を開くということはかくも大変なことなのです。しかし楽しみもまた大きい。この間、小生は「OLD STATION」4号の編集をし、ワープロを打ち、印刷所に行き、校正をし、7月15日には出来たものを片っ端から郵送し、ほっと一息ついて、今度は俳句を作るという忙しさ。まあ最近は仕事も不景気で、会社で原稿を書いたりもできるのでこんな芸当も可能なのです。 ◆◆ 見よ東海の空明けて ◆◆ いよいよ出発の朝となりました。小生、前夜ビールとウィスキーを呑みすぎいささか宿酔。麦茶を飲み、東京駅でコーヒーを飲み、気持ち悪い腹を抱えて約束の新幹線17番ホーム先頭車両位置に行くと、なんと巷児師匠早くも来てお待ちである。案内に書いた9時30分より早い。いつもの夏の軽装にボルサリーノの夏帽子、京都のなんやらいう店のなんでも入る便利な旅行鞄持参。いかにもモノカキ、でもよく見ると正体不明のいでたち。 待つほどに貨物船、克彦現る。貨物船は巷児師と同じ(デザインは違う)帽子に、2,900円のベージュの夏上着にこれも大きな鞄持参。克彦は派手なブルーのシャツにズボン、腕に金の流行の磁気ブレスレットをしている。ちょっと目には商店会の小間物屋の主人とスナックの経営者といった二人。 次に白のフリル・ブラウスに夏セーター、黒のスラックスの軽装の紙子、デイ・パック背に登場。同時に麻の上着に白のジーンズという蝉息、ふうふういって階段を上がってくる。鞄の他にビデオ・カメラを担いできたのだ。こちらは文房具屋の社長か。最後はブルー・ジーンズに同系のスポーツ・シャツといういつものかっこうの赤帆、肩から革製の仕事鞄をさげている。弱ったジャーナリスト。騒々子また西友で買った中国製のベージュのシャツにコットン・スラックス。黒のリュックに3,000円のバード・ウオッチングの帽子。展示会でもらったビニール・バッグに、お土産の「OLD STATION」を入れています。こちらは風俗店の呼び込み屋の恰好。 10時21分「ひかり225号」東京発。次の新横浜駅で相模原グループが乗り込んでくる予定なので、その人数分だけ席を確保する。そんなこと必要ないほど車内はガラガラ。夏休み初日なのにこんなでいいのかしら。赤帆のみ禁煙車両を敬遠して後続車両に移る。ついでに車内で原稿を書こうというつもり。フッションの話で盛り上がるうちに新横浜着。みなと、ズボン堂、山羊ホームに待っているのが見える。みなと、洒落た黒に近い紺のカーディンに同色のスラックス。これも同色の夏帽子を被っています。ズボン堂いつもと変わらず。白のジーンズに派手なプリント・シャツ。これがいちばん似合うひとである。山羊先生は先生らしく、普段の紺ズボンに白のシャツに紙袋。確保した席についてこれで今回の句会のメンバーがそろいました。前述したように花緒・加藤温子は法事のため欠席。宗道・白川宗道は学業のため欠席。青蛙・清水昶は体調すぐれず欠席。同行10人の旅行となりました。 この日雨模様の曇空。台風が沖縄を北上中なので、京都の夜は大雨なりとの天気予報。もし雨ならば余白句会始まって以来である。われらの守り神小沢晴天明神有るかぎり晴天疑いなし。と、あら不思議や次第に空は明るくなってくるではありませんか。名古屋辺では時折陽が射す有り様。13時京都着。新幹線ホームからJR奈良線へ乗換。12分宇治行普通電車に乗る。小生、おそらく生まれて始めて乗る路線なり。今回のメンバーも初めてのはず。赤帆のみドアー入口に立って、沿線の風景を食い入るように眺める。京都での学生時代に利用して以来とのこと。今回の宇治旅行は実に赤帆・清水哲男のセンチメンタル・ジャーニーでもあるのだ。沿線風景昔日の面影なし。そりゃそうでしょう、電車だって昔と違うもの。しかし感傷にひたる間もなく13時30分六地蔵に到着。なんだかいやに新しい駅の改札に行くと、出口に道草がお待ちでした。麻のインドの服のようななんとも形容のつかない上下に、十代の子が被っているような応援帽子。 ◆◆ 宇治にも狐が出ること ◆◆ まずはホテルに行きましょう、とのことでガードをくぐってすぐの「京都醍醐ホテル」に行く。これが洛南随一というだけあって、まあかなりの驚きものです。多田地図にあるゴーカ・ホテル。ここも団体客がいなくてわれわれだけが目立つ。 チェック・インをすませ身の回り品を持って、昼食を食べに市内(?)を歩いてうどん屋「さぬき」に行く。途中で参加賞のお茶を買う。道草は魚屋で鮎を塩焼きに焼いてもらう。ここで2時半頃。うどん屋では克彦を除いてみな細いもりうどんを食べる。もちろんビールも。一同、新幹線の中でもこの昼食を食べることを期待してなにも食べなかったのだ。赤帆、蕎麦アレルギーにてもちろんうどんを食べれど、口中かすかに異変を感じたという。おそらくこの店、うどん蕎麦を同じ釜でゆでたに相違ないと。名人の舌かくのごとし。一同満腹し外にでる。 …………この後珍事発生。 道草を先頭にして、一行のろのろと蒸し暑い商店街の坂道を上り、茶畑の陰で一服するため赤帆、煙草を買いに行き帰ってきてお互いに顔を見回すと、どうしたことかひとり足りないのである。貨物船は何処?茶畑に迷いこんで座礁したか、商店街で沈没したか、とにかく何処にも見当たらない。だいたいうどん屋から出たのを誰も見ていないのだ。貨物船は狐に化かされ神隠しにあったと推察される。こんな所で迷子になるなんて、よほどのうつけものといわねばなるまい。何かの目印になるものを持っていればよし、持っていなければホテルに帰って(それも場所がわかれば)、ひとりで新幹線で帰るであろう、と一同話をまとめ、更に坂をのぼり道草のお宅にたどりつく。このあたり御蔵山というだけあってかなりの坂です。 挨拶も抜きに詩人の塊り門内に入ると、奥から「迷子発見」の声。車で迎えに行ってきます、と奥さん。奥の部屋から小さな犬まで飛び出してきて、エンジンブーブーちょこんと助手席に飛び乗って、さあ紙子さんを捜索員にして、これから貨物船の救援に向かいます、と坂道を下りて行きました。 東京組、女主人のいなくなった邸内に勝手に入り、前もって知らされていた所定の場所に座る。待つほどに貨物船、笑いの渦に巻き込まれながら入室。奥さん(智恵子夫人)と多田邸の助手役をつとめる村瀬敬子さんが改めて紹介される。もちろん飛び込んできた犬エルも。ここに一同めでたく宇治の多田邸に勢ぞろいし、余白句会始めての関西句会が始りました。時刻は5時過ぎでしたでしょうか。それでもまずは、余白句会方式の各自ワープロ印刷の短冊を選句用紙に貼り付け、それをコピー(なんと自宅に大型があるのだ)している間に、このお家の内外を見せていただこうと、有志一同かねて雑誌『サライ』に載っていた多田邸の有名な若者の間、中年の間、老人の間を覗く。いちばん見たかった貧乏の間は本だらけで入れず。このお家は建築家の川添登氏の設計になるもので、傾斜地にコンクリート二階建て、自然庭をうまく配置した繊細でいて豪快な味わいのある住宅です。 凄いのは後で見せてもらうことになる庭を巡っている板塀で、なんとこれが引き戸の本 棚になっているという代物。普通の家一軒分の費用が掛かった、というけど本当でしょう。小生、田舎のバカ屋敷で育ったから大抵の家には驚かないが、これには驚いた。二階のベランダに出ると庭の松の木よりホーホケキョの声。いまどき鶯がいるのも始めて知った。このがっちりできている家でも、先の神戸大震災の時はかなりゆれ、本も倒れた由。 ◆◆ 句会開始 ◆◆ コピーもできたので、一同中年の間のテーブルに就き選句開始。今回の兼題は炎天、ところてんのテンテンシリーズと蚊、そして無季の鬼でした。これに主人以外の客が挨拶句を作るという趣向。この挨拶句が大失敗のもと。それはあとにして、まずは天の句から、 蚊を打って一ノ谷まで読みすすむ 宗道 紙子、蝉息が天に道草が地に、貨物船、克彦が人に推し、宗道、句会参加して始めて天をとる。