
60. お願い、キスして … [1999年3月16日] いいえ、藤壺にではございません(^.^;。これは、ソプラノの原雅巳さんとリュートの永田斉子さんによるコンサート「フランス宮廷歌曲集1」のタイトルです。プログラムは、アンリ4世とルイ13世時代のエール・ド・クールを集めたもの(*エール・ド・クールについては、「フランスの風」第13回を御覧ください)。
*3月22日、午後2時半開演、近江楽堂(東京オペラシティ3F)、¥3.000
予約・問い合わせ:0422-33-0750
原さんは、今年1月にもヘンデルのアリアをジェスチャーをつけて歌うという意欲的な試みで、その美しい姿と声を堪能させてくださいました。リュート伴奏付き歌曲と言えば、イギリス、とくにダウランドが有名ですが、フランスにも存在していたのです(^.^)。でも日本では、フランス歌曲はあまり知られていません(;.;)。どうして、どうして? 同じように恋の歌が多いのに…。フランス語の美しい抑揚と密接に結びついているのに…。それならば、中世のトルバドゥールやトルヴェール、あるいは19世紀後半のフォーレやドビュッシーの歌曲も同じこと。
でも、捨てる神あれば、拾う神あり??? 最近、このようなフランス歌曲に取り組みたいという日本人歌手が現れてきたのは、喜ばしいことです(^.^)。エール・ド・クールの歌い手ばかりでなく、伴奏したいというリュート奏者も出てきました。もっとも、これからフランスに留学しようという若い演奏家ですから、結果を楽しめるのは、まだ先のことかもしれませんが…。一方、鎌倉のチェンバロ奏者Aさん、湘南方面のガンバ奏者Uさんのように、フランス語の歌をしっかりと指導してくださる方が現れ、フランス語のカンタータなどの演奏会も着実に増えてきました。
ワインブームの昨今、エール・ア・ボワール(酒の歌)を聴きながらワインを飲めば、ポリフェノール効果も倍増\(^ o ^)/(という話はありませんが)。フレンチ・レストランも、最近では堅苦しいところばかりではありません。どうぞ、お気軽にお試しくださいm(_ _)m いいえ、キスの話ではありません。念のため(^.^;
*今年で退官なさるフランス文学のM先生を送る会が白山のT洋大学でありました。場所は新しい16階建ての最上階。M先生は昔からワイン通ということで、シャブリとブルゴーニュ2本、それにおいしいブルーチーズなどがたくさん用意されてました\(^ o ^)/。それはともかく、その後で美術史のO先生の研究室に行き、真新しいパソコンで「I 教授の部屋」と大奥をご披露したのですが(先生はさっそく「お気に入り」に登録!)、その時にカウンターを見てビックリ!今朝はまだ12.800代だったのに、いつのまにか13.000を越えているのですもの(^.^)。本当に多くの方のご訪問に(「のぞき見」と書かれた方もいらっしゃいましたが)、感謝!m(_ _)m
3月3日、いえ「ひなまつり」のことではありません(^.^; この日、T洋大学の先生方の集まりがありました。来年度の授業についての顔合わせをかねた恒例の懇親会。ところで、懇親会には食べ物がつきもの。「食欲がない」などという言葉は、藤壺の辞書にはない!と思っておりましたのに、この日は何だか変でした(;.;)。いつもよりはご馳走が並び、お寿司はウニやイクラをその場で握ってくれます。食卓の真ん中には特大とも言えるイチゴのショートケーキが並んでいるのに、手を出す気分になれないのです。帰りに喫茶店によっても、コーヒーが重く感じたのでカプチーノを頼むと、こってりとした生クリーム・タイプ(;.;)。帰宅しても重い気分で、これはおかしいと風邪薬を飲みました。これが悪かったようです。翌日は完全にダウン。昨日の薬が効かないばかりでなく、熱は38度くらいなのに、実感としては39度位。おまけに脇腹のあたりの激痛。しかたなく1日おいてから病院に走りました。お医者さまは、診察してひとこと、インフルエンザですね。そんな、そんな(;.;)、今頃になって…。原稿の締め切りが迫っているのに(;.;)。でも、藤壺がインフルエンザにかかるのはいつも流行が終わる頃。つまり、武者修行に出たヴィールスが強くなって戻ってこないと、藤壺を倒すことができないのです(?)
