景観
08/03/06 11:13 | Permalink
建築を計画するとき何を大切に考えるか、私はゾーンとゾーンの境界の距離感だと思っています。社会と個人、外部気候と内部気候、集合と個などなど、その境界のデザインが建築のデザインと言えないでしょうか。建築のボリュームや外観のデザインを考えるとき、既存の町並みに対して閉じるのか、開くのか、距離を置くのかなど外に対しての建築の態度が内部空間との関係性と共に大きな課題となります。
私たちの街にも東京近郊(小田急線で新宿まで20分の距離)の故か、新しく集合住宅や建て売り住宅が建設されています。これらのものは、ある一定の規模で経済性の為に許されるボリューム目一杯に建てられることになり、既存の町並みに与えるインパクトが大きく、多くは既存の町並みと衝突しているように思えます。


写真は記事とは特に関係ありません。自宅近くに最近出来た分譲集合住宅。
これらの建築が次々と立ち上がっていくと、私たちの町並みは住民の手の届かないデベロッパーの手の中にあると思えてきます。
昨年、景観3法と言われるものが施行されました。
しかし、景観3法によって景観のあるべき姿が多くの人たちによって合意が得られている地域では、高さや色の統一によってある程度良好な景観は維持されるのでしょうが、我々の住むどうってこと無い普通のまちの景観は、どうでしょうか。
「自分の住んでいるまちの色は?」、「自分たちの街にふさわしい建築物のデザインは?」と聞かれても私たちは途方にくれるだけだろう。こんな議論を始めたら、既得権益を守りたい人たちが現れて、混乱するだけでは無いだろうか?良好な景観なんてうちの街には必要がないと思う方もいるかもしれません。
しかし、安心して安全な街に住みたい。美しい街に楽しく住みたい。というのは、どなたでも共通の願いでは。何の変哲も、特色もないけれど美しく魅力的な街に住みたいという欲求はあると思うのです。
私たちの街を美しくするにはどうすればよいのでしょうか。少し街に対して開いてみること、意識してみることではないでしょうか。このサイトのブログのカテゴリーにdetailを設けているのも、住んでいる街のちょっと素敵だな、ちょっと変だなというところをとりあげて、それが集積していくと街の顔が見えてくるのではとの思いからです。そんな小さな努力から初めて見てはどうでしょうか。新たに建築を計画する人は、少しだけ街に意識を開いて欲しいと思います。自戒を込めて。



写真はやはり近所の賃貸集合住宅。ここには、成功しているかどうかは別にして、建築家の外と内、街に対する距離感の意識がはっきり感じ取れるのではないでしょうか。

駅近くの最近改修された歩道の舗石。何という無計画性、こういうことが平然と行われるのですから美しい町並にはほど遠いですね。
© yuichi masuda
私たちの街にも東京近郊(小田急線で新宿まで20分の距離)の故か、新しく集合住宅や建て売り住宅が建設されています。これらのものは、ある一定の規模で経済性の為に許されるボリューム目一杯に建てられることになり、既存の町並みに与えるインパクトが大きく、多くは既存の町並みと衝突しているように思えます。


写真は記事とは特に関係ありません。自宅近くに最近出来た分譲集合住宅。
これらの建築が次々と立ち上がっていくと、私たちの町並みは住民の手の届かないデベロッパーの手の中にあると思えてきます。
昨年、景観3法と言われるものが施行されました。
今まで法律は、景観に対して法的位置づけが、市街地の緑やたたずまいを含めた街並み全体の品格、景観と緑の一体的な政策推進については弱かったこと。相続発生や企業不振による所有地の転売・放出などによって、民間所有の山林、邸宅、研修所として維持されてきた景観と緑が急激に変容・喪失している事例が少なくないことなどの理由で「景観法」を含む「景観緑三法」が参議院で成立しました。「景観緑三法」は、良好な景観を「国民共通の資産」として位置づけた初の基本法で、「景観法」、「景観法施行関係整備法」、「都市緑化保全法の一部を改正」の3つをセットにする通称です。
しかし、景観3法によって景観のあるべき姿が多くの人たちによって合意が得られている地域では、高さや色の統一によってある程度良好な景観は維持されるのでしょうが、我々の住むどうってこと無い普通のまちの景観は、どうでしょうか。
「自分の住んでいるまちの色は?」、「自分たちの街にふさわしい建築物のデザインは?」と聞かれても私たちは途方にくれるだけだろう。こんな議論を始めたら、既得権益を守りたい人たちが現れて、混乱するだけでは無いだろうか?良好な景観なんてうちの街には必要がないと思う方もいるかもしれません。
しかし、安心して安全な街に住みたい。美しい街に楽しく住みたい。というのは、どなたでも共通の願いでは。何の変哲も、特色もないけれど美しく魅力的な街に住みたいという欲求はあると思うのです。
私たちの街を美しくするにはどうすればよいのでしょうか。少し街に対して開いてみること、意識してみることではないでしょうか。このサイトのブログのカテゴリーにdetailを設けているのも、住んでいる街のちょっと素敵だな、ちょっと変だなというところをとりあげて、それが集積していくと街の顔が見えてくるのではとの思いからです。そんな小さな努力から初めて見てはどうでしょうか。新たに建築を計画する人は、少しだけ街に意識を開いて欲しいと思います。自戒を込めて。



