木 - 7月 9, 2009

I see cruel twisted smile signals emptiness.





 あなたがもしこの地球上にお住まいで、なおかつこの惑星の端っこで振り飛ばされないようにどうにかかろうじてぶら下がっているといった態勢で日々をお過ごしなら、猛スピードで回転するその大きな渦にしっかりと捉まっているのが精一杯という生活にもすっかり慣れっこになってしまっていて、ちょっとぐらいこの手を離したところでどうってことないだろうなという錯覚に陥るのも無理のない話。
 ところが、そのぬるま湯的生活がもたらす油断か、あるいは手を離した後には一体どんな生活が待っているのだろうなどというちょっとした好奇心に捕われてうっかり手を離そうものなら、あっという間に銀河の東か西かどちらかに振り飛ばされて二度とこの惑星での生活には戻れなくなってしまうのが恐ろしくも決して揺るぎのない事実。
 そして、飛ばされる方角が東か西かで大きく変わるのがその後の人生、手を離すタイミングひとつがあなたの一生を決定することになるわけで、つまり銀河の中心部の動向は常日頃から注意深く観察しておくこと。

 西五番街や花椿通りあたりの目立たない一角にあって人を寄せ付けないような表玄関を擁するこぢんまりとした集会場では、そろそろ大掛かりな対立の前哨戦とも言うべき暗躍が始まっていて、なんだなんだ随分とキナ臭いじゃないかというのがその印象なんだが、こちらも大きな渦の端っこで必死にぶら下がっている身分である故、渦に巻き込まれるのは真っ平御免だけれども、手を離すタイミングだけは何とか間違えないようにと遠目の観察を決め込む小暑の昼下がり。
 天の川の正体が他ならぬ我らが銀河系であることなどすっかり忘れて、それがまるで戦陣の境界線であるかのように東西に分かれて睨み合いながら、しかしその対立構造はそんなに単純なものでもなく、自電民博それぞれ右往左往入り交じって互いに右手で握手しながら左手で殴りあう様相。

 いずれにしても銀河の中心などに長居は無用、早々に退散して外堀を右回りに迂回するのが吉であり、自分の分相応な居場所にてゆっくりと座り、扇風機が回る音、CPUクーラーのファンが回る音、換気扇が回る音、HDDが回る音などに耳を傾けながらそしらぬ顔でつらつらと書きつけ、小暑を過ぎても何事もなかったかのように振る舞い、いつものように虚無のパブリッシュボタンを何のためらいもなく押すだけ。

Posted at 02:22 午前    

木 - 7月 2, 2009

I returned from somewhere out there to tropic.





 夏至をだいぶ過ぎてからようやく腰を上げて書き出すのもそれなりの理由があってのことで、つまりそれは甘い夏の汗とともに東へ走り、いくつものジャンクションを越え、再びこの街のアスファルトに靴音を響かせ、古道具屋の兄ぃとともに梅雨空に向かって悪態をつき、大陸へはもう帰れない料理人が炒めた飯を食い、人生においてそう何度も得られないような幸福と不幸を一度に体験した女の話を聞き、新宿通りを流す第四交機の白バイの後を公然と尾行し、パートナーを突然失った広告会社の経営者がうわの空で差し出す生ぬるいコーヒーを飲み、練馬の豪邸を没収された一家が住む木造アパートにて猫と戯れ、麻布の裏通りの急な坂道にて会う人を待つ間のにわか雨にコートを濡らし、そうして彼ら彼女らが自分の失ったものはもう二度と手に入れることのできないものであろうというような諦め顔を見せながらも、その苦笑の中にふと両肩の重荷を下ろしたような安堵感も一緒に滲ませていたからであり、結局のところ、アポカリプスを超えた後に満ちあふれたその安堵感の下でゆったりと大きな心持ちで事を進めるのが吉であろうということ。

 夕刻の外堀通りをそぞろ歩くひとたちは、惑星の公転が後半ともいうべき軌道に入り、太陽が今や刻々と南へ退却していることに気付いているのだが、それよりもむしろ遅れてやってくるその黙示録の余波によって引き起こされる自分自身の身体の血圧の変化に対する不安のせいか、どこか物憂げな表情を見せていて、これから7Gの加速で大気圏に再突入するかのように腹に力を入れ、空気を飲み込むように素早く息を吸い込みながら、会話も短く簡潔に済ませ、余計なことを一切言わないように心がけているかのよう。
 したがって、短い質問とそれに対するさらに短い答えのやりとりが半永久的に続くだけで、ここが情報化社会だとは一見では信じられないくらいの情報量の少なさ。ただし、情報化社会という所はあらゆる情報が飛び交っているような錯覚に陥りやすいけれども、実際のところは情報量は恐ろしい勢いで減少しているのがほとんどで、国家の政治方針から夕食の献立の決定まで全ての物事がQ&A的なコミュニケーションのみで進められていく。

 明確な答えをすぐに欲しがり、接続詞、代名詞、ノイズ混じりの形容詞などを削ぎ落としていき、YESかNOで全て解決しようとするが故に、いとも簡単にマインドコントロールされることになるわけだが、それも夏至を過ぎればみな落ち着きを取り戻し、彼方へ伸びる高速道路上に並ぶオレンジ灯が夕刻の霧雨に煙るのを見つめながら自分自身の過ちを後悔するという心境にもなるのが救いといえば救い。甲州街道を右折する頃には雨足も強くなろうけれど、遠日点を通過する瞬間にふと後方をふり返る仕草でやり過ごせば、あとはコーヒーカップ片手にゆっくりと落ち着いて考える時間が待っている。すぐに帰る。

Posted at 02:43 午前    

土 - 6月 6, 2009

I sow the seed filled with hope.





 いやぁ、もうね、忙しいですな。まったくもって慌ただしい。朝から晩まで一日中忙しいです。
 考えてみれば昨日から忙しい。いや、去年から忙しい。やっぱり何年も前から忙しいな。もう大昔から忙しいよ。とにかく最初っから忙しいです。なにしろヒトの一生これずっと忙しいのです。揺籃から墓場まで忙しいんだよ。とにかく忙しいんだ。あたりかまわず忙しいときたもんだ。何がなんでも忙しい。闇雲に忙しい。あぁ忙しい忙しい。

 このように忙しいと書くのに忙しいわけでして、なぜそんなことをしているのかというと、もともとなぜ忙しかったのかを忘れてしまうためというのがその目的であり、結局のところ実はそれほど忙しいわけでもなかったんだなということをちゃんと自分で再認識するためです。

 あぁいや、ホントはヒマなんだけど、ちょっとカッコつけてビジネスに忙しい現代人みたいに振る舞ってみようかなどと考えたり。あるいは、せっかくワークステーションとカテゴライズされているマシンも埃が溜まってしまって、なんだなんだ全然使いこなしていないじゃないかという焦りが湧き上がってきたりで、これはもう無理やり忙しいふりをしているというわけ。

 さてと・・・。
 あのね、時計の箱がないんですわ。
 何だよやぶからぼうに、とお思いでしょうが、去年買った腕時計の箱がないんですよどこにも。いや捨てた憶えはない。わりとちゃんとしたケースです。小さな枕みたいなのが入っていて、時計のベルトをそれに巻き付けてケースに入れておけばちょっとした飾りにもなろうかというようなスタイルの。

 いえ、どこのメーカーの何という時計かは言いません。言えば嫌味になりますからね。
 なぁんてウソです。ホントはうちの近所に本社がある庶民的なメーカーの量産時計です。カツオによく似た名前のメーカー。ケースに入れて陳列するような代物じゃないんですよ。丈夫なだけが取り柄みたいな。

 まぁね、そんな箱なんて別に要らないんですが、たしかここに置いといたのに見当たらないとなると気になってしかたがない。つまりケースをなくしたことではなく、むしろどこに置いたか忘れてしまう自分に焦ってしまうんです。なんだなんだいよいよアルツ始まったのかという切迫感から来る焦りですな。
 いや、わたくしまだまだいける、日常生活にも何ひとつ支障はないぜと思いながら、同時に何かに追い立てられるような切迫感に満ちあふれ、一日中そこら辺をすべてひっくり返して探しました。箱を探していたんではなくて、失われた記憶を探していたんです。

 ふぅーっ・・・。
 結局、今日は見つかりませんでした。明日また別のところを探します。この分では明日も忙しい一日になるでしょうな。

Posted at 03:28 午前    

木 - 5月 21, 2009

I am gonna crawl.





