信教の自由は許されても、殉教に自由はない 


映画「パラダイス・ナウ 」を観た 

イスラエル占領下にある「ナブルス」が舞台。そこで自動車修理工として働く二人の若者、ある日イスラエルのテルアビブでの自爆攻撃の指示が下る。そこから始まる、二人の若者の48時間の友情、心境の変化、指示を下す側の思想と自爆攻撃に反対する側の思想の衝突、そして実行される自爆攻撃。とてもスリリングな展開が続く作品で、ラストの静寂が観ている側の心や魂を解放させ、複雑な思いも無にさせる。もともと劇中音楽も少ない作品なのだが、ラストの静寂は強烈。

日本でもかつては神風特攻隊などあった。この作品が伝えている自爆攻撃は民間の人も巻きこみ、恐怖を与えている点で神風攻撃とは異なるが、そうした行為に出る根底にあるものはどこか共通するものがある。本作品を観て、改めてそのことに気づかされたように思う。

かつて、ある宗教の教えから、自分の子供の輸血を拒否し、死んでしまったという事件があった。その時、子供に向かって医療者達は「死にたくないよね」といった言葉かけをし、その子供も「生きたい」といったという。親と子供は別人格であって、親だからと言って教義にしたがい、年端もいかない子供にその思想を押しつけるのは問題があると私は思う。最近一緒にお仕事したある弁護士はその事件について言った「信教の自由はあっても、殉教の自由はない」と。神風特攻隊、そして自爆攻撃の根底に流れるものに何か共通するものを感じた。

あと、この映画のパンフレットは良くできています。映画での字幕抄録なんかもあって、後で映画を思い起こし、振りかえるのに良いです。 

Posted: Mon - May 21, 2007 at 12:34 AM  | | |


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