この句、作者がわかる前はまあまあの句だといわれていたが、作者が判明したとたんに点入れなきゃよかった、の声しきり。これ作者の人徳のせい。そういうことでなく、騒々子この句には反対。だいいち 句材が古い。大正時代の俳句みたいだ。一龍斎貞鳳(俳人です)の句としてなら分かるけど、若い人の作るものじゃない。 芥子混ぜわが心太となりにけり 克彦 巷児が天、赤帆が地、山羊が人に選ぶ。これそんなにいいかなあー。わからない。溶いたカラシを混ぜて箸をぐちゃぐちゃさせ、えっこいつあーおいらのところてんだい、なんて馬鹿馬鹿しくって。それがいいのよ、と巷児師。わたしにゃあわかんない。心太に関西では黒砂糖を入れるという話に、関東勢えっと驚く。それより山羊、カラシをアクタと読んでいたとの言に、山羊句から減点しろ、との声が飛ぶ。山羊、以後なにを食べても、アクタを入れましょうか、といわれる。 黒板の鬼半泣きで夏休み 赤帆 道草、貨物船、騒々子が地で、芥子句と同点。「黒板の鬼」とはなに?夏休みの前に子供が描いた黒板の鬼が、消されずに残ってベソかいているという、可愛らしい情景なのである(作者の意図)。もっとも、本物の鬼が黒板の前で算数ができなくて、半泣きしていても面白い。鬼の眼にも涙である。この「鬼」というテーマはまたしても巷児師出題の時局問題のお題なのである。これもちろんオウムの事件にちなむ。余白句会諸士さすがにダイレクトに扱ったものなし。騒々子「蚊一匹鬼の栖に突入す」は駄目が。 炎天の干物生き死に分けて反る 山羊 蝉息が地、道草、騒々子、赤帆が人に入れ4位の人の句。眼につけどころは面白い。確かに炎天下に干されている魚、特にイカはよく反っていますが、あれが生き死にとは変。だってみんな死体だろ。まあそう見えるということで、その大袈裟なところがいいのである。反るのは日射による温度差によって熱を受けた方が膨張するからで、早い話バイメタルの原理。小生、昭和30年代の終わり頃、東北の八戸に冷蔵工場の現場監督で行った時、町中にイカが干されていたのに、仰天したことを覚えている。人口30万クラスの都市の真ん中でですよ。−ここまでが天、地、人の句。つぎは佳作句です。 炎天や電柱がみな曲がってら 貨物船 戦前の日本の超現実派や野獣派の描いた油絵にありそうな光景。「曲がってら」という表現が生きている。そこに巷児が地の点。「曲がってる」だと駄目ですね。今回炎天派は損しました。だってこの句会当日まで雨が多かったですからね、炎天なんて想像するのも無理というもの。 布団叩きこだまして団地炎天下 紙子 これまた山羊、地の点入れれど、どうも実景とそぐわない、という声が多かった。暑い暑いを狙っただけじゃないのか。だいいち布団叩きは午前中が多いんじゃないの。それに団地はこだまするけど布団叩きじゃ響かない、という説も。それでもこれは女性の視点。 炎天に別れて帰る影もあり みなと もちろん影は男でしょう。−実体がないから。女は日傘を手に立って見ているのだ。その男女関係をじっと観察しているもうひとりの女。思わせぶりの句である。わかったようでよくわからない句。詩的すぎるからかなあー。次の句はおかしい。 炎天やコマンタレ・ブー?と女人いい 克彦 中句のフランス語をカタカナに直しました。これでも充分おかしさが伝わる。これが普段は韓国にはうるさいけど、およそフランス語など聞いたこともない克彦作だからなおおかしい。しかしこの句は面白い。このフランス語は巷では漫才師が、アホタレのような感じで使用していて、そこが隠し味になっている。しかもフランス語の辞書の編纂者でもある道草への変な挨拶句になっている。ちなみに今の日本で、フランス語のセリフとしていちばん知られているのは、この「コマン…」とアラン・ドロンの古いダーバンのCM「ダーバン…」ではなかろうか。あれなんといっているのか、騒々子やっと「それは現代のエレガンス」といっていることに気付いたのは相当後のこと。