 もしかしたらそうじゃないかとうすうす勘付いておられた皆さまに対して今一度ここで念を押しておきますが、お気づきのとおりここはMac系のブログであり、Macについてのトピックを主としています。
 などと断言してしまうと、おいおいどこがMac系なんだよ、冗談半分というか意味不明なエントリばかりじゃないかと目くじらを立てられ、口角泡を飛ばされ、今にも胸ぐらを引っつかむような勢いで文句を言われそうなので、じゃあいいです。言いなおします。最近はちょっと違うように見えるかもしれませんが、もともとMacのことを書こうとして始めたブログです。ええそうなんです。

 それが証拠にまずタイトルが「open minded」だ。これは実はわたくしが長年使っていた青白G3の広告のキャッチフレーズです。おいおいなんだよ、オマエが考えたタイトルじゃないのかよとさらに叱られそうですが、いやこれ実に良い言葉じゃないですか。「think different」の奥深さにはかなわないかもしれませんが、なかなかどうして味わい深い言葉です。それについては大勢の方の賛同を得られるはず。まあここはひとつ怒らないでオープンマインドでいきましょう。怒ったら負けだ。面倒は御免だ。

 でね、この青白G3を前世紀末からこっち、商売道具として数年間使ってきたんですが、その間に.Macが始まったんです。最初はiToolという名前でしたがとにかく始まっちゃったんです。ずっと前、会社員時代に使っていたマシンでは、Internet スタータキットを導入し、Netscapeなどを弄ったりしてたんですが、iTool(.Mac)が始まってからはHomepageサービスで簡単にページをこしらえていました。これ面倒くさがり屋にはもってこいだったわけですが、ここに来てそのサービスも終了です。7月7日にね。小暑です。

 まあこれはだいぶ前から了解済みのことなんですが、やっぱり何というか登っていた梯を外されるような感覚なんだな。なあんてこと言ってると、なんだよ、どっかに飛び移れば良いだろうなどと鼻で笑われるでしょうが、このわたくし、ひょいっと身軽に引っ越せるほど若くないのですよ、もう。

 だって引っ越しなんて億劫ですよ。面倒くさいじゃないですか。とにかく何をするにも面倒なんです。まったくもって面倒くさい。朝から晩まで一日中面倒くさい。考えてみれば昨日から面倒だ。いや去年から面倒だ。やっぱり何年も前からずっと面倒くさい。もう大昔から面倒です。とにかく最初っから面倒だ。なにしろヒトの一生これみな面倒くさい。とにかく面倒だ。あたりかまわず面倒くさいときたもんだ。何がなんでも面倒くさい。闇雲に面倒だ。あぁ面倒くさい面倒くさい。

 ふぅーっ・・・。
 したがって、梯を外されたこのわたくし、どこにも飛び移れずに手足をバタバタさせて空をかきながら真っ逆さまに落っこちてゆくのです。あぁ・・・。ってどこからどこへ落ちるのかよく分かりませんけどね。それを考えるのさえも面倒だ。

 ところで話は突然変わりますが、twitterとかtumblrとか流行ってるじゃないですか。もうかれこれ二年以上前からtwitter使ってますけど、これ面倒くさがり屋にはもってこいですな。ひと言ツールです。で、どちらも情報をうまく利用するって使い方が吉だとか訳知り顔が言ったりしてますが、twitterなんて情報収集ツールじゃなくてむしろ情報撹乱ツールなんじゃないかと思いますよ。もう言いたい放題だ。
 言いたい放題なのはオマエだろうとお思いでしょうが、確かにおっしゃる通り。このブログでもとにかく情報整備指向に対する悪あがきという基本スタンス。これはもう、iTool(.Mac) Homepageを使い始めた頃から変わらず、いや、Internet スタータキットを使い始めた頃から、いやその前にHyperCardを使い始めた頃から、いやいやもっとずっと前、自分が見様見まねで鉛筆を使い始めた頃から変わらず。梯を外されてバタバタと空を泳ごうとする悪あがき動作はこのわたくしの基本スタイル。

 さてと・・・。
 無駄口とは死刑寸前に看守と今日の天気について話すことらしいですが、執行日である7月7日までにもう少し手足をバタつかせて、ひとつふたつ無駄口を叩いておこうかと思います。わたくしの四十代はこのHomepageサービスとともにあったと言えるでしょうから。
 などと書くと、また随分大げさだなと言われそうなので、じゃあいいです。言いなおします。最後の悪あがきです。

Posted at 01:36 午前    

日 - 5月 10, 2009

I like you.





 今年は惑星公転の各ポイントごとに、つまりある種の季節区分ごとにエントリを書こうと思っていたのだけど、事情により二つ三つ飛ばしてしまいました。何かが死んで、何かが終わるという特別だけれどもそれ自体は単純な出来事が起こり、同時に付随する様々なイベントに専念せざるを得ない事情があったわけです。しかしながらそんなヒトの事情などお構いなしに惑星は公転を続け、季節はただ淡々と巡るわけで、このサイトも少しずつ更新され、あまり意味のないエントリが一つずつ積み重ねられていくことになっています。何かが終わるまで。

 さてと・・・。
 あなたがもしこの地球上にお住まいで、ちょうどこれから新生活を始めようとしているのなら、なけなしの金でデスクトップ型のパーソナル・コンピュータを一台購入し、恐る恐るマウスを滑らせ、慣れない手つきでキーボードをポツポツと叩いて自分のホームページを作り、猫の額ほどのウェブスペースに公開するという一見不審な行動をとるはず。いやそれは十数年前であればの話。
 自分が今ここに存在している証拠とも、あるいは傷跡ともいうべき一連のページを、クラリス社製のソフトウェアなどを使って自らの手で創り出したいという欲求から生まれる所作にはそれほど有益な情報は含まれておらず、つまりそれはたいして意味はなかったというのが実際のところ。
 その数年後にはある種の調和が生まれたため、北米西海岸側のとある町に設置されたサン社製のサーバ内に格納されたWebツールをブラウザで遠隔操作すれば、そこそこ見栄えのするウェブページを作ることが可能になったのはまだ記憶に新しい。これはパロアルト市中において放浪とも散歩ともつかないそぞろ歩きを続けていたタリジェント社やネクスト社の元社員たちがそこに己の道を見出したから。

 どの人もどの会社もお別れは突然やって来て、すぐに済んでしまいました。新天地において彼らのあいだに時々湧き上がるゲラゲラ笑いや、ビールを飲み干した後のゲップには常に死の香りが漂い、.Macと名付けられたこのスペースもまた淡きこと雲の如し。さよならを言っておけば間違いはない。季節が巡って、.Mac HomePageというWebツールも小暑に終わると宣告されました。MobileMeの電車は動き出していたんだけれども、次の駅でぼくは降りてしまった。三十分泣いた。

Posted at 03:06 午前    

土 - 3月 21, 2009

I play my red guitar.





