祭の華 浅草三社祭 2005年5月22日撮影
祭も歌舞伎も荒事がつきものだ。しかし近年の祭も歌舞伎の芸も随分とおとなしくなってしまった。
ことに都市の祭は小市民的なお行儀の良さと健全さがやけに目につき、こちら側が(勝手に^^)期待する祭事の醍醐味、いってみれば男たちの体を張った「荒芸」を見ることがほとんどできなくなっている。
この日、浅草三社を初めて見に行ったのだった。
浅草に着くと神輿(みこし)や山車(だし)がすでに街の方々にくり出ていた。案の定、どれもこれも交通整理のお巡りさんに誘導された、きわめてお行儀のお良ろしいものばかり。それでも微かな期待を込めつつデジカメ片手に街のあちこちを探索していると、「おんや!?」・・。遥か向こうに小さく神輿らしきものが激しく踊っているのが見えた。遠くから見ても明らかにその動きは異様であった。平穏で物足りなさを感じる祭の雰囲気のなかでひときわその躍動感溢れる動きは異彩を放っていた。急いで国際通りを渡りその神輿らしきものが舞っている裏路地へと駆け寄ってみた。そしてそこで見た光景は、ご覧の通りである。全身刺青姿の一団。紅潮した体に一段と刺青の美しさが冴えわたり鮮やかに浮きでている。そして、本来、神輿はこう担ぐものだと言わんばかりの担ぎ手たちの荒々しさ、そのなかでの完璧なる統制力。そのド迫力に圧倒されながら可能な限り接近してデジカメを撮り続けた。この一団が国際表通りに移動し多くの自動車をストップさせて大交差点のド真ん中に躍り出ていったとき(私もめげずに付いていきました)、たぶんこの年の浅草三社祭はピークを迎えたと云ってよかった。
印象的だったのは刺青姿の男たちの形相であった。刺青を世間に曝すことは現在の市民社会ではタブーになっている。その禁忌を祭という場で食い破る。そこには彼らにとって複雑な意識が渦巻いていると思われた。「曝す」ことの緊張感。自分を鼓舞しようとする気概。それらが入り混り、彼らの今の社会の中での微妙な立場が、なんともいえない存在感を放出していた。事がつきものだ。しかし近年の祭も歌舞伎の芸も随分とおとなしくなってしまった。
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