ヒトはなぜ惑星を探すのか


 あなたがもし自分の置かれた境遇について不幸であると感じているなら、あるいは逆にそのうち何とかなるだろうと、そこそこ楽観的に暮らしていたとしても、自分以外の他人はどんな環境下でどんな心持ちで日々生活しているのか知りたいと思うのはヒトとしてごくごく自然な感情でしょう。群れで生活する哺乳動物の生命維持にとっては、「他人の存在」というものがとても重要な要因です。自分の社会生活はこの「他人の存在」如何によって大きく左右されるのです。
 また、例え遠く離れた決して相見えることのないアカの他人であっても、つまり自分の生活に直接影響を及ぼすことのない、まったくもって関係ない他人であっても、時としてその生活環境が非常に気になるのがヒトの人情。ヒトはみな程度の差はあれども“のぞき”趣味を持っているのです。
 そして結局のところ、他人の生活をのぞいてみたいというこの耐えがたい欲求は、隣の芝生が青く見える羨みから生じるのと同時に、他人の不幸は蜜の味がする哀れみからも生まれているようです。

 さてと・・・。
 現在のところ地球以外に、青々とした芝生が生えているような惑星は見つかっていないし、甘い蜜の味がする不幸な惑星も見つかっていません。太陽系以外の惑星は、1990年代に初めて発見されてから今までで150ほど確認されていますが、それは調査された恒星系のうちの一割ほどに過ぎません。しかもそれらの惑星は光学的に観測されたのではなく、恒星のゆらぎによっておそらく惑星だろうと予測されているに過ぎません。太陽系外の惑星を光学的に観測することは今のところおそらく不可能でしょう。よく言われるのが「核爆発のすぐそばの蛍の光を探すようなもの」という比喩です。
 いま現在発見(予測)されている太陽系外惑星の中にも、もしかすると連星の片一方が核反応を終えて輝きを失った矮星が含まれているかもしれません。実際、惑星と呼べるのかどうかという議論が絶えないようですが、いずれにしても木星級の巨大なガス星であるらしく、残念ながら青い芝生も甘い蜜も存在しないでしょう。
 それでもその付近の程よい公転軌道上に地球型の惑星が存在するかも知れませんが、可能性はかなり低いと言わざるを得ません。木星級惑星の公転軌道が恒星に近いと、地球型惑星は破壊されているだろうし、その木星級の公転が恒星から遠い楕円軌道なら、地球型は恒星系外に放り出されるか恒星自身に飲み込まれているでしょう。地球型惑星が無事に恒星の周りを回り続けるためには、木星の存在は不可欠であると同時に、その木星がふさわしい軌道上で公転していなければならないのです。

 ふぅーっ・・・。
 一割の確率で、ここには惑星がありそうだぞという手応えを得る。そのためにヒトは惑星探査を続けていくんでしょうな。もしかするとその惑星上では、海岸沿いにある別荘の広い芝生で心地よい風に吹かれながらくつろぐセレブの生活をのぞくことができるかもしれないし、乾燥した大陸の内陸部で飢餓にあえぐ子どもたちの生活をのぞくことができるかもしれません。
 羨みと哀れみが地球上の覇権争いのモチベーションだったのと同様、惑星探査とやがてやってくるかもしれない大航海時代の動機も結局は“のぞき”なのかもしれません。

ヒトはなぜ星を見るのか」(2006/11/18)

Posted: 水 - 12 月 6, 2006 at 04:14 午後      


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