 いやぁもうね、赤いですな。まったくもって真紅だ。朝から晩まで一日中赤いです。
 向こうの山からこっちの谷まで赤いんです。前から後ろから赤くて、見渡せば東西南北どこもかしこも赤い。いやむしろ上から下まで一直線に真っ赤っかです。手足が赤いし目鼻も赤い。もちろん耳は赤いしうなじもまた赤い。
 考えてみれば昨日から赤い。いや去年から赤い。やっぱり何年も前からずっと赤い。もう大昔から赤い。とにかく最初から真っ赤だ。なにしろヒトの一生これみな赤い。ゆりかごから墓場まで赤い。結局は紀元前から久遠の未来まで赤い。
 認めたくはないが数えれば数えるほど赤いし、余計なお世話だが書けば書くほど赤い。とにかく赤いんだ。あたりかまわず赤いときたもんだ。何がなんでも赤い。闇雲に赤い。あぁ赤い赤い。

 さてと・・・。
 このわたくし、事業者として年間通して各種帳簿をつけ、この時期になると決算書等を作って青色申告し、そして事業所得税を納税している実に真面目でまったくもって善良なる一区民なわけですが、今期の決算書はあらかじめ予想していた通り、里道の傍らに咲く紅梅のような色に染まっております。いや、実際のところはそんな風情などを鑑賞する余裕もないようなアカでございますれば、諸経費削減という世の中の流行を追ってわたくしもリストラ計画試案なるものを作ってみたのでございます。
 で、この計画書を作成するに当たって、iPhoneにPocketMoneyというアプリケーションを導入し、この数週間の収支をサンプリングしてみました。PocketMoneyってのは言ってみればおこづかい帳ですわ。そうは言っても、Newton、Palm時代から続く由緒あるアプリだけあってなかなか奥深いですぞ。まぁ今回はまだ導入して間もないので、詳しい数字はもう少し経ってから集計して公表するとして、まずは初期の収支をもとに大ざっぱな目標としての計画書を作ろうと考え、その試案というか思案をここに記してみようかと思うのです。

 おいおいちょっと待てよ、オマエの個人的なリストラ計画なんて読みたくもないぜ。なるほどお忙しい皆さんならそうお思いでしょうな。そんなものはオマエが勝手に作って見せるべき相手に提出すればいいじゃないかと。
 確かにごもっとも。理にかなったご意見です。いや、わたくしももちろんそんなことは先刻承知だ。充分了解しております。了解しておりますですが、肝心のその提出する相手というのがどこにもいないときたもんだ。いやぁ困りましたよ。一体どこのどいつに向かって提案すればいいんですか。他人を煽てるのだけが巧い金融機関ですか、サボり癖のついた税理士ですか。

 ふぅーっ・・・。
 大規模な事業を行なうひとは別として、いわゆるフリー(フリーランス、つぅかむしろフリーターだな)の個人事業者の常として何もかも一人でこなさなければならないという宿命がありますが、今回の一件もどうやら一人で何役もこなさなければならないようなのです。さぁどうしましょうかね。試案について思案して、計画書を作成し提出し、それを受け取って実行する。すべて一人で執り行わなければなりません。昨今流行のダイバーシティなどどこ吹く風、何もかも一人でやる。独裁政権の恐怖政治だ。ビシビシいきますよ。

 まず例えば食費です。あ、食費は自給自足するからいいとして、例えば水道代です。あ、水は川から汲んでくるからいいとして、例えば衣料費です。あ、衣服は全裸だからいいとして、ガス代です。あ、これは薪をもっと増やせばいいとして・・・。あれ、あと何かあったかな。
 そうそう、ガソリン代とか灯油とかの燃料費だな。それから電話代というか通信費。おっとその前に肝心の電気代があったよ。さあどうやら押さえるべきポイントが炙り出されてきましたよ。電気代なんてどうしましょうかね。巨大なデスクトップマシンがうなりを上げているこの仕事場です。やはりここはもっとコンパクトなマシンに取り換えでしょうか。そう言えば最近はマクドに行けば電源もあるし、さらにはWi-Fiもある。電気代と通信費は一挙に解決じゃないですか。仕事マシンをマクドに持ち込んで電気は使い放題の充電し放題、ネットも使い放題だし、電話なども使ったことないけどスカイプでいけるかもしれません。
 え? ネットは何でも使い放題ってわけじゃないんだぞって? いやいやそこを何とかよろしくお願いしますよ。無理を承知でこの頭を下げてるんだ。何とかしてくれ。何でもいいから助けろ。
 というわけで何とか使わせてくれることになりました。なんだなんだリストラ計画案ほとんどでき上がっちゃったぞ。

 さて、あとは燃料費ですが、時すでに春分。暖を取るための灯油などはもう不要です。そうすると残ったのはテツゲタ2世号に入れてやるガソリン代だけとなりました。これから暖かくなるとますます野を越え山を越えてツーリングなどに出かけてみたい時節ですから、うっかりするととてつもない経費になってしまうやもしれません。じっくりと計画しなければなりませんな。
 これは次の清明までゆっくり考えさせてください。どうやらこの計画もすでに99%は達成されたも同然のようですから、残された課題もきっとうまくクリアできるでしょう。いや、まず大丈夫。この分なら来期の決算書は大きく黒字へ転回して、来年の春分あたりはもう左うちわで悠々自適ですぞ。もうね、黒々とした真っ暗闇のようなクロです。前から後ろから黒くて、見渡せば東西南北どこもかしこも黒い。いやむしろ上から下まで一直線に真っ黒です。それはもう禍々しいほどに。

Posted at 11:40 午後    

土 - 3月 7, 2009

I am waiting for the sun.





 いやぁもうね、待ちましたな。まったくもって待ちぼうけだ。朝から晩まで待ってました。
 向こうの山からこっちの谷まで待ってましたよ。前から後ろから待ってて、見渡せば東西南北どこもかしこも待っていた。いやむしろ上から下まで一直線に待っていた。考えてみれば昨日から待っていた。いや去年から待ってた。やっぱり何年も前からずっと待ってた。もう大昔から待ち続けていた。とにかく最初から待っていました。なにしろヒトの一生これみな待ち続けです。ゆりかごから墓場まで待ってる。結局は紀元前から久遠の未来まで待っている。とにかく待ってた。あたりかまわず待っていたんだ。何がなんでも待ってる。闇雲に待つ。あぁ待ってる待ってる。

 オマエはいったい何を待っているんだなんてそんな野暮なことは言いっこなしです。何を待っているのかなんてそんなこといちいち言わなくても分かるはず。とにかく待つことに意義がある。ヒトは待ってなんぼ。生きることすなわちこれ待つこと。
 あなたが今まさに待っていること、それを思い浮かべてみれば自ずと答えが見えてくるはず。いや、何を待っているのかなんてむしろどうだっていい。いかに待つのか、どういった心構えで待つのか。ヒトの真価が問われるのはまさにどのような態度で待つのかということ。その姿勢こそがヒトとして最も大切なこと。

 若いころは、自分が何のために生きているのかなどとメランコリックな面持ちで考え込んだり、あるいは自分が生きる意味を求めて見知らぬ土地を旅してまわったりと、とにかく自分のことで精一杯になってしまうのが常であるけれども、それらは結局のところ、待ち続けることに耐えかねた末に湧き上がる傍若無人でなおかつ厭世的な暴走とも言える一時の過ち。

 デジカメやケータイなどで加速されたそれら傍若無人の暴走はフッタ下のさらに欄外へ追いやり、椅子に腰掛けて春の太陽を待ちながら机に向かって書くのがこのブログ。待ってましたとばかりに這い出す生物よろしく産み出された新しいデスクトップも活動開始の様子。
 いや、わたくしのはもちろんまだ生まれ変わりません。次は太陽の技術をふんだんに使用すると噂される雪豹が現れるのを待ちます。啓蟄を迎えてもなお待ち続ける。いやむしろ、来年までも再来年までも待ち続けます。

Posted at 04:25 午前    

日 - 2月 22, 2009

I am walking on the space key under the rose.