でも、ご安心ください(^.^)。I 教授の強行軍談話を読みながら約一週間ひたすら眠っておりましたら、もう大丈夫です。このような時、藤壺はとても良い子なのです(?)偶然大量に買い込んでいた野菜と冷凍食品とともに、**も気持ちだけ軽くなり…(^.^)。
ところが昨日、久しぶりで玉川上水のK音大の図書館へ。その帰りに初めてモノレールに乗りました。今頃?なんて言わないでくださいね。切符売場のところで西武線で帰るというリュート奏者の永田平八さんとバッタリ。ところが、永田さんはとても親切な男性。藤壺につきあってモノレールに乗ってくださったのですm(_ _)m。そして立川でお茶でもと、オリーヴハウスへ。メニューを見ていたら、スパゲッティも、サラダも、パフェも、プリンも…。どれもおいしそう(^.^)。結局、夕食にはまだ早いと思いながら、サラダ、今日のスパゲッティとグラタンが半々、デザート、コーヒーというセットに。これがまた、とても春らしく美しい盛り合わせの大きなお皿!(^.^)(^.^) これ以上はとても書けません(;.;)
*朝日新聞の土曜夕刊で待望の古楽紹介シリーズ(6回)が始まります!(3.15訂正)
書き手の文芸部記者、佐藤千晴さんは、以前から古楽に関心があり、神戸時代にはBCJにも親しんでいたという素敵な女性。第1回は明日13日。文中には光栄にも藤壺(関根)を登場させてくださるそうです。私の誕生日の前日なんて、プレゼントみたい\(^ o ^)/
第2回は中野振一郎さんのチェンバロ談義。第3回以後にはI 教授やBCJ、鈴木雅明さんも登場予定。瀬高道助さんのカウンターテナーやカストラートの話なども?…。お楽しみに。
3月3日は「ひなまつり」ということで、前日にあわてて飾りました。もちろん、おひなさまを(^.^)。黄色のフリージアがまだ元気だったので、菜の花は省略して、桃の花だけを買って別の花器に。お供えは、イタリアから運んできた直輸入(!)の果物ゼリー。子供の頃は、祖母の代から続いた昔風の上品な顔立ちの雛人形一式。段飾りでしたが、マンションでは広い場所もなく…(;.;)そこで両親は、同じ月の私の誕生祝をかねて、特注したミニ雛*を贈ってくれました。ミニサイズのかわいらしい雛飾りで、貝の上にお雛様がのっています。これなら、確かに出し入れも保存も簡単なはずだったのですが…。
*箱書きによれば−−陶彩人形作家・山根康嗣作の「貝合わせ雛」。台座以外は、屏風もぼんぼりも貝も、すべて色絵磁器でできており、素焼き、本焼き、色絵窯、金窯と四回焼成で作り上げられています。しかも絵付けは手書き。男雛=1.5cm、女雛=1cm、台21x11cm
昔から節句の日が過ぎて遅くまで出したままにしておくと、女の子が縁遠くなる(=片づかない)と言われたものです。でもギリギリになって出すと、せっかくだから旧節句まで飾っておきたいのが人情。そのままという年も多く…だから藤壺は、今も雛壇の上? そんな、そんな(;.;)
いにしえの昔(^.^; 藤壺は、幼稚園の学芸会で三人官女役、それも真ん中の官女を踊りました。あの有名な「明かりをつけましょ、ぼんぼりに」というクラシックな歌にあわせて…。もちろん証拠の写真も、ちゃんと残っております。お気づきでしょうか。今頃になって藤壺も気がついたのですが、藤壺の宮廷趣味と古典舞踏のルーツは、すべて幼稚園時代にあったのです\(^ o ^)/
おまけにもうひとつ、ベレー帽というトレードマークも幼稚園から!(*.*) もちろん[今と同じく]かわいい写真もあります!! ということは、何も進歩していない(;.;)今頃になって、そんな!
