木 - 5月 15, 2008

テツ下駄履いて解らないままダラダラ進むの巻


 いやぁ、もうね、世の中解りませんな。まったくもって理解不能です。火を見るより不明です。一難去ってまだ解りません。犬も歩けば解らないし、猿も木から解らない。馬の耳に解らないし、勝って兜の緒を解らない。東西南北すべて意味不明で、前後左右もまったく解らない。何から何までひとつも解りません。何が解らないのかさえ解らないときたもんだ。あぁ解らない解らない。もう笑っちゃうくらい解らないんです、わたし。

 あのね、正直に告白すると、もう金輪際ブログなんて書くのを止めようと思ってたんですよ。実は毎回そう思うんですけどね。いやまじで。だってね、何を書いていいかさっぱり解らないじゃないですか。こんなところに何を書きゃあいいんですか。今までも何か書こうと思って書いていたわけじゃないんですよ。なんか書き始めてたらそのうち本当に書きたいことが見えてくるだろうと思って書いていたんです。そのうち何とかなるだろうってね。シリアスなことも全部ひっくるめてパロディにしたりして。そうして毎回、書いた後で何もかもやーめたってことになるわけです。

 ところがしばらくすると、うーん解らぬ解らぬとまた書き始めるという具合。やっぱり解りませんな。なんにも見えてきませんよ。なんかダラダラと書いてても、ずっと居心地の悪い椅子にただただ座り続けているだけ。いや実はね、近ごろは座椅子に座っているんです。そう、わたくしのコンピュータの居場所がオフィスの机上から遠く移動して、小部屋のテーブル上に変わったんです。重たいデスクトップ・コンピュータと大きなディスプレイとその他周辺の色々な機材や身の回りのものを配送し、自分自身はテツ下駄という名まえのバイクで何百キロも移動したんです。家庭の事情でなんですけどね。
 まあとにかくそんな状況で仕事などをしているわけですけど、案の定なかなかはかどりませんな。即席の仕事場になったこのテーブルときたら天板が分厚い透明ガラス製で、あぐらをかいた自分の両足が丸見えなんです。だらしないもんですよ。やる気もなかなか起こりません。今書いているこの文章だってこの先何をどう書いていいのかまるっきり解りません。

 でもね、あぁ解った!っていう瞬間、つまり何かが脳内でひらめく瞬間って神経系に負担をかけているわけで、これが続くと脳内神経が疲弊してやがて死に至ります。ひらめき続ける天才は早死にするんです。いやもちろん個体差はありますよ。一人ひとりの体力筋力が違うようにです。でもね、長生きしたけりゃ、なんにも解らないままダラダラしていた方が良いらしい。テーブルの下に足を投げ出して意味のないことをつらつらと書き続けること。このブログは隅から隅までそんな調子ですよね。解らぬ解らぬと憂さ晴らしの連続。

 いや、そんな人生なんてまっぴら御免、オレならひらめき続けて早死にした方がいいね、というご意見ももちろんごもっとも。どちらが良いのかはまったくもって解りません。さっぱり解らない。ひと月の間にみるみる衰弱していった仕事仲間や、ひと晩であっという間に逝ってしまった友人、一方では、頭蓋骨を開けられて脳みそを削られて引っかき回され、今なお一部分を放射線で焼かれている肉親、優しい人たちやしょっぱい連中、その他有象無象を巻き込んでネタには事欠かぬのもヒトの一生。

 いずれにしてもちょっとしたきっかけさえあれば、解らないなりにパロディにもフィクションにもどこへでも行けるのがヒト科ヒトの人生というもの。それをお決めになるのはヒト科ヒトの皆さま、すべてはあなたの自己責任。あなたにご幸運を!

 日々の日記@カテゴリ、ヤ・マタツ生きてます。テツ下駄履いて行きます。

Posted at 11:16 午後    

土 - 4月 26, 2008

さよなら、フードゥー通りの千鳥足


 君は自分がつまらない人間だとみずから公言しながらも、それでも何とか楽しく生きていけるような工夫を常に考えている人間で、それは夜更けの千鳥足のあいだにも繰り出されるネタやちょっとした仕草からうかがい知ることができたわけだけれども、僕からみれば君は決してつまらない人間などではなく、何とか幸せでいようとするヒト科ヒトとしては当たり前の人間としてこの目に映っていたんだ。

 そうは言っても、時折見せる引き攣ったような苦笑いが悲しさを誘うこともあって、それはたとえば、君が時々つぶやくように「オレはひとりだからなあ」とか「オレは外国を放浪したことなんてないし」とか言いながら、ヘヘヘと笑いながら腕を振り、よたよたと路肩にしゃがみ込む深夜のフードゥー通りだったり。
 でも君は僕なんかよりも多く金を稼いでいるし、時間も自由だし、好きなことが色々できるじゃないか、と言うと、いやぁ違うんだよ、何も分かってないな、全然違うんだよ、などと言いながら丸めた競馬新聞を虚空に向かって闇雲に振り回していたな。