 いやぁもうね、寒いですな。まったくもってお寒い状況だ。朝から晩まで一日中寒いです。
 向こうの山からこっちの谷まで寒いんです。前から後ろから寒くて、見渡せば東西南北どこもかしこも寒い。いやむしろ上から下まで一直線に寒い。手足が寒いし目鼻も寒い。もちろん耳は寒いしうなじもまた寒い。
 考えてみれば昨日から寒い。いや去年から寒い。やっぱり何年も前からずっと寒い。もう大昔から寒い。とにかく最初から寒い。なにしろヒトの一生これみな寒い。ゆりかごから墓場まで寒い。結局は紀元前から久遠の未来まで寒い。
 認めたくはないが繰り出すダジャレはこのうえなく寒いし、余計なお世話だがフトコロもこれまたお寒いもんだ。とにかく寒いんだ。あたりかまわず寒いときたもんだ。何がなんでも寒い。闇雲に寒い。あぁ寒い寒い。

 さてと・・・。
 やっぱりね、久しぶりに書くブログはいいもんですな。iBlog を起動して新規エントリを開き、そうして寒い寒いと連発しているうちにね、どうにも嬉しくなってきてしまって、この指先もキーボード上を縦横無尽に駆け巡って何だか身体もポカポカと暖まってきましたよ。
 いやまったく、今や世界中が何かとお寒い状況らしいんですが、何はともあれ、2009年最初の iBlog 起動でございます。今年もよろしくお願いいたします。まぁね、グレゴリオ暦を採用している地域では、2009年も年明けから随分日にちが経って、今さら新年のご挨拶など時節外れでしょうがね。あと、国際固定暦連盟のお歴々や、あるいはドリームスペル暦などをお使いのまったくもって頭の固い皆さまにおかれましては、また別の機会に新年のご挨拶をさせていただきますので何とぞご了承のほどを。
 もっともこのわたくし、暦はどうあれこの寒さがあと何日続くのかといった極めてミクロで小市民的な関心しか持てない今日この頃でして、早く時が流れて暖かい季節にならないものだろうかというのが、わたくしの今やたったひとつの大切なお願いなのでございます。

 そもそもこの惑星の自転軸、つまり地軸が微妙に傾いているおかげで、惑星の公転期間中における気温差が途方もないものになっているわけでして、一体どこのどいつがこの星を23.4度も傾けやがったんだと大層ご立腹の様子なのが、ほかならぬ山々にお住まいの四つ足哺乳動物の皆さま方。毎年冬になると、とにもかくにも食糧不足です。食いぶちを求めてどうしても行動範囲が広がるこの季節、危険極まりないですな。一歩間違えば自分が食糧になってしまいますからね。

 ヒトもまたこの寒い時節になると、あちこち手を広げようとして右往左往いたします。そして、一人ひとりには無限の可能性があるなどとまことしやかに言われたりしますけどね。でも人間は人間としてしか生きられない。iBlogger は iBlog を書くことでしか生きられない。このわたくし、今年もまたユニバーサル・アプリそっちのけで iBlog を起動いたします。むしろ、ユニバーサルなんてくそくらえだ。

 ふぅーっ・・・。
 このあたりの季節も二十四節気でいえば雨水となり、そろそろ寒さも和らいでくるはずで、さぁ今年もバリバリ書くぞという、言わば遅過ぎた決意表明のようなことを言いつつ、まぁとにかく iBlog は今もこのマシンで変わりなく起動できるじゃないかと再確認したところで、皆さまおやすみなさいませ。

Posted at 02:32 午前    

水 - 12月 31, 2008

I say good-bye, and you say hello.





 酸性雨そぼ降る都市の西のはずれはまた新たな生命の息吹く裏通り、手のひらを差し出せばそこにそっと降り落ちる冷たい雨滴が逆に暖かさへの回復をもたらす道標となるはず。始まりの終わり。鎖骨を疼かせる気象の変化が引き起こすのもまた再生への道しるべ。re-bone. つまり re-born.

 駆け出しの全裸人である君たち、たった一粒の雨滴に過ぎない君たちがやがて彼方の海へ旅立つときに必要なものは、やはりあの全裸の詩人のこの言葉。
 「暖かい寝袋と豆の缶詰め、それから良い帽子と手入れされたポケットナイフを忘れるな。気を付けろ。そして正直でいろ」

Posted at 12:39 午前    

月 - 12月 22, 2008

I am on the grass, I am in the hall.





 あなたがもし、未だに自分自身で多様性を生み出す可能性が大いにあると考えるなら、交通や伝達の手段から少しずつ疎外された場所においてじっと息を潜めていることさえ、それが今なお有効な方法であることに改めてお気付きのはず。

 昼間は街道脇の看板の裏側に隠れ、そして葡萄畑の近くの廃棄物置き場、かつてマシンと呼ばれたモノたちの墓場にうずくまって夜を過ごす人々。街道を猛スピードで走り去る自動車が吐き出す排煙を吸い込み、山あいにそびえ立つパルプ工場の廃液が混ざった川の水を飲む生活。
 その川の対岸にはそれぞれの要素が巧みに組み換えられたもうひとつの秩序がそそり立ち、そこから排出される利用不可能なエネルギーさえも背負わされる宿命を持つ全裸人は、多様性の海へ旅立つことを常に夢見ている。

 すでに忘れられてしまった人目に付かない場所で、とうの昔にうち捨てられた道具を使って小さな灯をともしながら営まれる彼らの生活は、放棄されたツールを使い、忘れられかけたスペースに書かれるこのブログとどこか似ている。交通や伝達の手段から疎外された、つまりメインストリートから離れた広告看板の裏側などに書かれた意味不明の文字。

Posted at 11:41 午前    

日 - 11月 9, 2008

I speak obscure languages, always not idiomatically.





 5月。雨。電話。新宿。オフィススタジオ。テレビの音。エレベーター。苦笑いとため息。低い会話。腕時計。濡れた歩道。小走りの男。タクシー。ゆっくりと横切る女。甲州街道。メール着信音。デーモン再び。高速道路のライトが立ち並ぶ夜明け。スリープ。

 7月。柳。裸足。電話。城跡の石垣。バイクの排気音。朗らかな笑い声。湿った風の匂い。裏通りの石畳。古い商家の軒先。三毛猫。作り笑顔の男。契約書。仏頂面の女。腕時計。アイスコーヒー。雷鳴。メタファー再び。ロードマップ。雲が流れ落ちる夕暮れ。ログアウト。

 9月。海。ランニングシューズ。腕時計。パームツリー。文学全集。なびくカーテン。女の泣き声。フェリーボート。夕焼け。大股で歩く男。電話。ライブハウス。海岸通り。紅茶。エナメルの足下が動き回る深夜。ダイナモ再び。シャットダウン。

 11月。雨雲。峠道。バックミラー。パルプ工場。渓谷。揺れるテールランプ。枯れ葉。電話。駐車場。振り返る男。診察室の明かり。低地。気圧計。缶コーヒー。新聞を読む女。エネルギー再び。イヤフォン。腕時計。ぼんやり浮かぶ半月。リスタート。

 盲目的で魂なきもの。存在すら知られていない世界への退却。時間の亡霊が繰り広げる奇跡のダンス。禍々しい瞳の奥に隠されたプロジェクター。朱色の天使による大量殺戮。近づいてくるビロードの灰。すべてを見そなわす空虚の増幅器。

 希望の箱。思いやりの外套。憐れみのスープ。暖かい家。読めない文字。

Posted at 04:26 午前    

月 - 10月 27, 2008

I get back to ordinary world.