2月28日に<皆で歌おう会>が開催されました。場所は、この日記第47回でご紹介したフランス人の「騎士ローラン」ことT先生宅のアトリエ。参加者は、このお部屋で親しくなった(?)[I 教授に感謝m(_ _)m]、「若葉の君」おふたり、「三銃士」おひとり(残る2人は残念ながらお仕事)、その他にレーヌのコンサートをきっかけに親交(?)を深めたホール関係者おふたり(水戸芸術館と東京オペラシティ)、ゲーテインスティテュートでドイツ語を習っていた頃の友達(千葉大の生物関係者)、17世紀仏文学専攻の大学生(春から大学院)、秋からヨーロッパ留学予定のリュート奏者Nさん、1年前に結婚して熱々のピアノの先生Mさんと教え子の奥様(ソプラノ)、国立音大声楽科首席に同点ながら0.3ポイント足りなかったというカウンターテナー・ソプラノOさん(3月18日の卒業演奏会に出演予定)、童話作家志望という満丸さん(ファーストネームですが本当の名前)、桐朋での教え子にあたるOさん(ピアニスト)とSさん(音楽学出身ですが最近はポピュラーに進出)、アマチュアとはいえガンバとヴィオローネを弾き古楽器オーケストラも組織する必殺仕掛人(!!)Yさん、若葉の君Mさんの友人で上野学園大3年のリコーダー専攻Mさん、料理と指揮どちらもシェフのO教次 ! x!JK\?&$O%T%"%K%9%H!)!K!"$=$7$FKeIWIX$KF#Td$N6I!"$H$$$&$3$H$G:G=*E*$K$O22名\(^ o ^)/
こうした顔ぶれを見ると、共通点がないと思われるでしょうね。でもあるのです(^.^)。
まず第1に、奇想天外な藤壺の局の言動についていけること! 第2に、個性的であること。それも常識的な一般人(?)から見て十分に変っていると思えるような(^.^;それでいてパーティーを一緒に楽しく盛り上げてくださること。第3に、歌ったり、踊ったり、演奏したり、とにかく「音楽する」のが好きなこと。
誰もが超個性的な人ばかりなのに、参加すると「自分がもっとも平凡」と思ってしまうのはなぜ? では、このような人たちが集まると、どうなるかですって? それはヒ・ミ・ツ!
*でも少しだけ、こっそりとお教えしましょうね。今回の目玉?はフォーレのレクイエム全曲を歌ったこと。その合間には伴奏のT先生がふざけて「犬のおまわりさん」の前奏を時々挿入。〈サンクトゥス〉ではピアノをM先生が、そしてチェンバロでT先生が半音上に移調しながら分散和音をつけて…。その他にシャルパンティエにドラランドなどのフランスバロック、「ハレルヤ」「早春賦」「犬のおまわりさん」など日本の歌も。合唱の中の3人はカウンターテナー(ソプラノ1人、アルト2人)\(^ o ^)/
余興大会では、リュートの伴奏で全員がパヴァーヌとガイヤルドを踊り、CTソプラノOさんがメサイアから〈Rejoice〉をバロック・ヴァイオリン、チェンバロ、ガンバの伴奏で、等々。休憩時には参加者が持参したシュー・ア・ラ・クレームに多種多様なお菓子そしてシェフOさんお手製の豚肉料理にカマンベールetc.最後にはワインの空き瓶が6本位…(*.*)。
*若葉の君Aさんが王様に! ダンサーデビュー・レポート(^.^)
あれは若い頃のルイ14世でしょうか。借り物とはいえ立派な衣装をつけ、堂々とマダム・ショコラ(師匠の村井頌子さん)をエスコートして登場。この入場のクーラント以外にも、華麗なメヌエット・ステップ(音楽はバッハの有名なト長調とト短調のメヌエット)やコントルダンスも披露してくれました。Aさんによれば、踊りよりも、王様としてずっと舞台で背筋をのばしてすわっているのが大変だったとか(^.^;
コンサート自体とても構成がよく出来ていて、集まった大勢の観客を楽しませていました。伴奏楽器はチェンバロ、トラヴェルソ、ヴァイオリン。語りを受け持ったのは、国音声楽出身で劇団若草にいて現在はミュージカルなどをしているというキュートな女性。皆さまも、メヌエットを踊ってみませんか。