 もちろん君が毎日仕事で神経をすり減らしていることは知っていたし、君の几帳面で真面目な性格が別種のタイプと軋轢を起こしやすいことも理解はしていた。君は自分がもっと自然体でいたいという気持ちを常に持ち続けたのに、いやむしろ、だからこそ一瞬たりとも楽にはなれなかったんだろう。かなりのストレスを抱えていたに違いない。

 君の<苦痛指数>は日々どのような推移で上下していたのか正確には解らないけれども、しかしそれは、僕も含めた深夜のフードゥー通りを千鳥足で歩く人種の平均値からそれほど離れてはいないはずで、当然のことだが君だけが特殊だったわけではない。たまたまあるとき君が臨界点に触れただけ。
 ただひとつ言えることは、君がフードゥー通りの中では一、二位を争うほどの見事な千鳥足の持ち主であったということ。電柱や自販機、放置された自転車、深夜タクシーなどはみな、君のダンスのパートナーとして君の引き立て役と化し、通りを行ったり来たりするあいだに寝静まった付近の建物は、その一風変わったライブ・パフォーマンスを堪能するのだった。

 ふぅーっ・・・。
 唯一、君と意見が合った映画について思い出そうとするのだけど、僕の中であれだけ大きな存在であったあの映像も、そして今このフードゥー通りにわずかに残る君の気配も、夜明けの空気に染まりながらもはや透明に近い。あのいつもの時間に、いつもの通りフラフラと歩いたこともいつかは忘れてしまうのかも知れない。僕が一番大事なことが書けない性格なのは君も知っての通りだし、大切なことほど急いで忘れようとする性格なのはお互い様だ。

 したがって、君もあの雨雲と一緒に彼方の空へあっという間に流れていってしまうだろう。そうして僕は明日からもまた通りを行ったり来たり、中途半端にフラフラと歩くのだろう。
 さよなら、夜更けのマイムーダンス。さよなら、フードゥー通りの千鳥足。

Posted at 04:59 午前    

木 - 4月 17, 2008

ダメ男トマピンがピンチョン本をショウケースに並べるの巻


 爽やかに晴れていたのに大粒の雨が急に降り出したり、そうかと思えば強風が通りの端から端まで吹き抜けたり、はたまたお次はそれらが渾然一体となって嵐が町中に襲いかかったりというふうに、災難というものは次から次へとだんだん酷くなっていくわけで、しかも、世の中には風雨のような主に上方からやってくる種類の災難だけではなくて、地震や浸水など下からの脅威、さらには暴走車や通り魔、引ったくりなどの横から水平移動してくる災難もあって、たとえば通りを歩いているときなど、ヒトはみな自分の前後上下左右周囲360度を常時監視する防衛システムをフル稼働しているもの。つまり人間というもの、いつなんどき禍々しい災害に遭遇するのかまったく分からない日々を過ごしているわけで、先行き不透明な、むしろ一寸先は闇と言うべき一生を恐るおそる手探りで歩いている生き物。

 例えば自分の書いたものに対しての「最初から最後までまわりくどくて読みにくい」とか「このような卑猥なものを読んで喜ぶのはイナカの男子学生くらいだ」などという悪意のこもった批判もこれ一種の災難として分類されるべきで、いやぁこいつは参ったなぁと自分の頭をポリポリ掻いて、その場はなんとか苦笑いでやり過ごし、あわててどこかに隠れる穴はないものかとあたりをキョロキョロするのが不幸な被災者としての振る舞い方。もちろん自分にピッタリの隠れ穴を探すために、オモテ通りを歩くご婦人方のスカート内のチェックを怠らないのは言うまでもないこと。

 時には自らがそんな災害に立ち向かうように見せかけるため、難を逃れようとする人々を救出するかのように、消防士に扮して通りを走ることもしばしばで、そんなときに限ってすれ違うご婦人からは「あら、そんな太いホースをわたくしにお使いになるの?」とか「ねぇそんないやらしいゴム製の長靴なんかお脱ぎになってよ」などと声をかけられるため、「いいえお嬢さま、わたくしただいま重要な勤務中ですから、この次の機会に」とかなんとか言ってその場を急いで立ち去る潔さも必要です。一方的なスカート内のチェックという行為も、いま巷で話題の最も注目されるホットな犯罪であり、災害から身を守るはずの隠れ穴が実は新たな災害の火種となるのは自明の理。自業自得。

 さてと・・・。
 ご覧のような自分のピンチョン後遺症とも言うべきこの症状もこれまた一種の災害であり、薬害訴訟も辞さない覚悟でいるわけですが、そもそもの発端は30年ほど前、神戸・元町通りの海文堂という書店にて、なんとも禍々しいオーラを放っている一冊の洋書が視界に飛び込んできたという、言ってみれば不幸な接触事故に始まります。
 この「V.」という本、英語が読めずに第一章であえなく挫折、床に伏すことになったのですが、冒頭に書いたように、災難というものは続けてやって来てますます酷くなるもの。しばらくして国書刊行会からゴシック叢書シリーズのひとつとして日本語訳が出版され、これで偏執病も治癒されるだろうと意気込んでみたものの、日本語に翻訳されてもやっぱり第一章で挫折。それ以上は読み進められない。これはもう何語だろうと関係ない。