 ハーイ、お久しぶりね。戻ってきたわよ。ええ、この普通の世界にね。そう、あなたのすぐそばに。
 いつものようにあの電車の窓から飛び降りてね。例のコンパスポイントの先の境界線を越えたわ。雷鳴轟く峡谷を渡り、虚ろな空洞を抜け、岩だらけの山々を越え、厳戒態勢の栗林を通り抜け、秘密のドアを開け、杉林の獣道を登り、北の沢を渡り、群衆が押し寄せる表通りを人波かき分け、番犬を倒して壁をよじ登り、あの区域を這って進み、素知らぬ顔で鉄条網沿いをゆっくりと歩いて来たのよ。
 あたしは臆病なんかじゃないから分かれ道も迷うことはなかったわ。そう、目指す場所ははっきりと見えていた。そして今、こうしてあなたの隣にいる。

 あたしの顔を覚えているかしら。ええ、鼻の形が少し変わったでしょ。でもあなた好みになってるはずよ。鼻の形が変われば人間そのものも変わってしまうと言われているけどさ。あたしは自分では何も変わっていないつもりなの。
 ああ、でもやっぱり自信ないわ。だって周りの人たちはみんなあたしがすっかり変わったと言ってるもの。きっと人間性って鼻に存在してたのね。

 あの峡谷を渡ったところで整形手術したのよ。色んな残骸が放置されてる場所の近くでね。あそこへ行ったことがあるかしら。フレームの曲がったモーター・サイクルや、ネックの折れたエレクトリック・ベースや、ボードが焼けてしまったパーソナル・コンピュータがたくさん積み上げられてるあの場所よ。その先に小さな葡萄畑があって、その向こうに鼻の手術室があるの。
 そのお医者はね、緊急時にはボールペンで気道切開手術とかするような人なのよ。いつもボールペンを持っててさ。それが万能ボールペンなの。それがあればダミー人形の破損部分がチェック出来るし、気道切開も出来るし、それにブログも書けるって言ってたわ。
 それでね、あたしが手術台に横になったときも彼はボールペンを持ってたの。まさかそれで? って尋ねたら、ああ間違えた、ですって。笑っちゃうでしょ。手術台で全裸のまま横になってるあたしと、そのそばに立っているお医者も全裸でさ。手術室の入り口からだと、二人の全裸人がちょうど十字形に見えるの。それでその十字形の縦線にはボールペンが夕日に当たってキラリと光ってるのよ。うふふ。

 でもお医者は気を取り直してすぐに手術を始めたわ。道具を間違えて照れ臭かったのか、すっかり黙り込んでしまってね。ちょっと可愛いところもあるお医者ね。
 まずね、ヨードチンキとアルコールで鼻の周りを消毒してから鎮痛剤を飲むの。でもこれがあまり効かなくってさ。どういうわけかあたしったら興奮状態になっちゃって。でも何とか気を静めてから、メタフェインでもう一回顔を洗って、鼻の奥にガーゼを詰め込まれたわ。防腐剤とか血液が喉に流れ込むのを防ぐためよ。
 次に麻酔を打つんだけど、これがすごく痛いのよ。それをたくさん打つの。鼻先の両側に一本ずつと鼻翼を麻痺させるためにそのまわりに放射状に数本、それから2インチの針で鼻孔から眉間にかけて両側に2本。さらに鼻の中の下軟骨の間から鼻根まで1本。

 そうしていよいよ切るの。側軟骨の下の鼻中隔から鼻内部輪郭にそって左右に切るのよ。もちろんボールペンじゃないわよ。刃先がきれいな曲線になってるハサミをね、鼻孔から鼻骨まで入れて骨膜とその上の皮膚から切り離すの。それを左右両方やるの。鼻骨を両方とも切っちゃうのよ。鼻中隔で分かれてて、下の端のところで側軟骨につながってるところからね、額につながっているとこまで切っちゃうの。ノミみたいな道具も使うのよ。鼻孔から差し込んでぐるぐるえぐるのよ。ここら辺であたしはもう快感でうっとり。
 それから今度はのこぎり刃をね、さっき切ったところから鼻骨のところまで押し込んで、ちょうどいい感じの角度になるように鼻骨をゴリゴリ切るの。鼻中隔のとこまでよ。でね、反対側もちょうど同じ角度になるように切るのよ。これが難しいらしいわね。ちょっとでも角度が違うとあたしの鼻が傾いてしまうのよ。微妙な調節が必要なのよね。
 そうして鼻骨を切り取ってね、今度は鼻中隔をさっき切った面にきれいに合わせて切るの。で、鼻孔からハサミでもうブラブラしてる軟骨のかたまりを側軟骨から切り離すのよ。それから今度はまた鼻骨を削り、頬骨とつながっているとこまで行ったら、またのこぎりで切り離すの。鼻骨の両側と頬骨とよ。でね、また鼻孔にノミをね、骨にあたるまで挿入してトントン叩くのよ。ノミが眉間の中にどんどん入っていくのよ。で、ポキッと音がして眉間から鼻が外れるの。
 で、お次は鼻中隔の周りに切り込みをいれて側軟骨から切り離すの。それから鼻中隔の前の方を鼻孔の内側のすぐ後ろのところまで切ってから、ハサミで鼻中隔の両側、それから眉間の骨の所まで削って、鼻孔の内側の切り口から反対側へメスを突き刺してグリグリやって鼻中隔を下の端のところで切り離すのよ。そして外れた鼻中隔の一部を引っ張り出して三角のくさび部分をハサミで切り取るの。この幅もちょっとでも間違うとダメよ。
 今度は鼻骨を真ん中に寄せて、軟骨のかたまりを切り取った部分が見えなくなるまで両側の骨をちょうど真ん中で合わせるの。そうしてようやく鼻中隔の先端とコルメラの間を縫い合わせるのよ。斜めに二回縫合するの。しっかりつながったら、最初のガーゼの詰め物を取り出し、サルファ軟膏と新しいガーゼを詰める。そうして二日間防具を付け、一週間後に糸を抜くのよ。

 抜糸して手術室を出たとき、外の風景が何か今までとは違って見えたわ。いいえ、風景も何もかも、世界中が変わって見えた。あたしは自分自身が変わったと気付いたの。ライプニッツ的自動機械のような今までのあたしとはもうさよならっていう気分だった。
 そう、あたしはとうとう閾値を超え、臨界点に達し、境界を越えてこの生命の世界へ戻ってきたのよ。

Posted at 03:56 午前    

土 - 10月 25, 2008

I can hear swings and roundabouts by vermilion angel.





 何度となく此処に書いている様に、余はこの場所に於いて取り立てて書きたい事が有る訳ではない。尚且つ自分が見聞した物事を自分なりに解釈して明文化為る等これつぽちも考えてはおらぬ。
 否、正直に告白する成らば、実は所謂BLOGらしいBLOGを書きたいと思つた事は確かに此迄一度や二度ならず有る。余が興味を持つた事象を取り上げて蘊蓄を並べてみたり、或いは日記の様に日々の生活の中で楽しかつた事や悲しかつた事、美味い物や感動した事等を書き記してみたいと思ふ事が有る。此の目に映つた、耳で聴いた、皮膚で感じた移り変はる四季折々の自然を書き留めておきたいと思ふ事が有る。然し余にはさういふ文章の才能が欠けている。此ればかりはだうしようも無い。

 では何故此のBLOGを書いているのか。書きたい事も書くべき事も無く、又文章の才無き余がたつた今此の文章を書いているのは何故なのか。
 余が此のBLOGを書かんとする其の理由とは単なる気晴らしである。暇潰しである。何か適当に書き始めていれば其の内に書きたい事が見えて来るだらうといふ魂胆である。内容等だうでも良い。何でも良い、別に嘘でも良い。兎に角何かの文字が並んでおりさえ為れば其れで良い。
 勿論TITLEもだうでも良い。朱色の太ゴチツク体であれば意味等無くても良い。但し其れが英文であれば何となく意味深であるし、何より現代のBLOG風に仕上がるであらう。写真もだうでも良い。大判で且つ適当に彩度を落としておけば後は何でも良い。ピントや露出、其れに構図などもだうでも良い。第一にそんな事迄考えている暇も無い。そして、TITLE、写真、本文の三つは全くの無関係で良い。勿論三位一体史観等とは無縁であり、況んや此れらの写真や文章から音楽が聞こえて来ずとも良い。

 全ては混沌と為ていて構わぬ。各々が迷走為ていて構わぬ。論理が破綻為ていて構わぬ。四六時中全裸で構わぬ。何れにしても此の世界を構成する全ての要素は互いに矛盾し乍らぶつかり合うている。然言余りの混乱が故に時には其処にふつと調和といふ物が生まれる。勿論此の調和といふ物は全体的な見通しが在つての事では無いし、決して長続きは為ない、実に不安定な物である。
 余は此の統一性の無い自然を宥め賺して何とか味方に付けなければ成らぬ。地球は一つの目的を持つた統一体では無いし、生命が右往左往為ているのも単なる気晴らしの偶然である。地球が自公転為ているのも偶々何かの間違ひの偶然である。然し余は、其の偶然の上に不安定半ら辛うじて調和為ている様に見える其の一瞬を捉えなければ成らぬのである。

Posted at 04:27 午前    

日 - 10月 19, 2008

I don't like you a bit.