ちなみにドロン、何回目かの来日の折、日仏会館だかの講演で、ボードレールの「露台」を朗読し観客を魅了したという。−炎天はこのへんで次はところてんです。 ところてん知らぬ女の膝がある 蝉息 この句、侃々諤々。みんなこういう話になると乗るのね。まず一般的なのは甘味喫茶(東京には少ない。ここ京都周辺にはいやになるほどある)の狭い椅子の隣の女が気になっている男の心理というもの。この場合はひとり客でしょう。でもそんな所でところてんを食べてる男なんて嫌な奴だねえー。この男、女性恐怖症で見知らぬ女が怖いのではないのか。この句に並んで赤帆の「かなわんわ女大尻ところてん」を置くと、その場の情景がわかってくるではないか。次のところてんはいかが? 女弟子口紅匂う心太 道草 ズボン堂が天に選ぶ。どうもズボン堂は道草と相性がいい。この句ズボン堂は女弟子というところにひっかかって点を入れたに違いない。口紅のついた食べ物はどうもいただけませんが、例外は舞子さんの食べるあんみつなど。テレビでしか見たことありしまへんが。いかにも紅という感じですな。もっとも最近の口紅は匂わないものが多いはず。道草この辺は研究不足なり。ところで今回の選句の特徴は各人が天にいれた句がバラついて、これが高点句が少なかった原因でもありました。克彦が天にしたところてんは、 心太ところでつつがなきやきみ 巷児 ところてん「ところで」というだけでできたように思えるけど、どうでしょう。「つつがない」なんて言葉はやはり年配のひとしか使わないでしょう。「つつがむしがいない」から「つつがない」って本当ですか。ここはさっきと違って男女関係ありとは見えず。まてよ、男が別れた女に語りかけているのか−。次も一人一句の天の句。 口もとでふるえています心太 山羊 騒々子、天に選べど、あとで考えるとこれはゼリーの描写であって、ところてんではない、だいたいあれはすすって食べるもの。ゼリーといえば川崎展宏の句に「ふるふるとゆれるゼリーにいれる匙」と言うのがあって、この句が頭にあったのだ。もちろん川崎句のほうがすぐれています。これで思い出したところてんの川柳の傑作は、「生きもののようにとらえるところてん」。 失業はひさしぶりだ心太を食う ズボン堂 ズボン堂は、この3月長年働いていた広告会社を辞めフリーとなる。従ってこの句は彼の心情を伝えて余りあル。そのわりに気楽そうに見えるのは字余りの口語体だから、これで「失業は久しぶりかなところてん」などとやると最低。許せない。ズボン堂句は「心太」が「こころふとい−だいじょうぶ」と読めませんか。失業を余裕をもって生きてゆこう、という心意気の句なのである。そこを悟って点を入れたのは道草のみ。ズボン堂句に点を入れなかったのは何故か、この句をみりゃすぐ作者がわかるっていうもの。 もっとも克彦もこの6月、10年勤めた店を退職。こちらも失業者です。ただし克彦には保険あれど、ズボン堂にはなし。われら無力な詩人にとって失業より怖いものはない。民話の「アマモリ」より怖いです。「その内どこかに勤めることになろう。が、マンションの管理人くらいしかない。なにしろ60歳近い!」(克彦の手紙から)。−これで心太は終わり、次は蚊です。 蚊柱や物置小屋に首くくり 巷児 赤帆が天にする。狭苦しく暑苦しい中にとんでもないものがぶらさがっている。これ巷児師の得意の怪談ものと思えば、さにあらず。次に続けます。みなとが天に入れた「送り火や先夫の里は鬼涙村」。席題の選外「首くくりそこねてうれしさるすべり」。 騒々子この「鬼涙村」を見て、たちまち牧野信一と見破りましたが、実は巷児・小沢信男、雑誌『東京人』に「道−名作を歩く」を連載し、9月号が牧野信一の巻であったのだ。ということは、今回の句を作っている時が牧野信一と付き合っていた時である。平凡社の『日本文学事典』によれば、牧野信一は「……飲酒などによって生活をこわし、神経をいため、しだいに暗い身辺的な作風に転じ、ついに小田原の自宅の納屋で縊死した。」