ヒトはなぜ書き出すのか


 ヒト科ヒトというのは、結局のところ生きているあいだ中「ヒトとは何か」ということを常に考えている生き物で、それはいわゆる哲学や思想といった体裁を装って黙考してみたり、生物としての構造を科学的に解析しようとしたり、はたまた一方では、自分の人生についてふと振り返ってみたり、この先の将来についての展望を試みたり、また自分が死ぬときのことを想像してみたり、そしてさらには「今日の晩飯は塩ラーメンかそれとも味噌にしようか、いやマーチャーメンにしようか」とか「丸ノ内線で行こうか、都営新宿線で行こうか、どっちにしようかなぁ」とか、そんな人生を送るにあたっての迷いなども含めて、現在生きている何十億人ものすべてのヒトが24時間365日年中無休で探求し続けている永遠のテーマであり、決してひとつの解答が得られる類いの疑問ではありません。ヒトが誕生してからこっち、描かれたすべての絵、奏でられたすべての音楽、演じられたすべての芝居、書かれたすべての文字、話されたすべての言葉、それらすべてがヒト科ヒトによる「ヒトとは何か」という自己言及的な探求の試みと言えるでしょう。

 赤ん坊の泣き声、子どもの落書き、お兄ちゃんのダンス、お姉ちゃんのメール文、おっ母さんの小言、お父っつぁんの鼻歌、婆さんの手編み、爺さんのいびき等々、これすべて「ヒトとは何か」を探求するための取っ掛かりなのです。ヒトはなぜ泣くのか、ヒトはなぜ描くのか、ヒトはなぜ踊るのか、ヒトはなぜ書くのか、ヒトはなぜ怒るのか、ヒトはなぜ歌うのか、ヒトはなぜ創るのか、ヒトはなぜ寝るのか・・・。切実さの度合いはそれぞれですが、ヒトはそれを探求せずにはいられないものなのです。

 さてと・・・。
 ところで、このブログについて、何が言いたいのか分からないとか、辻褄が合ってないとか、そんな指摘をされることがよくあるんですが、それもそのはず、このわたくし書きたいことをここに書いているのではなく、なんか書いてりゃそのうち書きたいことが見えてくるだろうという気持ちで書き始めるのであり、大抵はそれが見つけられずに適当なところで今日はこのくらいで勘弁しといたるわ、と結びの一文を書いて句読点を打つというスタイル。したがって近ごろはカテゴリを選ぶこともしないという怠惰な心構えで、そのうえ推敲もせずにビールの一杯でも飲んでフラフラしてしまうという繰り返し。

 こんなことを書くとまた、あぁやっぱり酔っぱらって書いているんだな、いつも飲んでばかりだな、という誤解をされるのだけど、わたくしにとってアルコールは必需品ではなく、むしろ無くても一向に困らないもの。今月飲んだのは今週火曜日と水曜日の夜中にヒューを一杯ずつの二日だけで一杯も飲めば即効でヘロヘロです。もちろん非合法の薬物なんかとも無縁。実のところわたくしにとって必要なものはコーヒーとタバコであります。
 フランク・ザッパは「音楽を楽しむためにアルコールやドラッグは必要ない。必要なのはコーヒーとタバコだ」と言ったけれども、ブログを書くのもまた同様。つまり深夜のバーで酩酊中に書かれるような文章といっても、同一人が日当たりの良い表通りのオープンカフェで書いたとしても、結局のところはみな似たり寄ったりということ。

 ふぅーっ・・・。
 丸ノ内線に乗れば四谷で降りて歩くし、都営新宿線に乗れば市ケ谷で降りて歩くし、どっちにしたって麹町まで歩いて、塩ラーメンでも味噌でもなく、みんなどうせマーチャーメンを食べようとするのです。それは少し手を伸ばせば届きそうなところにあるくせに、決して自分のものには出来ない真理と言われるようなもの。とは言え「どうせオレは丸ノ内線に乗るしかないような男だからね」とか「都営新宿線はあたしの命だわ」というような個人のちょっとしたライフスタイルの違いが、さまざまな芸風を生み出して世の中を面白くしているのも事実で、ある一定の切実さを保って「ヒトとは何か」を探求しているものならば充分にその価値があると思うのです。

 日々の日記@カテゴリ、ヤマタツ生きてます。書き出すために都合よく使われているこのカテゴリ名、本当のところは、死んでしまった人のブログ名を、死んでしまったその日から引き継いでいます。

Posted: 金 - 11 月 30, 2007 at 09:54 午後      
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