 いやぁもうね、お待たせして申し訳ない。
 急いで更新しようと思ってたんですけどね、ちょっと事故がありまして。何しろ四台の玉突き事故だ。ひどいケガ人が出ましてね。緊急事態です。誰か医者はいないのか、ということになりまして、しょうがなく名乗り出ましたよ。そうしてボールペンで気道切開手術です。道路上でね。まったくもって悲惨だ。
 え? 医者だったのかって? ええそうです。医学とブログを重ね合わせたようなことをやってます。ブログにもそれが表れているとよく言われますよ。なんというか博愛主義ってやつですか。人を愛せってやつですよ奥さん。余計なことは言わずにね。人助けをしろ、無理せず、言い触らしたりせずにね。いつもクールに、でも思いやりを持て。
 ええ大丈夫です。ひどいケガですが全員無事だ。生きていれば様々なことに巻き込まれるものです、まったくね。本当に悲惨な事故だ。

 興味のあるなしに関わらず否応なく巻き込まれるものとして、他には政治ってのがありますが、この政治というもの、世界中のいたる所に蔓延していて、しかも厄介なことに、例えば「あんたなんて大嫌いよ!」などとというセリフが飛び出すような所謂セクシャル・ポリティクスとも言うべき駆け引きから、「テロ支援国家指定を解除するぜ」という某国政府の公式な宣言まで、世の中のありとあらゆる政治的発言についてのその裏に隠された本当の意味を探ることが要求されるものです。事故も悲惨だが、いや政治も厄介だ。これら政治的発言というのは個人、企業法人、団体、政府などの一人格が発する主張であるけれども、実際のところは複数の意思が複雑に絡み合ったあげく、高エントロピー状態のその組織内から滲み出てくる灰汁のようなものなんでしょうね。

 ひとりの人間でさえ複数の人格が絡み合って、およそ秩序に添った言動など望むべくもないのに、大勢の海千山千が右往左往する国家政府の立法行政機関ともなれば、一晩過ぎれば、いや数時間経てばその公式見解が180度転換することも日常茶飯事でね、歴史が始まって以降、「世界は混沌に向かっている」などという訳知り顔の言説を待たずとも秩序の崩壊、あるいは既存の秩序を破壊せんと敵対する別の秩序の台頭は、常時すぐそばに存在していますよ。
 ただし、世界中の経済恐慌、経済崩壊が互いの額を寄せて囁かれるどころか、今や堂々と公に叫ばれるご時世、声高に破滅を煽るその物言いさえも、これ秩序の欠如が原因であると見るべきか、あるいは秩序に対抗する悪意ある陰謀の影が背後で薄ら笑いを浮かべていると読むべきなのか、うーんこれまた難しいところですな。どちらにしてもまったく厄介な話だ。

 ふぅーっ・・・。
 もちろん私たちにはどうすることもできません。車の衝突実験で使われる人形のようなもんです。ええ、あのダミー人形です。彼らは悲惨な事故に遭っても手当てもしてもらえない。どこが破損したのかボールペンでチェックされるだけ。博愛主義に反する扱いだ。思いやりのかけらもありませんよ。
 でもね、それが全裸人の宿命です。おおよそすべての全裸人、たとえ自己運動感受的感覚を持ったサイバネティック機械であろうとも、視覚的あるいは光学的な相互作用しか持たない予定調和に基づいた時計仕掛けとしてのライプニッツ的自動機械であろうとも、みんな扱いは同じです。彼らの人間性など認めてはもらえないんです。

 おおよそ人間性というものは体内の奥深く、あるいはその身体の背後に存在すると思われているふしがありますが、それは大変な誤解というものですよ。いいですか奥さん、宇宙本来の無心性のごとく、人間性も心の中になどありません。心の中身というものさえ怪しいもんだ。そこにマインドは存在しない。あるとすればそれは人間の表面、皮膚に宿っています。外界との接触点。ボールペンで切開されるかもしれないその皮膚にこそ、人間的存在のエッセンスがあるんですよ。

 え? あんたなんて大嫌いよ、ですって? 空虚なマインドに接すると人はそう叫びますけどね、口ではそう言いながらどうしても離れられないのが皮膚感覚というもの。ダミー人形の傷ついた背中に頬を押し付けるその仕草こそ、人間性の回復と贖罪の象徴なのですから。

Posted at 03:26 午前    

木 - 10月 2, 2008

I care what happens to you.





 今から三十年ほど前、つまり1978年の事だと記憶しているんだが、新宿にロック喫茶というものがあって、僕は一度足を踏み入れなければならないと考えていたのだった。ロック喫茶というのは当時流行っていたディスコやライブハウスと違って、客が静かに座ってコーヒーなどを飲みながら大音量のロックを聴くという何とも間の抜けた作法、しかし喫茶店としてはごく当たり前のその作法で時間を過ごすのだけれど、なかには立ち上がって半裸で踊り出す女子学生などもいて、新米の大学生としては非日常的なアンダーグラウンド空間であったのだ。
 そのロック喫茶では、ときどきDJと称する人物がレコードをかけるためにやって来て、音楽の合い間に解説やら蘊蓄やらをひと通りしゃべるわけだが、もちろん今どきのDJとは大違い、貧相な面構えの長髪で地味な柄シャツとジーンズに革靴というスタイル、通りの悪いカラカラした声でまくし立てる神経質そうなタイプの男。

 そのロック喫茶で僕はピンク・フロイドの「アニマルズ」というレコードを初めて聴いた。もちろんピンク・フロイドは以前から知っていたしレコードも何枚か持っていたんだけれども、その頃ではもっと速いビートばかり聴いていて、ピンク・フロイドなんてオールド・ウェイブでしかもブクブク太って身動きとれないブタ野郎の集団だぜなどというパンク世代としては正しい態度で臨んだのだった。
 ところがその時に聴いた「アニマルズ」は各曲が相変わらずの長尺にもかかわらず、そんな自分たちの評判を逆手にとったかのようなレコードで少し驚いた憶えがある。しかもその貧相なDJが居丈高な態度で「ピンク・フロイドは存続する価値がある」とか何とか言って称賛しているのだった。一部ではプログレの名折れだとか、古いディストピア小説の安易で誤った引用だとか酷評もされたのだが、プログレッシヴなどという唾棄すべき形容詞ではなく、そこにはリアルで骨太のブルースロックが息づいているとたしかに思えた。

おまえが自分の胸に手を当てて誓いのポーズか
お笑いだな
まったくもって道化だぜ
(ピンク・フロイド/アニマルズ「Pigs」より)