とある。死んだのは昭和11年3月(1936年)。享年39歳。 蚊の声や一日中の読書かな みなと 「や」「かな」と切字が二つあれど、これはいい句と貨物船が天に選ぶ。耳もとで蚊の音がすれど、追いかけて叩き殺すまではせず、ただひたすらに暗い部屋で読書している。そんなに閉じ籠もって読む本といったらなんだろう。小生、少年時代便所の臭いのする部屋で夢中になって読んだのは吉川英治の『宮本武蔵』でした。蚊の声といえは次の赤帆句はどう?「蚊の涙「蚊ノ泣クヨウナ声デ頼ム」」カタカナが洒落ている。この句は前書の「井川博年に」というのが無ければもっといいのに。次は蚊にあらずして蚊帳の句。 片吊りに蚊帳片付けて人と会う 騒々子 昭和30年代まではまだ蚊帳がありました。この句の眼目は「片吊り」にあり。蚊帳は周知のように部屋の欄間等に専用の金具を引っ掛けそれに吊るすもの。それを片づける時、面倒くさがって半分吊ったままにしておく状態が片吊りです。この句の主人は客がきたというので、とりあえず蚊帳を片付け、布団を捲くって片付け、浴衣の帯を締め直して客の相手をしているのです。下宿よりはやはり田舎の古い家の青年が友人と会っている所と思いたい。作者がいっているのだから間違いありません。この句では「人」は「ひと」であってはいけず、「会う」は「会ふ」ではいけないのです。青年の雰囲気を出したかったからです。カタ・カヤ・カタと音を連ねた所にも注意。この句道草が天に推す。 今回は兼題さえない。これは思うに挨拶句のせいである。挨拶句があるとつい気になって、とりあえず一点ということになる。このためバラケテしまう。これからは挨拶句は抜きにしなければなるまい。しかしそこはそれ、面白いものもありました。冒頭の蝉息の句「ゆくり行こ宇治の道草蝉しぐれ」などその代表です。 梅雨明けて宇治金時の緑かな 紙子 梅雨明くる宇治も嵯峨野も京言葉 騒々子 夏風や坂駆け上がる宇治の人 ズボン堂 炎天の宇治に立つ影茶柱めき 赤帆 お昼寝や蚊が出迎える宇治の宿 貨物船 赤帆の句「宇治に立つ影」は「富士に立つ影」の苦しい洒落。ズボン堂など多田邸に来たことはないはずなのに、見事に坂道を予見しているし、貨物船の句また多田邸の蚊の多さを予知したものなのだ。入口に蚊遣線香が置いてありました。これらはいいのだが、宗道の三句はなんだろう。 宇治の幸一ト夜冷やして句会かな 宗道 これなんじゃ。アタマ冷やして句会に出てこい、という意味ならんか。次の「宇治人のこころねやさし心太」なんかミエミエ中尾ミエではないか。最後はもっとあきれる。「炎日の声に艶あり多田先生」。こんなの作っちゃいけないんだよ。 ここで兼題の選は終わり、一同ほっとして料理と酒にとりかかる。多田邸当夜のメニューは別頁のとおり(但しお刺身はなく代わりに鱧の洗いがあった)。 ワインは絶品でしたね。後日、青蛙にメニューを知らせるや「行きたかった…」と一言。酒はほどよく廻り話は弾み、こうなると俳句はどうでもよいのでありますが、そこは神聖な俳諧の席。時間を見て各自所定の席に就き、席題を競うこととなりました。題目はその場に出た美味しい加茂茄子に因んで茄子、庭の百日紅を見てさるすべり、明日は暑いぞというので大暑、出たばかりの辻征夫の新著『摩天楼物語』に因んで摩天楼、というきわめて場当たり的な題材。これを30分ほどで料理しようというもの。しかもこの席題の選句中は、テレビの予報通り台風の影響か、強い風とバラバラ降る雨が余興を添えてくれました。してそのなげやりとヤケクソの作句の結果は、 倒産の扉の錆の大暑かな 巷児 またしても巷児句が天。二枚腰といおうか、とにかくこういう時には強い。この句もタイムリーな時事句ですね。倒産の二字を見てぎょっとしたひともいたはず。これは江東区あたりの工場の倒産でしょうな。それもだいぶ日時が経っている。社長は首をくくりそこねて入院中。