気分次第の編集方針


 例えば、暇はあっても何か書こうという意欲がまったくないとき、しかも直前までハマっていた仕事というのが、誰にも読まれない、いやむしろ、できれば読んで欲しくないけど、法的には添付しなければならないので仕方なしにつくられる印刷物の制作で、生存だの死亡だのという言葉に各種単語を付加して、ありとあらゆる隠喩を駆使しつつ、巧みなレイアウトと色使いでヒトが生きていくとはどういうことなのかをおぼろげながらも炙り出していく作業だったりすると、結局のところ、例えば「実存主義の保安官」などに書かれていそうな、得られるインスピレーション皆無の文体をそっくりそのまま流用して、これが本日のエントリでございってパブリッシュするというのもひとつの手ではあります。
 最初の一文で読む気が失せるような、総合計は数万字にも及ぶいわゆるウザいテクストを小さなフォントサイズで数ページに目一杯詰め込んで、全国各地へ10万部も配布するといった仕事というのは、ご存知の通りわたくしの得意中の得意分野なわけで、2-6-2の法則(つまり読む人のうち2割には同意され、6割にはウザいと思われ、残りの2割はどちらでもない無視・未回答)をその通り実現し続けているわけです。
 そうは言っても、既決の編集方針などどこへやら、本来なら掲載すべき事柄も、その時の担当者の気分次第、晩飯が不味かったので腹の虫の居所が悪いという理由で、配布物の性質がガラリと一変してしまうのもこれ日常茶飯事のこと。

 さてと・・・。
 世界中のヒト科ヒトにとって一日というのは24時間とされていますが、なかには時間の歪みによって23時間くらいしかないヒトもいれば、逆に25,6時間あるというヒトも存在します。時空が歪むゆえ、本人が身に付けている腕時計も当の本人と一緒に歪むわけで、その人物はやっぱり今日も24時間だったと思い込んでしまっているのです。あなたがもし、何か書こうという意欲はなくても暇があると感じているならあなたの今日は26時間ほどあるかもしれません。いつもより二時間ほど時間が余ってしまっているわけです。この二時間、ゆっくりタバコでも吹かしながら、何か書くことがないか考えてみましょうか。

(一時間後)

 ふぅーっ・・・。
 特にありませんな。
 ひと言ツールなどを使って、何かひと言くらいは書けるだろうとも思うのですが、このたったひと言がやっぱり書けません。何も詩的にしようとか企んでいるわけでもないんですが、いや、詩的にしようとして出来上がるものは、結局のところ詩のようなものであり、決して詩そのものにはならないと考えてしまってなおさら書けなくなる、つまりやっぱり詩的にしようとしているのかもしれません。

(さらに一時間後)

 ふぅーっ・・・。
 やっぱり特にありません。
 とりあえず、この24時間何を見聞きしたのか振り返ろうとしたのですが、ほとんど忘れてしまってます。むしろ何も見聞きしていないと言った方が正解です。近眼(+老眼)であり、難聴のうえにイヤフォンを耳に突っ込んでいるので、相変わらず目は見えないし、耳は聞こえません。そもそも見るということ、聞くということはどういうことでしょうか、などというようなことを去年は考えていましたね。「瞳の奥で(2006.4.20)」「休まない耳(2006.5.25)」

 さぁそういうことで、いよいよここからが本題、となるはずだったのですが、もうヘトヘトです。つまり、わたくしの気分次第、晩飯が不味かったので腹の虫の居所が悪いという理由で、エントリの性質がガラリと一変してしまうのもこれまた日常茶飯事のこと。

 日々の日記@、ヤマタツ生きてます。1500文字ほど書きながら。

Posted: 木 - 9 月 20, 2007 at 08:17 午後      
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