川崎市民ミュージアムでの「大ザビエル展」。第1会場から第2会場に移る時、わざわざ階段が作られており、そこを上がるように言われました。不思議に思いながら行くと、そこは城壁の上という設定。向こうに見えるのは、ザビエルが生まれたスペインのナバーラ王国ザビエル城[の写真]なのです!フランシスコ・ザビエルが生まれたのは1506年、これはコロンブスが世を去った年です。同じ頃、ポルトガルがゴア(インド)を占領し(1510)、マゼランが世界一周に出発しています(1519)。日本は足利時代、そして1534年に織田信長、1536年に豊臣秀吉、1542年に徳川家康が生まれ、その翌年の1543年にはポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝えました。
ザビエル城の近くにはパンプローナという町があります。町の写真も展示されていましたが、そこは昨年の6月、国際会議の合間に藤壺が訪れた場所だったのです(^.^)。
その時はザビエルとの関係よりもヴァイオリニストのサラサーテの故郷だから、またバスク地方(サン・セバスティアン)にいたのでナバーラ地方にも行きたいというのが、理由でした。サラサーテの生家は、現在シーフード・レストラン!でも夜は8時開店なので、日帰り旅行者は断念。同行した2人の女性は、その近くのお店で舞台用の黒のシックなドレスを、信じられないようなお得な値段で(^.^)。ナバラ地方は、オペラ「カルメン」の歌詞にも出てきます(どこに出てくるかはヒ・ミ・ツ、探してください)。いずれにせよ、最近訪れたばかりの場所に日本で再会(?)できるとは!!
ところで、「大ザビエル展」を見ていた時は思いもよらなかったのですが、それから10日ほど後にローマでまたもやザビエルと再会(?)したのです\(^ o ^)/ その話はまた日を改めて。
もうひとつ、今回の川崎市民ミュージアムで感激したこと。それはミュージアム・グッズが豊富なことです(^.^; とくにスペインのザビエル城製(?)という焼物(陶器)。ちゃんとmade in Spainとありました。その他にもキーホルダー、しおり等々。さらには大分からのお菓子も。箱の蓋の方は黒のビロードに赤い字が当時の写本風に書かれています。中味は筒状になったケーキ風。とてもおいしいので、オ・ス・ス・メ!なぜわかるのかですって?もちろん試食したからです(^.^)。それに同行者が1箱買って、合宿にもっていきましたから。そこで再確認したので間違いありません!?
古典舞踏研究会・原典講読会の合宿では、16世紀末のベストセラー(!)、アルボーの『舞踏教則本』を読んでいます。メンバーは音楽学者、古楽器奏者、アマチュアなどを含めて10人ほどで、もう10年以上も。でも、ようやく終りに近づきました。このようにゆっくりと読み進めていくことは、ちっとも無駄ではありません。16世紀特有のフランス語表現ばかりでなく、後世の常識とはまったく違った当時の音楽観や用語にも気がつきますから。そして一般に流布している英訳本が、いかに原文と離れているかということにも。今年の6月にはアルボーの活躍した町ラングルに出かけて現地調査(?)をしようという計画も。その時はまた御報告しますね(^.^)
伊豆高原の合宿所は、メンバーのひとりの会社関係の保養所。ですから、宿泊料金は格安、お料理は最高(^.^)。おまけに夜中は、ワインパーティー\(^ o ^)/ 今回はフランスのボルドー(シャトーマルゴーも)を中心に、イタリアの甘口ワイン、マルサラも。他にフランスのチーズやサラミ等々。これが楽しみで合宿に参加しているのではないかですって? そんな! そんな! 本当です(^.^; でも、午前・午後・夜(温泉に入った後)と、2〜3時間ずつちゃんと勉強もしていました(参加ご希望の方は藤壺までご連絡ください)。
*藤壺の「若葉の君」Aさんが華麗なるダンサー・デビューをします(^.^)
2月27日(土)2:30開演、国立楽器北口店ホール(JR国立駅徒歩3分)¥2,500
ヴェルサイユ宮殿の祝祭―古楽器による舞曲演奏とバロック舞踏―
曲目: J.S.バッハ、フランス風序曲、F.ク−プラン、諸国の人々」より
メヌエット、ブレ、ジグ、グリーン・スリーヴス 、ラ・フォリア、クラント、ガヴォット等
お問い合せ:Tel.&Fax.045ー921ー2926(村井)muraisc@eva.hi-ho.ne.j