 それからというもの、十代だったわたくしの脳内ではノーフォークの酒場やニューヨークの地下鉄が世界のすべてであり、駆逐艦「処刑台号」が自分の家であり、「スザンヌちゃんをやったれ!」というのが朝の挨拶となり、パッカード・パトリシアンのガソリンタンクがトイレ、昼間は地下鉄で行ったり来たりのヨーヨー運動、そして「おっぱいターイム!」というのが夕食の合図、おやすみのBGMはサキュバスの歌声かハーレー・ダヴィッドソンのアイドリングという日常生活。

 その後の嵐のような十年間を乗り越えて時は過ぎゆき、「V.」新装版が出版される頃には、思いがけずいつの間にか関係者におさまっていたというのはお笑い草。その後、「競売ナンバー49の叫び」や「重力の虹」、そして「ヴァインランド」など今や5冊が翻訳されて数社から出版されています。もっともいずれもすぐに絶版になって古本市場の底辺付近をめくらめっぽうにうごめいているのがほとんどの運命。
 前回エントリにちらっと書いたとおり、来年春、新潮社からコンプリート・コレクションとして新訳、訳し下ろしが続々刊行されるとか。これが以前と違って忠実に守られるならば、この平和な後進国にもようやく禍々しい不吉な文明開化がやって来るのか。

 ふぅーっ・・・。
 さぁいよいよ覚悟を決めてください。これからとんだ災難が続けざまにやって来るのですぞ。嵐や洪水、地震などとはわけが違う。もちろん交通事故や殺人事件とも違う。あの“9.11”の直後、アメリカ合衆国大統領が宣言した言葉を覚えてますか。「これは戦争だ」。前後上下左右360度常時監視しておかなければなりません。ロケットはいつも無音で、どこから飛んでくるのか誰にも分からない。そのうえ、タイローン・スロースロップはEDでとっくに役立たず。ゾイド・ホイーラーは相変わらずその名の通り無抵抗に転がるだけのスキゾイド。連絡配信はすでに地下組織に乗っ取られ、防衛システムはもう穴だらけ。
 さぁ覚悟はよろしいか。

(ピンチョン・ショウケース)
V. Vineland
Gravity's Rainbow Vineland Mason & Dixon Mason & Dixon


 ひと足早くVINTAGE版ペーパーバックがリニューアルして、これがまさにコンプリート・コレクションといった趣。楽しい装丁なんだがやっぱりどこかで違和感を感じるのも正直なところ。きっと全集なんぞピンチョンには似合わない。

(VINTAGE版コンプリート・コレクション)
VINTAGE-V VINTAGE-The Crying of Lot 49 VINTAGE-Gravity's Rainbow VINTAGE-Slow Learner VINTAGE-Vineland VINTAGE-Mason & Dixon VINTAGE-Against the Day

Posted at 10:13 午後    

水 - 4月 16, 2008

「トマス・ピンチョン コンプリート・コレクション(仮)」全7冊が来春刊行開始すること


 はぁい、元ローラよ。お久しぶりね。
 地球上すべての生物のなかで最もIQの高いヒト科ヒト、互いにののしり合い、互いに憎しみ合い、互いに殺し合う最もIQの高いヒト科ヒト、互いに愛し合い、互いに慈しみ合い、互いに敬い合う最もIQの高いヒト科ヒト、そんな地球上の生命5000億種のなかでも唯一「言葉」を巧みに操り、そしてまたその「言葉」にまんまと操られるヒト科ヒト、そんな知的な生命体の皆さまへ、深々と頭を下げてこんばんは。

 あのね、あなたが今後生きていくあいだに失うもの、あるいは今まさに失おうとしているものについて、あなた自身がどうしても手離したくない、誰かに渡すなんてそんな惜しいことは決してしない、自分が死ぬまでこの手で守り通す、などと心に誓うほど大切なものであれば、固く握りしめたそれは何よりも真っ先に指からこぼれ落ち、目の前を寂しく流れる川に捉えられ、あっという間に沈んで見えなくなってしまうか、あるいはすぐに沈んでしまわなくてもどこからか飛んできた黒い鳥に啄ばまれて二度と元の形には戻らない何か別のものになってしまうというのが世の通説よね。

 そこに在るのが当然のように感じていたもの、いわゆる空気のような存在と言われているようなもの、そのようなほんとうの意味で大切なものに対しても、これはもしかして自分にとってはかけがえのないものなんだと改めて気付く瞬間、つまり、何気ない温度や時おり揺れ動く気配が、突如として愛おしく感じるようになったとき、そんなときこそが要注意です。あなたにも多少の心構えが必要なとき。