詩人の社員がいたので倒産に到ったにちがいない。または次の句にある泥棒にやられたか。 百日紅盗人が行く坂の家 貨物船 この会はとにかく変なものが好きなのだ。これは百日紅のある家を狙っているのでしょうね。百日紅のある家として目印になっているのだ。 百日紅その辺にいる子に育つ 赤帆 これは親の切ない願望でしょう。どこに天才詩人の子を望む親がいようか。子供はみんなフツーの子として育ってもらいたい。親ははらはらして見守っているのである。百日紅はどこか子供と通じあう木。幼稚園なんかに多いからかしら。 茄子胡瓜哀しきこともいろいろに 山羊 いろいろあらーな。茄子と胡瓜は色と形態と味すべてが対象的なのに、何故か相性がいい。漬物にいいのはそのためでしょう。騒々子漬物を嫌うこと蛇以上。ただし漬物以外の茄子や胡瓜の料理は大好きです。こちらがお互いに畑の中で愚痴をこぼしている所なら、 さわぐ風なすびとなすび知らんぷり 蝉息 こっちはまったく知らんけんねー。これがおかしい。なすびのあの形はそんな感じ。次の蝉息句はもっとおかしい。「さるすべりヤクザ風情がからみあふ」。兄弟舎弟がさるすべりの下で遊んでいる。ホモのヤクザかね。一方せっかくの摩天楼の句はいいとこなし、次の句だけである。 寂然と寝こびて見る摩天楼 道草 寂しい句ですね。だいたい道草の句は寂しいのだ。別に「寂」という字が入っているからではありません。この句、物干し台のあるアパートの二階の部屋で、着物姿の中年男が肘枕をして窓の向こうの摩天楼(蜃気楼みたい)をぼんやり眺めているところなのです。 このあと男は大家のおかみさんの「お客さんですよ」という声に飛び起きて、「女来と帯纒き出づる百日紅 波郷」となるのである。 席題の選句の終わる頃はみなかなり御機嫌状態。句稿の整理そこそこに中年の間から若者の間へと移動。ここで蝉息が撮影した昨年夏の群馬への句会旅行のビデオを見る。ここでは青蛙が主役であることを確認。一挙手一投足が受けていました。その昨年の主役の様子を知ろうと電話すれば、家で静かにテレビを見ているところ、という答え。 音楽を聞き、また中年の間で食事。冷麦おいしい。鱧の洗いが特に美味いと、日頃飲む時は食べない赤帆珍しく食べる。紙子葉巻を吸いポーズを取る。騒々子がつがつ食べる。ここで11時になる。みな酩酊の様子に道草あきれはてしか、そろそろ終わりにしましょうとお茶となり、挨拶をすますと往きと反対の坂道を下る。よろよろの集団、すでに雨の上がった道を歩いてホテルに辿り着く。部屋に入るや更に酒盛りが始まり、寝たのは2時。 ![]() ◆◆ 宇治川の水満々として… ◆◆ 明くれば7月23日。日曜日です。明け方地震あり。気付いた者少なし。新聞記事によれば、高槻を震源として震度3。みな余震慣れしているのかなあー。 朝食をとり、支度してロビーで待っていると、9時30分ぴったりに道草、奥さん運転の車で現る。この日は麻の服の上下に麻の帽子。決まっています。 ここで一同外に出て、始めて本性を現した京都の夏に対面。そのギンギラの太陽の下を本日帰京組の赤帆、ズボン堂、蝉息、紙子、いずれも重い鞄を肩にヨロヨロと歩く。市内を少し行った所で昔風の板塀のある古い家に入り休憩。これがお茶漬けの素で有名な宇治の「永谷園本舗」でありました。勝手に家中に入り、お茶を煎じているところを見学。京都の家は中に入ると涼しい。みな、ぼーとしてお茶の匂いをかいでいる。 ここから市内を歩き川を渡り京阪六地蔵駅に出る。宇治に行くにはこれが近道とか。冷房の効いた車内でやれやれと涼む間もなく京阪宇治駅に到着。これまたいやに新しい駅を出ると、すぐ前が、新日本観光名所河川の部第一等に選ばれたという宇治川で、この日は特に見事な眺めでありました。橋のたもとに有名な「通円茶屋」。ここはかの『宮本武蔵』で武蔵とお通が行き違いになった所だ。 観光バスに轢かれそうになりながら、平成の横並び詩人達一列になって宇治橋を渡る。