お久しぶりです(^.^) I 教授が直面していたような状況(談話第305〜307回)を、藤壺も経験しておりました。学生のレポート、試験の採点、バッハ全集の校正、どういわうわけか、こうしたものは締め切りがほぼ一緒になります(;.;)I 教授と違って、入学試験や会議がない分だけ楽なはずなのですが。1月末から続いた暗黒の日々が終わり、藤壺も心を癒す必要に迫られておりました(^.^; I 教授は秋葉原に走られたそうですが、藤壺にとっては、やはり旅に出るか食べるか、その両方かになります。というわけで、まずは毎年この時期に催される古典舞踏研究会の講読グループの合宿に出かけました。
合宿場所は伊豆高原。朝9時半にメンバーのひとりが車で家まで迎えに来てくださいました(^.^)。いつもは11時頃に出発なのですが、こんなに早くしたのは、川崎市民ミュージアムで「大ザビエル展」が開催されているのを知っていたからです。ミュージアムは、電車で行くのは不便なところにあります。でも、藤壺の家のある国分寺から伊豆高原に行く道筋ではありませんが、少し寄り道するだけで大丈夫なはず。そこで、カトリックに興味をもっていると思われたメンバーに話したところオーケー\(^ o ^)/
*1月15日〜3月14日、川崎市民ミュージアム。その後4月から12月まで山口、鹿児島、岡崎、長崎などで。東京は東武美術館で6月10日〜7月20日。
青天に恵まれ、朝の多摩川を見ながら車で走ること1時間ほど−−のつもりでしたが、当日は出かける直前まで眠らずにレポートを採点していたので、ぐっすりと寝込んでいました。残念(;.;)ミュージアムは川沿いの道からすぐ、あの「ヴェルディ川崎」の場所。都心と違ってひろびろとしており、気持ちのよいところです。
フランシスコ・ザビエルがキリスト教宣教師として初めて日本(鹿児島)の土を踏んだのは、1549年8月15日。ですから今年は、来日450年目。展覧会ではザビエルの生涯をたどるとともに、日本と西洋文化の異文化交流の様相が紹介されています。もっとも、藤壺が興味をもっていたのは、以前から音楽図像学研究会などで南蛮美術に描かれた楽器を見たり、また秀吉の御前で演奏された作品や楽器、隠れキリシタンによる聖歌(オラショ)などにも関心があったから。
*皆川先生の記念論文集に南蛮関係の論文がいくつか掲載されています。展覧会には、もちろん皆川先生の研究で知られる聖歌集『サカラメンタ提要』やキリシタン関係資料、南蛮絵画も展示されていました。
展示品の中でとくに印象に残ったのは、同時代のオルガン(1591、アルザキウス・ガイヤー、ドイツ)。美しい装飾がほどこされたポジティヴ(といっても箱のように平たく、机の上に置くものです)。本当にこれと同じような楽器を日本にもってきたのかどうかはわかりません。実際に演奏するためなのでしょうか、それとも支配者(将軍や大名)の関心を引くためのおみやげなのでしょうか。マニコルディオンと呼ばれた鍵盤楽器が、オルガンかクラヴィコルドかスピネットかという問題は未解決だったような気がします。
(続)
ビオンディに会ってきました(^.^) ちゃんと覚えていてくれて、挨拶のキス。
もちろんパルマのレストランのことも忘れてはいませんでした。さて、パルマのレストランでビオンディが選んでくれた昼食メニューは、
オードブルから。パルマ特産の生ハムに、日本の松茸にあたるポルチーニの生スライス、それに薄くスライスしたチーズをかけて…。これだけでも絶品\(^ o ^)/ワインは、もちろん地酒にあたるパルマ産。
メインは、薪で焼いた牛肉、豚肉、鳥肉などの盛り合わせ。付け合わせは、フランス語で言えばポム・フリット(つまりマクドナルドのマッチ棒のようなフライポドテト)。この時のワインは、シチリア産(ビオンディの故郷)。
デザートもシチリア名物(かなり甘いものでした)。
締めくくりは、もちろん、エスプレッソ。本当は食事の後すぐにミラノへ車を走らせ、飛行機に乗る予定だったビオンディ。おいしいワインと食事で話がはずみ、間に合わないのではと心配する藤壺に、「いいよ、次の便に乗るから」と言ってくれました。
実を言えば、これは昼食を取りながらのインタビュー(^.^; だからテーブルの上にはウォークマンとマイクも並んでいたのです(;.;)*このインタビューはFMファンに掲載されました。