 そうして自分にとって大切なものを改めて確認でき、自分の立ち位置が突然はっきりと見え、自分の目であたりの世界が急に見通せるようになったくせに、結局のところ肩に力が入ってしまって何も守ることができず、あらゆるものを司るあらゆる宗派の全能の存在に向かって、あるいは各宗派の縄張りが把握できない場合はただただ虚空に向かって、声なき声で闇雲に祈るしかないの。

 さてと・・・。
 何ひとつ守ることができずに、いま大切なものを失おうとしているそんなあなたにお知らせがあります。朗報だと思うわよ。いいえ、吉と出るか、凶と出るかはあなた次第。いっそのことさぁ、何もかもすべて、そう、祈る言葉さえも失ってしまいましょうよ。
 ねぇ、皆さんご一緒に。
 
「トマス・ピンチョン コンプリート・コレクション(仮)」全7巻。新潮社より2009年春刊行開始。

Thomas Pynchon Complete Collection

Posted at 01:14 午前    

木 - 3月 20, 2008

改訂・新生活を始めるときに必ず書いておかなければならないこと


(4月1日に更新できるかどうか不明なので今のうちに公開)

 このたび地球上にて新生活を始める知的生命体の皆さん、そしてあまり知的でない生命体の皆さん、当ブログ「open minded」へようこそ。

 このブログはエイプリルフール社(社名からお察しの通りこの会社は4月1日が設立記念日である。以下某社Aと呼ぶ)の提供により、渋谷区と新宿区のほぼ全域、そして世田谷区、港区、千代田区、目黒区の一部地域、文京区、中央区に点在する特定地域、さらには港北区、緑区、東灘区、長田区、須磨区、高津区、中原区といった23区以外の指定地区において生息するヒト科ヒトの頭蓋内に存在するマインドをハイクする目的で、昼夜を問わず気が向いたときに更新されている。もちろん、南極大陸の地中、いや氷中に存在する南極哺乳類コミュニティ区、さらには月面、ディオファントスやオイラーといったクレーター内の生態系も対象となり得る。

 そうは言っても、対象地区においての役立つ地域情報や、暮らしの知恵などといった話題を期待してもらっては困る。そのような話題はここ何年かで急成長を遂げたカリフォルニア州マウンテンビューの営利法人の作ったものや、いまいち垢抜けないイメージを捨てきれぬために世界最大のソフトウェア会社から執拗につけ狙われている会社のものなど、ごくごく一般的なジ・インターネット・ツールを使って各自おのおの、几帳面に生真面目に検索を続けていただきたい。ヒトの生き方というものは、そうやって検索し続けていれば自然に見つけられることになっている。どうかしちゃったヒトならば、どうかしちゃったツールを使い、どうかしちゃったネットワークですべて自足できるはずである。

 もっとも、このブログ「open minded」もドットマック・チャンネルによって、ご覧のとおりジ・インターネット/ワールドワイドウェッブにて公開されている。ジ・インターネット/ワールドワイドウェッブなどと大層な名前が付けられているが、この地球を覆うさまざまなネットワークの中の一つに過ぎない。屈折した意志を持つある特定機関によって緩やかに管理された局地的な“ローカル”・ネットワークに過ぎない。ローカルに過ぎないがそれでも、AppleLink の崩壊、eWorld の水没などを経た今となっては公開先として他に選択肢はない。

eWorld

 このブログを提供している某社Aの調査によって、ジ・インターネット/ワールドワイドウェッブをなるべく目立たないように振る舞いながら運営管理しているその特定機関の隠された実態が一部明らかにされつつある。この特定機関というのは、ロサンゼルスにある民間非営利団体で、総務を担当する部署のチーフ・マネジャーが実はたこ焼きが大好物だとか、校閲等が主な業務である他の部署の部長クラスのオッサンが受付嬢とイチャついているといった目撃情報などが確認されている。某社Aはこの春、全社をあげて(ったって一人しかいないんだが)本格的な浮気調査や好物嗜好調査に乗り出す模様である。
 このことは、新生活を始める皆さんが、これからお使いになる電子メールやブラウザといった各種ツール群の基幹技術にも影響する。自分が送信したメールが一向に相手に届かないとか、設定など特に変更していないのにスパムメールが急に減ったとか、あるWebページの表示が極端に遅いとか、そういった時には決まって某社Aの調査員が夜の裏通りを靴音高く駆け抜けている時であると考えていいだろう。調査員はこの民間非営利団体のすべてのフロアを熟知していて、ワイングラスの底に耳を当てて情報をキャッチしている。ただしその度にワインを飲み干しているので、常に赤い顔をしていて足元もおぼつかないのが現状である。明け方、調査を終える頃になると、せっかく仕入れた情報もどこへやら、ヘベレケになって通りを千鳥足で歩く調査員の姿がしばしば目撃されている。