そこから平等院に行くに非ず。赤帆の大学時代の下宿を探しに行こうというもの。今回の旅のハイライト。その肝心の赤帆、まったく頼り無し。バス通りに立って、ここでもない、あの家は昔は無かったとオロオロ。結局ここら辺らしい、と適当な家を選び写真にとる。さき頃、前橋文学館前の広瀬川沿いに建てられた詩碑の代わりに、ここらに清水哲男下宿跡の記念碑を建てるべきである。そこから平等院はすぐ。一行やけに多い甘いもの屋の前を通り平等院へ入る。 小生、35年位前、大阪の造船所の工員時代に社内旅行で来たことあり。もっと大きいように思っていたが、意外に小さく感じいい。樹が多く川が近いため外よりは幾らか涼しい。鳳凰堂内でガイドの説明を聞き、庭を歩き一周して外に出、川に至る。ここで11時。 昼には早けれど軽いものをというので、川沿いの料理屋の中で眼についた「鮎宗」という店の名物を注文。川床の店で宇治川の清流を眺めながら鰻のおにぎりを食べる。これ最高ですね。景色はいいし、ビールはあるし、騒々子の好きな鰻はあるし、俳句は作らなくていいし。この日はダムからの放流で中の島も水没寸前、島にいる鵜飼用の鵜も籠の中で不安そうでした。 ここらは赤帆、学生時代には親友の今は亡き佃学氏と毎日のようにやってきて、「退屈だなあ、何もないなあー」と嘆きあっていた所という。赤帆、遊びに行く所もないので、休みの日も学校に行っていたという。 食べたらお茶です。店を出てすぐ先の「宇治川観光センター」でお茶のタダ飲み。ここには投句箱が置いてあり観光客歓迎です。貨物船、蝉息、山羊、ズボン堂、早速投句。貨物船自宅の住所も書いている。なにか名物送ってくるかな。 宇治はもう良いでしょう、との道草の言葉に、今度は一行お茶の店ばかりの通りを行き、再び京阪電車に乗り10分程で中書島へ。 ここは谷崎潤一郎他の関西が舞台の小説によく出てくる場所だそう。昔の遊女屋やついこの前の売春禁止法前の色街の雰囲気が濃厚に残っている一画。小生、今度はひとりで夜ゆっくり探索したい。迷いながらお寺の脇を通りしばらく行くと細い川があり、時代劇に出そうな家。これがかの坂本龍馬の「寺田屋」。ここは観光名所なれば説明は省く。 ここからまたまた大汗をかきながら、やたらに酒蔵の多い通りを歩き(この一帯が伏見なのだ)、「月桂冠」の「大倉記念館」なる所に行く。ここは涼しい。入場料を払い、見物そこそこ酒の試飲。本当はビール工場の方が良かった。みなは、梅ワインというのがいけるいっていましたが。ここまでで、青蛙は来なくてよかった、というのが全員の感想。第一そんなに歩けるわけがない。それにここにいたら試飲コーナーの前に座って帰らなくなってしまう。 次が大変でした。炎天の道を日陰を選んで歩く。昨夜の兼題がうらめしい。暑い、暑いと這うように町中を歩き酒粕ラーメン屋に入る。これ本日のメーン・ディッシュなり。ここは道草が選んだ日本に一つしかないラーメン屋さん。目の前の造り酒屋から仕入れた酒粕をラーメンのスープに使っているという。これがトンコツのようなコクのある、濃厚でいて胃にもたれず、酒の匂いをしないという不思議なスープ。おいしかったです。 ここでも赤帆ひとり、ビールと麺ぬきワカメ・ラーメンを頼む。「ぬき」という蕎麦の食べ方は、天麩羅蕎麦の蕎麦の方を取り去り、汁にひたした天麩羅をつまみに酒を呑むというもの。ラーメンの「ぬき」なんて初めて聞きました。ただならぬひとなり。 これでもうすべては終わったも同然。2時はすでに過ぎたでしょうか。もう歩く気もせず、店にずっといたい気分。されどラーメン屋に長居はできず、帰京組は夕方には新幹線に乗らねばと、と気をとり直し駅へと歩く。アーケードの商店街に入ると氷の看板。一行吸い寄せられるように入ると、これがファースト・フードのお子様家族連れの店。どこでもいい、とてんでに席をとり氷物をとる。日頃ビールや酒類しか呑まない面々、いまは宇治小倉金時などを食べています。