最後になってしまいましたが、今日のコンサートはモーツアルトのヴァイオリン・ソナタ。伴奏はフォルテピアノだったのですが、ヴァルターではなく、ローゼンベルガーに変更。演奏者に理由を聞くと、小さすぎるし、アンコールでシューベルトやベートーヴェンを演奏する予定だったので、ヴァルターではできないから、と。でも、やはりヴァルターで聞きたかったですね。だからコンサートでは、アンコール1曲目のシューベルトのソナタが最高\(^ o ^)/
帰りにイタリア語の翻訳家Oさんから聞いた極秘情報をひとつ。ビオンディは、彼女の家を訪問した時にお母さまから巻き寿司の作り方をおそわり、練習しているそうです(^.^; まだうまくいかないので、今回は忙しいから6月の時にまた習いに行きたいと言ったとか…。
*ビオンディは6月にエウローパガランテを率いて来日します。ソリストは、レイギンととマックファデンの予定。東京は6月24日紀尾井ホール。
*ついでに、もうひとつお知らせ:
北ドイツ・バロック・オルガンの修復製作家で演奏家としても知られるハラルド・フォーゲルのコンサートが3月28日にあります(5000円、学生は当日のみ2000円)。公開レッスン形式によるマスタークラスは、3月29日と30日に3時間ずつ5回(聴講は5回通し8000円、1回2000円)。いずれも北ドイツオルガン楽派の巨匠たちの作品で、会場はカザルスホール。問い合わせ先:03-3779-2130(平井)、0422-44-5800(植田)
回想シリーズ第3弾(?)は、現役の登場です。話題の主は、来日間近のファビオ・ビオンディ(^.^)。*Fabio Biondi 1961年3月15日(藤壺と1日違い!の魚座)、南イタリア、シチリア島のパレルモ生。5歳からヴァイオリンを学び、12歳でコンサート・デビューして以来、ソリストとして活躍。クレマンシック・コンソートやイル・セミナリオ・ムジカーレではジェラール・レーヌと共演してます。1990年に「エウローパ・ガランテ」を結成し、ヴィヴァルディの「四季」(Opus111)で鮮烈なデビューを飾りました。
ビオンディの「四季」は、数ある録音の中で傑出しているのはもちろんですが、不思議に飽きることがありません。それどころか、他のCDは何度か聴けば十分で、「春」だけでも後は想像がつくので中断することも多いのですが、ビオンディの演奏は最後まで聴かされてしまうのです(*.*)最新のヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感」も、新宿のタワーレコードで30秒試聴して即買ってしまいました。
今回の来日では、武蔵野市民文化会館のソロが素晴らしいと思われますが完売。都心では、10日にモーツアルトのヴァイオリン・ソナタがあります(キリスト品川教会、午後7時)。11日にはモーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトを神奈川県立音楽堂で(午後3時)。いずれも03-3470-2727に藤壺(=関根)からと電話をすれば、割引にしてくださるそうです。
そのビオンディとパルマで♪デート♪をしました。今から2年前のことです。RILM(音楽文献目録委員会)/IAML(国際音楽資料情報協会)の国際会議がイタリアのペルージャで開催されるので、パリ経由のエール・フランスでフィレンツェの飛行場へ。そして数日滞在している間を利用してデート(^.^; もちろん、ビオンディとはそれ以前にも、1994年には「音楽の友」誌でインタビューをしていますし、来日時に何度か通訳をしたこともありました。
8月31日、午前10時半。フィレンツェから汽車に乗りパルマの駅に着くと、ビオンディが天使のような笑顔で迎えてくれました。前夜は北イタリアでコンサート、真夜中に帰って夕方にはシチリアに向けて飛行機に乗るという忙しいスケジュールの合間をぬって、藤壺のためにパルマへ戻ってきてくれたのです(^.^)今ビオンディは、パルマの町に住んでいます。この町に移ったのは、「10代の頃に音楽学校に通い、後にエウローパ・ガランテを結成した思い出深い土地だから」だそうです。
まず、駅前をゆったりと流れる川に面した駐車場へ。車に乗ると開口一番、「これ日本車で調子がいい、素晴しい」と自慢。そして「ぜひここを見せたい」と最初に案内してくれたのが、17世紀初頭に作られたファルネーゼ劇場。「ここでいつか本格的なバロック・オペラを上演したい」と目を輝かせて抱負を語ってくれたビオンディ。この日は、オペラの衣装の展覧会が催されていました。もちろん、入場料はビオンディが払ってくれました(^.^)。観客席に人がいるかのように、人形に衣服を着せて…