 さて、新生活を始められた皆さんなら、すでにお察しのとおり、当該地域では無差別に創発された情報が、即座に変容しながら一刻も休むことなく乱れながら増殖している。ノイズまみれになった情報も、一定の秩序に則った情報も、同時多発的に創発され、瞬時にその姿を変え得る。

 説明しよう。
 “午前二時”という情報に対しては「おいおい、もう午前二時だよ」と「まだ午前二時かよ」というまったく別の情報がほぼ同時に創発される。“二時”とか、あるいは“午●二時”というノイズ混じりの情報しかなければ、午前か午後かを推測しなければならない。それがもし、“にじ”だけならば、二時なのか二次なのか二字なのか、もしかしたら“虹”という意味かもしれない。読み違えて“西”だと勘違いしてしまうこともあり得る。“にじ”を“こし”と読み違えれば“腰”になる可能性さえある。つまり、“二時”という情報は“虹”にも“西”にも“腰”にも変容し得る。「もう午前二時かよ・・・」と「うわぁ虹がきれいだ」と「いやぁ腰痛がひどくて・・・」とは、実はそれぞれすぐ隣り合わせにある情報である。

 当ブログでは、これらのノイズ混じりの情報が同時多発的に創発されるそれぞれの現場に着目している。人工的に創発された情報、何者かが意図的にバイアスをかけた情報、その結果、臨界点に達する情報創発の連鎖反応。当ブログが注目するのは、その言わば“臨界事故”によって混沌となった迷走する情報群である。
 発信された情報は、発信者の意図に反して、常に受容側のニーズに沿って変容する。ヒト科ヒトは自分が受け取りやすい方法で常に情報の意味を変えている。「もう午前二時かよ」という情報は、受容側の一方的な都合によって「西の空にかかるきれいな虹」に変容し得る。受容側が情報を自分の方に引き寄せる行為、“にじ”を自分の手で掴もうとする行為、すなわち“にじ”にかかっている重力も当ブログの観測対象だ。当ブログが解き明かそうと試みるのは当該地区に生息するヒト科ヒトの頭蓋内マインドが引き起こす、この“重力の虹”現象にほかならない。

 ご存知のとおり、皆さんがこれから新生活を始めようとしている当該地区のような人口密集度の高い地域は、銀河系の中でもこの地球上の一部地域以外には存在しない。おもに赤道付近と北半球に多く存在するこれらの地域(もちろん南半球にもいくつか存在する)では情報は急速に転移し、同時に急速に乱れる。当ブログが“重力の虹”現象と呼んでいる情報の極端な乱れは、これらの地域で数多く確認されている。その意味でもこの地域は銀河系内でも特殊な地域、特異点と言っていいだろう。

 また、当ブログのテクストは、地球が赤道直径約12,756kmのほぼ球体の天体であるという説に基づいて書かれる。この説は地球上のヒト科ヒトの半数以上が信じているが、地球平面協会をはじめとする一部のヒトのあいだでは、地球はどこまで行っても平面であるとされているし、一方では、地球はたしかに球体であるが地表とはその球体の内側を指すとする説を信じるヒトも存在する。当然のことだが、彼らは赤道とか北半球という概念は持ち得ない。
 当ブログではこれらの“重力の虹”現象によって引き起こされるさまざまな感情の創発も取り扱う。ただし注意しなければならないのは、この人口密集地域に発生する“重力の虹”現象によって直接創発されるのが感情ではなく、あくまでも情報の歪みのみという点である。感情の変化は常にその情報の歪みによって引き起こされる。
 言うまでもないが、机上に順序よく並べられた資料などや、ある特定の法則によって導き出される情報は無視する場面もある。注目するのは、あくまでも情報創発の現場である。したがって、調査員は情報収集のための高感度ワイングラスを決して手放すことはない。

 このたび新生活を始める皆さんへ。
 うすうす気付いておられる方もあるだろうが、当ブログの「open minded」というタイトルはあくまでも名目上の目標に過ぎない。実態はむしろ真逆である。“偏見のない寛容さ”などといったものはここには皆無だと言っても過言ではない。
 夜更けのバーにわざわざ入って開口一番、「もう飲めねぇ!」などと叫び、何も注文せずにウトウト寝てしまい、夜明け前に一体何を思ったか、いきなりラップトップの電源を入れて iBlog を起動し、何も書かないうちに「もう書けねぇ!」とパブリッシュ・ボタンを押し、空しいエラーメッセージを見るまえに、CPU泣かせの指さばきで強制終了するような、そんな野放図性が当ブログの特徴である。破綻した各エントリは横滑りしながら、消息不明の暗喩が増殖し続け、オチを求めて彷徨いながら臨界点へ突き進む。
 正直に告白すると、むしろ臨界点を目指している。連鎖反応による情報過多を目指している。先に触れたジ・インターネットを運営管理している民間非営利団体や、ワールドワイドウェッブのインデックス整備を目指すマウンテンビューの営利法人などは時折、情報過多に対してある程度の懸念を示唆しているが、当ブログはむしろそういった情報整備指向に爪立てて対抗する一種の悪あがきのように見えるだろう。いずれにしても、重力の虹の発生現場に急行し、情報創発の現行犯を捉えるのが、当ブログのスポンサーである某社Aの使命だ。1997年以降、成功事例は未だにひとつもないということを除けば、事業は概ね順調である。

