| 第17回余白句会報告記 |
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井川博年 1994・3・12(土)東京・文京区『関口・芭蕉庵』 |
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【安西均追悼句会】 江戸川や詩人目刺しにやさしけり 山羊 春まだ浅けれど風冷たからず。桜はまだ咲かずとも、梅は満開。江戸川沿いの公園にはこぶしの花が見事でした。さて今回の余白句会は、今年(1994年)2月8日に亡くなられた安西均さんの追悼句会として、今回から本格的に参入した白川宗道の尽力により、場所も最高の「関口・芭蕉庵」で行うことができました。安西さんを当句会にゲストとして来ていただき一緒に楽しんだのは、昨年(1993年)の3月20日のことでした。一度だけの句会でしたが、私達には忘れられない思い出となりました。「恋猫が塀踏みはずす見たりけり」はその時の安西さんの句です。 安西さん死んじゃった。 今回の「芭蕉庵」は、何回か来て知っている小沢さんと白川以外はだれも初めてで、きっと迷うのではないかと思ったら、案の定、定刻に着いたのは四人だけで、タクシーで違う場所に連れて行かれたというものも含めて、川沿いに来るもの、坂上から来るもの、はてはひとの庭から入りこんでくるものとさまざまで、最後にこれもここは初めてというゲストの清水哲男さんが現れてやっと揃ったのでした。ここで挨拶が終わると早速持ち寄ったワープロ短冊を選句用紙に貼り付けてコピーの準備。みなとと紙子と山羊が、近くのコンビニを探しに(コピーするため)行っている間に、残りの一同は「芭蕉庵」の管理人の案内で広い庭を散策する。ここは芭蕉が33、4歳頃、4年間神田上水の工事に臨時の現場監督として携わっていたとされる所で、広重の「江戸名所百景」にも「芭蕉庵」として入っているが、もとより芭蕉はここに住んでいたのではない。当時はまだ無名に近い俳諧師で、日本橋の長屋から通っていたらしい。その後深川の杉風の生簀小屋に入るのが、第一次の庵で「泊船堂」です。これなんとなく貨物船のイメージに似ていません? それはさておき、ここのは小さなお堂で、それ以上に凄いのが庭の上部を占める広大な家敷。明治時代の大官・田中某の家敷だそうで大変なものです。芭蕉庵もこの屋敷もいまは講談社の持ち物とか。このあたり坂上の「椿山荘」(山県有朋の屋敷跡)といい、もっと上の目白の田中角栄邸といい、権力者の夢の跡といえる。椿が咲いている和洋折衷の庭に立っていると、小生ついこの前見た映画『夢の女』(荷風原作・玉三郎監督、モノクロ作品)の吉永小百合を思いだしました 管理人の長い説明に半ばうんざりして、一同やっと案内が終わって席に戻ると、コピーはとっくに準備されていて、女性陣の柳眉も逆立っていました。そこでお茶とお菓子を食べながら選句。兼題は春の夜、蝶、目刺しでした。以下例により騒々子評。 目薬のあふれてぬるき夜半の春 巷児 本人を除く参加者11人中8人から点を集める。今回もトップはやっぱり巷児句でありました。うまい句ですよ。「あふれてぬるき」は絶妙。春の夜のもったりとした雰囲気に付けた句が多かった中で、目薬を入れたのが作者の手腕。ここはやはり長年の修行の違いである。もっとも作者最近目を悪くしたというので、この句の作者は他に考えられないのであったが。 春宵や少女乳房を持ち帰る 赤帆 赤帆は今回参加の清水哲男さんの俳号。ジャズのスタンダート・ナンバーに「夕陽に赤い帆」あり。この4月に出る予定の最新詩集の題名もこれ。清水さんは3年前に思潮社より句集『匙洗う人』を出している。俳人でもあるのです。この句も人気高く、6人から点を集め地となる。斬新な感覚。俳句にあるまじきセンスです。