*この劇場では、モンテヴェルディなどバロック初期のオペラが上演されていました。当時の劇場内部も残っています。舞台から客席へと降りていくスロープ、平戸間には椅子がなく、観客席はかなり高いところから見おろすような感じです。そればかりではありません。劇場だけなら、他にも残っていますが、実際に機会仕掛けが動かせるのはパルマだけだそうです。実際、天井には滑車の装置なども見えます。でも残念なことに、市当局が使用を認めてくれないとか。
そうそう、劇場の隣りには美術館があり、これも見せたいと連れていかれたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたの美しい女性デッサン(^.^; それから昼食をということになり、郊外に落ち着いたレストランがあるからと、携帯電話で確認と予約を…。着いてみると、席は外のぶどう棚の下。
(続)

母は、愛媛県の松山市で生まれました。祖父は学校の先生(最後は短大の楽長)、理科系で、晩年はなめくじの研究をしており、這った後に残るねばねばのものが肌に良いなどと言って私を困らせることもありました。祖母は教え子で、お茶やお琴の先生をしておりましたが、身体が丈夫ではなく、54歳という若さで世を去りました。私はまだ小さかったので、とても優しく上品だったことしか覚えておりません。母は、ピアノを習いたかったのですが、時代が許してくれませんでした。そこで娘にはぜひと習わせたのです。桐朋学園の音楽教室ができたのを知って、いつか入ってくれたらと思っていたようです。
母は、I 教授が談話に書いていらした性格診断では、まさに第1番目にあたるような、血液型ではA型の典型とも言える几帳面で完璧を求める性格でした。ですから、いちど華道を始めると決心すると、ひたすら打ち込み、勉強を重ねました。教える時には、数日前から指導案を練り、徹夜で図を描きます。与えられた限りある生命力を、燃焼し尽くしたのでしょうか。早すぎるとも、よくここまで長生きできたとも。昔から家族は、いつこうなっても不思議はないと覚悟はしていました。いつか段ボール箱に残された多くの資料を本にできたらなと思っているのですが、微力な藤壺のこと、まだ実行にうつすことができません(;.;)。
母は、華道の池坊という流派に属していたので、伝統的な型と前衛的なオブジェの両方ができました。母が得意としていたのは、まず第1に立華という伝統的な型です。立華は、深山幽谷を表した雄大な生け花で、大木なども使います。母の師であるM先生は、江戸時代の華道関係の古書を集めておられ、両親はそのお手伝いもしておりました。一方、オブジェの方では、額縁に入れたコラージュのような素晴らしい作品もあります。私の仕事部屋の壁に飾られたオブジェ、雲のような形に組み合わせた木のつるも母の作品です。部屋が、芸術的雰囲気になるので、気に入っております(^.^)
芸術家としての母は、客観的に見て、独創的な才能に恵まれていました。健康とお金(^.^;に恵まれていれば、国際的な活躍をすることも不可能でなかったかもしれません。私よりもはるかに大胆な色彩感覚をもっており、スカーフなどはいつも母が買ってきたものを横取りしていました(^.^;。
藤壺は、母から強い影響を受けていることを改めて感じております。でもそれは、反面教師でもありました。几帳面で完璧を求める性格は、ストレスも多く大変です。というわけで、藤壺はなるべく大らかに物事をとらえるように、楽観的に考えるようになりました(^.^; 母が病弱だったので、子供の頃から自分のことは自分でする、健康にも気を配る習慣がついたような気がします。また、思うように外出ができない辛さを知っているので、出来るときに思いきり楽しもうと、積極的においしいものを食べ、旅に出かけるようになったのです\(^ o ^)/