 1997年、正式に設立されて間もない某社Aは、とある事業契約に則ってCD-ROM二枚といくつかの書類が丁寧に封入されたパッケージを成功報酬として現物支給されたのだが、このうちの一枚のCD-ROMに収められたプログラム・コード群の開発コードネームが「ハーモニー」と呼ばれていたために、現在ではこの「ハーモニー」という言葉が某社Aの社訓になっている。
 新しい仕事と新しい家庭を得てからのこの十何年間、某社Aの調査員は常にこの言葉を胸に秘めながら、夜の街を駆け抜けている。東本通り商店街や西裏通り、暗闇坂や狸穴坂、6号通りや10号通り、鼠坂や牛坂、そしてスィードゥー通りやフードゥー通りを日夜走り続けている。どちらかというと苦しい時の方が多かったはずだが、それでも未だに走り続けていられるのはこの「ハーモニー」という言葉の力が関係している。

Harmony

 十数年前に「ハーモニー」プログラム群を開発していたこのコンピュータ・メーカーの本社の所在地は、ベイなんとか、あるいは、なんとかバレーと呼ばれていて、未だに一部のあいだでは、岩だらけの無人島だけが点在する湾内か、大陸内陸部の放射能に汚染された邪悪な峡谷だと誤解されている。これはもちろん、冒頭に触れた AppleLink の崩壊や、eWorld の水没といった禍々しい記憶の副産物と言っていいだろう。1960年代、周囲の熱狂の中で急ごしらえされながら、保守的なロンドン・ベイカー街から反発された同名の会社のことを精神的な親であると告白していたこのメーカー創立者自らが過去の一時期、「海軍に入るくらいなら海賊になった方がましだ」と言い放ちながらドクロマークの描かれた旗を振っていたこともその誤解の原因のひとつである。
 当ブログが公開されているドットマックにも、そのいわゆる海賊スピリッツの片鱗が残されているが、今では例の民間非営利団体や情報整備を目指している営利法人、その他通信業務を取り扱う企業等と折り合いをつける術を身に付けている。当ブログが選んだのはそんな大人の事情を汲み取る余裕と、そしてハーモニー、オープンマインドをあわせ持ったスペースだ。

 このたび新生活を始める皆さんへ。
 どの地域・スペースを選ぶのかは、当然ながら皆さんの自由である。どのスタイルを選ぶのかも自由。どの検索エンジンを選ぶのかも自由。どの生き方を選ぶのかも自由。どの言葉を選ぶのかも自由。
 選ぶのはすべて新生活を始める皆さんの自由である。すべては皆さんの自己責任。しかし、差し出がましいことを許諾していただけるなら、この「ハーモニー」そして「オープンマインド」という言葉が、これから新しい仕事、新しい家庭、そして新しい生活を始める皆さんの心の支えのひとつになれば幸いである。
 ご幸運を!

Posted at 06:38 午後    

水 - 3月 19, 2008

今さらここに興味を持たれても多少の困惑を隠すことができないこと


 緑色の板を貼り合わせた屋根は東西に面した約45度の急斜面になっていて、白壁とのコントラストが爽やかさを主張しているのだけど、屋根と同じ色と素材で作られた全部で二十一ある雨戸がすべて観音開きになると見る角度によっては配色のバランスが崩れ去って嫌味になってしまうというその建物は上空から俯瞰するとL字形で、ちょうどその直角の部分に表玄関のドアがあり、敷石のまわりにきれいに生えそろった芝生で走り回っていた子どもたちが、今まさに降り出した大粒の雨から逃れようと、キリンの身体を模したかのような彫刻が施されたそのドアに群がって取っ手に手をかけようかというところ。

 おそらく無人島であろう二つ三つの巨岩島の手前、荒れ狂う湾に向かって細長い弧を描く半島部の砂浜はそれでも少しずつ陸の奥へ向かって移動しつつあり、年間数十メートルというその侵食スピードは海に出る直前で大きくカーブを描く川の側にあるL字型の家へ到達するまであと数か月だと予測されていて、乾燥した冷たい風が吹きすさぶ山脈の西側を迂回して半島の北側の都市へと続く街道沿いの、ある一定の間隔で建設されたいくつかの町のどこかに受け容れ態勢を整え、L字形住民たちを砂漠化難民として避難勧告が出されようかというところ。