 数日後、僕は下北沢で一人の女子学生とわりとシリアスな話をしたあと、人生の岐路に立った悩める憶病者のようにしばらく立ち止まって迷ったあげく、やっぱり踵を返してレコード屋に向かい、「アニマルズ」のレコードと、あのロック喫茶でカラカラしゃべっていた例の貧相なDJが編集長を務めるロッキングオンという薄っぺらい雑誌を買った。
 僕より少し上の世代の学生はみな、朝日ジャーナルなんかを買っていたけれども(読んでいたのかどうかは不明だが)、その朝日ジャーナルの調査で、最近の三大若者雑誌として、ポパイ、ビックリハウス、ロッキングオンが選ばれていた。あの貧相なDJは「ロックは暴力衝動だ」などと言って評論家になり、ポルシェを買って実業家になり、新目白通りをあり得ないスピードで暴走した。

おまえが騙している連中にも信用されなければならないぜ
そうしておけばそいつらが背中を向けたときに
ナイフを突き刺すチャンスが来るんだからな
(ピンク・フロイド/アニマルズ「Dogs」より)


 何年かあと、僕は下北沢で別れたまま音信不通になっていた彼女から手紙を受け取った。その手紙は数千キロの距離を一ヶ月ほどかかって僕のところにやってきたのだった。僕はそれからさらに一ヶ月ほどかけて東京に戻り、彼女と一緒に生活をし、やがて結婚して、そして離婚した。
 ピンク・フロイドはその後、「ザ・ウォール」という二枚組のレコードを出して映画も公開された。日本では配給会社が決まらなかったのか、なかなか公開されなかった。イエローなんとかという有名な三人組のテクノポップグループでドラムを叩いていたヤサ男が、この映画は素晴らしいのでぜひとも公開すべきだと声を上げ、キャンペーンを張ったおかげで公開が決まったのだった。結婚する前だったか後だったか、離婚する前だったか後だったか忘れたけれども、その時はもう消えていたあのロック喫茶の近くの映画館へ彼女と二人で行った。

 僕は学生の時から代々木八幡や初台周辺を何度となく引っ越していたけれども、初台駅の北側にある立入禁止区域が常に気になっていた。周囲の高い塀からわずかに見えるのは、今にも崩れそうな老朽化した建物が、それでもわずかに残された威厳をもって暗闇の中で静かに立っている様子だけだった。旧日本軍の重要施設だとまことしやかに噂されていたけれども、なるほどわずかに残った窓ガラスには白いテープが貼られていて、空襲時に破片が飛び散らないようにするためだと想像できた。旧日本軍が開発を急いでいた細菌兵器の実験施設だというのが僕と彼女の見解で、僕たちはその区域のことを「ゾーン」と呼び、周囲の塀を「ザ・ウォール」と呼んでいた。初台の「ゾーン」内ではときどき工事の騒音が響いていることもあって、そんなとき彼女は「犬たちが動き回っているのよ」と言った。僕たちは離婚してからもときどき一緒に散歩をしたり映画を観たりしていたのだが、ある事件を境に再び音信不通になってしまった。

草原でのんびりと過ごしていると
あたりに漂うわずかな気配にうっすら気付く
用心しろよ
おそらく犬どもが動いている
(ピンク・フロイド/アニマルズ「Sheep」より)


 さらに何年か後、初台のその「ザ・ウォール」は取り払われ、「ゾーン」は新国立劇場とオペラシティになった。僕は再び結婚して子どもが出来たけれども、やっぱり初台周辺に住み、もともと「ゾーン」だった場所にときどき子どもたちを連れて散歩にやって来る。そこに立っている全裸人の像は「ザ・ウォール」のあの有名なイラストのように常に声にならない叫びをあげている。その様子を眺めながら皆でベンチに腰掛け、僕は子どもたちに向かって「この先も、僕は君らに何が起こるか気にかけているんだぜ」と話すのだ。

僕は君たちに何が起こるか気にかけている
君たちも僕のことを気にしている
だから僕はつらい孤独など感じてはいない
(ピンク・フロイド/アニマルズ「Pigs On The Wing, Pt.2」より)

Posted at 03:37 午前    

日 - 9月 21, 2008

I quote it first.





 服を着るということはまことに名誉なことです。それに、そのボタンは純金製ですから、インフレになっても心配ないでしょう。でも要らないのです。要らないものを強要しないでください。それでは洋服会社が専横で私がぶしつけな人間に見えてきます。もっと上品に振る舞うべきでありましょうけれど、「No」と言う方法は一つしかないようで、「No」と申しあげます。
(エティエンヌ・シェルドルー「全裸の詩人」第13巻49章 対話 その37 より)

Posted at 02:31 午前    

火 - 9月 9, 2008

I came from the hothouse.





 あなたがもしこの地球上にお住まいで、なおかつ気温がある程度一定に保たれた言わば温室のようなところで佇み、今の自分を変えたいと考えながらパラノイア的な苦笑いを浮かべているといった場合、あるいは一方で、今の世の中の方を変えたいと考える群衆が押し寄せてきて事を進める表通りを、未来という夢の風景を眺めながら千鳥足で歩いているという場合、そんな時にこそ、あなたは自分自身のマインドというものが、結局のところ何もない虚空という状態であることに改めてお気付きのはず。そして自分のすぐ近くに新たな地平への入り口が存在しているのではないか、何かほんのちょっとしたきっかけで彼の地へ到達できるのではないか、という言ってみれば幻想、妄想の虜に陥りがちなのも、そんな虚空、虚無に接した直後のこと。

 最近このブログに掲載されている写真はすべて、vinelandz への入り口があるのではないかと思われている付近の風景を撮ったものだけれども、一方では、そんな入り口などどこにも存在しない、ただ訪問者が自身で勝手にその扉を捏造し、ただ闇雲にオープン・セサミと叫び続けているだけという説もある。20世紀初頭、あるイギリス人探検家がその入り口を確かに発見したという話があるけれども、それとて結局のところ、その探検家自身のマインドの闇の奥、つまり虚空しか見出せなかったのかもしれないのは、彼の後継者がまるで黙秘権を行使するがごとく、二度とその口を開こうとしなかったのが理由。

 今は使われなくなった鉄道駅のプラットホーム。vinelandz へ分け入ろうとする冒険家にとっては容易に到達できる場所ではあるけれども、やはり誰もが簡単にここに降り立つことはできないはず。電車がここに停車することは決してないというのがその理由だけれども、WNC(the Whole Naked Crew = 全裸連)がこの路線の鉄道会社と交渉した結果、かろうじて時速30kmに減速して通過することが取り決められた現在では、通過時に窓から飛び降りるという方法でアクセス可能。
 この路線を走る電車はたった一両しかなく、その一両の電車が数時間おきに始点終点間を往復するだけで、一人しかいない運転士が体調不良などで寝込んだりすれば即刻全線運休となる路線。この鉄道会社か、もしくは運転士の頑固なポリシーに則って、電車が停車するのは「死の王国」と「死者の国」の二駅だけ。

 生きているうちにやって来る人間のうち、およそ半数が生きて帰れる場所ではあるが、ここで得られるものは何もない。取り立てて消耗もしないかわりに精神的成長を遂げることも皆無。戦いに明け暮れる毎日に次第に人間性を失っていくとの説もあるけれども、ここへやって来る人間のマインドは最初から虚空であるのは冒頭に書いた通り。

Posted at 03:41 午前    

金 - 9月 5, 2008

I leave the motorcycle, electric bass, personal computer.