24日の日曜日、久しぶりで教会(日本キリスト教団三軒茶屋教会)へ行ってきました。なぜかと言うと、母の命日、いえキリスト教ですから召天記念日が27日だったからです。礼拝の最後に「ご家族の人がいらしてます」と突然に言われ、驚きながら立ち上がると、今度は牧師さまから自己紹介してくださいと促されました。なんとか挨拶はしたのですが、さすがに焦りました(^.^;母が亡くなったのは、今から4年前の1月27日。年は阪神大震災のあった時、そして月日は、モーツアルトの誕生日です(^.^)。偶然の一致は、それだけではありません。母が生まれたのは12月5日、それは、I 教授の記念パーティーの日! ではなく、モーツアルトの命日なのです\(^ o ^)/ 片方が一致することはあっても、両方ともというのは珍しいのではないでしょうか。生没が逆とはいえ、同じ大音楽家との一致は、娘2人が音楽の道に進んだことと関係があるのでしょうか。
もう《匂いすみれ》の咲く春です。信仰の《紫の季節》を守りながら、復活節を迎えようとしています.....その日には、白い百合を捧げ.....すべての時を主に捧げたいと思います。(関根笑子、1992年、教会創立40周年記念論集への寄稿文より) この文章を母が書いたのは、40年近くの闘病生活に難病が加わった時でした。でも、笑子という名前のように、母は最後まで笑顔を見せながら前向きに病気と闘ったのです。その陰には、長らく入院していた武蔵野日赤病院で、血液専門の素晴らしい主治医と優しい看護婦さんたちの助力がありましたm(_ _)m。でも、そればかりでなく、母には華道(池坊)と信仰という強い支えがあったのです。
母は、いつも凛として気品のある人でした。それは、藤壺の理想でもあるのですが、実際には…(^.^;。母は、下品なものを徹底的に嫌っていました。もちろん、それは母にとってということなのですが。音楽も、演歌はもちろんポピュラーなどは絶対に家ではかけられませんでした。でも悪い娘は、イヤホーンでラジオの深夜放送のそうした歌を聞きながら受験勉強をしていましたし、今ではカラオケでも歌っています(^.^;
着物も似合いましたが、晩年はいつも紫の服を着ていました。入院していた時も、明るい色や品の良いものでなければ嫌がっていたほどです。看護婦さんや同室の方々からも、おしゃれねと言われて喜んでいました。ですから、お見舞いの花も、普通ならもっていかないような珍しいものを選んでいかねばなりません(^.^;結構、それは楽しかったのですが。今でも、母の写真のそばには花を欠かさないようにしております。生け花の腕前は? いつも母が花を生けるところを見ていましたから、批評家としての目はあると思うのですが…。その目が、技術の低さを我慢できないと言えば、わかっていただけるでしょうか(;.;)
母が洗礼を受けたのは25年前。偶然のような機会に教会を訪れ、奥牧師さまの話を聴いて信仰の道に入りました。この牧師さんは、理論派で、細い身体でしたが、大きな目には燃えるような情熱と闘志がこもっていました!!その方も、母の一周忌で壇上にのぼって話をしてくださったのを最後に、世を去られました。
その頃、偶然にもいとこの友人から、フランス語で書かれた聖書の絵本を訳してほしいという話がありました。これも何かの縁と引き受けたのですが、音楽を通じてほとんどの話は知っていましたし、原書のフランス語のリズムが心地良く、いつのまにか訳し終わっていました。興味深いのは、エレミヤやヨブのような悲しい話が削除されていたことです。絵にも、暗い色彩は使われていません。とくに素晴らしいのは、混沌のページの後、光にあふれたページを開けた時の見事なコントラストです。子供たちばかりでなく、疲れた心をもつ大人が見れば、心を慰められることは間違いありません。訳文をフランスに送って印刷されているため、原書の色彩がそのまま残っています。
*『聖書ものがたり』、文/マリ・エレーヌ・デルヴァル、絵/ユリーズ・ヴェンセル、訳/関根敏子、ドン・ボスコ社(1996.12.25発行・ISBN4-88626-182-5 C8716 P2200E/宗教書専門の小さな出版社なので書店では見つからないかもしれません)。
今、母の写真のまわりに花を飾ったところです−−3つの花器に白い百合、カサブランカ、白い薔薇、かすみ草、淡い紫色のフリージアなど。そして写真の中の母は、満開の藤の花の下にすわり、紫色の服を着ています(^.^)。
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