蝉息、途中で食べられなくなり、氷をぐちゃぐちゃにして記念にビデオに撮る。 話す気力もないままに時は流れる。やっと紙子、時間に気付き、居合わせた客に大阪行きのコースを尋ね、あわててみなに別れを告げる。ここで残りの帰京組も帰る決意をし、店を出て「銀座発祥の地」という立て札のある所で別れる。京阪伏見桃山駅の前でした。 句会の後のテンデンバラバラはいつものごとし。誰ひとり別れを悲しむものもなく、「じゃあ、気を付けて」でお終い。ここで4時。もう陽は傾きかけていました。 残留組の道草、巷児、貨物船、克彦、山羊、みなと、騒々子の7人。また最初の六地蔵駅に帰る。これで終わりかなと思いきや、今度はバスに乗り醍醐三宝院を目指す。夕食の中華料理店に行くためなり。 バスは昨夜の事件の跡、貨物船ゆかりのうどん屋の前を通り、山科の方へ向かう。あたりは早くも夕暮れの気配。このあたりすぐ山がせまり、東京とはえらい違いなり。終点までは行かず随心院の前で下車。店へ行くまえにと、お寺見物。時間が遅く寺内には入れず、小野小町の住居跡という竹林に入る。化粧の井戸というのがあり、のぞくと下に汚い水が底にある。あの水で顔を洗うと美人になるそうよ、というとみなと、意を決して中に入り水を汲む。紙子へのお土産にするか、美人水として売ればいい、とひやかす。ここから中華料理店まではすぐ目と鼻の先でした。 予約してあったわれら専用の部屋に入り、水餃子やカニタマを食べビールを呑む。この店はわれわれが行く「味王」クラスのごくごくフツーの中華料理屋。道草は様々なクラスの店を知っているものよ、と感心する。 ここではもっぱら富士正晴の話。道草、巷児、二人旧知の作家なればなり。茨木市の図書館に記念コーナーができる由。料理美味く、ビールも良いが、なにしろ2時にラーメンを食べたばかり。ちっとも腹が減らない、それにもう呑めません。それでも時間は経ち、気が付くと8時。バスで帰りましょうと外に出るとあたり真っ暗。坂道に立って待つこと10分。明かりが点き、冷房の効いたバスに乗って六地蔵へ。 疲れた巷児とみなとをホテルに送り、残り5人はホテル前の寿司屋で乾杯。長かった二日間の労を労いました。 これで句会は終わりです。 ◆◆ 宴の後のさびしさは ◆◆ 「この世を軽く流れ行かせよ……のめりこんではならぬ」と、モンテーニュはいいました。 小生かねてから、芭蕉の「奥の細道」について、冒頭ばかりがあまりにも有名で、結尾がさほど知られてないのを、まことに残念に思っておりました。奥の細道は、悲壮感溢れるる重厚な冒頭のシーンに対して、結尾は北陸から帰った師を、近くのあちこちから弟子たちが迎えに来て、師を労るという躍るようなはずむような心温まるシーンが描かれています。芭蕉は何故奥の細道をそのようにして終わらせたか。連句の法則だけではありますまい。これは芭蕉の人生哲学、つまり終わりはすべてサラッといかなくてはいけない、という深い考察に基づいたものなのです。それでなければ、どうして肝心の挙句を「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」などという具にもつかぬ句で締め括っているのか。「別れも愉し」なのです。この芭蕉先生の伝に習い、この報告記もこのへんで終わるのがよいでしょう。 翌日、7人は今度は京都に出て、京都から神戸へ行き、地震のあと生々しい長田区から山の手の岡本を見て、ライトの弟子の遠藤新が設計した帝国ホテルそっくりの旧甲子園ホテル、すなわち武庫川女子大学の生活美学研究所での小沢さんの講演を聞いて、最後は大学内での立食パーティと続き、学生手作りのおいしいおつまみとビール、楽しい会話、関係者の最高のもてなしという一日を送ったのですが、これはいわば句会のオプション。新大阪から新幹線で帰ってくれば、この旅はいってしまば「貧乏詩人の贅沢な二泊三日の関西旅行」なのでした。 |
1995・7記 |