 半島の付け根から湾の外へ続く潮の流れは大洋を巡り、惑星の半球をぐるりと一周するほどの潮流となり、惑星の自転や潮流自身が形成する回転座標系におけるさまざまな慣性力や、衛星の重力、惑星各地の大気圧、それから海底の複雑怪奇ともいえる地形、その他太古からこの大洋は自分の領分だと主張し、常に監視態勢に入っている海の女神などあらゆる宗派の海神たちや、その他もろもろの理由で進路を変えられ、数十年、あるいは数百年がかりで元の半島へ戻ってこようかというところ。


 さてと・・・。
 そんな惑星の大きく渦巻く海半球の裏側、乾いた不毛の地として認定を受ける権利をもつ大陸の周縁に点在するわずかな湿潤地帯に住む知的生命体の皆さまにおかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げる次第でありますが、この度、この惑星上にわずかに残されたそのオアシスとも言える地域に向けて、我らが Weblog「open minded」が配信されることに相成りましてございます。いつ消滅してもおかしくないそのオアシスで、日々の生活を全うしようと精出しておられる皆さまの踏み出されるその一歩に対して、僭越ながらほんの少しばかりのお力添えができればと考えております。

 ところがすでにご存知のとおり、わたくしたち「open minded」の編集部が常駐するこのL字形の建物も、今や荒波と砂嵐と雷雨に脅かされていて、編集部にも避難勧告が出されているといった状況でありまして、つまり、こちらもいつ何どき編集部閉鎖という事態に陥るかは誰にも不明で、まったくもって一寸先は闇。当然わたくしたちの将来行く先もまったくの闇の奥でございます。一筋の光さえ手探る術もございませんが、とりあえず今は皆さまと同様、一日いちにちを精一杯、心を込めて過ごすことに邁進いたす所存でございます。

 ふぅーっ・・・。
 降り出したこの雨はおそらくもう止むことはございません。雷雨は嵐になり、いつの日か北の山脈が崩れ始めます。先ほどまで芝生で走り回っていた子どもたちもドアの中へ逃げ込もうとしております。彼らがこの庭を走り回ることはもう二度とございません。二十一の雨戸も玄関ドアも二度と開かれることはありません。
 そして今、この玄関へ最後に入ろうとする年長の姉がドアを閉じるその一瞬の直前、彼女はこちらをもう一度振り返り、ぎこちないウィンクとともにこう言うのでございます。
 ご幸運を! と。

Posted at 12:14 午前    

土 - 3月 15, 2008

最近毎日毎時すり足でごまかし混ぜ合わせながら動き回ること


 ライブとかコンセプト重視の作りであるということで、全曲あるいは一部の曲がメドレーになっているアルバムというのがライブラリの中にいくつか存在しているんだけど、このshuffleの手にかかればそんなコンセプチュアルなストーリー/幻想は無残に、そして軽やかに解体/再構築されて・・・(なんか懐かしいでしょ、うふふ)。
 まったくもって何を今さらという感じだけれども、とにかく、人生はランダムとかなんとかいう第一世代デビュー時のキャッチコピーそのままの軽やかさで、そして実際、持っているのかどうか分からないほどの文字通りの軽さで、その日その日の色んな出来事も次々と通り過ぎていきます。子どもが卒業したり、確定申告書類の不備を追及されたり、母親が倒れたり、クライアントと契約更改したり、夜中に突然電話が掛かってきて笑われたり、また泣かれたり、一方では走らされたり待たされたり、冷たい雨に降られたり暖かい風に吹かれたり、はたまた論争に巻き込まれたり、コーヒーを勧められたり、“Sheep”の後に“Pharaoh’s Dance”、“Charlie M”の後に“Isolation”、“Snow Girl”の後に“Inca Roads”といった具合。

 ふぅーっ・・・。
 この先、頻繁に東奔西走ということになりそうですが、手放せないのはナントカ・タッチとかナントカ・エアではなく、やっぱり“shuffle”のみ。

iPodshuffle

Posted at 01:12 午後    

木 - 3月 6, 2008

巨大なデスクトップ・コンピュータの仕事はshuffleに音楽を送り込むこと


 カメラマンたちの機材を積んで小雨そぼ降る渋滞の新宿通りをノロノロと走るおんぼろワゴン車の、その後部座席に沈み込んでぼんやりと思うことは、厄介な仕事が終わったという安堵感もさることながら、尊敬すべき人物を失ってしまったわりにその事がまるでBGMを盛り上げるためのちょっとしたエピソードに過ぎないと感じている自分のマインドの不可思議さについてであり、その不可解な自分自身の心持ちの理由として、すぐれた編集者であった彼が急逝した衝撃と悲しみ以上に、その後巻き起こった数々のトラブルの処理にすっかり疲弊してしまったからだろうというのがまず第一。
 その後に続いて、半蔵門を出発したワゴン車がちょうど四谷を過ぎたあたりでは、今は亡き彼の四十九年間の人生のあいだで本当の自分を打ち明けた相手がいたのだろうかとか、最近では心の底から笑ったことがあったのだろうか、好きな音楽があったのだろうかなどというほんの小さな興味がいくつか。それは彼のプライベートについてはほとんど知らなかったことに今さらながら気付いて愕然としながらも、なぜかこの後部座席に落ちている鉛筆の削りかすのように、書き続けるためにどんどん削られて捨てられ忘れられていくんだというあきらめにも似た感情とともに付随して湧き上がる好奇心とも言えます。

