悪魔を憐れむうた


昨日の繰り返しですが、12月25日は誰かさんの誕生日だったわけで、毎年のことながら一日慌ただしいことになるのは目に見えていたんでありますよ。
しかも当の本人はヴォゴン人で、周囲にいる地球人の心優しい思いやりなんぞ、これっぽちも気にかけていないご様子。さらには自分はベツレヘムあたりのおんぼろ馬小屋で生まれた超有名人の生まれ変わりだと公言してはばからない罰当たりときている。そして、Love You Liveのジャガーよろしく、悪魔を憐れむ歌なんぞを口ずさみながら、地球人に対してあれこれ指図するのでありますよ。

マルクスとコカコーラの子供たちはこうして今や立派なヴォゴン人に成長しているわけですが、それでも“彼女について私が知っている二、三の事柄”はそんなに生やさしいものではありません。あの五月革命当時の禍々しいギターリフの繰り返しによってよみがえる思い出は1+1=と素直に数えられるものではないのです。
地球人に対して博愛の精神を教えたとされていますが、もちろん同時に競争相手を徹底的にヘコます方法も伝授しています。侵略と虐殺。それを素直に受け取ったローマ人は美しき友に別れの言葉を言わなければなりません。そして血に染まったルビコンを渡らなければならないのです。
ともあれ、愛するが為に憎悪せよというヴォゴン人の基本方針はブッディストには永遠に理解されないでしょうな。

一方、このヴォゴン人は太陽系第10惑星の正式名称をルシファー(魔王星)にしようというマンガ好きでもあります。たとえこの星が反物質で構成されていると確認されたとしても、やはりこの提案は直ちに却下されるでしょうな。他の惑星の名称とは物語=思想の出所があきらかに違うからですわ。でも極東のブッディストの心情としてはギリシアもユダヤもどっちだって同じ。ルネッサンスというのも欺瞞の香りがプンプンしています。ルネッサンス(=復興)というのは元からあったものを見直すこと、再編集し直すことだと思うんですが、結局よそから持ってきたものをあたかも元からあったように見せているだけです。
そうは言っても、ある程度の異教を受け入れることやむなしとしたルネッサンスの風潮と精密を極めた自国のガラス工芸のおかげで、ガリレオは望遠鏡をのぞくことが出来たわけで、案の定かれは処罰を受けたにも関わらず、ヴォゴン人さえも一目置く存在になっています。

銀河系の中には、厄介なことに太陽が複数の連星になっている恒星系がいくつもあり、そんな惑星に住んでいて夜というものをまったく知らない生物種がいますな。彼らは高度な文明を育てているにも関わらず、宇宙の存在を理解出来ずにいます。星々が輝く夜空を見たことがないんだからこれは当然。誕生日を迎えたヴォゴン人に言わせれば、愛を知らぬ者は憎悪も理解できないのと同じ。悪魔を憐れむうたを慈しむ心さえも持ち得ないと断言します。



さて、ヴォゴン人と地球人の混血児であるこの少女が悪魔を憐れむうたを口ずさむ時が、そして彼女を愛する自分自身のなかにやがて星々輝く夜の訪れる時が、実はそう遠くないと予感される今日この頃でありますよ。
人種や思想・物語の違いは混血を生み、やがて同化します。同化した方もされた方も元いた場所には戻れないかもしれませんが、それでも来たるべき未来が今よりも住みやすいことは確かですな。オープンマインドであれば混沌のなかにさえ安息の地はある。そして、悪魔を憐れむうたというのが本当は憎悪を乗り越え、悪魔を憐れみ、ヴォゴン人さえ慈しむことが出来た人間への賛美のうたであることを知るでしょう。
この顔を見ているとそれが確信できるのです。

Posted: 火 - 12月 27, 2005 at 03:26 午後      


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