小生この句を見て富永一朗のマンガ「チンコロ姐ちゃん」を思い浮かべました。これしかし「持ち帰る」というところに、何もなかったのがクヤシイ、というような気分が入っているように思えるけど。卓抜な表現だ。このあとの句も春の夜、しかも乳房の句。いったいどうなってるんだ。 春の夜の乳房双つの重さもつ 蝉息 今回より宝島と俳号を持った克彦が天に入れ、人の句となる。これも自分で自分のユサユサを確かめているんですかねえ。こういう具合に、当たり前のことを、別の角度から新鮮にとらえるのが俳句表現のうまいところで、詩ではこうはうまく行かない。蝉息は俳句のカンを完全に取り戻している。今後がこわい。もう一句も春の句。 春の夜のミルクの渦や匙の先 山羊 気配りの山羊句。これは清水句集への挨拶句。これはいい句。騒々子点を入れず失敗。匙の先から生まれる銀河創造の秘密。「ミルクの渦」はうまいが「や」が気になる。「の」にしたほうが「の」続きでいいかもしれない。小生思うに「や」「かな」のような昔の感嘆の切れ字や、仮名遣い等の文語表現にたいする認識が曖昧なのではないだろうか。ここのところをきちんと解決しておかないと、新しい俳句は生まれないと思う。これがいまの小生の課題となっています。それはさておき、続けて春の夜の句。 父の書斎漢方かすかに春の宵 ズボン堂 赤帆が天を入れ佳作の5点。みなチチには弱いのだ。この父は病気勝ちなのであろう。薬は精力剤でないことは確か。この書斎はやはり洋間がいいですね。壁には洋書が並んでいる。あるいはもう亡くなった父であろうか。とにかく裕福な家には違いない。ズボン堂これのみではなく安西さんの追悼句「往くひとの微笑のこれり春の夜」も佳作に入る。今回赤帆、巷児と並んで堂々の三位。どうしたズボン堂?「俳句開眼」したのでしょうか。 芥菜をざぶりと洗う春の宵 みなと はいい。これは台所に立ったひとでないと作れない。ざぶりがきいている。こういう音を入れるのはむつかしいが成功している。これしかし芥菜を読めなくて、ゴミ菜とかアクタ菜というものもいた。芥菜は春の季語で季重なりとなる。だから点が入らなかったのかもしれない。「からし菜の湯を通したる緑かな 中村青一路」みなと今回佳作多し。前回から次第に好調となっている。新詩集『ウラン体操』(ふらんす堂)が出たばかり。 花びらを揺らさぬ蝶の重みかな 紙子 9点で人の句。これも蝉息のところでいったような俳句的発見の句。蝶の軽さをいうに重みの文字を入れたところがミソ。紙子このところ句作抜群にうまくなっている。その一方同じ蝶でも「税務署もプランター置きて蝶ひとつ」のようなヘボな句があるのは何故? 今回兼題の最大の眼目は蝶〔騒々子出題〕なのでした。蝶こそ現代詩人の得意の題材、しかも蝶は古来死者の霊魂の象徴とされ、まさしく追悼にふさわしい題なのでした。ところが予想に反してあまりいい句はなかった。おかしかったのは安西さん追悼に別の安西さんの安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った。」という有名な詩「春」に因んだものが多かったことである。これは一種の連想が働いたせいであろうか。 ≪蝶来たれり!≫韃靼の兵どよめきぬ 貨物船 この句の見所は、安西詩の蝶が海峡を渡り切ったのを、到着側の視点から見ている面白さにある。要は安西詩に付けているのである。こういうやりかたも連句の発想の応用で、いろいろなところに使えるかもしれない。巷児の「蝶墜ちぬ越えてぞきしや海峡を」も山羊の「なみいくつ蝶の泊まりは蝶の上に」も安西詩の付句。貨物船、今回不調。別の蝶の句でも「芋虫の芋窮まりて胡蝶かな」のような超科学的な句を平気で作っているのだ。 初蝶のかるがる越える小川かな 騒々子 あまり良くない。騒々子もこのところ不調。もっと気合を入れて作ります。蝶はむつかしかった。