 即席の寄せ集めだとはいえひとつの仕事チームが解散し、こうしてカメラマンたちは機材を撤収し、自分も編集現場に持ち込んでいたデスクトップ・コンピュータ本体とモニタ、スキャナなどの周辺機器を運び出しながら思うのは、今までに何度となく繰り返してきた仕事場の撤収というのが、文章の区切りである句読点であるどころか、大抵はひとつの単語にさえなっていないというお粗末さで、まるで夜逃げさながら追っ手に見つからないようにシートに深く座り込み、運転手に向かってもっとスピードを出せなどと怒鳴ってみる冗談の中に少しばかり真実味が隠されているのもこれ周知の事実。一同苦笑い。

 ところが四谷三丁目で外苑東通りを越えたあたりから、そんなワゴン車内の空気も微妙に変化してきて、窓の外の冷たい雨とは裏腹にカメラマンたちのこれから、つまりこの次に控えている彼らの大仕事についての熱い議論の幕が落とされます。こちらも半ばそれに巻き込まれるようなかたちで、何となく未来は明るいと信じられるようになってくるから不思議なもの。このまま御苑トンネルをくぐり抜け、新たな気分で次の仕事にうち込みたいと考えるのも無理からぬ話なんだけど、ふと振り返った後ろの窓の向こう、粘ついた繊維質のような暗雲垂れ込める半蔵門方面はテレモーヴェと呼ばれる邪悪な大地といった様相で、うすら寒く食糧も不足していて人々はあまり言葉を交わさず、偏執狂のカップルが部屋の隅にしゃがみこんでじっと夜が明けるのを待ち続けるのにぴったりの街並み。東京の中心部にあって、オーナーの方針でなるべくヒトの手を加えないようにして温存されている広大なジャングルの向こうの空から朝日が昇る頃にはミルクラン(牛乳配達)と呼ばれる赤字校正の爆撃が始まっていたわけだけど、もはやそれさえも甘酸っぱい青春の思い出のよう。

 ふと思い出して弾かれたように運転席へ身を乗り出し、トンネルに入らずに四谷四丁目の西通りの手前で右車線に入るように言いながらフロントガラスの先を見ると、目的の車線はすでに車の列が長く伸びていて到底割り込めそうにない状態。運転者に聞けば西新宿で一旦停止するというので、そのまま御苑トンネルをくぐり、新宿駅を越えてからぐるっと靖国通りへ回ってもらうことになったわけですが、そのおかげで邪悪な重力から解き放たれたかのように一転して身軽になるのも奇妙な話です。

 そうしてまた新宿の仕事場に機材を運び込み、マシンに火を入れ、買ったばかりのgreen shuffleのためのライブラリを作ってシンクさせ、マフラーを首に巻いてクリップ式のshuffleではさみ、再び新宿通りを今度は歩いていく夜。イギリス娘の鼻にかかった歌声や、稀代のポケットトランペッターの音色を聴いていると、今朝自宅から歩いて有楽町まで行き、そこからまた半蔵門まで歩いたことなどすっかり忘れ去ってしまい、まだまだ歩けるような錯覚に陥ります。
 そうして待ち合わせ場所が違うじゃないかとケータイに向かって罵る若者や、山高帽の上に巨大なヘッドフォンをしてすでに千鳥足になっている芸術家風情や、傘もささずにゆっくりと歩きながら両腕を振り回している巨大なリュックを背負った長身の男や、ヘッドマイクに喋りながら笑顔を絶やさずに広告入りティッシュペーパーを配り続ける背の低い女や、そのほか雨を嫌いながら急ぎ足で駅に向かうビジネスマンや、反対にこれから盛り場でひと騒ぎしようと駅から出てくるオフビジネスマンなど、無数の人々とすれ違いながらふと考えるのは、今となっては巨大な自分のデスクトップ・コンピュータも、実はshuffleに音楽を送り込むために存在していたのだったということ。

 そんな風に考えるのも、取り込まれた音楽を順番に、あるいはランダムに再生するだけというshuffleが持つ機能とデザインの希有な潔さのせいであり、shuffle以外にそんな潔さを持つ商品を、この新宿という場所ではおそらく見つけ出すことができないだろうと確信するから。
 そのgreen shuffle、店頭にはシルバーとグリーンしか在庫がなくて、店員にどっちでもいいと言ったら、じゃあ残り少ないグリーンにしてはどうかと言うのでそれに従った結果の選択だけど、あとから思えば潔さという点ではシルバーに軍配が上がるのは言うまでもないこと。来月はシルバーを買います。ウソですけど。 

green shuffle1 green shuffle2

Posted at 05:47 午前    










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