写真はやはり近所の賃貸集合住宅。ここには、成功しているかどうかは別にして、建築家の外と内、街に対する距離感の意識がはっきり感じ取れるのではないでしょうか。

駅近くの最近改修された歩道の舗石。何という無計画性、こういうことが平然と行われるのですから美しい町並にはほど遠いですね。
© yuichi masuda
建築士
21/02/06 18:11 | Permalink
立て続けに建築士が主体的に係わる事件が起きている。一級建築士の登録者数は31万人余りだそうだが私もその有象無象の一人、ということで建築士って何?てなことを考えてみたい。
私たちはどう呼ばれているだろうか?建築士、建築家、設計者、設計屋さん、設計業者などだろうか。
建築士:資格を表す
建築家:職能を表す
設計者:確認申請書に出てくる言葉
設計屋さん:商売を表す?
設計業者:官公庁の仕事でこう呼ばれる(設計屋と同じような意味か)
この中で法的に裏付けがある言葉は建築士だけで、あと建築基準法で定められた書式の中に出てくる設計者もそうかな。
若い頃、先輩に建築士の資格は”足の裏についた米粒と同じ”と自嘲気味に言われたことがあります。その心は、”取っても食えない”。
全くその通りなのですが、報酬を受けて建築主の代理人として、設計監理業務を行えるのは国家資格を受けた建築士だけです。そうした行為を継続的に行うには設計事務所としての登録が必要になります。
設計事務所の開設は事務所専任の管理建築士がいれば誰でも出来ます、つまり、事務所の代表は資格がなくてもつとまる訳です。私が大学卒業直後勤めた(丁稚奉公に入った)アトリエ事務所の所長はれっきとした建築家(職能として)でしたが建築士の資格は持っていませんでした(奥さんが一級建築士で管理建築士)。つまり、建設会社でも不動産会社でも食品スーパーでも本屋でも事務所登録が可能と言うことになります。
ここで、設計監理業務を業として行うものが、大きく分けて兼業と専業に分かれることになり、従来から専業の設計事務所からは、兼業であれば本業の圧力(建設会社であれば工事によって利益を得ていて、その利益を優先)により建築主の代理人としての役割が果たしにくいとの主張がなされてきました。
ところが、今回の事件(構造計算書の偽装)で主体的に係わったのは専業事務所(建設会社に従属的に従った専業事務所の建築士、不動産デベロッパーに従属的に従った専業事務所の建築士)でした。今の段階で事件の全ての構図が解明されていないので、従属的に従ったとの表現はあくまで個人的な推察ですが。これでは専業、兼業の色分けは意味をなしません。建築主の利益を図ったのだから代理人としての役割を当該事務所は果たしたともとられそうですが、本来のプロ(職能)としての仕事は不法行為を行えばかえって建築主が不利益を受ける、社会正義として許されない、と伝えることですし、もっと主体的に健全な建築行為を主導する立場でなければならないはずです。
今回の事件を受けて、確認検査制度、資格制度の見直しの議論が行われていますが、それも大いに結構ですし、それが今まで設計事務所の下請的存在だった構造設計者、設備設計者の資格制度や地位向上につながれば良いと思います。(もちろん私は、これらの方たちと仕事を進める上で下請けと考えたことはありません、あくまで協働ととらえています)しかし、肝心要は建築家、構造設計者、設備設計者それぞれの職能にたいする議論を深めることではないでしょうか。
© yuichi masuda
私たちはどう呼ばれているだろうか?建築士、建築家、設計者、設計屋さん、設計業者などだろうか。
建築士:資格を表す
建築家:職能を表す
設計者:確認申請書に出てくる言葉
設計屋さん:商売を表す?
設計業者:官公庁の仕事でこう呼ばれる(設計屋と同じような意味か)
この中で法的に裏付けがある言葉は建築士だけで、あと建築基準法で定められた書式の中に出てくる設計者もそうかな。
若い頃、先輩に建築士の資格は”足の裏についた米粒と同じ”と自嘲気味に言われたことがあります。その心は、”取っても食えない”。
全くその通りなのですが、報酬を受けて建築主の代理人として、設計監理業務を行えるのは国家資格を受けた建築士だけです。そうした行為を継続的に行うには設計事務所としての登録が必要になります。
設計事務所の開設は事務所専任の管理建築士がいれば誰でも出来ます、つまり、事務所の代表は資格がなくてもつとまる訳です。私が大学卒業直後勤めた(丁稚奉公に入った)アトリエ事務所の所長はれっきとした建築家(職能として)でしたが建築士の資格は持っていませんでした(奥さんが一級建築士で管理建築士)。つまり、建設会社でも不動産会社でも食品スーパーでも本屋でも事務所登録が可能と言うことになります。
ここで、設計監理業務を業として行うものが、大きく分けて兼業と専業に分かれることになり、従来から専業の設計事務所からは、兼業であれば本業の圧力(建設会社であれば工事によって利益を得ていて、その利益を優先)により建築主の代理人としての役割が果たしにくいとの主張がなされてきました。
ところが、今回の事件(構造計算書の偽装)で主体的に係わったのは専業事務所(建設会社に従属的に従った専業事務所の建築士、不動産デベロッパーに従属的に従った専業事務所の建築士)でした。今の段階で事件の全ての構図が解明されていないので、従属的に従ったとの表現はあくまで個人的な推察ですが。これでは専業、兼業の色分けは意味をなしません。建築主の利益を図ったのだから代理人としての役割を当該事務所は果たしたともとられそうですが、本来のプロ(職能)としての仕事は不法行為を行えばかえって建築主が不利益を受ける、社会正義として許されない、と伝えることですし、もっと主体的に健全な建築行為を主導する立場でなければならないはずです。
今回の事件を受けて、確認検査制度、資格制度の見直しの議論が行われていますが、それも大いに結構ですし、それが今まで設計事務所の下請的存在だった構造設計者、設備設計者の資格制度や地位向上につながれば良いと思います。(もちろん私は、これらの方たちと仕事を進める上で下請けと考えたことはありません、あくまで協働ととらえています)しかし、肝心要は建築家、構造設計者、設備設計者それぞれの職能にたいする議論を深めることではないでしょうか。
© yuichi masuda