 数の違いはあれど世界中どの国の vinelandz においても存在する全裸族という人種はたいてい三つのモノを持っていて、それはたとえば現代ではモーター・サイクル、エレクトリック・ベース、パーソナル・コンピュータといった工業製品。ところが、これらを自らの人生とともに一旦放置するため、この地で彼らに残されたものはやはり言葉のみ。他にはいっさい何もなし。

 このことは何年か前に世界でもっとも権威のない文学賞にノミネートされたアメリカの作家による「全裸の詩人」、そして我が国では数年間その全裸人と生活をともにしたという捨て身のジャーナリストによる「全裸、いやむしろ禅裸」という特別リポートともいうべき著作物がわずかな参考資料としてかろうじて閲覧可能。もっとも、二冊ともそれぞれの国家による発禁処分を受けていて、一般的な書籍の流通経路には存在しないしろもの。

 西早稲田のとある古本屋は常にこの二冊の在庫を切らさないようにしているという話だけれども、ここの店主ときたら、日中は早稲田通り沿いのパチンコ屋「22世紀」の20番台のコインスロットに陣取ったままテコでも動かないのがその生活スタイルで、当のその古本屋が開店しているのを見たものは多くない。

 一方、当の全裸人一人ひとりを抽出してみれば、実に興味深い人物ばかりで、各人についての評伝はすでに無数に書かれているのも事実。彼らはどこに現れ、どこに消えていったのか。全裸族が出現したというこの vinelandz 独特の現象はいったい何を語るのか。突き詰めれば、何が全裸であり、誰が全裸人なのかという問いへの回答は、我々人類一人ひとりが考えるべき問題。

 モーター、エレクトリック、パーソナルという三つのキーワードがその謎を解く鍵となろうが、これらの言葉の使い方さえもが極めて恣意的で、言ってみれば趣味の範疇で光を放つ個人的な解釈しか導き出せず、結局のところ、全裸人とはその一人ひとりの人物の属性に過ぎない、つまりこの vinelandz には全裸人なぞどこにもいないという結論に到達する可能性も少なからず孕んでいるのがこの三つの言葉の厄介な一面。

 東京から再びこの vinelandz に戻ってきた今、前回の約束通り、謎に満ちた彼らの生活を記そうと試み、その対象の曖昧さ、不透明さによってエントリ欄は絶えず修正を強いられ、着地点を求めることさえ許されないほどに変容するこの世界を手なずけることは難しく、且つそんなことは無意味であると痛感する日々、それでも彼ら全裸族の全貌を明らかにしようと改めて決意する九月の明け切らぬ朝。

Posted at 04:12 午前    

水 - 8月 27, 2008

I love you, I need you, I want you.





 ヒトにとって本当に必要なものは何かという問いに対しては、もちろん様々な意見があって、それこそヒトの個体数総数分の種類の答えがあるのではないかとさえ言えるほど。ところが大多数のヒトが共通して必要とするものとして、衣食住以外にヒト自身をあげるのもこれ不思議だとも言える事実。ヒトにとって最低限必要なものは他ならぬヒトであったとは、しかしながら群れで生活する哺乳動物としては至極当然のこと。

 言葉に表しようのない寂しさに打ちひしがれたとき、ヒトを求めて彷徨い続けるそのヒトの悲しき宿命。モーター・サイクルを走らせたり、エレクトリック・ベースを弾いたり、パーソナル・コンピュータに言葉を打ち込んだり、すべてはヒトの落ち着くところもなく彷徨うマインドが執り行うもの。

 ところが自分にとって必要なものは他のヒトに比べて極端に少ないという人種が存在していて、この辺りでもわずかながらそういった人種が居住していることは世間であまり語られない事実。彼らは誰も愛さず、ほとんど何も必要としない。物欲にまみれた現代社会を批判し、自らの理想を貫く求道者たちである、などとまことしやかに噂されている一方で、たとえば都市に住む人々から見れば想像を絶するほど危険で不自由な生活を送っているとか。

 凡人がいたたまれなくなって思わず、I love you! と叫ぶような獣道、イバラの道でさえ彼らは毅然とした態度を保ちつつ涼しい顔で踏破する。 彼らにとって、need とか want とか、ましてや love などという言葉は存在しないかのよう。いや、そもそも you という言葉さえ知らぬかのよう。

 そんな謎に満ちた彼らの生活については次回のお楽しみ。凡人は何日間か東京に戻って need とか want とか love とか口にする週間。

Posted at 03:49 午前    

日 - 8月 24, 2008

I shall go to that island.





 いつの日かきっとそこへ行くことになるだろう。きっとその山を越えるだろう。きっとその橋を渡るだろう。きっとその町を越えるだろう。きっとその海を渡るだろう。きっとその流れをさかのぼるだろう。きっとその風に逆らうだろう。きっとそのドアを開けるだろう。

Posted at 02:50 午後    

木 - 8月 21, 2008

I beat the beast.





 その入り口の脇には武装した門番が立っていて、一見したところは一本の貧弱な槍を構えているようなのだが、こちらが少しずつ近寄るにつれて、その槍はいつの間にかマシンガンに変形しているという具合。
 さらに運が悪ければ、別の獣道から獰猛な野獣がこちらに向かって駆け降りてくるので、その場合は取り急ぎ、その対応を迫られることになる。行く手はまだ遠い。

Posted at 01:17 午前    

日 - 8月 17, 2008

I have 'no waiting, no running, no shooting behind'.





 とある街のとある通りにある分かれ道、サンダル履きでただブラブラと散歩しているだけなのに、まるで人生の岐路に立った悩める臆病者のように一歩も動けなくなることがあるのは、これヒトという生物の哀しくも愛すべき習性で、今から三十年ほど前の下北沢、名も無い裏通りでたまたまこちらに向かったおかげで、その後しばらくは柔らかい座席に座ったまま通過できるチケットを失い、その代わりに不毛の砂漠と狂った荒海とを自力で踏破するために最低限必要な教訓だけを手に入れ、そしてそれ以降、散歩道では小走りになったりわざとゆっくり歩いたり、裏通りでは立ち止まってキョロキョロと振り返ったり、人生というものを誤っていないかどうかビクビクしながら表通りを行ったり来たり。

Posted at 02:53 午前    

土 - 8月 16, 2008

I will remember you.





 もし今日が自分の人生最後の日であるなら、自分もこのバイクも東京には戻れないだろう。もし今日が自分の人生最後の日であるなら、このバイクに乗って東京へ向かうだろう。
 二十七、八年前、あの大陸で考えたことを思い出した。

Posted at 03:07 午前    

金 - 8月 15, 2008

I return, beyond the zero.





 ヒトがゆっくり歩くことしかできないのは、その肉体構造上の欠陥を補おうとすると同時に、これが自分たちなんだと心のどこかで開き直っているからで、自身で捏造した架空の原点ともいうべき場所へ常に立ち返ろうとする生物だからだ。
 苦笑いと千鳥足くらいしか取り柄がないくせに、ゼロの真ん中にある虚ろな空洞に原点を見い出そうとするからなんだ。

Posted at 01:19 午前    

水 - 8月 13, 2008

I saw her standing here.





 コクトーの言う「詩の女神(ミューズ)」が一体どこにいるのかはまったく知る由もないけれど、辺境の島にも新しい地平に登る階段の入り口があり、目指すその地平には宗派不明のミューズが素知らぬ顔で立っている。

Posted at 01:18 午前    

月 - 8月 11, 2008

I talk to the wind, stark naked.





 幼い頃には「~に国境は無い」という言葉を無邪気に信用し、そのうち立ちはだかる越え難き壁にすっかり諦めムード、ところが、ある夏の日に突然ふたたび越境を試みるのがヒトの宿命ともいうべき所作。自ら築いた国境をまた自らが強行突破しようとするのがヒト科ヒトのマインドというもの。たとえそれがアウト・オブ・マインドであったとしても、境界を越えた位相ではヒーローにさえ成り得る。言葉はふたたび越境する。

Posted at 05:44 午後    

月 - 8月 4, 2008

I blog you, today.





 最初に文字を書いた(もしくは描いた)のはどこの誰で、いったいどういうつもりだったのだろう。
 はいそれは、どこそこに住んでいたナントカという人物ですという答えが決して出ることはないにもかかわらず、どうしても常日頃考えざるを得ないこと。なぜなら、その人物のおかげでヒト科ヒトは他に類をみない特殊な生物になったのだから。

 久しぶりに Blog という言葉を見て、何のことか思い出すのに少し時間がかかったけれども、そういえば元は Weblog だった。WebのLog。それが We Blog になったのだった。

 今日から Blog を書きます。

Posted at 02:47 午前    


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