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「青ひげ」 カート・ヴォネガット(1987)

そうか、コンサートだったんだね、昨日。どう、愉しんだ? ・・・ 独り言。さて、今日は、ヴォネガットお気楽書評。

不思議なことに、人から勧められた本は、なかなか本気で読む気にならないことがしばしば。たとえば、(あくまでわたしにとって)村上春樹いいよ!といわれても、もう二度と読むことはないと思う。当然、昔は読んだ、相当に読み込んだ。だからもう読む必要がない、それだけなんだけど。だからわたしの勝手な書評など気にすることもなく、各人がお好みのものを読むべきである、そういう自由を読書人は持っている。ただし、一言だけ、無情な響きにしかならないだろう懇願!!! かっこいい軍人がマシンガンで人を敵を皆殺しにする話とか、変質者の猟奇殺人の話なんかは、「絶対に読む必要がない!」 わたしは今のところ、非常に軟弱なペンで世の主流派を突き始めたばかりだが、ヴォネガットはそれをもう60年にもなる間、続けている!

ヴォネガットを読んだことがある人なら、すらすらと何とも読みやすい文に感動を覚えているはずだ(当然、訳が素晴らしいこともあるけれど)。それでも、「青ひげ」は最初の長編「プレイヤー・ピアノ」もそうだったけど、少々、真剣に読ませるスタイル。ラボー・カラベキアンの自伝という形をとって、彼が今ある人格になったいわれを、数多のプロットで書き綴る。いつもながらの人間という頭でっかちがしでかした愚行を語りながらも、徒弟として過ごした家にいたマリリーとの切ない愛、二人の妻との思いで!(その愛すべき三人は既に土の中で眠っている)、画家仲間達とのどんちゃん騒ぎと、その後に続く数多くの「自殺」。それでも、なんとか世に生きるだけの人格を保っていた老人の物語の最後の一こま・・・この最後のシーンにおいて読者は、いつもとは少し違う結末を見ることになる。
・・・「ジャガイモの納屋」の中で、主人公ラボーと、作家ミセス・バーマンと共に読者諸氏が見ることになる「あるもの」が、なぜか心地よい。いままでのヴォネガットの作とは異なる心地よさを見いだす。結局、男とはこの「あるもの」を残すがために生きていると思えて仕方がない、ほんのちょっぴりの少年の心と友に。じわっと、目頭が熱くなる。片眼の老人が、誇らしげに、しかし決して自慢というわけではなく、横にいる現代の女性シェークスピアと、それを眺めているシーンにおいて・・・。

かつてSF作家と呼ばれ、いまでもハヤカワ文庫の「SF」に分類されている。この本が出てもそれは変わらないことに微笑みしてしまうのはわたしだけかな? 内なる文化についつい閉塞しがちなこの国に、今更ながら・・・いやいや 今この世界情勢だからこそ、こんな知恵を授かるのも素敵なことだ! これ、ホント。

 




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