もっとも今回常連はあまり良くない。 分け入ればわれにも蝶にも森の風 宝島 森のリルケの本領発揮。でも「分け入る」は人には使えるが、蝶には無理じゃない。次の句も変。小唄みたい。宗道どうした。 初蝶や一つくねらせ一つ松 宗道 蝶が悪かった分、目刺しは面白い句が多かった。まず第一はワープロ文字の大きさでも目を引いた赤帆の句。この句巷児が天を入れています。 日本女子大栄養学科目刺し燃ゆ 赤帆 このオーバーなこと。ポン女に栄養学科ありや知らず。調理実習で焼いている目刺し、なんてまったく嘘。「目刺し燃ゆ」なんて「パリ燃ゆ」みたい。目茶苦茶でいい。ただし目刺しで大きく出たのはこの句だけで、あとは細かい観察の句が多かった。中でも似通った佳作の二人の句。 目刺し刺す藁にも細工ありにけり 紙子 若妻は目刺しの藁をそっと抜き 蝉息 どうそっくりでしょう?若妻の句は、古女房ならどうするんだ、という質問あり。これも川柳みたい。あとは選外の同工異曲の作品。 真直ぐなる竹串笊の目刺しかな 貨物船 さざなみや目刺しの腹の皺の数 貨物船 虚無とはかくなるものか目刺しの目 騒々子 うっすらと開く口も似た目刺しかな 紙子 顎はずし無言目刺しの夕餉かな 山羊 いやまったく同じといっていいくらい。まあ詩人の観察といってもこんなものか。いいところは見ているんだけどねえ。このところ元気のない閑々人の化けてでそうな句。 目刺してふ語感に残るうらめしや 閑々人 閑々人失業から別の俳句雑誌の編集者となる。まずは良かった。 例によって互選と被講とで時間切れ。席題まではとても到らず。夕暮れにはまだ早い外に出て、神田川沿いに地下鉄の江戸川橋駅に行く。それまで天気良かったのに少し雨模様の天気となる。川沿いには新しい公園が出来ていて川には鯉の群れがいる。小生こんな所に鯉がいるなんてまったく知らなかった。田中邸から逃げ出してきたのじゃないのか。 地下鉄に乗るとすぐ先の飯田橋で下り、白川宗道予約の「慈庵」で二次会。ここは白川たちのクループが定期的に「J句会」を開いている店で、ママさんは画家である。ここで早くも酒を呑み、ついでに余っている短冊用紙で投句となる。これを席題(春の季題ならなんでもいい)として、その場で読み上げ、挙手で点を入れる。これ即戦即決の新戦術として採用してもいい。いつもながら席題は、兼題の余りものと即席ものが混ざりあっているので、けっこういいものが出てくる。その余りものらしい句。 下駄裏で蟻つぶしおり春の宵 ズボン堂 竹笊に発句投げ込む江戸の春 貨物船 そういう中で即席の句で良かったのは流石宗道で 東司裏春の大根の捨て置かる 宗道 東司とはトイレの由。これ、句会のあった芭蕉庵での実景という。よく見ていたものである。この句でやっと宗道、俳人であるとの片鱗を示す。だいたいこのひと、今回の原稿のワープロをすべて横書きにしており、これじゃあいい点とれる訳がない。そして最後はここでも天の句となった赤帆、 詩人散って春やひとりの飯田橋 赤帆 いいですねえ。「散る」詩人だ。ここが小説家や俳人とは違うところ。われら散り散りばらばらなのである。ここはぜひルビを入れたい。そうしてこの句を挙句にすることで大団円といきたかったのであるが、そうはゆかじ。これ以後、8時頃に切上げ、新宿のいつものいきつけの店「柚子」で呑み、さらには清水昶氏が待っているというので、終電車近くになって中央線を北上、とうとう吉祥寺にたどりついたのは、中央線族の赤帆、閑々人、騒々子、宗道と相模原族の山羊、みなとでありました。そのころ宝島はなにやら事件を起こしていたようですが、詳細は不明。真相は最新の「國井克彦新聞」をご覧ください。吉祥寺組はとうとう昶にも会えず、更に酒を呑み、とうとうタクシーで朝帰りの羽目になりました。みなもういい歳なんだから、こういう馬鹿なことはやめましょう。 |
1994・4・9記 |